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大学開校一か月を記念して行われる、各国が東西に分かれての選抜模擬戦。その舞台として選ばれた場所は帝都ヴァルガードの東南に位置する円形屋外劇場である。砂の流れる惑星にあって、揺るぎなき確かな地盤を持つからこそ許される石積みの、元々は名前の通り観劇や催し物のための舞台であったその巨大な施設は、週末の一大催事に向けて大急ぎの用意が進められていた。
その観客席は舞台中央をぐるりと取り囲むように何層もある立体的な構造で、実に一万人を超す収容人数を誇るが、当日は帝都中のみならず、周辺他国からも様々に賓客が招かれる手筈になっている。警備体制や緊急時の対応も含め、ホストであるツヴァイの関係者に課せられる責任と重圧は相当のものだった。今回の模擬戦には言うまでもなくツヴァイの威信がかかっており、その責任者として帝族の一人、皇女アンヘリタ・スキラシュタの名前が掲げられていることからもそれは窺い知ることが出来る。さらには、実際の準備運営とその指揮にあたる人物が大学の開設にも関わった帝国宰相ナイル・クライストフとなれば、事はまさに国家的な行事だった。
かつて中央大水源と呼ばれた豊富な水源を抱き、砂に流れない強固な地盤を持つ帝都ヴァルガードは、もう一つ、非常に稀有な地理的条件を兼ね揃えている。風と砂の浸食を受けないからこそ存在が許される黒々とした土壌は、それこそがあるいは石と水に拠る恵みのもっとも明確なものとも言えた。
屋外劇場の舞台に顔を覗かせている地面も、その粘土質を多分に含んだ土壌であったが、そこには今、外から大量の黄砂が運ばれ、全体を厚く覆われようとしている。これは、「より現実的な戦場」を再現するための処置ではあったが、ツヴァイ人の無意識的な傲慢さの表れであったかもしれない。ヴァルガードの黒土が戦場になることなどありえない、という意味にも取れるからだった。いずれにしろ、豊かな土壌の上に黄砂を被せるなどという行為が、普通であれば目を剥くような最上以上の贅沢であることには疑いようがない。
砂が敷き詰められた模擬戦場には、その下見に訪れている姿も多く見ることが出来た。実際の踏み心地を確かめようと乗馬して走らせている者もいる。いずれも模擬戦に選ばれた各国の猛者であるが、訪れているのが西軍の関係者のみになっているのは、模擬戦の前に両陣営が顔を合わせることでなにか騒動が起こらないようにという配慮から、それぞれ下見の日程がずらされているためである。
「――失礼。ナウガラのセフェリノ様でいらっしゃいますね?」
その下見に訪れていた選抜者の一人は、不意にかけられた声を受けて不審そうな眼差しを隠そうともしなかった。見ると、軟弱そうな笑みを浮かべた男が一人、仰ぎ見るようにこちらを見上げている。
「……確かに自分はセフェリノだが、そちらは?」
「これは失礼を。私はアソカット家に仕えるものでございます」
「アソカット。失礼、どちらのお国だろうか」
「はい。ツヴァイでございます。アソカット家は北方、サシュナ地方で小さいながらに水を治めさせていただいておりまして」
ツヴァイという単語を聞いた瞬間、セフェリノは自身の眉間に皺が寄るのを自覚していた。警戒した声音で訊ねる。
「なるほど。それで、そのアソカット家の方が一体なんの御用だろう」
「実は今、私の主人があちらに参っておるのですが――」
男が差した方角に、ぽつんと馬に跨っている一人の姿があった。供も仲間もおらず、どこか頼りない気配で馬の気ままにさせている。板金兜に包まれて顔は見えないが、体格からしてとても荒れ事に慣れているようには見えなかった。
そんな主人の情けなさを儚うように、使いの男はそっと息を吐いて、
「……恥ずかしながら、アソカットはあまり武芸に秀でた家とは申せませぬ。今回、幸運にも模擬戦に選抜されるという大変な名誉を受けることとなりましたが、主人も名誉であるのと同様、非常に強い重圧を感じておる次第でして」
「はあ。それで」
「そこで、水陸南方に此れありと名高い、セフェリノ様にお願いしたいことがございまして――どうか、我が主と一戦、交えていただけませんでしょうか」
一拍の間を置いて、ナウガラのセフェリノは返答した。
「――断る」
冷ややかな眼差しを相手に突き刺して、
