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模擬戦の発表があったその日中に、西軍陣営の面々による顔合わせが行われた。
大学は水陸中の高級子弟が集う社交場である。その開校一カ月を記念して開かれる歓宴会と、その催しとして繰り広げられる模擬戦は、どちらも重大な意味を持つ。前者は社交、後者は武闘。
歓宴会が貴人としての戦場であるなら、模擬戦こそは武人たる花形である。今こそ我らは智と勇を結集させ、難敵との決戦に備えようではないか――声高く宣言した進行役の相手の言葉に、それを聞くクリスの近くで皮肉気な声が漏れた。
「智と勇を結集ねえ」
独り言の類だろうとクリスはそれを無視した。声は続く。
「戦が花形って意見には賛成だがね。どうも我が国では、物事を全て舞踏会の延長だと考えている節があるのが困ったところだな」
「私の目の前で、帝国への批判を口にしないでいただけますか。ケッセルト様」
決め込んだ無視を翻して、クリスは剣呑な小声を響かせた。
「目の前っていうなら、せめてこっちを向いて物を言ってくれよ。どうせ詰られるなら、美人に見られながらの方がいい」
やはり応じるべきではなかった。憮然としてクリスは口を閉じた。彼女の失策にすかさず付け込むように、ケッセルトが続ける。
「我が麗しの帝国に喧嘩を売る程、ボケちゃあないさ。これでも帝国軍人の端くれでね。ただ俺は、人間の程度ってもんをわかってるつもりなんだよ」
「人間の程度?」
「そうとも」
クリスはちらりと隣を窺った。彼女にようやく眼差しを向けさせたことを勝ち誇るでもなく、男は唇を微妙に歪めて視線を前方に投じていた。視線の先には、意気揚々とはしゃぐ幾人かの顔ぶれがある。
「我が国は強大だ。支配する水源。水陸四方に伸びる河川と、それに拠る強固な支配体制。だからこそ、内部では脆い部分も出てこようってもんさ。大体にしてそういうのがまず出てくるのが人心だ。外側が堅い皮であればあるほど、内側が腐っても分かりづらい。そうじゃないか?」
まるで遊戯を前にしたかのように気分を高ぶらせる一同の姿を映しながら、クリスは男の言い分を理解した。模擬戦を遊戯とすることが問題なのではない。その遊戯をどのように楽しむかの態度こそが問題なのだ。
「そのような卓見をお持ちであるなら、このような末席で冷やかしているよりもっと相応しい場があるはずではありませんか」
クリスは控え目に応えた。
指摘を受けたケッセルトは大仰に眉を持ち上げて、
「俺にあそこへ行けだって? 冗談じゃない」
「何故です」
「ふむ。お答えしよう。何故ならこの俺は、男から注目を浴びることになんら喜びを感じないからだ」
堂々と言ってのける男に、今度こそクリスはその言葉を無視することに決めて、室内の様子を窺った。
五十名からなる参加者中、盛り上がっているのは半数に満たない。周囲を取り囲む他の参加者は形だけ追従して見せるか、あるいは冷ややかな眼差しでいるかだった。それらの温度差は国や立場による。
西軍陣営において、ツヴァイ帝国から参加する顔ぶれは二十名を数える。大国であり、ホストでもある立場としては当然の数だったが、それでも全体の半分に満たないのは、ツヴァイが遠慮をしたというよりは構成上、仕方のない処置ではあった。
模擬戦を行う際もっとも困難となる組み分けについて、最終的にはもっとも明快な手法がとられた。おおまかな方角の東西。そしてそれは概ねのところ、友好国同士が与する結果ともなった。
つまりはツヴァイ派とボノクス派ということになるが、しかし実際にはそのどちらともとれない中立派の国々が多く存在する。どちらかに肩入れすることが、近い将来にもう一方から攻め込まれることへも繋がるかと思えば、遊戯のこととはいえ気軽に立場を鮮明にはできない事情が彼らにはあった。
そうした人々を如何に後腐れなく、また戦力的な不均等も起こり得ないように振り分けてみせるかがホスト国の力量ではあったが、そこでボノクスから意外な提案があった。
せっかくの催しに、そのような外交的配慮に顔色を窺ってしまっては面白くない。後になって問題とならぬよう、いっそのことツヴァイとボノクスの国境を境として、文字通りの東西で参加陣営を分けるべきではないか。そこで人数に差がでてしまった分は、ツヴァイとボノクスで調整してしまえばよい――その提案をツヴァイ側が受け入れて、両陣営の振り分けは定まった。
