表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
悪魔の伏戯場
17/46

 大学開講から十日目の夜、学内の大講堂において催された歓宴会は壮大なものだった。

 主催はツヴァイ帝国アンヘリタ・スキラシュタ皇女。あくまで学生達の為の催しであったが、皇族の名を冠したものである以上、そこにはホストたるツヴァイの面目がかかっていた。


 講堂全体がきらびやかな飾りを施され、無数に並ぶ食膳の料理は皇族専属の調理人をはじめ熟練の技を振るった。腕利きの職人が組み上げた中央の噴水にはヴァルガードの豊富な水源がひかれており、天然の冷蔵に万彩の果実が山と積み上げられている。

 アンヘリタ皇女が短い挨拶に立った舞台上、その裏側では劇団が各国それぞれの音容を奏で、いたる所に活けられた花木の香りが室内に芳しかった。こもりがちな熱気は天蓋に開かれた窓から吸い出され、かわって吹き抜けから新鮮な空気が給されている。ゆるやかな風を受けた灯火が揺れ彷徨い、それが一層、幻想的な雰囲気の演出となっていた。


 常人が垣間見ようものなら目も眩む程に輝かしいその場の只中で、参加者の一人であるクリスは息が詰まる思いを覚えていた。心証の問題ではなく、実際に彼女の胸部にはきつく強制具が巻かれて深い呼吸を阻害していた。

「……お加減は大丈夫ですか」

 隣を歩く彼女の様子を窺い、ニクラスは声をかけた。

「平気です。申し訳ありません」

 クリスは微笑んだ。内心で、ファビオラめ、気合を入れすぎだと悪態をついておく。強制具の縛り紐は、あきらかに普段以上のところで留められていた。


 ニクラスがアルスタ家を訪れたのは夜会の開催時間に間に合うぎりぎりの頃合だった。晩餐前の社交も夜会の重要な一部だから、礼儀としては余裕をもっておくべきだろう。男が遅れた理由を急用かなにかかとクリスは思ったが、そうではないことを会場について理解した。

 案内役の者に連れられ、講堂に足を踏み入れた瞬間、二人は多くの者にとり囲まれた。


 それぞれ一級品の仕立てに着飾った子息令嬢が我先にと声をかけてくる。某国の誰それ、何々家の云々と挨拶を受け、クリスはそれに応えるだけで精一杯だった。

「ニクラス様、先日の講座を拝見いたしました。素晴らしかったですね」

「ありがとうございます」

 彼女の隣に立つ男は、悠然として不足ない受け答えを返している。いつもの容易に奥底まで見通せない表情に、今は口元へ微笑を浮かべていた。


 いかにも手馴れた様子の男の隣で、クリスは自分の相手に辟易した。

 もはや名前も覚えていない子女の一人から矢継ぎ早に話題が繰り出される。一気呵成と畳み掛ける勢いを捌ききれずに閉口するばかりだった。これが剣術ならクリスにも腕に覚えがある。突き、引き、叩く、どのような剣筋にも対応できる自信があった。しかし社交場での会話となればそれはまったく異なる。つまりは経験不足に尽きた。

 二人を囲む人の輪は開宴の口上が始まるまで途切れることがなかった。壇上でアンヘリタ皇女が挨拶をする間、ようやく一息つける気分でクリスは細長い嘆息を吐いた。深く吐くことは強制具のせいでできずにいる。


