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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
戦人の奏功旗
32/46

 日が天頂に差し掛かる前頃、クリスは大学に足を向けた。

 午前中に聴講予定の講座がなかったからだが、彼女の友人が図書館塔にこもることを選んだのとは異なり、彼女は朝から自宅の屋敷で剣を振るっていた。


 昨日の出来事は、クリスにとって不愉快極まる体験だった。昨夜は悔しさのあまりしばらく寝付けず、そうした気分は目覚めた後にも残ったが、それも出かける前まで剣を振り続け、湯浴みをして汗と共に洗い流している。その頃には、少なくともそう思える程度には彼女の精神も復調していた。


 ――へこたれてたまるか。構内を歩く途中、周囲からの視線に晒されながら、涼しげな美貌の内面に沸々とクリスは闘争心を沸き上がらせた。

 それ程に目立ちたいかだと? いくらでも目立ってやろうではないか。模擬戦当日、祖国が罵声と嘲笑を浴びせられることの屈辱を思えば、その程度の言葉は侮辱にさえ当たらない。真剣にそう考えるあたり、彼女の友人が評した通り彼女はまったくアルスタだった。


 その為には行動しなければならない。そして行動とは無計画なものであってはならないことを、軍術を学ぶ彼女は知っていた。行動を起こした軍には補給が必要だし、当然のように兵は疲労する。何より模擬戦まであと九日しかない。無為に過ごせる時間などないのだ。

 効率的に動かなければならない。そして現状でもっとも効率的な行動とは何か――クリスは考えた。しばらく思考して、参加者の個々人にそれぞれ会いにいこうという考えしか思いつかず自分に失望する。彼女は決して硬直しきった思考の持ち主ではなかったが、それ以上に生来の気性が自由な発想に制限をかけていた。


 自分自身の限界を容易に知らされて、一瞬、クリスの脳裏に知人の顔が浮かぶ。自分の発想に自信がないなら、誰かに助言を求めるべきだった。ニクラス。あの変わり者に意見を訊ねることは決して悪い考えではないように思えたが、幾らか思考を巡らせた結果、彼女はそれを却下した。

 クライストフ家とアルスタ家の関係。あるいは彼女自身の社交での立場を考えたわけではない。もっと個人的な、稚拙な動機だった。ナトリア公女クーヴァリインと親しげに話す男の姿を思い出して、彼女は釈然としない怒りを抱いた。いや、宰相実子となれば多忙な身で当然ではある。そもそも彼女は友人と仲違いをしている最中だった。

 では他に誰がいる。ケッセルト・カザロという名前が頭に浮かんだが、その次の瞬間には脳裏から放り出されていた。模擬戦の勝敗などどうでもいいと言い切った男を相手に、いったい何事を相談しろというのか。ならば――ヨウはどうだ。

 ほとんど感情を表さない冷淡な表情を思い出し、クリスは判断に迷った。若い従士の、捉えどころのない性格は主人に倣ったかのようだったが、あの表情はある意味で彼の主人よりさらに直截的ではあった。こちらから相談を持ちかけたところで、――自分にはわかりかねます。そう一言で切って捨てられそうな気配があったが、想像だけで可能性を否定できるほど恵まれた立場に彼女はなかった。


 ヨウを探そう。そういえば、昨日しばらく警護につく旨を宣言されたことを思い出して、ふとある可能性に至ったクリスはその場に立ち止まり、口を開いた。

「……ヨウ?」

「――はい」

 決して大きくない呼びかけに近くの建物の陰から応答があり、控え目にいってクリスは驚愕した。当然のような表情で姿を現す相手を見て、しばらく声がなかった。

「いつから近くにいたのですか」

「クリスティナ様が学内にいらした時からですが」

 従士は淡々と答える。

「そうではなく。何故、隠れていたのです。声をかけてくれればいいでしょう」

「自分はいつものように警護についているだけですので」

 少し考えてから、クリスは訊ねた。

「つまり、ニクラスがいつもさせている通りに。ということですか?」

「はい」

 男は頷いた。


 ニクラスの周囲に日頃から護衛がついていることはクリスも知っていた。その護衛について男がどのような感情を抱いているかはともかく、それをひけらかすような真似は好まないでいることも。

