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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
戦人の奏功旗
34/46

 緑石の庭園はその名の通り、一面に淡緑の庭石が敷き詰められていた。

 ツヴァイにおいて、造園は特権階級者の代表的な嗜みである。敷地内の造形から植生に至るまで細部に拘ること以前に、そうした景観の維持を目的として多量の水を消費することが一般人にはまず不可能だった。この国で治水権を認められているのは貴族や高位の神官などに限り、そうした人々から水源の利用を許されて生きる庶民に、その水を自儘にする権利はない。


 広大な敷地をとったアカデミーには所々にこういった類の遊びが設けられており、特にこの緑石の一画はアンヘリタ皇女にお気に入りであることが周囲に認知されていた。皇女はここで茶会を開くことがあり、大学に関わる子女は皆、その茶席に誘われることを心待ちにしているという。

 クリスは以前、アンヘリタから誘いを受けていたが社交の不慣れを理由に断っている。最近になって他の令嬢達からそれがどれほど貴重なことであったのかを知り、なんと恐れ多いことをしてしまったのかと戦慄しつつ、同時に安堵する思いでもあった。選りすぐりの貴人が集まる席に、不慣れな自分がのこのこと参加してどんな恥を晒すことになるかわからない。先日の夜会のように、ニクラスが同席してくれるのなら――ふと、彼女は自分自身の考えに渋面をつくった。何かにつけて甘えることが友人関係だとでも思っているのか?

 これ以上、あいつには頼らない。自分に強く戒め、息を吸い込み――過分に気負おいかけた彼女の視界に飛び込んだ緑色が、強張りかけた肩から力を抜けさせた。


 外からでも十分に緑に映えていた庭園は、内部はさらにその度合いが強かった。クライストフ邸にあった菜檀ほど濃く密集してはないが、地面にも周壁にも緑石があしらわれている為、まるで巨大な植物の内部に入り込んでしまったかのような錯覚を受ける。それでいて全体としては開放的な造作でもあったから、息苦しさもなかった。なるほどと思う。もしかするとこの庭園は草原をイメージしているのかもしれない。あるいは若草。雨季の終わりにわずかな一時だけ訪れる爽やかな季節を彼女は連想した。

 貴族令嬢としての趣味に疎くとも存分に癒される庭園の造りに、クリスは先程より自然な心持ちで居住まいを正した。これからどんな話を持ち出されるにせよ、今から余裕のない態度では良い結果は得られないだろう。


 決して広くはない園内には、クリス以外の姿はない。皇族の気に入りとはいえ、御召庭ではない。立ち入りを許されないわけではないが、アンヘリタがよくここを使うということは必然的にツヴァイ人の集まりが多くなり、他国の人間があまり近寄らなくなる理由はわかる。しかし、その同国人さえ一人もいないのは不思議なように思えた。午前中から茶に興じるでもないだろうが、暇を弄ぶ為に大学に通っているという学生も大勢いたから、そうした誰かが憩いをとっていてもおかしくはなかった。


 不意にクリスは不安を抱いた。アンヘリタ皇女のお気に入りに足を踏み入れることは、あるいは自分が認識している以上に不敬なことなのだろうか。はっきりとそのようなしきたりはないはずとはいえ、暗黙の了解というものは多く存在する。ましてや大学はこの一月に開校したばかりだった。一か月の間、自分が知らないところでそうした約束事が周知のこととなってしまっているのかもしれない。

 そんなことがあるだろうか。確かにそうした無文の儀礼について自分は詳しいとは言えないが、今回はブライ・アソカットからの呼び出しなのだ。彼がそうした事実を知らないわけがない。――あるいは。さらなる疑念が首をもたげた。この呼び出しが、初めからそれをこそ目的としたものだったとしたら?