 ニクラスの手がクリスをひいた。見上げる彼女に透明な視線を向け、男はそのまま壇上の挨拶に見入る集団から抜け出した。囲みを抜け、壁際にまで辿ってから声をかける。

「ここならしばらくは大丈夫でしょう」

 言って、近くにある長椅子を目で指した。

「お座りになりますか?」

「いえ、大丈夫です」

 クリスは断った。まだ開演前から早々と腰を下ろしてしまっては、周囲の嘲笑の的となる。自分の無様はともかく、それで連れに恥をかかせるわけにはいかなかった。

「申し訳ありません。母と夜会に出向いたことは何度かあるのですが、急にあのような勢いに飲み込まれてしまうとは……」


 わかります、とニクラスは頷いた。

「開宴直前に来れば大丈夫かとも思ったのですが。さすがにあれ以上遅れては角が立つかと――事前にお伝えしておくべきでした。すみません」

 男はこれあることを予想していたのだった。

「……それで、遅く到着されたのですね」

「もう一つ。時間がある時にアンヘリタ様に捕まれば、壇上での挨拶を強制されてしまいそうな気がして。これは、ただの予感ですが」

「なるほど」

 クリスは嘆息した。相手への感心と、いかに自分がこうしたものに不慣れであるか改めて痛感したのだった。


「やはり、わたし以外の者に同伴を頼むべきでした。申し訳ありません」

 謝意を示した男の表情を見やって、クリスは決意を固めた眼差しで答えた。

「いえ。私もこれから、アルスタの者として幾度も立たねばならぬ場ですから。よい経験をさせて頂き、感謝しています。不肖の身ではありますが、どうかお付き合いさせてください」

 社交に出かけるというよりは、戦場に赴く武人の表情だった。いや、恐らくその通りなのだとニクラスは思い出す。迎えに行った際、彼女の見送りに出たアルスタ家人は頭をさげた。その残した台詞が脳裏に残っている。――ご武運をお祈りしております、お嬢様。実にらしい言葉だった。

「……やや厳しい戦場かもしれませんが」

 問う言葉に応える瞳には不屈の輝きがあった。

「望むところです。初めてから埒外の勝利をなど大それたことは思っておりません」

「生きて帰れ、再起あり。ですか」

 ニクラスが言った。クリスは微笑んだ。

「誤った言葉が広まってしまっていると、父は顔をしかめていました。生きて帰せと。そう訓示したつもりなのだがと聞いています」


 名将バルガ・アルスタの武勇談として伝わる言葉だった。後背を突かれ、危機に陥ったツヴァイ軍を叱咤し、殿軍を引き受けて撤退を成功させた際に残した言葉として知られる。

「お会いできるのが楽しみです」

「父もそのようなことを申しておりました」

 ニクラスは一瞬、微妙な表情になった後、クリスの何の含みもない顔色を見て笑った。

「何か?」

「いいえ。それでは、参りましょうか。ひとまずアンヘリタ様へのご挨拶に伺おうと思います。周辺、様々と人はおりますが、さっきのような事態にはならないでしょう」

 大学に参加する大勢の中で、特に上流貴族と呼ばれる人々の集団に出向くということだった。緊張の面持ちでクリスは頷いた。

「――わかりました」

「全て聞こうとする必要はありません。相手は棒藁か何かだと思ってください。会話の最初と最後、その時の相手の視線に気をつけていれば大体、相手の言い分は把握できるものです。専門的な話についてはわたしか、アンヘリタ様が手助けしてくださるはずです」

「はい」

 会場に拍手が生まれた。皇女の挨拶が終わり、その手に透明な器を掲げている。近くを通りかかった給仕からそれぞれ杯を受け取ると、高らかな乾杯の唱和が講内に響いた。



 壇上から降りたアンヘリタは、既に幾人かの輪に囲まれている。壁際に沿って二人がそちらに向かう途中、その姿を見つけた皇女から茶目のある微笑が送られてきた。

「おお、待っていたぞ」

 周囲の視線が二人を捉え、居並ぶ顔ぶれにクリスは内心で息を呑んだ。

 そこにいるのはまさに特別な人々だった。ツヴァイとその友好国の上級子弟、将来に国を治め、国を動かすことになることが確実であるとされ、社交に疎い彼女でも名を見知る者ばかりである。

