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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
戦人の奏功旗
35/46

10

「クリスティナ様。貴女は先日、このままでは西軍の苦戦は必至だとおっしゃられましたが、実際のところ、東軍は模擬戦でどのような戦い方をしてくるものでしょう」

 クリスは眉をひそめた。

「戦い方。それはつまり戦術的な意味でしょうか」

「ええ。すみません、どうもそういった事柄には疎いもので。よろしければご教示ねがえませんか」

 ブライがのんびりと言う。クリスは黙って椀を卓に戻し、

「……中央、右翼、左翼。常識的には全体を三つに分けてくるでしょう。模擬戦とは戦場の一局面、最も小規模な戦闘状況の再現です。互いに同数。隠れる場所はなく、敵味方の援護もない。どちらも騎馬であるなら肝心なことは集中と迂回、そして包囲。たった五十という少数を如何に用いて、局地的な優勢を瞬間的に作り上げるかが大切です。どちらかがその優勢を築いた時、勝負はすぐに決します」

「一瞬で決まると?」

「はい」

「……今度の模擬戦には弓矢の類が禁止されていますよね。となると、騎馬同士のぶつかり合いになる。彼我の力量次第では、戦闘が長引いたり、なにかの拍子で逆転するようなことにはなりませんか?」


「馬とは前に強く、横には弱い存在です。後ろは言うに及びません」

 クリスは答えた。

「十分に速度を乗せ、馬と乗り手の双方を興奮させた状態であればこそ無類の突進力を発揮しますが、止まってしまえばその衝力も失われます。突撃中には方向の急転換も難しい。騎馬の突撃がその力を発揮するのは限られた場面、限られた時間だけです」

 仮に、と続ける。

「もしも互いに正面から突撃を仕掛ける事態で推移すれば、我ら西軍が有利と言えるでしょう」

 ブライが顎を撫でる。

「もしも。つまりそうはならない、と」

「騎馬という兵種は二つに分けられます。重騎馬と軽騎馬。我が国は前者、ボノクスは後者です。重騎馬は先程の正面突撃を主眼におきます。しかし、ボノクスは違います。遠くから弓矢を射かける戦い方が主流の彼らにとって、騎馬とはすなわち機動です」

「馬鹿正直に正面衝突など仕掛けてくるわけがないということですか」

「はい。模擬戦には弓はありませんが、彼らの戦い方は恐らく変わりません。相手を引きつける。そして、その横合いから突撃。横を突かれれば多少の軽い、重いなど意味を為しません」

「なるほど。全体を三つに分けるのはその為に」

 感心したようにブライは頷いた。すぐに首を傾げて疑問を呈する。

「しかし、クリスティナ様。それではこちらも全体を三つに分けてしまえばよろしくありませんか? それぞれ同数を相手に正面からぶつかるように仕向ければ、横合いから突撃されるようなことにはならないでしょう。横腹に突っ込んできた相手の横腹に、こちらの別の隊が突撃することになる」

「それは両者が同じ程度の練度や連携を持ち得ていたならの話です」

 クリスは重々しく息を吐く。

「相手の突出を図る。味方の大事をとり、あるいは見捨ててでも敵の急所を突く。そうした一瞬毎の判断と、それを可能にする前提認識。戦術目的の徹底、統一された連携。多数でありながら、一個の生き物のような連動。――東軍には、それが可能です」

「ああ、昨日の場でクリスティナ様が問題にされていたのはそこなのですね」

 苦い顔でブライが頷いた。

「東軍五十人中の四十人がボノクスなら、中央と左右、その全てを自分達で賄うことも可能です。残る十人は、後方本陣で大将旗を守らせておけばいい。それなら足並みが乱れることもありません」

「それに対して西軍は、我が国からの選抜者が二十名。しかもその二十人すら、強固な意思の元にとは言い難い状況ですからね……」

 初めて危機を認識したように渋面で黙り込むブライを前に、クリスの内心もそれと同様だった。


 同じような説明はすでに昨日の機会に話していたはずだった。それがまったく耳に入っていない。つまりはそれ以前の問題だったのだというのなら、場を弁えなかった自分の落ち度も認めないではなかったが、不満はある。

