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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
樹霊の賛々歌
23/46

 馬を走らせてボノクスの陣地に向かい、哨兵よろしく騎乗で目を見張らせる二名に使いであることを伝えると、二人はすぐに奥へと通された。

 数名が組となり、さらに隊となって集合している様子を横目に歩く。整然としているのではないが、自然とした錬度のよさが見て取れた。集合する形態がツヴァイのそれと違うのは、彼らが遊牧民の出であるからだった。


 案内された場所には、幕も傘もない。全体を覆う敷き布もなく、各自が地べたに布を敷いていた。それが騎乗の鞍にもそのまま使われるものであることに、クリスは気づいた。

「今日のこの場で追い狩りとは、また」

 集団の中央に鎮座するように数名が片膝を立てて座る、その一人が言った。

「ツヴァイの方々は面白いことを考えられますね」

 丁寧に揶揄するようなベディクトゥの言葉を受けて、ニクラスはにこりとして言った。

「今日は日も良く、せっかく遠出に来たことだから、のびのびと馬を駆られることがあってもよいだろうと。そういったお考えです」


 先日、中庭で昼食を供にしていた時のような和やかな雰囲気は互いにない。油断のない表情で、二人の男は視線をあわせていた。

「なるほど。しかしそれで物追いとは、少々。我々がどういった生まれであるか、そちらもお知りにならないわけではないでしょう」

「もちろん、皇女殿下におかれましては、ボノクスの妙技を披露していただけたら嬉しい、と。是非にとのことです」

「それは嬉しいお言葉ではありますが――」

 あるいは当然のことか、ベディクトゥは慎重だった。あまりに迎合した敵方からの誘いに罠の存在を疑っているのか、それともその態度からしてからが一つの交渉になっているのか。

 クリスとしては、ニクラスがあまりに素直な物言いに終始していることが気にかかった。相手を挑発しろとも、悪辣な台詞で言いくるめろと言うのでもないが、訥々としていて、特に相手を説得しようという熱意が見えない。


「――あの男は来ているか」

 それまでニクラスとベディクトゥのやりとりをつまらなそうに聞いていた女が言った。ジル・スムクライ。深い褐色の肌に野生的な美貌の主を見やり、ニクラスはゆっくりと首を横に振った。

「今日はまだ、姿を見かけてはおりません。何分、気まぐれな性格で」

 会ったこともない相手のことを、さも知っているように話す。クリスは眉をひそめそうになるのをこらえた。

「なら帰れ。弱い輩を相手にして乗る興もない」

 はじめから相手を見下しきった発言だった。クリスが思わず言い返そうとする前に、ニクラスが言った。

「獲物を侮り、幸運の網にかかるのをただ待つのがボノクスの流儀ですか」


 一転して冷ややかになった声に呼応するように、周囲の気配が変わる。針の如くそれを受けながら、続けた。

「何かを求めるなら、それを追っていぶりだす。それこそが遥か昔から連綿として続くボノクスの生き様であると、そう考えておりました。あるいはそうでないということがわかったのなら、それだけで収穫ではありますが」

 じっとニクラスを見つめた女性が、面白くもなさそうに息を吐いた。

「安い挑発だな」

「恐れ入ります」

「その程度の言葉で、我が意を変えると思うか?」

「とんでもありません」

 ニクラスが言った。

「しかしながら、先日、駿馬の輝きを見せていただけるというお言葉を頂きました。せっかくの機会、楽しみにしたいという個人的な思いもあります」

 胸に手をあてて頭を下げる。

 それを胡乱に見て、ボノクスの女性は鼻を鳴らした。

「お前を相手にする時は、一言もなく喉元に刃を突き立てるのがよさそうだ。何を思い出させられるかわからん」

 返された言葉に含まれる意味に、わずかに周囲がざわめいた。


「……よかろう。それほど我らが弓腕を味わいたいというのなら、見せてやろう。いずれ戦場で、今日の記憶と共にその恐怖を思い出すようにな」

「ジル様、お待ちください」

 ベディクトゥが言うが、翻意する気配はない。苦い表情でベディクトゥがニクラスを睨むように見やった。ニクラスが平然として笑うと、呆れたようにやれやれと首を振る。苦笑を浮かべていた。

