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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
樹霊の賛々歌
21/46

 水陸中の学者、各国の貴族子女が集められた大学が開かれ、来週ではや一月になろうとして、ニクラス・クライストフの奇矯な性格は既に大学中の知るところとなっている。


 人気のある戦史や剣練の講座にはまるで顔を出さず、偏屈な職人が黙々と作業を行っているだけの教室で時間を潰し、そうでない時には図書館に篭って本を読みふける。一国の重要人物でありながら従士も連れず、徒党を組もうともしない態度には、同国他国問わず奇異の視線が向けられていた。

 彼が学内でよく語っているのは名もなければ門地も持たない職工上がりであり、時にその相手は他国の人間になることもあった。大学に集められた各国の学生達が同国同士の派閥をつくっている中、平然と余所の出身者と会話をしている姿に集まる非難の目も決して少なくない。

 そうした視線は、ニクラスと行動を供にしている人物にも当然のように向けられた。


 クリスティナ・アルスタ。古くから続く名門でありながら、長く社交の本流から離れていたアルスタ家には、人脈と呼べる下地が極端に不足していた。そこに、その中央社交への復帰に一声あったという宰相家の次息に令嬢が接近しているとなれば、目撃した人物がよほどの聖人か愚鈍な感性の持ち主でない限り、下種な勘繰りをしないという方が無理な話ではある。

 クリス自身、やはりそういった意味あいの視線をわかった上で、気にしないよう努めていた。大学開講の後、初めての歓宴会から数日。あの夜に交わされた会話から、彼女はこの風変わりな男との間にどういった関係性を築いていくか心に決めている。

 しかし、その彼女も男の奔放な振る舞いにはいまだに慣れないところがあった。


 クリスは精力的に剣錬や軍術の講座に学んだ。アルスタ家の人間として、水陸中の高名な講師を集めた大学で学べる機会を得た以上、生真面目な性格の彼女がそれを無駄にできるはずがなかった。一般的な名家の令嬢達が好む内容とは異なるが、彼女の嗜好は自然とそうした方向性に限られていた。

 各国の様々な風習、価値観が入り乱れる学内において、女性という立場には微妙なところがある。女だてらに剣を振る姿に顔をしかめる者もいたが、しかし彼女の剣の腕は並の男達と比べても全く遜色なかった。無論、純粋な力という意味では体格的に不利ではある。幼くから鍛えてきた修練の賜物であった。


 その日も男達にまじって剣を振るってきたクリスは、汗を拭き、服装を替えてから中庭へと足を向けた。ちょうど昼食頃になっており、彼女の知り合いがそこにいるだろうと今までの経験から考えたのだった。

 彼女の予測は当たっていたが、わずかに目を見開いたのはそこに思いもしなかった大勢の姿を見たからだった。そこにいる顔ぶれに気づいてさらに顔をしかめる。彼女の知り合いと輪をつくるようにして囲んでいるのは、ツヴァイの最も近しい敵対国といえる一団だった。


「ああ、これは」

 日に焼けてはいるが、つくりとしては繊細な顔立ちの男がクリスに気づいた。立ち上がる男に、クリスは儀礼的な笑顔が遅れてしまう。先日のあまりよくない邂逅の記憶が頭に残っていた。

 東の大国ボノクスを主導する四氏族の一つ、アシアセレのベディクトゥは、その時の禍根など微塵も感じさせない表情でクリスに微笑みかけていた。立ち上がって彼女の席をつくり、差し伸べられた先には、彼女の知る人物がいつもの表情で座っていた。

「こんにちは、クリスティナ」

 平然とした挨拶に、ぴくりとこめかみを蠢かせる。男の顔を見下ろせばたちまちにして怒る気も失せ、クリスはせめてもの意趣返しにと相手から向けられた挨拶を無視して隣に腰を下ろした。


