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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
戦人の奏功旗
27/46

 それからの会話はほとんど記憶に残らなかった。優雅な茶会のひと時が終わると、クリスは慌ただしく令嬢達の前を辞して、風変わりな友人の姿を探した。


 この時間、ニクラス好みの講座は行われていないはずだった。どこかの木陰で昼寝か、それか図書館で読書に耽っているか。地下から突き出した巨大な牙じみて聳え立つ図書館塔を登り、その天辺まで行ったが姿をみかけず、途中で出会った蜂蜜色の頭髪をした少年につい先程までここにいたが今は不在だと告げられる。

 礼をいい、どこかふわふわとした仕草で手を振ってくる相手に背を向けて一階に戻る。下までひたすら長く階段が続くことを、充分に鍛え上げられた足腰を持つクリスは疎ましくは感じなかったが、一瞬で踏破できないことにもどかしさはあった。


 クリスが目的の人物を見つけたのは、それから半刻近く構内を探し回ってからのことだった。

 なにか考え込む表情で視線を伏せがちに、相変わらず供もひきつれずに一人で歩いている。身軽に行動しているのはクリスも同じだったが、本当に自分一人の彼女と違い、男には陰から護衛する陪臣達が今もついてはいるはずだった。

「ニクラス」

 無作法にならないギリギリの、小走り気味に近寄って声をかけたクリスに、男が目線をあげる。相手に奥底を見通させない、半透明な幕をひいた眼差しで男は小さく頷いた。

「やあ、クリス」

「聞いたぞ。模擬戦のこと」

 弾んだ声でクリスが言うと、ニクラスは苦笑を浮かべた。

「もう出回っているのか。本当に、そういう噂っていうのは早いな」

「なら、本当なんだな。凄いじゃないか――」

「ああ、少し待ってくれ」


 ニクラスはクリスの言葉を遮ると、確かめるように視線を周囲に配った。小さく上げた手のひらを振って誰かに合図を見せる。それから少し待って、口を開いた。

「そのことなら、アンヘリタ様にお会いしたばかりだ。きちんとお断りしてきた」

「断った……?」

 呆然と、クリスはまつげを瞬かせた。

「正式な話になってからの辞退になれば、どうしたって角が立つからな。噂の段階で動けてよかったよ」

「断っただと? 何故だ、名誉なことじゃないか」 

 信じられん、と金絹の長髪を振る。


 模擬戦で国を代表する立場につくということが能力を認められてこそのものではあるが、今回の場合にはそれ以上の意味がある。アンヘリタ皇女が直々に口にしたというなら、それは皇族に連なる人物が、ニクラスの立場を対外的に明らかにしたということだった。大学に在籍する多くの才ある若者の、その第一人者としてニクラスを指名した。その時点で将来の重用が約束されたといってもいい。今さら言うまでもなく、ツヴァイは専制国家だった。

「俺は武官じゃない。その志望もない。馬に乗るのも嫌いな男が、模擬戦とはいえ国の代表を務めるなんて、おかしな話だろう」

「それは。だが、別に指揮官自ら突撃せよという話でもないだろう」

 確かに戦場に立つのは軍人の役目だが、ツヴァイ貴族はその冠を持つ時点で誰もが戦場に赴く義務があった。戦慣れしていない総指揮官が立つこともないわけではない。むしろそうした事態にあってこれを支えるために、軍事専門職の武官が存在しているともいえた。


「……面倒だからか?」

 相手の本心を探る顔つきでクリスは男を見つめた。ニクラスは肩をすくめて、

「まあ、それもあるかな」

「お前という男は……」

 クリスは嘆息して、肩を落とした。男と親しくなってから、相手の性格について多少は理解してきていたつもりだが、いまだに新鮮さが失われることはなかった。胡乱に男を睨みつける。

「アンヘリタ皇女からご不興は買わなかったんだろうな。お前一人のことならまだしも、お父上や他のご家族にまで迷惑がかかっては大問題だぞ」

 専制君主とその近親の意に逆らえば、それだけで命を落とすこともあった。いくら宰相家とはいえ――いや、だからこそ、宮廷に敵は数多く存在する。

「それなら大丈夫だ。もともと、反応を見るために噂として流したんだろうからな。噂の出所を調べさせたが、アンヘリタ皇女が言っていたらしいという話はあっても、皇女殿下が口にしたその場に居合わせたという相手は見つからなかった。つまりはそういうことさ」