 顔合わせの場での醜態に続き、必要な許しも得ずに園庭を踏み荒したなどという事実が知れ渡れば、さぞ顰蹙を買うことになるだろう。アルスタの評判を下げる為の策略か、と考える思考は、決して大げさではなかった。貴族社交というのはそうしたものであり、その複雑怪奇ないざこざに巻き込まれたからこそ、彼女の生家は長らく中央から遠ざけられることになったのだった。

 クリスの振る舞いには全てアルスタの家名を背負っている。そうである以上、何事につけて用心は必要だった。早まったかもしれないと彼女は自分の行動を悔やみかけたが、それでも自分が考えすぎではないかという思いは拭えなかった。


 仮に、この庭園を無断で使用することが禁忌であったとして、と考える。私を呼び出してブライ・アソカットがここに現れなければ、不敬の誹りを受けるのは確かに自分かもしれない。しかし、今回の誘いはクライストフを仲介して行われている。第三者に呼びだした事実が知られている以上、呼びだした当人も非難は免れられないだろう。

 それに。これがそうした謀の類であるなら、あのニクラスが気づかないはずもないだろう――そう思いついた瞬間、クリスは自分の胸中にわだかまる靄が大いに払拭されたように感じられ、そうした自身の在り方に彼女は顔を歪めた。自分のとった行為の拠り所にさえ、相手に求めてしまうというのは、信頼ではなくもはや依存ではないかと危惧を抱いたからだった。


「クリスティナ様。お待たせしました、すみません」

 彼女が様々に思いを巡らせている間、一人の人物が庭園に現れていた。黒髪を後ろに撫でつけた、気配のよい若者だった。

「とんでもありません。ブライ様」

 慌てて思索を中断して、クリスは立ち上がる。令嬢の身だしなみとしては身軽に過ぎる服装でそのまま、淑女としての礼をとった。

「先日はご迷惑をおかけしました」

 顔合わせの場での一幕と、無理に押しかけようとしたことを含めて謝罪すると、ブライ・アソカットは十分に整った顔を苦笑に歪めた。

「いえいえ。むしろ謝らなければならないのはこちらの方でして――ともかく、どうぞお座りください。今、家の者に茶を用意させます」

 クリスが椅子に座るのを待ってから、男も席に着く。すぐに一人の従者が茶道具を運んで現れた。もちろんヨウではない。クリスは横目でその姿を探したが、園内のどこにも無口な男の姿はなかった。あくまで仲介と案内だけで同席はしないということか。


 手慣れた動作で茶が淹れられ、手元に置かれた椀を一口する。馴染みのある風味にクリスは口元を綻ばせた。

 ブライが微笑んだ。

「多少、温くなってしまっていますが。それでもやはりサシュナの茶が一番だと思いませんか」

「そう思います」

 クリスも同意を返す。水陸北方のサシュナは冷え込みが厳しく、そこに住む人々は舌が火傷する程に熱い茶で暖をとる習慣があった。

 アソカットとアルスタ。故郷を等しくする同士の言葉は、しかし彼らの良好な関係を意味しなかった。伯爵家と子爵家という家格以上の溝が両者の間には存在している。その問題の根本にあるものも一つではなかったが、中でも最大の懸案はやはりアルスタ家が過去、皇帝継承問題に巻き込まれてサシュナに追いやられたことだった。

 アソカット伯爵家はサシュナに豊かな水源を抱く有力貴族である。アルスタ子爵家に認められた治水権はアソカットの下流にあたり、近くに領水を授かった両家にほとんど交友はなかった。

 決して互いに悪意があったわけではない。アルスタ家当主は代々が社交下手ではあったが、それ以上に彼の家の本分は戦にあり、ほとんど領地を留守にしていることが多かった。

 アソカット伯爵家にしても、落ちぶれた名門家を冷遇したわけではない。ただし、熱意をもって懇意に努めたわけでもなかった。そして近くにあって関わりがないことは、遠くにあって疎遠なことより遥かに互いの関係性を際立たせる。