「よろしければ」

 ベディクトゥから敷き布を手渡される。繊細な刺繍で手織られた品は、ボノクスとの交易で仕入れられる一級工芸のそれだった。受け取ってから、クリスが窺うようにニクラスを見ると、男の尻の下にはすでに同じものが敷かれていた。

「……ありがとうございます」

「いえ。こちらでは地座の習慣はおありではないでしょう。私も、まさかこのような機会があるとは思ってはいませんでしたが」

 ベディクトゥが苦笑して言った。あいまいに頷き、クリスは問うような半眼をニクラスに向けた。小声で囁く。

「どういうことだ。これは」

「約束してたんだ。今度お昼でもって。それで、向こうの食事を用意してくれたらしい」

 そういえば、とクリスは思い出す。先日の歓宴会で、ニクラスとベディクトゥは確かにそういった会話のやりとりを行っていた。その場の社交辞令のようなものだとばかり考えていたが、それが実現したとしても何も悪いことではない。

 問題は、中庭の一角に陣取る面々をその周囲から冷ややかな視線が取り囲んでいることだった。場にはクリスとニクラス、ベディクトゥと十名からの人の姿がある。その全てが恐らくアシアセレに縁のある人々だった。


 ツヴァイと水陸の覇を競うボノクスの集まりに、ツヴァイ国宰相の次息が場もわきまえずに参加している。注目を浴びないはずがなかった。あるいはそれを狙っての嫌がらせの類かととクリスは眼差しを険しくしたが、その隣の人物は飄々としたものだった。

「向こうの食事か。どんなものだろうな」

 思わず頭痛を感じたクリスに、食事の仕度に励む一人から平皿が手渡される。濃い色肌の女性が差し出したそれには揚げ練り物や、細切りの各菜を薄皮で包んだものが並んでいた。

 受け取ったそれを微妙な表情で見おろして、結局のところクリスは沸き起こる感情の全てをまとめてため息に転換した。

「食べないのか?」

「うるさい」

 さっそく口に運んでいる男を睨みつけ、ちらりと手元へ視線を落とす。周囲でもすでに食事が始まっている。布敷きを下にしてとはいえ、大勢が地べたに座って食事を囲んでいる様子は、ツヴァイの一般的な貴族としての思考を持つ彼女にはやはり異質なものだった。


 さらには同国のものも含む奇異の視線にまで晒され、食欲など沸くはずもない。かといって饗された食事に手をつけないわけにもいかず、彼女は観念して一個の揚げものを掴んだ。

 口に放り込むと、馴染みのない風味が広がる。意外に水気のある歯応えと、覚えのない珍しい香草の匂いが停滞していた食欲を刺激した。嚥下して、自然と次の一口が進んでいる。

「香りが変わってる。けど、美味いな」

 ニクラスが同意を求めてくるのに、クリスも素直に頷いた。

「向こうでは、第一に保存性が好まれると聞いたが……味付けも思ったほどに濃くはない」

「それは私もはじめてこちらの食事を食べて思いました」

 二人の近くに座ったベディクトゥが言った。


「主菜そのものについては、聞いていたよりよほど違和感がありませんでした。塩気の差でいえば、汁物のほうにより違いがあるようですね」

「あとは油も。強味を抑える効果があると本で読んだ覚えがありますが」

「なるほど。こちらとは使い方が違うのでしたか」

 気のあった風に語り合う二人を、クリスはなんともいえない表情で見守った。敵国同士だというのに、他の貴族連中よりよほど馬があうように思える。あれほどの舌戦をかわしあった間だというのに、両者には遺恨などまるで残ってはいないようだった。