「では、恐れ入りますが、一度あちらまでお集まりいただけますか。せっかくの余興、一同に会してお楽しみになりたいと皇女殿下のお考えです」

「好きにしろ」

 クリスはほっと息を吐いた。ともかく、ニクラスは使者としての務めを果たしたことになる。踵を返して去ろうとした背後に冷淡な声が言った。

「こうまで煽ってみせたからには、自分の吐いた言葉がどういう始末になるか、忘れるなよ。こちらの馬はそのあたりの駄馬とは違う。尻も振らんし、忘れもせん」

 ニクラスは頭を下げた。表情はあえてそうしているような無表情だった。


「――最初からあの男ではなく、スムクライにかけあうつもりだったのだな」

 帰り際にクリスが訊ねると、ニクラスは頷いて、言った。

「この間の中庭での様子を見れば、あの二人の関係はわかる。だから、三番目がいるかどうかが心配だったけど――思ったより素直な人でよかった。その分、あとが怖いが」

 素直。首を捻りながら、そのことよりも気になることがあったので、そちらを訊ねる。

「あとが怖いとは?」

「……怒ってはいないか?」

 意味がわからずに、クリスは首を振った。

「いや、ならいいんだ。あの怖そうな相手に目をつけられてしまったってだけさ」

 鬱陶しそうに息を吐く男を見やって、クリスはもう一つ思い出した。

「ケッセルト・カザロについては、どういうことだ。会ったことはないのだろう」

「ああ。けど、クリスティナ。君が好きになれそうにないってことは、そういう男なんだろう?」

 ニクラスはこともなげに言った。


 なるほど、と頷きそうになって、なんとなくそれを癪に感じ、クリスは半眼をつくった。

「いい加減、そのクリスティナというのはやめろ。クリスと呼べと言っている」

「苦手なんだ。他人を愛称で呼ぶのは」

「意味がわからん」

 言いながら、内心ではそう悪い気分ではない。

 男が自分の人に対する好き嫌いを知ってくれているということが嬉しかったからだった。そして当然の如く、そんな気分を素直に口にする彼女でもなかった。



 追い狩りは、まず大勢が森に散って獲物を見つけ出すことから始められる。

 借り出された従者や下男が狩子となって一定の間隔を保ちながら、網をはるように進んで獲物となる小動物達を一定の方向へ追い立てていく。音を鳴らし、声を張り上げ、怯えた獲物が森から草原に飛び出ると、すかさず大旗がふられた。

 待機していた参加者が、合図を見て一斉に馬を走らせる。本来の追い狩りでは、全員が協力して獲物を誘導、最後まで追い詰めるが、特に今回は対抗競技という形式である為、ここからが最も重要な見せ場だった。

 疾走する騎馬とその乗り手に、丘の上から見守る観衆の歓声が降った。

 各国から選抜された彼らは手に得物を携えている。その種類は弓、短槍、投げ縄と様々だが、やはり中でも弓を選ぶ騎手が最も多かった。


 草原中央に向かって逃げるのは、一匹のカウディだった。水陸各地に生息する小型の草食動物で、敏捷さに優れて決して容易い獲物ではない。

 見晴らしのよい場所に追い立てられたカウディが、己が立場に戸惑うように立ち止まる。短い体毛から覗いたつぶらな瞳に、遠くから騎手達が殺到する光景が映りこんだ。

 跳ねるように飛び上がり、カウディが逃げる。

 馬が追う。いくら手に遠距離用の武器があろうが、小さな対象物、しかもすばしこく地を駆けるものに命中させるのは至難である。誰がはじめに獲物を狩るかという勝負はつまり、如何に近く適した距離まで差を詰められるかにかかっていた。

 獲物に追いつくというだけなら、決して難しくはない。馬とそれではまず一足の歩幅が異なる。肉食動物に追われて生きることを宿命づけられた、カウディは大変持久力に富んだ生き物ではあるが、騎手と同様、選び抜かれた血統の馬なら脚に十分な余力を残したままでも追跡は容易だった。


 しかし、獲物を追うのは一人ではなかった。左右に走る競争者を牽制し、あるいは出し抜く必要がある。獲物を狙うのにも位置取りというものがある。獲物の背後、あるいはそれに近しい角度から、対象を軸線上に捉えて放つのがもっとも的中率が高い。長く追えば追うほど、獲物の動きが鈍くなるということも事実だった。