 それを押し殺して相手の反応を待つと、彼女の視線に気づいたようにブライが顔を上げた。

「失礼。ありがとうございました。大変わかりやすかった」

「……いえ」

 クリスは頭を振った。少なくとも一人は話を聞いてくれたのだから、それだけでも前進だと考えるべきだと自分に言い聞かせている。

「それでは、クリスティナ様。質問ばかりですみませんが、いかにも劣勢な西軍が勝利を手にする為にはどのような方策が必要でしょう?」

「こちらも意識を統一して望むしかありません。連携を可能にする為に必要な約束事をとり決め、それを徹底させる。それで初めて勝負になるでしょう。それでもなお、向こうには練度も連携も大きく劣りますが」

 先日の顔合わせはその為にこそあるべきだった。自国同士の足の引っ張り合いにその貴重な時間を浪費する余裕などあるはずもない。


「なるほど……、わかりました。これでやるべきことも見えてきましたね」

「では、ブライ様からツヴァイ選抜の皆様に」

 わずかな期待を抱いてクリスは言った。

 今さら、自分が他の選抜者に対して呼びかけたところで同意を得られるとは思えない。ならばブライを介して伝えてもらうことで叶うならそれでいい。だが、男はゆっくりと首を振った。

「いやいや。私などがなにを言ったところで話を聞いてもらえることはないでしょう。各々方、それぞれに動いてはいらっしゃるようですが……牽制と密談。こちらの陣営が、どうにか形が整うのにあと二、三日かかるでしょうね」

「それでは」

 口をついてでかけた言葉を、クリスはすんでのところで噛み潰した。

 ……遅すぎる。ただでさえ模擬戦まで日がないというのに、これからあと数日は出発地点にさえ立てないというのでは。

 彼女の内心を量ったようにブライが笑った。

「ご安心を。我々のやるべきことは別にあります」

 クリスは眉を顰めて、

「別ですか?」

「はい。ツヴァイ選抜の方々には話を聞いてもらえないなら、それ以外。つまり、西軍に参加する残り三十名の他の国の皆様に話をつけるというのは如何でしょう」

 クリスは言葉を失い、長い金髪を振った。

「しかし、それは。それこそ自分達の同意も得ずに勝手なことをと、他の方々からご不興を買うのではありませんか? 他国選抜の皆様もそのような事態は避けたいはずでしょう」


 先日の顔合わせの場で他国の人々からほとんど意見が挙がらなかったのは、西軍を主導するのがツヴァイであるという遠慮があったからに違いなかった。そのツヴァイの中での内輪もめに彼らが巻き込まれたがる理由がない。さらには、ツヴァイで立場を認められてもいない人間からどんな話を持ち込まれたところでいい顔をするとは思えなかった。

「それは話の持っていき次第というものですよ。迷惑な話が疎まれるのなら、迷惑でない話であればいい。彼らも自分達の状況を把握したがっているはずで、その為の情報は喉から手がでるほど欲しいでしょう。自分の立場を考える為にもね。無論、彼らなりのやり方で情報を手に入れるなり、付き合いのあるツヴァイ人から話を持ちかけられるなりしているでしょうが、別視点の話はそれだけでも有益です」

「渡りをつける。繋がりを持つことが目的というわけですか」

「そうですね。まずはそれが大切です。私も、サシュナ方面ならともかくそれ以外ではあまり他国の方々との付き合いはありません。それに、クリスティナ様。起こってしまった現実なら後からでも認めるしかないものでしょう?」

 含んだ言い方にクリスは顔をしかめる。

 男の言い分は彼女が言ったことを一部認めているようなものだった。確かに、開いてしまった戦端はもう戻らない。既成事実という概念が通じるのは戦場に限った話ではないだろう。