「アンヘリタ皇女が、お前の反応をか?」

「俺以外の、周囲も含めて。頭のいい方だからな」

「……なるほど」

 しばらく頭の中で考えてから、クリスは頷いた。


 絶対的な専制君主が、個人の感情のままに意を用いればそれはただの暴君となる。実際には周囲の気配を勘案し、慎重に物事を決定する必要があるはずだった。無論、それを周囲に悟らせることがあってはならない。その為に、間接的に噂という形でまず話題を先行させた。それが受け入れられるようならそのまま、大きな反発がでれば意見を撤回させても、元々がただの噂なのだから皇族の威厳は失われない。


 帝都ヴァルガードで日常に繰り広げられる社交、そして政治の一端に触れて、クリスはため息をついた。本当に、自分はひどい未熟者なのだと痛感した。

「しかし、惜しいな。気が乗らないなら仕方がないが、機会であることには違いない。ニクラス、お前が将来どんな志望かは知らないが、クライストフ家の未来にとってもそうだろう」

 クリスの言葉に、男は微妙な表情で唇を歪めさせた。少しの沈黙の後に、

「クライストフ家に未来はないんだ、クリス」

 不吉な言葉を平然と、濁った眼差しの男は言った。

 クリスは顔をしかめた。

「どういう意味だ」

「言葉通りに。今、クライストフ家が抱える権力とはそういうものだ」

 淡々とした声音で、宰相家の次男は自家の状況について説明した。


「クライストフは先帝陛下のお引き立てで役位を得た。今の皇帝陛下の治世になってからは、恐れ多くも宰相地位だ。門閥もなしに、それは異常なことなんだよ。それが許されてきたのはあくまで例外であるからこそだ」

「例外?」

「ああ、そうだ。異常は異常。例外は例外。だが、それも二代続いてしまえば、例外ではなくなってしまう。だから、クライストフの権力は一代限りでなくちゃならない」

 確定された未来を語るかのような男を、クリスは声もなく見つめた。

「それは父にもわかっている。クライストフに爵位も土地もないのは、なにも善良でも無欲なわけでもないさ。将来への道を閉ざすことで、父は今に限って強大な権力を振るうことができる。次代のクライストフに求められるのは……そうだな。良くて墓守の役割ってところだろう」

 男の表情は冷ややかな程に客観的だった。


 目の前の人物の奇矯さにいくらか慣れてきたつもりだったクリスだが、背筋にぞっとするものを覚えた。

 ニクラスが冗談の類を口にしているわけではないことは、すぐに知れた。つまり男は、自身の家系が衰退することを受け入れているのだった。それに酔っているでもない。それをむしろ当然のものとして達観している態度が、まったく理解不能な生物のようにクリスには思えた。先祖から続く家名を大事にし、それを継いで子孫に引き渡すことを使命とする彼女のような貴族にとっては、理解の範疇にない考え方だった。

「しかし、それでは。……お前や、お前の兄君はそれでいいのか」

 男の言い分は、次代の可能性を潰すことで今のクライストフ家が成り立っているということだった。ニクラスやその兄オルフレット、彼らはその目的の為に犠牲になる。家に尽くすという考えなら彼女にも理解できたが、それも個を捨てることで家を栄えさせる為のものだった。家そのものの将来に展望を持てずして、どうしてこの男は落ち着いていられるのか。


「兄は、わかっている。俺はまあ、だからこそ今のうちに好きなことをやらせてもらおうと思ってるよ。高位で仕えるなんて想像もできないしな。心配なのは、妹のことかな。誰かいい相手が見つかればいいんだけど」

 妹思いの言葉を漏らしてから、ニクラスは自身の思索に落ちるように目線を持ち上げた。

「父のやっていることが間違っているとも思わない。権力ってのは一代に限るべきじゃないか。どんな制度も停滞を押し留めることは出来ない。だけど、それをこの国でやろうとしたら――」

 そこでふと我に返り、息を吐く。

 言葉もないクリスに正面から眼差しを投じて、

「クリス。別に隠していることでもないから言ったが、そういうことだ。だから、クライストフに頼るっていうのはちょっと危険だと思う。利用するとか、踏み台にするなら、まったくかまわない。むしろ率先してそうして欲しいくらいだ」

