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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
戦人の奏功旗
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 大学に集う水陸各国の上級子弟、その威信を賭けた模擬戦に参加する顔ぶれと陣容、それ以外の仔細についての発表があったのは、模擬戦が行われる十日前のことだった。


 ホストであるツヴァイを西軍代表、ボノクスを東軍代表として、その他各国の選抜者がそれぞれの陣営に参加する。東西五十名ずつの代表者に名前を連ねることは、それだけで大変な名誉だった。貴重な透き紙に堂々と記された自らの名に、それを故郷まで後生大事に持ち帰って家宝にしたという者も出たほどだった。

 発表された内容に注目するべき箇所は多くあったが、その中でも特に人々の関心を集めたのは、両陣営に一名ずつ認められた女性参加者の存在である。一人をジル・イベスタ・スムクライ。もう一人をクリスティナ・アルスタというその二名は、先日の皇庭園遊で相競った一件もあって、大学の関係者にも広く知られた存在になっていた。


 そもそも、スムクライといえばボノクスを主導する大部族の名に違いなく、一方のアルスタもツヴァイの興りから続き、他国の間で特に知られる優将バルガ・アルスタの血筋である。両家が過去、先祖の代々から度々に剣を交えてきた間柄であるという逸話がどこからか聞き洩れるに至り、彼女達への注目は否が応にも跳ね上がった。


 一躍、時の人となったクリスだったが、内心では困惑しきりであった。模擬戦に選抜されたことは素直に嬉しくあり、家の者達も大いに喜んでくれたが、まさか本当に自分が選ばれることになるとは思ってもいなかった。周囲から声をかけられる機会もさらに増え、大学内にあって他人の視線を感じない方が稀な程だった。

 常にまとわりつく視線の存在に、慣れない彼女は一日毎に精神を消耗させていたが、ニクラスがこうした環境にこそ幼少の時分から身をおいてきた事実を考えれば、易々とへこたれるわけにはいかなかった。精神修行の一環と思うことにして、クリスは胸を張って前を向いた。貴族とはそう在るべきだという、いたって単純な貴族主義者としての思考だった。


 彼女の気分が優れないもう一つの理由は、そのニクラスとのことである。

 先日、彼女の方から強引に会話を打ち切って別れて以来、クリスは友人と顔をあわせていない。それから今日までの間も大学には通い、講座や剣錬にも出向いていたのだから、男と会える機会がなかったわけではなかったが、彼女の方から相手を避けるようにしていた。

 この間の会話のやりとりについて、未だに怒りを引きずっていたのではない。クリスが胸に抱いていたのは自分の稚気に対する羞恥だった。ニクラスへ向けられた感情も、やはり稚気に近い。要するに、彼女は男に対して拗ねてみせているのに過ぎなかった。


 ニクラスが言ったことは恐らく正論なのだろうが、それでも言い方というものがあるだろう。しばらく自分が姿を見せないことで、少しは思うところがあればいいのだ――十代半ばの素直な感情を表して、しかし数日もすれば不安を抱くようになっていたのはクリスの方だった。男と顔をあわせない日数が経てば経つほど、いざ本人の前にどんな顔をして出向けばいいかわからなくなってしまい、彼女は途方にくれた。

 模擬戦の詳細が発表されたことは、彼女に膠着した状況を打破するきっかけと捉えさせるのに十分だった。報告、あるいは相談。なんでもいい。とにかくニクラスに会いにいこうと決心を固めて、彼女はこの数日で随分と居心地の悪くなってしまった大学の敷地内を練り歩いた。


 講座。中庭。図書館塔。男の活動範囲と思われる場所をしらみつぶしに探して、どこにもその姿を見かけられず、もう一度、初めから同じ行程を繰り返そうとしたところで声がかかる。

「よう」

 気安い口調に、振り返るより先にクリスは顔をしかめていた。


 後ろを見ると、思った通りの人物が立っている。ケッセルト・カザロという、大学に呼ばれた若手軍人の一人が、作法の欠片もない態度で彼女に近づいてきていた。

 その名前が模擬戦参加者の一覧に記されていたことはクリスも把握していた。いずれ顔をあわすことにはなるだろうと思っていたが、予想より早くその機会が訪れたことに、彼女は不機嫌な声を隠そうともせずに口を開いた。