「……それを私に行えと?」

「もちろん、無理にとは申しませんよ。しかし、昨日のように一日をかけて学内を歩き回ることよりは意味があると思います」


 クリスは鋭い視線を相手に見据えた。

 それを悠然と受け止める男を捉えたまま考える。ブライの提案の意味するところを自分なりに推察した結果、彼女は答えた。

「わかりました。それがツヴァイの為になるというのなら、そのように動いてみようと思います」

「それはよかった」

 にこりとブライは微笑んだ。

 クリスは笑みなくそれに応じる。男の自分への助言が純粋な善意などではないことには、彼女も気づいていた。


 ◆


「ニクラス」

 構内を歩いていたニクラスが横合いからの声に振り向くと、そこには煙る美貌と謳われるツヴァイ皇女の姿が数人の供とともにあった。

 足を止め、低頭して礼を示す。近づいてきた気配が彼の足元で止まったところで、頭を上げた。

「相変わらず暇そうだな」

「先ほどまで、クーヴァリイン公女とご一緒させて頂いておりました」

 帝国でも一、二を争う名家であるナトリア公女は今週末、模擬戦後に控える歓宴会の準備に忙しい。その手伝いを頼まれている自分も、決して暇をしているわけではないという婉曲な言い回しに、皇女は雅な微笑をくゆらせるように浮かべた。

「では今は暇というわけか」

「……何か御用でしたら、なんなりと」

 生まれながらに特別とされてきた人々に特有の強引さに抗えるはずもない。微笑を強めた皇女が首を傾げた。

「うむ。では茶の一杯でも付き合ってもらおうか」

「茶会ですか」

 嫌そうな顔を隠さずニクラスは言った。大勢の人々が集う茶会はそのまま、昼間に開かれる社交場だった。端的にいって面倒臭い。

 皇女が肩をすくめる。

「茶会ならさっきまでしておった。だが、少し飲み足りないのでな。それでわざわざ他の者につきあわせるわけにもいくまいが、丁度よい相手が見つかった」

「喜んでお付き合い致します」

 内心で息を吐きつつ、ニクラスは応えた。



 皇女に伴って向かった庭園には、すでに茶席の用意が整ってあった。あらかじめ準備が為されていたかのような手回しの良さだが、特筆するべきことでもない。ツヴァイはこの大学のホストであり、アンヘリタ・スキラシュタ皇女はその帝国の支配者の血縁にあった。

 皇女の意を受けて、用意された席は一席のみ。一国の皇女と対面での茶席を許されるなど滅多にあることではなかったが、ニクラスはそれに感激してむせび泣く心境ではなかった。

 開放的な造作の庭園の周囲から視線が突き刺さる。ツヴァイの皇族と宰相の息子が揃っていれば衆目を集めない理由がなかった。

「少し前、ここでクリスティナとブライが茶を飲んでおったらしい」

 茶が淹れられるのを待つ間、自然とした口調でアンヘリタ皇女が言った。ニクラスは表情を動かさずに頷いた。

「そうですか」

「もう少し可愛げのある反応は出来ないものか?」

 不満そうに眉をひそめる。

「申し訳ありません」

「全く。それとも知っておったのか、あれはそなたの手引きか」

「いえ、そういうわけでは」

 応えながら、ニクラスは意外な思いでいる。ブライ・アソカットがクライストフ家を仲介して連絡をとってきた以上、二人が会っていたことに驚きはなかった。むしろ、ニクラスはそれをアンヘリタ皇女の意によるものではないかと考えていたからこそ意外だった。

 それでは、ブライの背後にいるのは全く別の人物ということになる。あるいは個人の独断と言うことも。ブライ・アソカットという相手の人物評について思い出しながらニクラスが考えを進めていると、それを眺めた皇女が緩く微笑んだ。


「なんでしょうか」

「安心した。全く興味がない様子ではないらしいからな」

 見透かすような眼差しを受けて、ニクラスは黙って用意された茶を傾けて表情を隠した。

「……色々と大変なようですからね」

「そなたにそれを言う資格はあるまい」

 呆れたように皇女が言う。

「今の事態、その全てとは言わぬがそなたにも責任はあるのだからな。そなたが大人しくこちら側の旗振り役をやっておれば、混乱はまだ少なかったはず」

 いや、と可笑しげに金髪を波打たせて、

「むしろ逆かも知れぬか。しかし、少なくともあの者が騒動の正面に立たされることはなかったであろうよ。その一点に限れば、悪いのはそなただ」

 軽やかな口調で決めつけられ、ニクラスは顔をしかめた。

「彼女は彼女の意思で決め、行動しているはずです。それを自分の為だ、せいだなどと考えるのはおこがましいように思えますが」

「そなたが思えばそうかもしれぬな。しかし、第三者から見てそうであるというなら、多少は意味も変わろう」

 あくまで第三者の意見としてであれば、それを否定する理由もなかった。肩をすくめるニクラスに、アンヘリタは面白がる目線を向けて、

「実際、あの者には難儀なことだと思うがな。昨日は一日中、構内を歩き回っていたと聞いたぞ」

「その結果が今日の面会だと言うなら、意味ある行動だったと言えるでしょう」

「ふむ。まあ、あれ程、派手に動いてみせればな。それを意図してやっているなら大したものだが……、どちらともとれるのがあの家の恐ろしさだな。まったく、長所も短所もなべて紙一重に過ぎぬ」