「私は……!」

 激高しかけて、クリスは続きの言葉ごと唇を噛みしめた。拳を固め、わなわなと震えるそれを目の前の相手に叩きつけたくてたまらず、それを堪える為に背を向けた。友人への無礼を承知で、彼女はそのまま歩き始めた。

 ニクラスが、悪気があってそれを言ったわけではないことはわかっていた。自分と、自分の家を思っての発言であることも。


 彼女が悔しかったのは、浮かれていた自分自身についてだった。

 不慣れな馬に乗り、面倒そうに指揮をとる男。その配下として剣を捧げ、それを補佐する姿を夢見た。そんなものがひどく子供じみた発想であったことを思い知らされて、それ以上、相手の前にいることにクリスはいたたまれなかった。



 肩を怒らせて去る友人の背中を、ニクラスは声をかけることなく見送った。


 ため息を吐く。言い方が不味かっただろうかと反省した。周りの人間からよく誤解されるように、彼は自分の在り方に絶対的な自信を抱いているのでも、超然としているのでもなかった。

 だが、口にしたことは事実だし、間違ったことを言ったつもりもない。伝えた内容については、そうした認識を持ってもらっておくべきだと判断したまでだった。友人であっても、というよりは友人であるからこそだった。

 だが、それでもやはり言い方というものはあったのだろう。明日にでも謝っておこうとニクラスは考えた。


 ふと、後ろの気配にニクラスが鋭い視線を送ると、彼の護衛を務める従士と、その静止を振り切って彼の元へやってこようとする男の姿があった。

「よう。お前さんが宰相家の若き変人か?」

 社交儀礼の挨拶もなく、第一声から無礼を飛ばす相手に、ニクラスはそれだけで相手の素性を知って口を開いた。

「そういう貴方はケッセルト・カザロ様でしょうか」

「おお。よくわかったな。連れの女にでもなにか聞いてたか?」

 答えず、ニクラスは男を押し留めようとしているヨウに視線を向けた。ヨウが小さく首を振る。会話までは聞かれていないことを確認して、改めて男に視線を戻した。

「連れではありませんが、ボノクスのジル様からお名前が出ましたので、もしやと」

「なんだよ。そうなのか? あの女、俺には全然ツレないのにな。気になるならこっちに話しかけりゃいいだろうに――ああ、堅苦しい言葉遣いはよしてくれ。こっちが年上だが、気にするこたない」

 ほとんど粗暴なまでの物言いに、ヨウが眉を吊り上げる。男の身体を押し返そうとするが、頑強な相手はまるで岩のように動じないらしかった。

 ニクラスは小さく笑みを漏らした。初対面の相手にこれでは、なるほど、いかにもクリスが毛嫌いしそうな相手だと納得する。

「ヨウ、いい。……それで、わたしになにか御用ですか」

「いや、なに。今度の模擬戦で、こっちの指揮をとるって話を聞いたんでね。ちょっとどんなもんかと思って、顔を見に来てみただけだ」


 ニクラスが調べさせたところ、アンヘリタ皇女が云々という噂は今日の午前に撒かれたばかりだった。それが夕方を迎える頃でもないのに、もうこれだ。内心でうんざりと、同時にニクラスは重要なことにも気づくことも忘れなかった。

 実際にニクラスが知らなかったように、噂はまだ大学全体にまでは広がっていない。目の前の男がそれなりに耳の早いことは、少なくとも無能ではないことの証明だった。

「それでしたら、わたしも驚きました。先ほど、アンヘリタ皇女にお会いしたのでお聞きしたところ、どうやらただの噂だったようですよ」

 親しい人間以外にみせる態度で、ニクラスは応えた。

「ふうん。なるほど、早いな。若いのに大したもんじゃないか」

 顎に手をあてた男がにやりと笑う。精々、年は五つも変わらないだろう相手に、ニクラスは苦笑を強めた。

「さあ、なんのことでしょう」

「ふん。まあいいさ。おたくが出るんなら、参加してもよかったが。そうじゃないなら、また昼寝でもしてることにしよう」

「……模擬戦に出るご予定がおありだったのですか?」

 男は肩をすくめた。

「一応、指導の為にいる身なんでね。この間に続いて皇女殿下の気まぐれとはいえ、他国に無様は見せられんってとこだろうさ。ま、俺には関係ないが。邪魔したな」


「――待ってください」

 興味を失ったように去っていこうとする男に、ニクラスは呼びかけた。

「あん?」

「模擬戦に出てはいただけませんか」

 率直に切り出された言葉に、足を止めた男が面白そうに眉を上げた。

「どうしてだ?」

「スムクライのジル様が、先日の園遊会でも貴方のことをいたく気にかけていらっしゃいました。まさか今度の模擬戦にまで直々にお出になるとは思いませんが、もしそうなったら我が国は恐らく勝てないでしょう」