「直接に話すのは初めてという者もいるだろうから、改めて紹介しよう。我が国一の変な家と、我が国の誇る剣の家の二人だ」

 悪意のない笑いが生まれた。

「ニクラス・クライストフです。皆様、よろしくお願いします」

 苦笑のニクラスが挨拶する。クリスも緊張の心中を覆い隠し、礼儀に則ってドレスの裾を持ち、腰を落とした。

「クリスティナ・アルスタです」


「どちらにいらっしゃるのかと、ここにいる皆様でお話をしていたところでしたよ、ニクラス様。クリスティナ様」

 黒髪を後ろに撫でつけた若者が爽やかな笑みで言った。男女からともに好まれる笑顔の若者はブライ・アソカットといい、帝国北方に位置するサシュナ地方の有力貴族である。

「この男、今日の会にも来るかどうか怪しくてな。もし現われなんだら、クライストフ家の屋敷に乗り込むつもりでいた」

 アンヘリタの軽口に、ブライが乗った。

「それはさすがの宰相閣下も驚かれることでしょうね。そのお顔を見るためにも、ぜひお供してみたかった」

 ニクラスがやんわりといなす。

「ここに居並ぶ皆様を急にもてなさなければならないと言われたら、父以上に、まず家の者達が倒れてしまいますね」

「確かに……それは考えただけでも恐ろしい。うちの者なら皆、逃げ出してしまうでしょう」

「ええ。ですからわたしと父で不慣れなお茶をお入れすることになりますが」 

「なるほど。いや、それでしたら逆に一杯の価値がありませんか」


 たちまち歓談の華が咲き、クリスはその輪に入れず取り残された。口元に微笑をたもちながら、同伴の男の滑らかな口調に呆れるような思いでいる。講座での一幕でもそうだったが、直前まであれだけ嫌がっておいて、一旦喋りだせば実に堂にいった態度をする男だった。

「――クリスティナ様」

 横合いからかけられた声に視線を向けたクリスは慌てた。

「ナトリアの……クーヴァリイン・ナトリア公女殿下」

「クーヴァリインと、どうぞ」

 たおやかな微笑を揺らし、相手は応えた。

 ツヴァイ西方の広大な地帯を治めるナトリア領は、元はツヴァイと並び立つほどの水陸の大国だった。それが内乱介入の形でツヴァイに属し、公国と名を変えてから既に日が長い。ナトリアの属国をもって、ツヴァイは水陸一の版図を築くに至ったのだった。

 クーヴァリイン・ナトリア、ナトリア公爵長女である。公爵の地位が示す通り、家格からいえばツヴァイでも最高位にあった。帝国で今現在、廃嫡せずに残る公爵家はベラウスギ公爵家など数少ない。

 その公爵家長女は予てより絶世の美貌を噂され、口に出すことは憚られつつもアンヘリタ皇女に比するとまで言われている。確かにそれほどのことはある、と同性ながら見惚れる思いでクリスは目の前の相手を見た。

 西方よりむしろ東方の民族色に近い濃い肌に、漆黒の髪艶が流れるように脇に落ち、深い知性を感じさせる双眸が柔らかい。見るものに華やかな気色を与えて止まないアンヘリタ皇女と異なり、思わず深いため息をつかせてしまう雰囲気の主だった。目も眩む美貌、という巷の噂は言い得て妙であり、面白い対比でもあった。一方では光に煙り、一方で闇に眩む。奇妙なようで腑に落ちる言い回しに思える。


「失礼いたしました。クリスティナ・アルスタと申します」

 慌てて挨拶を返すクリスに柔和な所作で、クーヴァリインは小首を傾げて言った。

「お噂はかねがね。クリスティナ様は、お酒を嗜まれますか?」

「は? いえ。申し訳ありません、私はあまり……」

 ほっと安堵の笑みを見せる。

「ああ、よかった。それでしたら」

 クリスが手渡されたのは半透明に透いた果汁の満ちた杯である。

「こちらで取れるヴィケの果汁なのですが、今年はとくによいものが出来て。誰彼かまわずお薦めしているところなのです。よろしければ、是非に」

「ありがとうございます。いただきます」

 押し抱くようにして受け取り、クリスは杯を口元に運んだ。よく冷やされた口に含んだ果汁が、鼻腔まで爽やかな香りで抜ける。自然と声が出た。

「――美味しいです。とても」

「よかった。お酒にまですると、どうも不評なようで。皆様、よく酔われるものが好まれるようなので寂しく思っていました」

 素直な喜びが溢れた表情に、クリスも心からの笑みになる。公女の笑顔には相手の緊張を蕩かす魅力があった。

「本当に、美味しいです。やはりナトリアの食べ物は風味が違うのですね」

「そうですね……こちらに参る際に、食べ物のことは少し心配でした。そのことで父や、皇女殿下にもお心配り頂いて。今日の宴会にも、故郷の料理まで」

「主催として当然のことだ」

 場を移してきたアンヘリタが会話に参加した。


「今回の企みだけは、好きにしてよいと言われていたからな。半年前から色々と練りに練ったのだ。あの中央の大細工など、渋い顔の宰相から許可をとりつけるのには苦労したが」