「一体なにを企んでいるのかは知らぬが、見ず知らずの相手からそのような急な申し出を受ける理由がない。御家のご事情はともかく、そのようなことを望まれるのであれば、同じ国から選抜されたお仲間に頼まれるがよい」
彼が申し出を受けなかったのは、もちろんそこに胡散臭さを感じとってのことである。セフェリノの国は水陸南方の小国であり、その代表として大学、そして今回の模擬戦に選抜された以上、彼には政治的な責任が伴った。先日の顔合わせでツヴァイの内部に奇妙な空気があることを知ったからには、少しでもそのような疑いのあるものからは極力、距離をとるべきだった。
無論、だからといって断り方を間違えてしまえば、そのことが今後の憂いを招きかねない。彼の断り方は論理においても、感情においてもまったく正論であって、文句のつけようもないはずだった。
堂々とした拒絶に、使いの男は困ったように眉をひそめて、
「それは。……確かに、その通りでございますね」
「わかっていただけて嬉しい。当日は互いに健闘しましょうと、ご主人にお伝えあれ。それでは――」
セフェリノは馬首を翻しかけたが、それ以前に鼓膜を打ったぱんっという音に馬の足を止めて、振り返った。
大きく両手を打ち鳴らしたその音は、舞台上にあってひどく響いた上に、よく伸びた。周囲の視線が自然と集まるなか、使いの男が嬉しそうな大声を上げる。
「ありがとうございます! 主人も喜びます! ああ、もちろん本番の前に怪我などないよう、主人も気をつけると申し上げておりますれば――!」
なにを言っている。そう怒鳴る間もなく、セフェリノは遠くから人馬が自分に突っ込んでくるのを視界に捉えた。
――ハメられた!
自覚するのと同時、腹の底から猛烈な怒りが沸き上がる。セフェリノは勢いよく手綱を引き、自らの乗馬に前脚を高く振り上げさせた。目の前の男を蹴り飛ばしてやろうとするが、それより早く男は両手を上げて逃げ出しにかかってしまっている。
そのまま相手を追いかけて踏みつぶしてしまってもよかったが、小国とはいえ名誉ある家柄の出である男は一時の感情で自身の行動を誤らせることはしなかった。素早く意識を切り替え、迫りくる相手に視線を向ける。
一心不乱に突進してくる人と馬は、意外にその姿は見栄えのよいものだった。姿勢は低く、上下への揺れも少ないことは、十分に騎者の足腰が鍛えられていることを表している。乗り馬も決してよい馬格のそれではなかったが、躾か、それとも騎乗した人間の技量によるものか、怯えた様子も見せずに真っ直ぐに駆け進んでいる。だが、
(――甘い)
自身の持つ長槍を握り込み、セフェリノは冷静に胸の裡で呟く。彼に迫る相手の獲物は剣だった。
馬上剣と呼ばれる長大な剣を構えての突撃こそが、水陸でも最強と言われるツヴァイ重騎兵の真髄である。そのことは男も承知していたが、かといってその理屈が全ての場合において通じるわけではないことも理解していた。
一対一。さらには正面からすれ違うような対峙であれば、剣よりも槍の方が強い。明らかに、剣が届くより先にまず槍の切っ先が相手の胸板に突き刺さるからだった。槍騎兵。セフェリノの自国において、騎馬はそのような兵種で呼ばれている。
両の鐙を踏み込み、右脇に挟み込むようにして長槍を固定して、セフェリノは乗馬を駆った。全力で突貫する。
相手騎者は右手に剣を構えている。それに対してセフェリノは、相手の左側を駆け抜けるよう乗り馬を走らせた。死角を突こうとするのは当然だった。相手がそれを嫌って内側へと進路を変えようとすれば、それこそ槍騎兵である彼にとっては願ってもない。相手の横腹を真っ直ぐに突き倒してやるだけだった。
相手に動きはない。彼我の獲物の差が認識できないはずもないが、動揺の類もまた、ない。不利を承知で玉砕する覚悟か、それとも不利にさえ気づいていない阿呆なのか――思ったセフェリノの脳裏に一瞬、違和感が浮かんだ。
軽い。はじめに浮かんだのは、一つの単語だった。
ツヴァイ重騎兵。その言葉が指す通り、ツヴァイにおける騎馬とは人馬ともに重装甲が一般的である。乗り手が全身を馬鎧に固めるのは当然、乗り馬にも相応の装備が行われる。