「そうですか。ニクラスから普段どういう指示を受けているかはわかりませんが、私の警護につく以上どこかに隠れている必要はありません。私を見張りたいなら、堂々とそうしてください」

「二点、ございます」

 男は言った。それが反論の意味するものだとクリスは気づいた。

「なんでしょう」

「自分は周囲から完全に姿を隠せるような特殊な技能を持ち合わせておりません。私に可能なことはなるべく自然な状態で無理なくお傍にあることです。見られることを前提としているわけではありませんが、見られないことを前提としているのでもありません」

「……もう一点は?」

「自分はニクラス様からのご命令を受けてここにおります。貴女様の指示に従う理由はありません」

「なるほど、わかりました」

 クリスは苦笑した。物言いは慇懃だが、発言は正論だった。

「では、お願いした時だけでも姿を見せてもらえますか。相談したいことがあるのですが、往来で独り言をしているように思われるのは少し恥ずかしくあります」

 それとも、とクリスは可能性を付け加えた。

「こうした場所で会話をすること自体、控えるべきでしょうか」

 一瞬の後、ヨウが答えた。

「クリスティナ様のお考えの通りでよろしいかと。会話中には姿が見えたほうが自然ということであれば、自分もそのように致します」

「では、よろしくお願いします」

「承りました」

 男は小さく首肯した。相手が自分にとって嫌な相手ではないことにクリスは安堵した。身近にある誰かと馬が合わないというのはそれだけで大変な苦痛を伴うだろう。


「模擬戦のことですが、私は危機感を覚えています。このままでは当日、東軍――いえ、ボノクスを相手にまともな抵抗さえ叶わないのではないかと。それで私なりに提案してみたのですが、結果は昨日の通りです」

 男は反応しなかった。クリスは続けた。

「事態を少しでも改善する為によい考えはありませんか。私では、一人一人に面会を願い出て、協力を求めることぐらいしか思いつきません」

「……人にはそれぞれの役割があると言います」

 ヨウが口を開いた。

 意外な返答にクリスは眉を持ち上げた。

「役割?」

「はい。統べる者、剣をとる者、憤る者。その多数の集合こそが帝国であり、結局のところ帝国のもっとも偉大なことはそれに尽きるのだと」

 韜晦するように、表情はあくまで淡々と語る男をクリスは見つめた。

「それは貴方自身の言葉ですか」

 従士は小さく首を振る。

「以前、ある方からお聞きしたお言葉です」

 クリスは唇の端を歪めた。相手の挙げなかった名前を想像することは容易いことだった。


 クリスティナ・アルスタの役割とはなにかと問われれば、考えるまでもない。アルスタとは帝国の剣であり、その役目は最前にあって戦うことに他ならない。

「つまりは行動せよということですね」

 身分差を慮ってのことか、目の前の従士は黙って頭を下げるに留めた。その態度が気に入らなかったというよりは、男の告げた言葉を発した人物への不満を胸に抱いて、クリスはそれを口にした。

「なるほど。帝国には様々な役割があるとは思いますが、まさかどこかで昼寝をしている言い訳などに使うつもりでなければいいのですが」

「……自分にはわかりかねます」

 想像通りの返答を引き出せたことに小さな満足を得てクリスは笑った。謝意を伝える為に従士へ頷いて、歩き出す。

 ニクラスの語った言葉が、昨日の顔合わせでの醜態を聞いた上の言葉かどうかはわからない。目の前の人物から報告があったのは確実だが、あるいはそれ以前から男の抱く哲学めいた代物かもしれなかった。


 役割か、と内心に呟く。剣は剣で在ればよいと他人から言われるのは決して愉快なだけではなかったが、そう在ろうとすることは先祖代々に続くアルスタの家訓でもあった。それをニクラスから肯定されたように思えて、それを嬉しく思う反面、同時に皮肉なものも覚えている。