 誰が仕掛けるか。先手は当然有効だが、一人が仕掛けて獲物が反応する、そこにつけこむということもできる。


 もちろん、手柄は最初に獲物を刺し貫いた者にのみ与えられる。


 牽制と誘導。獲物へ向かう集団の先頭を競いながら、手綱を微妙に操った駆け引きが繰り広げられつつあった、その彼らの隙間を縫うように、一本の矢が疾空した。

 複数の人と馬が入り乱れる、そのわずかな間隙を走った矢は真っ直ぐに、そのまま獲物の身体を貫いた。浅い角度で縫いつけられる。小動物とはいえ、貫通してなお地に突き刺さる威力には相当なものがあった。

 あっけない幕切れに呆然と、息絶えたカウディに近寄った参加者達が背後を振り返る。

 そこには東に住む遊牧民の騎者が、つまらなそうに射勢の構えを見せていた。



「児戯だな」

 独白のような声が、その場に響いた。

 大学に在籍する最重要人物の面々が集まった空間だった。ツヴァイ帝国皇女アンヘリタ・スキラシュタ。ナトリア公国公女クーヴァリイン・ナトリア。その他にも水陸各国の高級貴族、その子女達が顔を揃えており、彼らは余興の行われる草原を眼下に広げて最もよい一角に座していた。

 先の発言者は居並ぶ人々の中でも特に注目度の高い人物である。東の大国ボノクスを主導する一族、スムクライの名を冠する女性は、己の言葉を周囲に取り繕う様子もなく、あくまで冷ややかだった。


「そうでもあるまい」

 と言ったのはアンヘリタである。熱心な水天教信者から煙る美貌と謳われる大帝国の姫君は、悪意の含んだ台詞に和やかな表情で笑った。

「あれだけ見事に仕留めておいて、謙遜とは面映い。もっと堂々と胸を張ればよいではないか」

 曲解して返されたボノクスの姫がちらりと眼差しを向ける。鋭い視線を、アンヘリタは余裕のある微笑で受け流した。

「さすがボノクスの方々は、本当にお馬がお上手なのですね」

 両者の視線に火花が散らないうちに、クーヴァリインが横から口をはさんだ。アンヘリタと異なる高貴な雰囲気の彼女もまた、表情にはまったく怯んだ様子はなかった。

 それぞれを等分に眺めて、スムクライのジルが一言もないまま顔をそらす。相手にしない、といった意思表示だが、アンヘリタとクーヴァリインの表情はまったく変わらなかった。


 冷たい言葉の刃が交わされた席上で、ニクラスはあまりの居心地の悪さにこっそりと息を吐き出した。無理にでも逃げ出したいところだったが、ボノクスの面々を引きずり出したのが彼である以上、連れてきて後は知らないと姿を隠すわけにもいかなかった。

 ニクラスの隣にはクリスが控えている。両者はアンヘリタの傍に腰を下ろし、そのニクラスを冷たい視線で撫でてジルが口を開いた。

「我らの腕前を知るのに、まだ不足か?」

 やはり、目をつけられてしまっている。うんざりとした心地で、ニクラスは表情に穏やかな賞賛の色を浮かべた。

「素晴らしいですね。あれほど小型でありながら、矢力にも優れる。単張りの弓ではとても馬上であのような取り回しは成し得ないでしょう」


「ほう」

 濃い肌の女性の目つきが細まる。

「弓が同じであれば他は違わないと言っているように聞こえるがな」

「まさか」

 ニクラスは穏やかに苦笑した。

「どのような道具であれ、結局は用いる者次第でしょう。日々の生活の中で培われた経験と、鍛錬が結果の全てです」

 相手を手放しに褒め称える言葉だが、正直な感想だった。ことさら遜っているつもりもない。

 草原に生きる人々の弓馬の達者さは、彼がアンヘリタ皇女に進言したとおり、ツヴァイの人間ではとても対抗しえないものだと認識していた。

 今、目の前で繰り広げられているものは、確かにスムクライの女性が言ったとおり、勝負のわかりきった催しだった。そして、そのことは企画したアンヘリタ皇女も理解している。