だが、目の前に迫りつつある馬はなんの装備もつけていなかった。無論、本番ではないから装備をつけていないだけということはありえる。それは乗り手にも言えることだった。片刃の剣を構えたその人物は、頭部に板金製の兜こそ被っているものの、それ以外には必要最低限の装甲しか身に着けていない。胸甲と、手甲に脚甲。その程度だった。それもまた練習だからということだろうか。少なくとも、それを否定する理屈は思い浮かばなかった。
では、その時にセフェリノが感じたものはなんだったのかと言えば、予感という他ない。あるいは既視感のようなものかもしれなかった。それと似たような光景を、少し前に彼は目にしていたからだった。
先日の園遊の際、その華奢な体格の持ち主は華麗に片刃剣を操ってみせていた。――両の手で。
目の前の相手が剣を持ち替える。
それを見た瞬間、セフェリノは自身の敗北を悟った。
動揺は、まず彼の手元に現れた。練習用に穂先を包んだ長槍の切っ先が、相手の胸板に吸い込まれることなく、その脇を抜け――直後、彼の胸を衝撃が襲い、世界が空転した。
「……大丈夫ですか」
頭上に降り注ぐ声はいかにもそれらしく抑えられていたが、そこに隠されたものを聞き逃すはずもない。
砂地に大の字に転がって、セフェリノは憮然とした表情を隠そうともせず、自分を見下ろす馬上の相手を睨みつけた。
「……これはいったいどういうことか、説明してもらえるのだろうな。アルスタの」
板金兜の奥に、見紛うはずのない女性の眼差しで頷いた相手がなにかを口にする前に、視界にもう一人の姿が映り込んだ。先ほど、彼を罠に嵌めて逃げ出した男だった。
「セフェリノ様。ご無礼をいたしましたこと、平にご容赦のほどを」
「貴様。アソカット家の人間などではないな」
「いえいえ、とんでもありません。正真正銘、私はアソカットの家の者でございます。ブライ・アソカットと申します、どうぞお見知りおきを」
ブライ・アソカット。その名前はわずかに覚えがある。模擬戦に選ばれた人物のはずだった。
差し出された手を握り、セフェリノは上半身を起き上がらせた。その際、男の手を握りつぶすように力を込めると、ぎゃっと悲鳴を上げてブライが飛び上がる。間抜けな悲鳴を聞けたことで多少は溜飲も下がったが、その程度では補えない程に彼のプライドは傷ついていた。
息を吐く。続いて吸い込むと、多少の痛みこそあるものの、身体に残っているものは既にそれだけだった。打たれた際、明らかに加減が為されたことの結果だった。
「……まさか女性に敗れるとは」
自虐に唇を歪めて、セフェリノは呻いた。馬から降りた相手から言葉が返る。
「勝ってなどいません。今のはただの奇襲です。勝ちも負けもありません」
それを聞いて、セフェリノはさらに唇を歪めて見せた。
「クリスティナ殿。悪気がないのは承知しているが、そのような慰めはかえって相手を傷つけることだということは承知しておくべきだ。貴女の言葉を借りるなら、戦いに奇襲もなにもない」
「……失礼しました」
素直に頭を下げる相手をそれ以上、詰る気分にもなれず、セフェリノは大きく息を吐いた。
「――それで。いったいこれはなんの真似だろうか。音に聞こえし女傑が、まさかただ練習相手を欲して突っかかって来たわけでもあるまい」
「実は」
「いや、待った」
相手が言いかけた言葉を留めて、セフェリノは頭を振った。
「実は、なにを目的としているかは想像がつく。自分が思い浮かべているものが正解かどうかはわからないが、いずれにせよ、それに対するこちらの回答は同じだ。――お断りする。……ツヴァイの厄介事に巻き込まれるのは御免こうむりたい」
立ち上がり、全身についた砂を払う。改めて目の前にして、その男性の側はともかく、女性の背丈にセフェリノは驚いた。女性としては決して小さくないが、彼自身がかなり長身なこともあって、その小柄な相手に苦も無く打倒されたことが信じられなかった。
「先日の一件で、色々とご苦労がおありとはお見受けする。しかし、自分も小国とはいえ、一国を代表してこの場に来ている。ことが遊戯の模擬戦とはいえ、政治的な影響が皆無であるはずがない以上、目立つような振る舞いは出来かねることをご理解いただきたい」
「もちろん、承知しております」
板金兜を身に着けたまま、クリスティナ・アルスタが頷く。
「セフェリノ様にも、セフェリノ様のお国にも、ご迷惑をおかけするつもりはございません。だからこそ、このような格好で、無礼は承知で勝負を挑ませていただいたのです」
「……どういうことか、説明を願おう」