 クリスが大学でアソカット家の人間と会話を持つのはこれが二度目だった。一度目は前回の歓宴会の夜で、その時の印象は決して悪いものではなかったが、しかし昨日は面会の申し出を複数回に渡って拒絶されていた。

 その相手にどのような態度をとればいいか、クリスは黙って相手の出方を窺った。

 ゆっくりと葉茶をもう一口したブライが口を開く。

「――あまり上手いやり方ではありませんでしたね」

 顔合わせの場でのことだろうか。クリスは小さく顎を引き下げた。

「はい。しかし、あれが正直な思いでした」

「思いがあればよいというものでもないですよ。クリスティナ様、貴女はご自分の家がどのように周囲に噂されているかご存じかな」

「……愚直。戦争しか知らない粗忽者。そういったものでしょうか」

「大体はそんな感じですね」

 肩をすくめる相手を真っ直ぐに見据えて、クリスは頷いた。

「そのように言われても仕方ありません。実際、我が家はそういったことに疎くあります」

「しかし、そのままでよいと思っているのでもないはずでしょう」

「……不慣れなことについては、もちろん少しずつでも学んでいきたいと考えています」

「でしたら」

 男が目を細めた。

「今回こそがその機会であるということを認識なさるといい。昨日、一昨日の貴女の振る舞いは、あまり場にそぐうものではない」


 クリスは強烈な違和感を覚えた。男の言い様は、まさしく社交における立ち居振る舞いへの物言いだった。反発心を抑えて口を開く。

「今度の催しが、社交的なものであるということは理解しているつもりです」

 驚いたように男が目を丸める。

 まじまじとクリスを凝視してから、男は言った。

「クリスティナ様、いったいこの大学のどこに“社交的ではないもの”など存在するのですか」

 皮肉ではなく素直な口調で言われ、クリスは言葉に詰まった。

 穏やかに微笑んだ男が、

「失礼。しかし、どうやらそこから考えを改めた方がいいのかもしれない。我々のような者にとって、社交とは意識して触れるものではない。息をするように備わっているべきものでしょう」

 正論なのだろう、とクリスは相手の弁を認めた。今回は、などと言いだす時点で、彼女の視点がそれを外側から見ていることは明らかだった。同時に拭い難い反発心も残る。――物事を舞踏的に捉えすぎている。そう皮肉った男の言葉を脳裏に思い出した。

「宜しければ、ブライ様。先日の私の振る舞いがどのように良くなかったか、ご教授頂けませんか。非礼は承知のつもりでしたが、私は自身の問題の程度さえ認識できていないかもしれません」


「もちろん、私でよろしければ。その為にお誘いしたわけですから」

 にこりと微笑んだブライが、

「有態に言ってしまえば。先日の顔合わせの目的はいったいなんだったのか、という話です」

「顔合わせの目的ですか?」

「はい。クリスティナ様、貴女は先日の顔合わせの目的をどのようなものだと思われていましたか?」

 クリスは眉をひそめた。

「参加者同士がそれぞれ顔を合わせ、親睦を深める。当日に向けた意思の統一を図ることではないでしょうか」

「違います」

 男はやんわりと、だが明快に否定した。

「あの場で行われようとしていたことは、まず主導権に関わるものについてでした」

「主導権?」

「はい。我々西軍を、いったい誰が主導するかという話です」

 クリスは困惑した。

「両軍の総大将でしたら、既に公にも報じられていると思いますが……」

「ダウム侯爵家のギルウェン様ですね。無論、その通りですが」

 肩をすくめる。

「ギルウェン様が今回、我らの大将であるのは間違いありません。しかし、実際に模擬戦を主導するのが彼のお方というわけでもないのですよ。そうであれば良かったのですがね」

