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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
戦人の奏功旗
33/46

 次の日、クリスは朝早くから大学へと足を運んだ。

 精緻に掘り込まれた正門を入ってすぐにヨウと顔を合わせる。どのように自分がやって来る時間を把握したのだろうかとクリスは不思議に思ったが、それは訊ねないまま会釈だけして歩き出そうとして、足を止めた。相手に呼び掛ける。

「なにか?」

 一日ぶりに顔を合わせた従士の表情はいつものように静かだったが、なにかの気配が感じられた。訊ねられたヨウが微かに眉をあげ、

「……本日も、他の参加者の方々に相談を求めて回られるおつもりでしょうか」

「そのつもりです」

 男が呼気を漏らす。それが相手のため息であることにクリスは気づいた。


「失礼ながら」

 控え目な口調で男は告げた。

「昨日のような行いを続けられたところで、状況に進展は見込めないのでは。クリスティナ様の誠意はともかく、相手方にも体面というものがあります。正面から強引に面会を求めても、かえって意固地になるだけのことだと思われますが」

「ええ、そうでしょうね」

 クリスは認めた。意外そうに男が眉を持ち上げるのに苦笑する。

「私はそれほどに物を考えていないように見えるでしょうか」

「いえ。そういうわけでは」

 伏せがちに言葉を濁す相手にそれ以上は追及せず、クリスは首を振った。

「何も考えずに同じことを続けようというわけではありません。私は待っているのです」

「……熱意にほだされた方からお声がかかることを、ですか」

「――ほだされる?」

 クリスは急角度に眉を跳ね上げた。強い不快感を含めて告げる。

「憐れみを求めていると? それは私ばかりか、先祖まで愚弄する言葉でしょう」

「失礼しました。しかし、それでは一体なにをお待ちなのです」

 恐縮した態もなく頭を下げる従士をしばらく睨みつけてから、

「……確かに、私の行動はあまり見栄えのよいものではありません。そしてそれは私個人の問題でもありません。西軍全体の問題です」


 水陸各国の選抜者が馬を駆って競う模擬戦は大学に関わる者だけでなく、多くの帝都の人々にまで関心事となっていた。帝都内に一画を占める円形の大観劇場を使って行われる当日は、さぞ多くの観衆が詰めかけることだろう。

 新進気鋭の若者達が覇気と意欲をぶつけあう騎馬戦闘。日々に娯楽を求める人々にとっては、結果はもちろん、その過程や参加する面々の動向についても関心の的だった。

 そんな中、さぞや華々しい一時を提供してくれるだろう、その参加者の一人が他との話し合いを求め、それを断られているという事態は些か以上に外聞が悪い。それは明らかに陣営内での意思統一に不備があることを周囲に喧伝しているようなものだった。実際その通りなのだが、それを外部にまで露見することは他の西軍参加者にとっても醜態となる。特に、見栄や体面を気にする性質であればある程、クリスの行いは気に障るはずだった。


「昨日、私がしつこく訪問を重ねたことで、他の方々はうんざりとされているでしょう。今日もほとんどの方に面会さえして頂けないかもしれません。面会しないことの意を汲み取れと向こうは態度に示しているのですから。それでも私が訪問を続ければ、彼らはどうするでしょう」

「……恐らく、別の手段でクリスティナ様の行動を制止にかかるでしょうね」

「その時こそが話を聞くことのできる機会だと、私は捉えています」

 戦場で一瞬の好機を見出す表情で、クリスは頷いた。

「相手が無視してかかるのであれば、無視できない状態にしてしまえばいい。私を黙らせたいなら、黙らせてみせればよいのです。その理由に納得がいけば私は黙りましょう。しかし、このままでは模擬戦当日のことが心配でなりませんし、何より自分自身が納得いきません」

「……随分と乱暴ではありませんか。制止するのに、言葉での説得を選んでくれるとは限りません。もっと悪辣な妨害に走る恐れもあります。ただでさえ、過分な注目を浴びているということをお忘れではないでしょう。不慮の怪我で参加を辞退、という結果になってしまうことを何より期待している人々もいるかもしれません」

「それが最良の説得手段だと考えるなら、それでよいでしょう。無論、私とてむざむざやられるつもりはありませんが。狼藉者を正面から叩き伏せられる程度には、幼くからこの身は鍛えてきています」

 もちろん、とクリスは続けた。

「そのような事態に陥ったからといって、貴方に助けてほしいとお願いするつもりはありません。自分から危険に飛び込むのですから、私の不手際です。貴方がニクラスから叱責を受ける必要はありませんから安心してください」

「そのようなことを申し上げているのではありません」

 男の語尾が荒立った。この冷静な従士が初めて見せた感情の一片に、クリスは意外な気分で言葉を訂正した。


「すみません。もちろん、なるべく危ない目には遭わないよう努力するつもりです」

「……そうして頂けると助かります」

 ヨウが嘆息した。端正な顔を歪めて、

「いずれにせよ、他国だけでなく自国の方々からも多くの反感を買うことになります。クリスティナ様の今後を考えても、決して好ましくないことだと思われますが」

「そうですね。もっと穏便な、上手いやり方が思いつければよいのですが――」

 クリスは頷いた。自嘲するように首を振る。

「しかし、私にはこうする以外によい方法を思いつかないのです。ならば、自分の思いつきに全力をかけるしかありません」

「ご自分にとって報われない結果になってしまってもですか。模擬戦まで大人しくされていれば、これ以上は波風も立ちません。そういった選択肢もあると思いますが」

「私は優雅な無為より、粗忽に足掻くことを選びたいと思います」

 クリスは言い切った。

「少なくとも私の認識では、模擬戦のことが心配でなりません。あるいは他の方々同士でよく話し合われているのかもしれませんが、私はそれを知りません。知らない以上、私は私の認識で必要だと思われる行動をとるのみです。私の評判など関係ありません」


