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唐突に発表された感のある各国代表選抜による模擬戦は、実際には以前から慎重に検討を重ねられてきていた代物ではあった。
模擬とはいえ、戦闘である。どんな事故も起こりうるし、そこに参加するだろう中にはつい先日まで槍を突き合わせていた関係の国々もあった。事故に見せかけて私怨が晴らされても不思議はなく、それが本当に事故であったとして、そうは見られないだけの土壌が十分な水と肥料を蓄えて彼らの足元には耕されていた。
大学が開校して一月という時点で、大々的にそうした催し物を開くことに慎重な意見はツヴァイ上層部にも根強くあった。各国を招いて開かれた大学は、宰相ナイルの意向が強く反映されたものではあるが、もちろん彼一人の趣味的な行いなどではありえない。
水陸を代表する学者、教師陣の保護と、彼らを用いた集合学習の実施。そこに各国の若手を招いて外交社交も兼ねる。文化や教養を秘匿せず、他国に開放するということはツヴァイの穏健的思考の表れなどではなく、実態は全くの逆だった。
バーミリア水陸にある諸国家の中で、その最大勢力を誇るのがツヴァイ帝国であるという事実は既に国の内外を問わずに認知されている。
それに対する敵性勢力は、東の大国ボノクスとその関係諸国。南方の小国家群とあるが、西の大国ナトリアを恭順させ、それ以降も周辺の弱小勢力をじわじわとすり潰すように征服してきたツヴァイこそが、水陸一番の雄であることは間違いなかった。
そのツヴァイが、友好国に従属国、そればかりか敵性国家の上級子弟をも自国に招いた最大の目的は、彼らに自国文化の萌芽を植え付けることにあった。
湧いては枯れるを繰り返す惑星では、人々は移動を繰り返しながら小さなまとまりのコミュニティを形成して生きる歴史が長かった。それは自然と他集団との差別化へと進んで、水陸内には多種多様な風習が存在することとなる。そのことは多くの征服経験を持つツヴァイの認識するところだった。異なる価値観は大きな反発を生む。敵国人を皆殺しにするのでもない以上、いかにその価値観をすり寄らせるかが、支配の根幹にはあった。
自国の風習をただ押しつけたところで、それが受け入れられる道理もない。実際にそうした失敗もあった。だからこそ、ツヴァイ帝国宰相ナイルは大学という手段をその一手とした。
水陸でもっとも先進的(とツヴァイ人が自負する)文化に、各国の支配者層を直に触れさせることで、相互の価値観の摩擦を減らす。彼らが国民ともどもそのまま「ツヴァイ化」してくれることまでを期待していたわけではなかったが、言葉も通じない獣と相対するより、文化や風習にある程度理解のある敵国の方が色々とやりやすいというのは考えるまでもないことだった。
つまり“大学”とは、ツヴァイ帝国という水陸の覇権国家が水源やそこに付随する土地、それを占有する軍事的意味合いではなく、文化的な面から他より上位に居座ろうという目論見があった。牙を隠したまま他国に向けられた、凶悪な侵略行為に違いなかった。
その全ての発端こそがツヴァイ帝国宰相ナイル・クライストフであり、ボノクスからの参加をとりつけたことで、彼の政略はほとんど完成の域にあった。無論、彼はそれを聞いたツヴァイ上層の一人が思わず零したような、これで水陸に恒久平和が訪れるなどという夢物語を考えてはいなかった。むしろ、ボノクスに代表される各国の上級子弟をどれだけ長く引き留めていられることかと冷静に算段していた。
以上のような考えから、早期の模擬戦開催にはどちらかといえば否定的な立場であったナイルが、熟考の末にそれを承諾したのは、先日に皇女アンヘリタの気まぐれで行われた皇庭園遊の一件があったからである。
それまで、大学に参加はしても冷ややかな距離感のあったボノクスが、追い狩りという催しを通じて一歩、足を踏み入れた。そこで間をおくより、さらに事を進めるべきだと判断したのだった。下手に気取った社交より、よほどボノクス好みであろうという推測もあった。
アンヘリタ皇女の独断先行気味な行いには苦笑があったが、大学という存在について、皇女がその枝葉はともかく本質を理解していることを知っていたから、問題とは思わなかった。園遊での一幕に自身の息子が少なからず関わっていたことには、彼はまったく興味を示さなかった。だが、そこで活躍をみせたアルスタ家令嬢の話を聞いた時には、しばらく何かを考え込む態度を見せた。