「……御機嫌よう」

 礼儀としてはともかく、彼女もまったく相手のことは言えない表情ではあった。男は精悍な表情に笑みをこぼして白い歯を見せた。

「えらく注目されてるみたいだな。どこいってもあんたらの話で持ち切りだ。随分と鼻が高いんじゃないか? なあ、アルスタのお嬢さん」

 嫌味な口調ではなかったが、男の言葉遣いがすでにクリスの癇にさわっていた。にこりともせず、クリスは言葉を返した。

「とんでもありません。皆様の足をひっぱることのないよう、精進したいと考えております。人を探していますので、これで」

「なんだよ、えらく嫌われてんな。なんかしたか、俺。せっかく馬を並べて戦いに臨もうってんだ。仲良くしようぜ」

「……戦いに臨むにあたって、事前に仲良くする必要はないと思いますが」

「そうか? それこそ、たったそれだけのことで負けることだってあると思うがな。普通の戦もそうだが、今回なんかの場合は特にそうだろうよ」

 顎を撫でるようにして男が言った。


 ケッセルトの言葉に理があることを認めて、クリスは男を見据えた。男の言ったことは、模擬戦参加者の一覧を見てまず彼女が抱いた感想でもあった。

「確かに。しかし、それは全体として必要とされる類のお話でしょう。私と貴方が個人的に友誼を結んだところで、軍という一個の生物の中ではどれほどのこともありません」

「そりゃそうだ。さすがにアルスタだな、よくわかってる。――ってわけだ、こっち来いよ。仲良くしようじゃねえか」

 男が呼びかけた方を見ると、見覚えのある姿があった。

 クライストフに仕える従士で、怜悧な若者の名前をクリスは覚えていた。ヨウという名前だったはずだった。

「ご機嫌麗しく。ケッセルト様。クリスティナ様」

 丁寧な仕草で頭をさげる若者に、心底から嫌そうにケッセルトが口をねじ曲げた。

「おいおい、よしてくれ。これから馬鞍を並べようってのに、一々そんなけったいな口調で言われたら、馬の上からすっ転んじまうだろ」

 やはりそうなのか、とクリスは改めて目の前の青年に注意を向けた。

 ヨウという覚えのある名前が、模擬戦に参加する彼女の名前のすぐ下に記載されていたのだった。――その時に彼女が探していたのはニクラスという名前だったが、上から下まで何度目を通したところで、それに似た名前を見つけられなかった。

「クライストフ家からの参加、ということでしょうか」

「はい。それと、当日までの警護を仰せつかりました」

「警護? いったい誰のですか」

 台詞の途中で、相手の視線からクリスはその対象が自分であることに気づいて、目を見開いた。

「……私の? 何故。そんなものは必要ないでしょう」

「失礼ながら、そのお言葉は認識不足であるかと存じます」

 淡々とした声音でヨウが言った。


「先日の遠出と、今度の模擬戦。スムクライとの因縁も含め、貴女様への注目はいささか過剰な状況となっております。陰に日向に、どのような事態に巻き込まれて不思議はありません。いくら腕に自信がおありといえど、お一人での行動は危険です」

「それは……。しかし、ならばアルスタにも奉公の者はいます。わざわざ、クライストフの方に護っていただく必要はありません」

「是非そのように為さるべきかと思いますが、護衛の方がつくことのできない場合もありましょう」

 男の言葉に、クリスは眉をひそめた。

「――模擬戦? 模擬戦の最中に、まさか背中を打たれることがあるとでも言うのですか」

 さすがに顔色を変える彼女を静かな眼差しで見やって、若者は首を振った。自分の主人に倣うかのように、表情に透明の幕をおろして向こうの感情を隠している。

「……可能性の話です。万が一にもそういった事態がないよう、模擬戦とその後の歓宴会が終わるまで、私がクリスティナ様の護衛につかせていただきます」

 突然の申し出に、クリスは探るように相手を見据えた。クライストフ家に仕える従士の立場である相手が、自分自身の意思でそうした行動に出ているはずがなかった。

「宰相閣下が、そのようなご配慮を? それは、大変ありがたいことではありますが……」

 いいえ、と従士の若者は首を振った。

「ニクラス様からのご命令です」

「ニクラスの」

 探していた相手の名前を意外なところから聞いて、クリスは言葉に詰まった。

「それは、なんというか。……ありがたい話です」

 途端に勢いがしぼむ。友人が自分の身を案じてくれていることを知って素直に嬉しく、そんな自分の性根があまりに見え透いている気がして、彼女は表情を取り繕った。少し以上にわざとらしく、話題を変える。