「ああ――、こちらです」

 ふと顔をあげたベディクトゥが、遠くの人影に向かって声をかけた。つられるようにそちらを見て、クリスは思わず渋面をつくった。


 複数の供を連れ、大胆な衣装を巻いた褐色の優美な女性が醒めた表情で歩いてきていた。中庭に集う一同を見渡して、呆れたように言う。

「わざわざこんなところに呼び出したかと思えば、いったいこれは何の戯れだ」

「昼食です。よろしければどうぞ、ご紹介したい方もいます」

 ベディクトゥが言った。女性の視線がぶしつけにクリスを撫で、すぐに隣に向けられた。

「ベディクトゥをペテンにかけたというのはお前か」

 率直な台詞に、ニクラスばかりでなく当のベディクトゥまでが苦笑を浮かべた。


 平皿を置いたニクラスが胸に手をあてて礼をする。

「ニクラス・クライストフです」

「――ジル。スムクライだ」

 クリスは驚きを隠せなかった。先日の夜会では、女性が名乗らなかったことはもちろん忘れていない。

 ボノクスの四氏族の一つ、スムクライの姓を持つ女性は無言でニクラスを見やり、その場に腰を下ろした。ニクラスの対面に片膝をたててあぐらをかき、露骨な視線は向けたままそらしていない。

「ケッセルトという男を知っているか」

 と彼女は言った。

「ケッセルト? ……我が国の方ですね。まだ面識はありませんが、噂でなら」

「お前とあの男、どちらが強い」

 女性の言葉はぶつ切りであり、意図が不明瞭だった。困ったように笑ってニクラスが訊ねる。

「どういった意味のお言葉でしょう」

「いずれ殺す相手だ。どちらが困難な仕業か、知っておきたい」


「ジル様――」

 さすがに毛色ばんだ様子でベディクトゥが口を挟むが、女性は反応しない。眉を吊り上げかけたクリスには、ちらりとニクラスから視線が送られた。落ち着くように、と語りかける冷静な瞳のまま、平静な口調で応える。

「人一人殺すなら砂海の只中に放り出すだけですみます。男を殺すのには、美味い食事があれば事足りる。あるいは駿馬の放つ輝きはそれだけで見た者を虜にすることも可能でしょう」

 男の答えを聞いてしばらく瞳の奥を見つめるようにしてから、女性はふんと鼻を鳴らした。ベディクトゥに横目を流して問いかける。

「これがお前の認めた相手か。ベディクトゥ」

「……習うところのある人物だと思います、大いに」

「お前のかぶれた振る舞いは好かん」


 同郷の男に対して、女性は言い放った。

「しかし、これは確かにお前の領分か。学ぶからには殺し尽くしてみせるのだろうな」

「そのつもりです」

 ベディクトゥは応じた。クリスは絶句したが、その隣のニクラスは当然とばかりに、表情に変化はない。

 二人の男を見比べ、それからちらりとクリスに視線を転じて、女性は薄い笑みを浮かべた。好意の欠落した眼差しに、クリスも負けじと睨み返す。すぐに視線を外した女性がもう一度笑った。立ち上がる。

「ニクラスだったか。覚えておく――馬には乗るか」

「一通りにでしたら」

「ならば今度、遠出につきあえ。いかに巧みに囀ってみせても、容易く馬に放り投げられるような男ではたかが知れる。本物の駿馬というものが、こちらのものと如何に輝きが違うかも見せつけておかねばな」


 傲然と告げて去っていく後ろ姿を見送ったニクラスが息を吐いた。

「……なんというか、凄い人ですね」

「申し訳ありません。どうにも難しい気性のある方でして」

 ため息まじりに言う、ベディクトゥの表情には嘘ではない素直な気分があらわれていた。興味深げに見やったニクラスが訊ねる。

「スムクライといえば高名ですが、あの方はやはり?」

「はい。直系筋にあたります。いずれ我々を統べることになるお方です」

 クリスは再び驚く。男の言葉を信じるなら、ツヴァイとは公然とした敵国関係にあるボノクス、その主導する四氏族の二人までがここに出向いてきていることになる。それもまさか、本家直系の相手とはさすがに思っていなかった。