ともあれ、皇族の口から開催が告知された以上、それは決定事項であった。問題はその中身となる。
殺傷目的ではないのだから、弓や投槍は禁止するしかない。しかし、弓騎馬の上手であるボノクスから弓を取り上げるというのは、他ならぬツヴァイの面々からしてもあまりにあからさますぎる気分が強かった。
他にも懸案は数あった。
まず、陣営分けをどうするかという問題が大きい。模擬戦は参加国を二つの陣営に分けて争う予定だったが、参加者の顔ぶれで勝敗が変わるのは当然として、分け方も単純にはいかない。各国の政治的立ち位置が関わってくるからであった。
一方の旗頭をホストであるツヴァイが務めるとすれば、順当に考えれば相手側の中心はボノクスこそがふさわしくはある。しかし、それではツヴァイとボノクスの関係性が露骨になりすぎる。どちらの陣営に与するかで親ツヴァイ、親ボノクスという色で見られるということになれば、それはもはや遊戯の域を超えていた。
人数のこともある。勝敗決定の方法についてもある。装備や準備。当日の警備体制。起こり得る事態から、起こり得た事態が招く更なる事態についてまで、関係者の頭を悩ませる事柄は無数に溢れていた。その点、模擬戦が開かれるまであと二週間ほどしかないという日程は余裕がなさ過ぎた。最低でも一月、それ以上の余裕をもって行いたいところではあった。
しかしやはり、皇族の意向はなにより優先される。皇女が次回の歓宴会前にと決めたのなら、日程はそれ以外にありえなかった。
そのアンヘリタ皇女が、ツヴァイ国側の指揮官にニクラス・クライストフの名前を挙げたという“噂”は、すぐに関係者の元にも届けられたが、幾つかの理由からそれに対して微妙な反応を示した一同に、宰相ナイルは眉一本動かさずに告げた。
「そのような事態はありえないだろう。あれにそうした才はない。参加したいと言い出すことすら、いっそおこがましいというものだ」
冷ややかな口調での断定だった。彼らの間で、噂はそれだけで意味を失くした。
宰相ナイルを中心とした人々の間では、今も静かだが深刻な討論が長く交わされているところだった。来たる模擬戦において、そもツヴァイは勝つべきか? ホストたる面目は当然あるが、他国への配慮はどうする。引き分けを目指して陣営配分をするべきではないか。それならいっそのこと参加者に鼻薬を嗅がせ、そう仕向けた方が確実だろう――いや、そんなことが発覚すればツヴァイの恥となる。
ほんの二週間先にくる事態にむけて、基本に立ち返って話をまぜかえす人々に混じって、ナイル・クライストフは一人深い思索に考え込んでいた。
彼は後世において、この時代でまず最上級の政治家と評されている。柔と剛、表と裏を使いこなして自身の理想を体現する手管は、男がこれまでの半生で磨き上げてきた職人の業にも近かった。
今度の模擬戦についても、ナイルは既に彼なりの考えを持って行動をとっていた。大学開校一ヶ月を記念した模擬戦と、その後に開かれる歓宴会。それに向かって魍魎と蠢く動きがあることも把握している。息子であるニクラス・クライストフの動向についても同様だった。
それらすべてを俯瞰として、黙々と自身の手を積み上げていく。
盤上の名手である男は、この種の謀略にどれほど手をかけたところで万全はないということを理解していた。指先から張り巡らした糸が無様に絡まればもちろん、どれほど巧みに操ってみせたところで、その先に繋がるのは人形などではなく、あくまで一個の意思を持った人間であることを忘れてはいなかった。
模擬戦の勝敗においても同じことが言えた。彼はその生涯を通じて、直接どこかの戦場に立つことはなかったが、どれほど戦術上の優位を築きあげたところで、それが必ずしも勝利に直結するわけではないことを理解していた。勝敗は時の運、などと開き直ることが正しいわけではなかったが、そこには必ずある程度の不確定要素が含まれるものだった。
ならば、問題とするべきは個々の勝敗ではなく、その前後にこそある。彼などにしてみれば、戦闘や戦争が行われる時点で勝負は決しているべきなのだった。それは戦闘そのものの勝敗にはまったく関わらない話ですらあった。
熟練の軍事経験者がどれほどの時をかけて到達するかという域に、帝都のさして広くもない執政部屋にこもって辿り着く。彼がこの後も長くその地位にあった宰相位から行う様々な施策や政策は、決してその全てが正しいわけでも、実際に成功したわけでもなかったが、しかし、それでもやはり彼こそがこの時代、この水陸における最大の政治謀略家であることは疑いようのない事実であった。