「どういう意味でしょう」

「大学には国中の若い貴族が参加しています。その誰もが将来の栄達を志し、その機があればどんなものでも見逃さないと息巻いていることはおわかりですね」

 面倒そうに本の頁をめくる男の姿を脳裏に浮かべながら、クリスは頷いた。

「はい」

「そして、まさにその格好の機会がこの度の模擬戦というわけです。それを主導して勝利に至らせることが叶えば、その栄誉は大きなものとなる」

「それはわかりますが、」

 口を開きかけて、ふとそこから体内に悪寒じみたものが入り込んで来たように思えて、クリスは言葉をつぐんだ。信じられない思いで呻く。

「まさか――私が、あの場で西軍全体を主導しようとしていると思われてしまったということなのですか」

 沈黙する相手の表情がその正答を語り、クリスは呆然とした。すぐに我に返って、大きく髪を揺らす。

「そのような大それたこと、まるで考えてはおりません!」

「どうやらそうらしい」

 困ったように頷いたブライが、

「しかし、クリスティナ様。あの場がそうした前提で開かれた場所だと仮定してみてください。ご自分の行いがどのような色眼鏡で見られるかは、ご理解いただけるでしょう?」


 言葉もなく、クリスは唇を噛んで目線を伏せた。彼女は自身の無知を承知しており、昨日などの行いはその上でとった行動でもあった。しかし、無知の蛮勇などという言葉で済まされないものは確かにあった。少なくとも、そうした主導権争いという一面があの場に含まれていることを理解していれば、発言にも幾らか慎重にはなっただろう。彼女が猪突を選択したのはそれ以外の選択肢がなかったからであり、決してそれを最善の戦術と考えていたわけではなかった。

 渋面で沈黙する彼女を慮るように、ブライが頭を振った。

「まあ、そんなわけでして、あの場に居合わせた方々もああいった反応をするしかなかったのですよ。クリスティナ様、貴女の発言が直截的であればある程にね。ご存じいただけるかどうか、貴族というのは正直ではない者ばかりでして。迂遠に絡めて物事を進めることに慣れた者にとって、貴女の物言いはいささか眩しすぎた」

 男は言ったが、クリスはそれを誇る気になれなかった。ブライの発言は、まさしく無垢な童を称賛する類のものだった。

「……ブライ様。それでは先日の場は、あるいは私の無用な発言のせいでまとまらなかったということなのでしょうか」

 ブライはじっとクリスを見つめてから、

「さあ、どうでしょうか。そのようにお考えになる方もいるかもしれません。ですが、私見ですが、たいして変わらなかったのではないかと思いますよ。その程度でどうにかなるほど、素直な方々ではありません」

「そうですか」

 クリスは項垂れた。


「悔やんでいらっしゃいますか?」

 訊ねられ、クリスはすぐに頭をあげた。その表情には硬い意思が秘められている。

「――いいえ。私の行いが誤解を招いたのであれば、それを悔やんでいたところで仕方がありません」

「大人しくされているつもりはないわけですね」

 ブライが苦笑を浮かべた。

「帝国の勝利に貢献するどころか、その足を引っ張ったとなっては先祖に顔向けできません」

「どこまでも噂通りのお方だ。それを繕おうともされていないのだから、恐れ入る」

 男がため息を吐いた。

「わかりました。クリスティナ様、実際、貴女の努力は無駄ではなかったと思いますよ。そうでなければ私はこの場におりませんからね。……それにしても、そこまで予想されて放っておかれたのでしょうかね。だとすれば、さすがのお人の悪さと申し上げるしかありませんが」

「なんのことでしょう」

「いえ、気にしないでください。まったく、誰も彼もが素直ではないというだけです」

 ブライは面白がる表情で肩をすくめて、続けた。


「さて。クリスティナ様、貴女がご自分の立場を把握した上で、なお行動するのをお止めにならないというのでしたら。私から少しご相談したいことがあります。もう少しお付き合いくださいますか?」

 相手の口調が微妙に変化したことに、クリスは居住まいを正した。何かの予感を覚えながら訊ねる。

「どういったご相談か、その意図するところをお聞かせいただけますか」

「無論、帝国の勝利に向けてのご相談です」

 器用に片目を閉じてみせながら、男が言った。



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