 宰相ナイルを真正面にやりあう皇女の姿を脳裏に想像し、クリスは思わず笑みがこぼれる。同時に、ニクラスが目の前の相手へ一目置く理由もわかるような気がしていた。

「毎日がそうであれとは思わんが、必要な派手もある。威を見せることも催主の務めよ」

「他国の皆様も満足されているご様子です。こうまで故郷の味を楽しめるとお考えではいなかったでしょう」

 クーヴァリインの言葉に、アンヘリタは首を振って笑った。

「故郷の味そのもの、とはさすがに言えないがな。食材を運べば質は落ちる。料理人も可能な限り腕利きを揃えはしたが、やはり故郷の味は故郷で食べてこそだろう。そうではないか、クーヴァリイン」

「確かに――家庭の味、というのは、材や腕とは異なるレシピとなるかもしれませんね」

「心ばかりはどうにもならんよ。それを履き違えてはな」

 二人の美姫はやんわりとした視線を絡ませた。

 どうにも場違いな思いで、クリスは手に持った杯に口づけた。

「それぞれ秘伝の仕込みというものもあろう。クーヴァリイン、次の催しの仕切りはそなただったな。期待しているぞ」

「はい、アンヘリタ様。私も、父に困り顔をさせているところです」

 にこやかに笑いあう場は会場にあって一段の華やかさだった。それぞれの卓から遠目にすがめ、眩しそうに仰ぐ視線も数多い。


 近くで談笑しながら、ニクラスはやや戸惑いつつやりとりを交わすクリスの様子を横目に見守った。この二人の側なら大丈夫だろうと当てをつける。

 アンヘリタ皇女とクーヴァリイン公女。社交の相手としてはいずれも一筋縄どころではない相手だが、まさか初回から散らす火花でもないだろう。話が鞘当て程度に終わるうちに慣れておくべきでもあった。二人ともが、これからの大学社交において主役を務める人物である。

 ふとニクラスの隣に立つブライが、意味ありげな視線を投じた。そちらを振り向いた先に、数人の供をつれて立つのはベディクトゥ・ラグゼ・アシアセレだった。

「これは、ベディクトゥ様」

「ご挨拶に伺いしました。先日は、すぐに教室からいなくなってしまわれていたので」

「申し訳ありません。少し予定がありましたもので、失礼しました」

「ああ、なるほど」

 ベディクトゥの背後に並ぶ一同、好意的な表情をしていない。恐らくはラグゼの名を持つ氏族であろう彼らの視線とは別に、アンヘリタとクリスが注意を向けている気配もニクラスの背中にある。


「改めて先日の御礼を申し上げます。宜しければまた、機会に論じあわせて頂けますか」

 社交的な表情を浮かべた誘いの言葉に、ニクラスは即答した。

「お断りします」

 ベディクトゥは平静な態度を崩さず、その背後の何人かが眉を吊り上げるのを見ながら続ける。

「ただし、中庭で横になりながらということでしたら、いつでも」

 ベディクトゥが眉をひそめた。

「中庭で。ですか」

「はい。大勢の前でというのは、どうにも慣れていないのです」

 白々しいといえばそれ以上ない。平然と言うニクラスの態度がどういった思索を図った上でのものか、周囲からは容易にわかりづらかった。

 妖精が沈黙の粉を撒き、程なくしてベディクトゥが笑みを漏らした。嫌味のない表情だった。

「――なるほど」

 苦笑するような吐息と共に、右手を差し出す。

「でしたら、昼食と共に伺わせて頂きましょう」

「その時は後ろの方々も是非」

 握手に応じながらニクラスは言った。反応に困った様子の一同に、ベディクトゥが笑った。

「後でこちらの卓にもおいでください。他の氏族の者もおりますので、ぜひご紹介したい」

「できればそれも、中庭の昼食でお願いしたいところなのですが」

 困ったようにニクラスが言った。それを見たベディクトゥの背後の者達が、ようやく表情の硬さを解く。互いに顔を見合わせて肩をすくめて笑いあい、それを見たニクラスも笑みを浮かべて応えた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