結果はひどく歪な結果となった。
ツヴァイとボノクスを除いた東西陣営の数は、東軍十名に対して、西軍三十名。それは水陸中央に位置するツヴァイとその東に位置するボノクスの地理関係上、当然の結果である。
両陣営の人数差を擦り合わせる為に、ツヴァイは最低人数をとらなければならなかった。翻って、ボノクスはその逆となる。それはもちろん数だけを見ての問題であり、戦力としてはまったく異なる見解があった。
「まさに烏合の衆だな」
揶揄するようにケッセルトが囁いた。冷たく睨みつけるクリスに肩をすくめて、
「そんなに睨むなよ。別に個人の力量について言ってるわけじゃねえさ。統一された意思の元にない軍集団なんて、それ以外にどう表現しろってんだ?」
反駁したい気分はあったが、クリスにはそれが叶わなかった。男の言っていることは事実だった。
ボノクスの提案を容れた結果、西軍は多くの国家からの代表者で構成される陣容となった。その中にはもちろん、ツヴァイを快く思っていない人々も多く存在する。一方のボノクスはそれを最低限に留め、さらには数の不利を自国の代表者で固めることに成功した。
その数、実に四十名。精強さで誇るボノクスの遊牧兵が、だ。
一方のツヴァイは二十名、それ以外の三十名との間にどれほどの連携を持ち得るのか。その采配を誰が持つのか――。少しでも軍事に明るいものなら、現状がどれほど困難な状態にあるのかすぐに理解できるはずだった。
逆に考えてしまえば、この室内でそれを理解しえない人々だけが気楽に騒げているということでもある。その音頭をとっているのが他ならぬ自国の面々であることに、クリスは苦い心地でため息を押し殺した。
「これでうちから皇族の誰かでも参加してれば、まだ他の国の奴らのケツをひっ叩くこともできたんだがな。それがない分、宰相家が貧乏くじを引かされるかと思ったが――噂の変わり者が、いったいこの収拾をどうつけるかも面白そうだったんだが」
――ニクラス。あの男は、まさかこれあることが面倒でアンヘリタ皇女からのお話を断ったのだろうか。……有り得ることだ。変わり者の友人に内心で恨みつつ、クリスは自分のもう片側にいる相手に目を配った。
クライストフ家に仕える従士のヨウは、他人事のような冷ややかさで無言を保っている。クリスの視線に気づくと、小さく目を伏せた。かろうじて謝罪のようにもとれる仕草だった。
主人の行いについて当たっても仕方ない。諦めたクリスは、こちらも他人事のように、しかし表情は楽しむように頬を緩ませたケッセルトに対して口を開いた。
「であるからこそ、貴方や私のような存在があるはずでしょう」
「いや別に?」
あっさりと否定されて、クリスは絶句する。男を凝視して訊ねた。
「……貴方は、勝とうと思っていらっしゃらないのですか」
「ああ。別にそこまでは約束しちゃないんでな」
「誰との約束です」
「いい女と同じくらい、いい男にも秘密ってモンが必要だと思うんだがね」
くだらない。吐き捨てかけたクリスは、それを抑え込んで感情の昂ぶりを抑え込むと、その場を立ち上がった。
「おい。やめとけって」
傍らの相手の忠告を無視して前に進み、クリスは手を上げて発言を求めた。
そして、まるで勝利は疑いようのない未来の決定事項であるかのように囃し立てる一同に対して、丁寧に注意を促した。
ボノクスは言うまでもなく強国であり、その大半をボノクス人で占める東軍の力量には注意が必要であると。四十名とは中核を成すばかりでなく、一翼まで担って余りある人数であり、一方の西軍は兵の運用思想も指揮系統も異なる諸国家が多い構成である。まずはそうした現状を認識し、問題点を把握することが当日の勝利に繋がるはずである。
クリスの提言は、まだ得ぬ勝利に浮かれる人々の気分に水を差さないよう、最大限に配慮されたつもりのものだったが、それでも不十分だった。発言の如何に問わず、それを聞いた彼らにとってはクリスという発言者そのものが不快そのものだったからである。