 笑みを含めて皇女は囁いた。

「楽しそうですね」

「楽しいぞ? 男も女も、皆がそれぞれ好きに蠢いておる。この大学が開かれて一月だからな。植えた種苗も、自然に芽生えたものを含めてそろそろ形を為してきた頃合いだ。そういう意味では、ニクラス。そなたの判断でやはり正しかったな。そなたの苦労するところも見てみたかったところではあるが」

「別に模擬戦に立たずとも苦労できる場所は色々とあるでしょう」

「ほう」

 それを聞いたアンヘリタ皇女が目を細めた。

「ということは、苦労しようというつもりではいるわけだな」

 ニクラスが答えないでいると、皇女は快活な笑みを漏らして席を立った。

「それを聞いてまた一つ安心できたな。今度から、そなたの本心を聞きたいときはよい茶葉を用意しておくことにしよう。淹れ手を残してゆく、存分に香りを楽しんでから事に励むがよいぞ」


 そのまま緑に包まれた庭園を出ていく皇女の後ろ姿を見送って、ニクラスは憮然とした表情で嘆息した。

 手元の椀に目線を落とす。自分の発言が葉茶の香りに誘われたものだとは思わなかったが、少なくともその言い訳が許してくれたものがあるのは確かだった。それを負けとは思わず、ただ少し苦い反省を込めて椀に口をつける。透き通った香りの茶に後味を洗い流させながら、考えた。

 皇女が接触してきた意味。自分への念押し、あるいは確認がそれだろう。

 水陸各国から人が集い、混沌とした大学というこの場において、もっとも混沌としているのはホストであるツヴァイそのものでもあった。開校一月という期間と、模擬戦という機会を得て、その混沌が今まさに表出しようとしている。そうした状況を作り出した一因は紛れもなくニクラスにあった。


 今現在、大学に在籍するツヴァイの若手には突出した人物が存在しない。皇族や、あるいは帝国内に無数にある派閥の雄、その子息がいない現状が、模擬戦の主導的立場を決めることにすら混乱を与えてしまっている。

 正確にはそれも少し異なった。大学には皇族や大派閥の頂点に地位する人々の身内がいないわけではない。ただしそれは、皇女アンヘリタ・スキラシュタや公女クーヴァリイン・ナトリアなどに代表されるように、男児ではなかった。

 本来なら大学内におけるツヴァイの面々を一手に従えさせるだけの十分な背景をもつ人々が、いずれも女性に限る。その奇妙な偶然が幸運か不幸であるかの判断はつかない。しかし、そうした在り方が大学全体に与える影響は小さくなかった。


 男と女では戦い方から異なる。その彼女達にとって、今度の模擬戦はひどく興味深い見せ物になるはずだった。

 もしも自分がその場に立ち、品定めされる立場であったならと考えるだけで気が滅入る。例え模擬戦の場から免れることはできたとして、それで絡む糸が無くなるわけではないことも理解していた。

 周囲を囲む緑色の優美な景観も心の靄を晴らすまでに至らず、ニクラスはため息をついた。鬱陶しい。そう思うことさえ我儘であるからこそ、自身の心象をすべてただ一事に集約させて、ニクラスは空を仰いだ。


 ――彼女なら、と思う。クリスティナ・アルスタは彼女の本懐を全うするだろう。剣として帝国に忠誠を捧げ、その為に尽くす。どのような誤解を受けようが厭わない、それを愚直と呼ぶ誰かがいても惑うことはない。それは自分が何者かということを知っているからこそだ。


 空には天頂を超えていまだ燦々と照りつける火の星がある。

 乾いた心地でそれを見上げるニクラスには、その輝きがひどく眩しかった。



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