「先ほど、セフェリノ様は勝負に奇襲もなにもないとおっしゃいました。確かにその通りですが、私が勝者に値しないことも間違いありません。何故なら、私は貴方の得物を知っていた。貴方がどのような反応をするかも予想ができていた。それに対して貴殿は私が両利きであることもわかっていなかったし、不意をつかれた。その上で私が勝者であるというなら、それはただの卑怯な勝者でしかありません。他の誰でもない、自分自身がそのことを知っています」
「……それで」
「私はクリスティナ・アルスタとして貴殿に勝負を挑んだわけではありません。今の私は、ここにおられるブライ・アソカット様ということになっています」
はッ、とセフェリノは嘲笑った。
「つまり、クリスティナ殿、貴女はこう言っているわけか。女に負けたなどという外聞は存在しない。そうしてやっておくから、感謝しろと? それで、このことは黙っておいてやるから自分達に協力しろとでも言うおつもりか」
「違います」
真摯な眼差しで、板金兜の女騎者は答えた。
「今回の一件は、貴殿の名誉となんら関わりがないというだけです。その名誉が試されるのは、この週末にある催しにおいてのはず。そこには、私などより遥かに腕の立つ女性がいるのです」
「……ジル・イベスタ・スムクライか」
「はい」
女性はこくりと頷いて、
「ご自身が口にされた通り、貴殿は己と、そして貴国の名誉こそを護られるべきでしょう。そして、その目の前には必ず、ボノクスのあの女性が立ちはだかることになります」
そこで息を飲み、静かに続けた。
「――我々は、協力できるのではないでしょうか。それぞれの尊ぶべき、誇りと、名誉のために」
女性の言葉を聞き終えて、しばらくセフェリノは相手の瞳を見据えたまま、なんの答えも返さなかった。随分と砂が流れてから、ぽつりと訊ねる。
「……スムクライのジル。それほどまでの相手と。クリスティナ・アルスタ、貴女よりも腕が立つと、本気でそうお考えか?」
「間違いなく」
きっぱりと女性は答えた。
「先日の追い狩りでも私は勝者に値しませんでしたが、今回、ボノクスが得意とする弓矢が使えないにせよ、東軍の総大将でもある彼女こそが西軍最大の難敵であることは疑いようもありません」
「なるほど」
セフェリノは嘆息した。
「自分を倒した女傑。その相手が認める相手もまた、女性とは。……なんとも水陸は広いことだ」
「私は――」
言いかける相手を遮って、
「いや、もうなにも言わずとも結構。そういうことなら、協力するのにやぶさかではない」
「本当ですか!」
兜の奥でもわかるほど顔色を輝かせる相手に、ただし、とセフェリノは続けた。
「さきも言った通り、自分はツヴァイの揉め事に巻き込まれるつもりはない。その点、しかと約束していただけない場合には、どのような協力も致しかねる」
「わかっています。そちらについては、」
「――私の方で、セフェリノ様には一切ご迷惑がかからないよう、最大限の注意を払わせていただきます」
言葉を引き取った男を胡散臭そうに見やって、セフェリノは視線をアルスタ家の女性に戻した。
「……今回の企み、先日の振る舞いを見ればいかにも貴女らしくない行いではある。つまりはこの男の入れ知恵ということか?」
「そうです。……正直に言って、なにかを企んでいるのかと疑ってもいます」
「正直な方だ」
セフェリノは苦笑する。
憮然としたようにブライが頭を振った。
「なんということを。私は、私で出来ることをやろうというだけです」
「それで結構。ただし、なにか裏で企もうというなら、相応の報復はあるだろうということは覚えておいていただこう。先ほどの握手が、まさか全力だとはお思いではあるまい?」
「覚えておきますよ」
脅しめいた台詞に頬をひきつらせたブライが頷く。セフェリノは鼻を鳴らし、それで、と訊ねた。
「もしかしたら、なのだが。お二人はこれからも似たようなことを続けるおつもりか」
ブライが女性を見る。視線を向けられた女騎者はまったく堂々たる態度で首肯して、
「そのつもりです。……セフェリノ様には、なにかご懸念がおありでしょうか」
「いや、別にそれを止めるつもりはないが」
セフェリノはすでに痛みの去った自身の胸板をさすりながら、ぼやくように言った。
「相手はよくよく選ぶべきかもしれない。女性に容易く胸を打たれて忸怩たる思いを抱かずに済む男というのも、決して多くはないだろうからな」