 ヨウが渋面のまま沈黙する。それが主人に似た表情に見えて少し笑い、クリスは頷いて歩き出した。

「――お待ちください」

 背中の声に振り返ると、諦めたように従士が息を吐いて続けた。

「クリスティナ様のお気持ちはわかりました。ですが、やはりその必要はありません」

 むっとしてクリスは口を開きかけた。

「ですから――」

「反応なら既にありました」

 言葉の続きを切って、クリスは顔をしかめた。

「今、なんと言いました?」


「昨夜、クライストフ家に手紙が届きました。クリスティナ様への伝言を記したものです。模擬戦について相談したいので、明日の午前中に緑石の庭園まで来られたし、とのことでした」

 淡々と男が言う。

 わけがわからず、クリスは相手に訊ねた。

「何故、私宛の手紙がクライストフ宛に届くのです」

「ニクラス様とクリスティナ様が友人だからでしょう。同時に、クライストフ家とアルスタ家についてもある程度は事情を推察できるという証明でもあります」

「クライストフ家と、アルスタ? すみません。どういう意味でしょうか」

 前者はともかく、後者の意味が理解できなかった。

「言葉通りです。あまり表立って面会したくはないということでしょう。その仲介をクライストフが頼まれたということでよろしいかと」

 誤魔化されたように感じたが、クリスは深くは訊ねなかった。貴族社交のあれこれについて確かにアルスタ家は疎くはある。そういった部分への配慮だろうかと考えながら、

「……その手紙のことは、もちろんニクラスも知っているのですね?」

「はい。クリスティナ様の好きなように、とのことです」

「そうですか」

 友人の反応を素っ気なく思って、クリスは少し不満だった。とにかく、と思考を切り替える。昨日一日をかけて臨んだ反応を得たのだから、これは喜ぶべきだった。少なくともあと今日一日は、足を棒にして学内を歩き回る覚悟をしていたのだから。


「わかりました。ぜひお会いしたいと思いますが、手紙の送り主はどなたでしょうか。模擬戦の参加者でいらっしゃるのかとは思いますが」

「はい。西軍に参加するお一人です。クリスティナ様も面識はおありのはずですが――ブライ・アソカット様でいらっしゃいます」

「ああ。アソカット家の……」

 サシュナはツヴァイが最初期に侵攻した地であり、アソカットはそのサシュナ地方でそれなりに大きな水源を抱く伯爵家である。

 ブライ・アソカットとは確かに面識がある。前回の歓宴会で、アンヘリタ皇女とともに卓を囲んだ一人だった。爽やかな笑顔と人当りのよい口調を思い出し、ついでその名前が模擬戦の参加者一覧に記されていたことをクリスは思い出した。

 渋面になる。ブライ・アソカットには昨日、三回ほど面会を申し出にいった覚えがあった。そのいずれも「多忙」とのことで、従士にすげなく追い返されただけで終わった。本人とは声を交わすどころか顔すら合わせていない。


 あからさまに顔を合わせることを避けていたそのアソカット家の子息が、わざわざクライストフを通して話があるというのはいったいどういう意図によるものだ。クリスはヨウの表情を窺ったが、若い従士は感情をそぎ落としたような冷ややかさで彼女の言葉を待っているだけだった。

「……わかりました。どこに向かえばよいでしょうか」

「待ち合わせの場所は伺っています。時間はいつでもとのことでしたので、自分からあちらに連絡を入れておきます。クリスティナ様はお先に場所の方へ向かわれては如何でしょう」

「わかりました。よろしくお願いします」

 クリスは頷いた。

 それから、ふと気になったことを訊ねた。

「会ってすぐ手紙のことを話してくれなかったのは、なにか理由があるのですか」

 冷ややかな眼差しの従士は落ち着いた態度のまま頷くと、淡々とした口調で答えた。

「意地だけで昨日と同じことを繰り返されるおつもりなら、手紙のことはお話ししないつもりでおりました」


 クリスは唖然とした。

「何故、そんな勝手なことを」

「クライストフに届いた手紙ですから。この手紙の内容を聞いた後どうするかはクリスティナ様の自由に、クリスティナ様に手紙のことを伝えるかどうかは自分の自由にと、ニクラス様からお許しを頂いております」

「ニクラスが?」

 こんな大事なことを伝えてくれない可能性があったのか。そして、そのことをニクラスも了承していた――裏切られたわけではないが、少なからず傷ついた気分でクリスは唇を噛み締めた。

「はい。なにか?」

「――なんでもありません。……案内を頼みます」

 醒めた態度の従士から目を離して、クリスは歩き出した。自分では隠したつもりの心情が態度にでて、前に伸びた足がやや乱暴に地面を踏みつけた。



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