 帝国に集う無数の人々、その役割。――ならばニクラス・クライストフ。お前は自分の役割をいったいどのようなものだと考えているのだ。その役割を果たす意思を持っているのか。今度それを問い詰めてやろうと考えて、ふとクリスは不安を抱いた。

 先日のやりとりを思い出す。自身の生末について、まるで他人事のように語ってみせた男の態度は彼女には理解し難いものだった。その彼が抱く自らの役割を、自分に訊く勇気があるだろうか。もしそこから得た回答が自分にとって理解できない、いや、許せないものであったなら、私はどうする。


 クリスは頭を振り、それ以上の無益な――そう思いたい――思考に区切りをつけた。今はまず模擬戦のことを考えるべきだった。現実的な判断だが、同時に方便でもある。答えのない問いに答えられないのは当然、そのような不快な事態が訪れた時に自分がとるべき態度も、今の彼女は持ち合わせていなかった。



 クリスは行動を開始した。

 模擬戦に参加する面々は当然、一人の例外なく大学に通う人々である。彼らは日中、様々な講座にて知識を学び、論を戦わせる。どの講座を受けるかは個人の志向と嗜好次第であり、その講座がいつ開かれているかも講主である教師によるから、人によっては丸一日、聞くべき講座が見当たらないこともあれば、我が身を二つに裂いて別々の場に置きたいと悔しがる場合もあった。


 講座がない時間の過ごし方も大きく異なる。

 大学が開かれて一月が経とうとして、在籍者の基本的な人間関係は既に構築されている。彼らはそれぞれ所属する基本的属性に基づいて日々を過ごし、気の合った友人と徒党を成した。構内のあちこちに縄張りをはった男達がその領有を巡って騒動を起こすこともある。大学には、特にホストであるツヴァイから少なくない女性も在籍していたが、高貴な身分の出である彼女達は特に茶会を開くことを好んだ。


 その彼らにとってもっぱらの関心事は、今度の週末に開かれる歓宴会とその前に行われる模擬戦であり、特に後者についての関心は一際強かった。

 周囲の人々から期待と注目を一身に浴びることは、参加者にとって何よりの誉れである。人前でこれ見よがしに武具を磨き上げ、馬を駆って調子を見ようとする類の行いは自己顕示としてもひどく幼稚ではあったが、可愛げはあった。


 クリスはそうした人々の西軍陣営に参加する代表者一人一人に面会を求め、模擬戦への協力と相談を願い出た。

 そして、その全員からことごとく拒絶された。


 謝絶ではなかった。彼女はほとんど話を聞いてもらうどころか、多忙を理由に僅かな時間を割いてもらうことすら叶わなかった。鼻歌交じりに十分以上に磨き上げられた武具を弄び、周囲の貴人と楽しげに談笑を交わしながら忙しいと言われた時にはさすがにクリスも眦を吊り上げかけたが、しかし彼女は礼をもって相手に頭を下げ、その場を去った。


 そうした応対は、つまり彼女という存在の立ち位置を如実に示していた。

 大学という水陸各国を巻き込んだ政治的環境で行われる以上、模擬戦もまた政治的な催しであることは明白だった。遊戯の一時を、政治を抜きに戯れようと言ってみせたところで、それを信じる者などいるはずもない。

 その政治的な催しの顔合わせの場でクリスがとった行動と、それに対する周囲の反応により、クリスの政治的立場はツヴァイ国内外の参加者の把握するところとなった。家格と権威を推し量る術に長けた人々が彼女を軽視するのは当然ではあった。


 そうした事情について、クリスも思い至らなかったわけではない。

 それでも彼女は足を止めなかった。構内中を歩き回り、多忙を理由に断る相手に後ほどの訪問を一方的に約して再訪する。そこでも面会を断られ、ついには顔を合わせるのも億劫とばかりに居留守まで使われるようになり、その日の一日はあっけなく過ぎていった。



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