「そう。そういえば、そのニクラスを探しているのですが、今どこにいるかわかりませんか?」

「ニクラス様でしたら――」

 ちらりと視線を飛ばす相手を追って、その視線の先でクリスは再び顔をしかめた。


 少し離れたところを歩くニクラスの姿が見えた。その隣に誰かがいる。遠目にしても見間違えようのない優美な姿は、ナトリア公女クーヴァリィン・ナトリアその人だった。

 本人達以外には連れもなく、何かを楽しげに語り合いながら、ふとこちらに気づいた様子で足を向ける。徐々に距離を近づける二人の取り合わせが、誰一人文句のつけようがない程に似合いの様子だったことに、クリスは眉根に皺をつくりかけている自分に気づいて慌てた。

 

 漆黒の髪に褐色の肌。日の下にあって悪目立ちせず、むしろ溶け込むような優しげな気配のクーヴァリィン公女が、淑女の模範のような典雅な仕草で彼女達に微笑んだ。

「御機嫌よう。ケッセルト様。クリスティナ様。それに、クライストフ家のお方ですね」 

「ヨウと申します」

 柔和な微笑みの公女に直接声をかけられたことに、さすがに恐縮した態でヨウが頭をさげる。ああ、と公女が柔らかくまつげを瞬かせた。

「模擬戦にお出になる……。お三方とも、ご健闘をお祈りしております。けれど、どうぞお怪我だけはないようにお気をつけくださいね」

「ありがたいお言葉、誠に痛み入ります」

 ツヴァイでも最高位の貴人からの激励にクリスも恐縮したが、その隣のケッセルトだけはまるでそれまでと変わらない態度だった。それどころか、

「クーヴァリィン公女殿下。いや、噂には聞いていましたが、確かに目も眩みそうなお姿でいらっしゃる」

 気安く投げかけられた台詞に、それを聞いたクリスの方が仰天した。


 しかし、当の公女その人は微笑をたたえたまま、まるで機嫌を損ねた風もなかった。

「私も、ケッセルト様のお噂はかねがね。よく耳にしておりますわ」

「どのような噂か気になります」

「今日はどの方と一緒に連れ添われていたか、と。ふふ。あまり皆様を泣かせることのないようにしてくださいね。女の涙は、溜まりに溜まっていずれ殿方を溺れさせるものだと聞きます」

 クリスは呆れた眼差しで隣の男を見やる。先日の歓宴会でスムクライを同伴していたことはクリスも見ていたが、それがどういった関係かはともかく、それ以外にも様々に問題のある行状らしかった。


 さらりと忠告めいた言葉を受けて、男は頬をゆるませた。

「気をつけましょう。しかし、そういうお二人こそ、ご一緒のところを誰かに見られればすぐにでも噂の的になってしまいそうですが」 

「あら、そうでしたか?」

 反撃めいた返しにも、公女はあくまで余裕のある態度を崩さない。

「ニクラス様には、今度の歓宴会のご相談に乗っていただいているところなのです。私なりに準備をしてきたつもりですが、やはり万が一のことがあってはいけませんから」

「ああ、なるほど。それでは是非、晴れやかな気分でその場に凱旋することが叶うよう、尽力したいところです」

「ふふ。期待しております。こちらも皆様を心からお祝いできるよう、精を尽くさせていただきますわ。クリスティナ様、ヨウ様も良きご武運を……。ニクラス様。それでは参りましょうか」

「はい」

 ニクラスが首肯した。

 最後まで会話に参加しないまま、クーヴァリィンに続く。ちらりと自分の従士に視線で合図を送り、男はクリスやケッセルトには目もあわせなかった。


 何処かへと去り行く二人を、憮然とした心持ちでクリスは見送った。

 ニクラスの奴、無視までしないでもいいじゃないかと少なからず傷ついているところに、ケッセルトの楽しげな声を聞く。

「やあ、怖え怖え。さすがにナトリアの公女殿下にもなると、その辺の令嬢とは風格が違うな。うっかり軽口も叩けやしない」

 いわゆるその辺の令嬢であったクリスは、冷たい眼差しで相手を睨みつけた。

「さっきのあれが、軽口ではなかったらなんだというのですか」

「あれか? ありゃご挨拶ってもんさ。ヨウ、お前さんの主人も大変だな」

「……ニクラス様には、日常のことですから」

 表情を隠すようにヨウが応えた。

「そりゃそうだろうがな。だがまあ、俺なら一日で駄目だな。どれだけ美人でも逃げ出しちまうわ、あれは」

 しみじみとケッセルトが言う。


 男の軽口を聞き流しながら、クリスは改めて二人の姿を見送った。

 出会いからこちら、少しずつ距離を近づいて感じつつあった相手の姿がひどく遠くになってしまったように見えた。ただの錯覚のはずである感傷に心細さを覚えて、彼女は手のひらを握りしめた。



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