 多少、相手の気を良くさせてでも今後の社交に繋げる。政治的な意味合いがあるのだろうが、それはともかく圧倒的な差を見せつけられる人々が面白いはずもなかった。


 狩りはしばらく続いたが、獲物は常にボノクスの射手が先んじてその矢を身にえぐらせ、始めはその達者さに感嘆していた観衆勢も、次第に白けた雰囲気になっていた。

 多少、競ることすらないのであれば、盛り上がりようもない。

 遠出の余興どころか、遠出そのものの正否に大きな傷痕をつけてしまいかねない事態に、ニクラスも多少心配になってきたところで、退屈げにしていた相手が立ち上がった。

「さて、そろそろいい頃合か」

「おや。まだ催しは途中だが、如何した?」

「少しばかり場を冷やしてしまったようだ。よい見世物があれば、観客にも沸きようはあるだろう」

 アンヘリタの問いかけにそっけなく、近侍の者から弓から受け取るジルの姿を見て、さすがにアンヘリタが軽く目を瞬かせた。

「ボノクスの姫が、自ら弓馬を駆るというか」

「文句はあるまい。――ニクラス・クライストフ。つきあってもらうぞ」


 ――そう来たか。 

 射るような眼差しを向けられて、ニクラスは胸中でげんなりとした。

「先ほど、こちらの馬の具合を見てみたいと言っていたな。近くで共に駆れば、嫌でもその違いがわかるだろう」

 ニクラスは投げかけられた言葉に返す前に、念のために皇女の表情を盗み見た。そこにあったのは予想していたものだった。

 口元を隠し、瞳だけがひどく楽しげに笑っている。

 乗馬を得意にもしていないニクラスが、追い狩りでボノクスの者を相手にできるはずがない。ニクラスの腕前は知らずとも、ボノクスの女性には自分の腕に絶対の自信があるのだろうし、小賢しい駆け引きで自分達を引き出してきた男を笑い者にしようという魂胆だろう。

 そして、アンヘリタ皇女の表情もそれを了承している。あるいは、先日の講義のようにニクラスが弁舌をもって場を切り抜けるのを楽しみにしているようでもあったが、わざわざそんなことで相手を楽しませるつもりはニクラスにはなかった。

 さっきの一件でこれから事あるごとに目の敵にされるというのなら、いっそのことしたたかに打ちのめされ、笑われて馬鹿にされた挙句、関係を清算しておきたいところだった。


 嫌々ながら、承諾の為にニクラスが口を開きかけ、

「――そのお誘い、私に受けさせて頂けませんでしょうか」 

 その彼の返答に被さるように、隣からの声がそれを遮った。

 ぎょっとしてニクラスが見る。真っ直ぐな眼差しをスムクライの女性に向けたクリスが挑むような表情で相手を見上げていた。

「ほう?」

「クリスティナ・アルスタと申します。武門の家に生まれた者として、ボノクスの方々の操る騎馬には子どもの頃から話を耳にしてまいりました。是非、その手練の程をこの目で間近に見聞させて頂きたいのです」

「おい、クリス――」

 友人の突然の申し出を、ニクラスは慌てて制止しようとした。

 彼が乗馬の不得手を露見し、周囲から笑われるのはいい。帝国宰相の実子とはいえ、クライストフは文官の家であり、ニクラス個人の評判も決して良いものではないからだった。


 しかし、クリスの場合はそうではない。

 女性とはいえ、ツヴァイを代表する武門の家の一つ。その家の人間が、例え余興とはいえ、他国との争いで勝敗をつけられるというのは、個人の問題では終わらない。下手をすれば、せっかく復帰したばかりの社交界で再び端に追いやられる事態もありえた。

「アルスタか。……彼我を思い知らせるのにはそれも一興だな」

 スムクライの姫が冷笑を浮かべる。

「よかろう。駿馬と駄馬の差を、直接その目に見せつけてやろう。供を許す」

「ありがたく承ります」

 二人の間で話が進み、そのまま両者が自分の乗り馬へ向かっていく。


 唖然としてそれを見送りかけて、ニクラスは急いで友人の後を追い、その肩を掴んで引き止めた。

「クリスティナ、待て。君が悪評を被る必要はないだろう」

「悪評? なんのことだ」

 振り返ったクリスが眉をひそめる。

「俺が出ればそれで済むだけだ。どうして君が代わりに」

「決まっている」

 当然という表情で、クリスは言った。

「言っただろう、私がお前の剣になると。……安心しろ、恥をかかせはしない。もちろん、自分の家名にもな」

 その双眸は気負うのではなく、自然な気概が強く輝きを灯していた。




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