「はっきりと言いやがるな」

 くつくつと笑う。彫りの深い強い眼差しが、試すようにニクラスを見据えた。

「模擬戦に弓はないんだろう。昔のガヘルゼンの再現にはならんと思うがね」

「弓がなくとも馬は健在でしょう。それに実のところ、勝敗はどうでもいいのです」

「ほう?」

「貴方がいれば、あの方の意識は貴方一人に向けられる。それだけで――」

「勝てるってか?」

 ニクラスは肩をすくめた。

「どうでしょう。しかし随分と勝率が上がるのは間違いない」

「初めて会うってのに、えらく評価してもらってるな。俺があっさりやられたらどうするんだ?」

「別に倒してくれとは言っていません。ひたすら逃げ回ってくれてもかまいませんが」

 男が豪快な笑い声をあげた。


「いいぞ。面白え。だが妙だな。勝敗はどうでもいいってんなら、どうして模擬戦なんざを気にかける?」

 にやにやと、しかし瞳の奥は笑っていない視線で問われ、ニクラスは正直に答えた。

「わたしはでませんが、連れがでます。色々と大変だろうと思うので、苦労は少しでも減らしてやっておきたいというだけです」

「女の為か? なんだ。案外、安い男なんだな」

「わたしは安い男ですよ。友情を得難いものだと思っているくらいには」

 恥ずかしげもなくニクラスは告げた。

 ふうん、と目を細めた男が、

「――いいぜ」

「ありがとうございます」

「ただし、条件つきだ」

「なんでしょう」

 表情を動かさずにニクラスは訊ねた。


「まず、そのけったいな口調。それから、近づこうとしたらクソ真面目な護衛に止められること。どっちも今回だけにしてくれるってんなら、考えてやってもいい」

 男の脇に控える彼の護衛の二人が、いかにも不同意の視線を送ってくる。ニクラスは肩をすくめた。

「わかりました。護衛の方にはそう伝えておきます」

「おう。安心しろって、乳繰り合ってるところに顔を出そうとは思わねえからよ。それくらいの礼儀はわきまえてるさ」

「そうしてください」

「ふん。もう一方は?」

 ニクラスは薄く笑う。

「そちらについては、模擬戦の後になってからのことでしょう。報酬というのも、依頼の前と後に分けられるものでしょうから」

「抜け目がねえな。まあいい。わかったよ」

 あっさりと承諾して男は去っていった。


「……よろしいのですか。ニクラス様。腕は立つようですが、あのような」

 低く唸るように諌言してくる従士に、ニクラスは小さく頭を振った。

「色々な人間がいるな。まあ、面白そうな人物ではあった。止めてもどうせ無理やりにやってきそうだ。別にかまわないだろう」

 不服そうに沈黙する相手に笑いかけて、ニクラスはすぐに表情をおさめた。

「それよりも、模擬戦だ。皇女殿下のお話だと色々ときなくさい動きがあるらしい。開校一ヶ月記念の歓宴会が、一つの区切りだろうな。また仕掛けてくるだろう。今度は好きにさせるな」

「……はっ」

「余所での政治遊戯なら好きにしてくれと言いたいところだが、こっちまで巻き込むつもりなら相応のことはやらせてもらう。この間のようなことは二度はないぞ」

「はっ」

 恐縮したように頭を下げる。


 ニクラスは手を振って従士を下げさせた。命に従って下がる前、ヨウと呼ばれる怜悧な若者が主人に問いかけた。

「……あの方の為ですか?」

 ちらりと相手を見やって、ニクラスは低く哂った。告げる。

「自分の為に決まってるだろう」

 どこまでも醒めた表情の一瞥に、直視に耐えぬといった態で若い従士は頭を下げる。そのまま、逃げるように目の前から去った。



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