「なるほど」

 頷き、ニクラスはそれだけで相手への興味を失ったかのように、手元の平皿に視線を移した。

「ところで、これは小麦の練りもののように思えますが、周りにまぶされているのはいったいなんでしょうか」

「ああ。それは――」

 答えながら、男の切り替えの早さにさすがにベディクトゥも困惑した様子だった。異国の相手より少しだけ男の性分を深く知るクリスだったが、それを誇る気にもなれず、黙って手元の料理に齧りついた。



 昼食を終えたニクラスが図書館へ向かうというので、次の予定がないクリスもそれに付き合ことになった。

「そういえば、イシク先生がお礼を言ってた」

「お礼?」

「石炭のことで。今度、また工房に遊びに来て欲しいと――まあ、若い女性に会いたいだけだろうけど。先生は君のことを気に入ってたから」

「父の決めたことだ。私は関わっていない。……嬉しいが、私のようなものがそう度々訪ねてよいものなのか」

 ニクラスは不思議そうに眉をあげた。

「かまわないだろう。先生も喜ぶ」

 彼女がためらう理由に気づいていないはずもなく、そんな表情をしてみせる。それがどういった意図なのか、それとも深く考えていないだけなのか、クリスには判断がつかなかった。


 ふと、前方から見知った顔のある一団が歩いてくるのに気づいて足を止める。遠くからでも人目を引く、大勢を連れて歩く豪奢な人物はツヴァイ皇女アンヘリタその人だった。

「見ておったぞ」

 脇に下がった二人の前で立ち止まり、からかうような表情で言う。

「楽しそうなことをしていたではないか。顔を出したかったのだが、さすがに止められてしまってな」

 当然だ、と言いたげに後ろに控える人々が表情を浮かべるのに、彼らと全く同じ思いをクリスも抱いた。ボノクスの集まりにツヴァイ皇女が現れなどしたら、いったいどのような騒ぎになるか知れたものではない。


「食事を馳走になりましたが、なかなか趣のあるものでした」

「ほう。それは興味深い。次の機会があれば、その時には呼んで欲しいものだが――」

 ちらりと後ろを振り返り、肩をすくめる。

「どうもやめておいたほうがよさそうだ」

 ニクラスとクリスは礼儀をたもち、無言で頭をさげるに留めた。

 豊かに映える金髪を触り、アンヘリタがため息をつく。

「全く。自国の領内で、こうもぞろぞろとひきつれていては他国に小心を笑われるだけというのに。――そういえば、場にはあちらの姫の姿もあったようだが?」

 皇女の目敏さに、苦笑してニクラスが答えた。

「はい。少し会話をしただけですが、迫力のある方でした」

 アンヘリタは可笑しそうに笑った。

「迫力か。また面白そうな表現を使う。いったいどんな会話を楽しんだものやら」

「今度、馬で遠出にでもと誘われました。やはり、相応には扱いに自信がおありなのでしょう」


「ふむ。馬。馬か」

 形のよい顎を持ち上げ、そのまま考えこむように沈黙した皇女の後ろから、侍女が何事かを囁いた。

「ああ、そうだな。ひきとめてすまなかった。ではな。クリスティナ、今度はこちらの茶会にも出てもらうぞ。何度も袖にされてはさすがに悲しい」

「は」

 軽く手を振った皇女が歩き出す。頭を下げて待ち、十分に気配が離れたところで顔をあげたクリスは、隣に立つ男が苦い顔になっていることに気づいた。

「失敗だった」

 遠くに去る姿を見送りながら、呻く。

「なんのことだ?」

「いや、今の皇女殿下の顔を見てたら嫌な予感が。暇に飽かして、やっかいなことを企んだりしなければいいんだけどな……」

 考えすぎだろう、とその場は軽く受け流したクリスだったが、すぐにその台詞を実感として思い出すことになった。


 質のよい透き紙を使った手紙が大学に通う多くの学生それぞれの宅に届けられたのは、その日の夜のことである。差名はツヴァイ帝国皇女アンヘリタ。用向きは、天気もよいので皆で遠出にでもいこうと思う、とあった。



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