先日の追い狩り、そして此度の模擬戦でも話題に取り沙汰される多くはボノクスのスムクライとツヴァイのアルスタであり、それが多くの他の参加者には不満だった。戦しか出来ぬ粗忽者が、少し活躍したからといってしゃしゃりでるな――そうした反発は、一方的な物の見方ではあるが、ある程度仕方のないものではあった。
クリスの敵はそれだけではなかった。彼女の発言した内容はなにも理解に難しいものでも、新しい発想というわけでもなく、多少なりとも軍事を知る者であれば十分に考える内容である。一国の代表として模擬戦に先発される人々にそうした識見がないはずがない。
それなのにクリスに賛同する意見がツヴァイ以外の面々から出なかったことには、幾つかの理由がある。
ただ地理上の理由から西軍陣営に入れられた人々は、個人としての活躍はともかくツヴァイの勝利に貢献したがらない者もいたし、ツヴァイと親交のある国々の面々にしてみれば、そのツヴァイからの代表者に煙たがられている人物に賛同して益があるとも思えなかった。
そして、あるいはこれこそがもっとも大きな理由かもしれないが――クリスは女性である。女性で剣を振るうのはツヴァイでも珍しいが、水陸中の国家群においてはツヴァイでの女性の立ち位置は恵まれている。女子どもが、と生理的な拒否を抱く相手は少なからずその場に存在した。
かといって、ならば自分が彼女に成り代わって主導しようという人物も現れない。それもまたホストであるツヴァイへの遠慮、あるいは発言することで発生する責任の回避など様々に理由があった。
多国籍からなる集団の脆弱さそのものを表す一同に、それを遠目にしながらケッセルトは他人事のような顔つきで、その内面も他人事の気楽さで見守っていた。
もちろん彼にも、この混沌とした場を収集するべく手を挙げるつもりはなかった。そうした立場にないし、それ以上に意欲がない。それは彼の隣で黙然とするクライストフ家の男も同様であるようだった。
「あーぁ、ムキになっちゃって。可愛いねえ」
周囲から冷ややかな反応を浴びつつ、必死に説得を試みる令嬢の健気さに肩をすくめて、ケッセルトは自身の隣に顔をむけた。
「助けてやらねえのか? さっそく悪目立ちしちまってるぜ」
「……そうした命令は受けておりません」
へえ、とケッセルトは目を細めた。
「冷たいな。女の盾になってやれ、くらいのことは言われてるのかと思ってたよ」
「ニクラス様は、なにもあの方の保護者というわけではありません」
従士は冷ややかに応えた。
「そりゃま、そうだわな」
頷いて、ケッセルトは手元の杯を取り上げた。まあ、いい見物ではある。これで酒でも飲めればもっといいんだが、と考えた。
実戦も知らずにはしゃぎまわる貴族の子息達も、顔合わせの場で昼から酒杯を仰ぐほど愚かではなかったが、そうした真面目さは評価するべきところではなかった。少なくともケッセルトにとっては。
いっそ酒でも振る舞って無理やりに打ち解けるなり、騒動を起こした方が、こんな状態よりはまだマシだろう。せっかく面子だけなら面白そうな顔ぶれが揃っているのだ――室内を見まわして、男は楽しげに口元を歪めた。
西軍に属する各国それぞれの顔ぶれが、それぞれの思惑を眼光に宿して佇んでいる。
それが今後、どのように策動して当日を迎えることか。とりあえず、あと十日ほどは退屈しないですむ。宰相家次男に頼まれてこの場に参加した男にとってはそれこそが重要だった。
せっかくの催しなのだから、せいぜい特等席で拝見させてもらおうじゃないか。もしも自分にまで配役が回ってくることがあれば、それはそれ。よほど上手い音曲で誘われなければ動いてやるつもりはないが、それさえあるなら踊ってやらないこともない。
既に自分にとっての勝利条件を満たした男は、まったく他人事の態で目の前の事態を見守り続けた。視界では誠実な貴族令嬢が、周囲から愚直と評される家の評判通りの性格をそのままに、発言を続けている。
クリスは何度も人々に向かって提言し、その度に意見を却下され、ついには無視された。アルスタのご令嬢はそれほどお目立ちになりたいか、と自身の必死さを哂われた令嬢は屈辱に打ち震え、拳を握りしめながら、それでもなお彼女は黙らなかった。
――結局のところ、顔合わせの場が終わる最後まで、クリスの意見が容れられることは一度もなかった。




