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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
悪魔の伏戯場
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妖精の輪舞曲以前のお話になります。

 その広間には水陸中の贅が尽くされていた。

 極彩色の華美というわけではない。内装にはあくまで機能美が重視されており、そこかしこの装飾にも見せるだけの目的ではなく、使用する者への利便性が追求されている。しかし、遠方の石切り場から運びこまれ、職工の手によって丁寧に磨き上げられた白理石の輝きだけでその場が特別なものであることは瞭然だった。


 講堂である。両脇に立ち並ぶ円柱が特徴的なその建物には、当代の建築技師ケリタウ・オーラムの下、最先端の技術の粋が凝らされている。広大な敷地の中央、その講堂内に大勢が集まっていた。

 あるいはそこに在る人々の群れこそが、その場においてもっとも価値ある貴重さを有していた。年若い者々中心に見られるその顔ぶれはいずれも各国の支配者層の子女ばかりである。男女を問わず、十代半ばの彼らはいずれも次代のバーミリア水陸国家の明日を担う人材達だった。

 講堂には椅子類はなく、立席で幾つかの円卓が置かれている。座の指定を失くしてあるのにはそれなりの理由があった。誰が上座にあるか、などという問題を防ぐことができる。くだらないことではあるが、それぞれが各国の代表者としての立場で集まっている為、そうした些細を表面化させないことは重要だった。


 ただ一人、その講堂において一段高いところからその場を眺めている壮年の男がいる。この状況を作り出した張本人ともいえる人物だが、発想の提案から呼びかけ、国内外への折衝に至ってここまで来るのに少なからず労力と費用が用いられたというのにさしたる感慨もなく、ただ少しばかりのおかしみを抱いて前途有望な目の前の顔ぶれを見下ろしていた。


 集団は幾つかに分かれている。

 国の主流と反主流。また思想、信条の類に。つまりは今ここに広がる光景こそが、水陸の現在でもある。一歩、上から見ればこそここまではっきりと明確ではあるが、それを実際にその場にいながら考えることのできる者がどれほどいるか。それぞれの表情を浮かべて見上げる意気高い若者達の顔を順に撫で、その一角で男の視線が止まった。


 講堂の奥、集団から一歩引くようにして、まだ少年といってもいいその人物は立っていた。

 男はわずかに問いかける色を含めて視線を送った。気づかぬはずもないだろう相手からの反応はない。ただいつものように、醒めた瞳が男を見返してきた。視線が絡み、相手のほうからほどかれた。

 バーミリア水陸で勢力を誇るツヴァイ帝国で宰相を務めるナイル・クライストフは、胸の裡で嘆息を吐いた。彼は一国の政治中枢を司る人間としてふさわしい器量と経験を持ち、また一風変わった人柄でも知られていた。権謀術数や打ち手読み手の探りあいなど日々の呼吸と等しくこなしてきていた彼ではあるが、しかしその彼を以って最大級の難物と言わしめる相手が自身の家中にいるというのは、なかなかに皮肉なものと思えたのだった。


 父親の想いに気づく素振りも見せず、若者は変わらず達観した眼差しを向けている。その瞳には確かに周囲の人間を不安にさせる奇妙な雰囲気があった。その根本にあるものがいったいなんであるか、肉親さえ計りきれずにいる。

 ニクラス・クライストフというのが若者の名前である。



 達観した表情で、実際にはその人物がなにを考えていたのかといえば、特段、何も考えていなかった。

 日頃から誤解を受けるのだが、自分はどうも周囲から異質に感じられるらしい。自身そうであるという自覚はあっても、それを周囲に撒き散らす趣味はなかったが、だからといって意識のないようなものを必要以上に意識するというのも面倒なことだった。


 集団から離れているのも、ことさら意図があるわけではない。

 ぎらぎらと野心に満ちた集団の只中にいるよりは、遠くから眺めている方が気が楽でいい。そう思っただけのことである。それが周囲からどのような反応を受けるかまで考えはしても、それを慮って気の乗らないことはしたくないというのが彼の性格だった。一言でいえばひねくれている。

 その彼にしても、この「大学」という試みについて決して否定的な考えを持っているわけではなかった。水陸各国の社交と、若者達の教育(その為の、優秀な教師陣の保護)を目的としたもので、特に後者は充分に彼の興味をそそった。人並以上の知識欲というのは、彼という人物をかたどる重要な部位の一つでもある。


 この時代、貴族子弟の教育は高名な学者を家庭教師として招いて行われるのが一般的である。学者の数には限りがあるし、水陸の右と左で同一人物から知識を授かることも出来ない。それらを解決する集合教育という実父の考えには、さすがと思うところがあった。

 もちろんそこに父なりの思惑があることも理解している。当然、趣味や道楽ではありえなかった。だからこそ多少の不自由さはあっても、それに文句をつけようとも思わない。ただ、出来うることなら巻き込まれたくないというのが本音だった。それが許される立場かどうか、というのもわかってはいるつもりではある。

 講堂の前では彼の父親が祝辞を述べている。決して大きくない声だが、広大な講堂にあってしっかりと端まで行き届くその言葉を茫洋とした意識で聞いていると、隣から声が囁かれた。

「暇そうだな」

 顔の向きはそのまま目線だけを向け、ニクラスは小さく目を見開いた。


 そこにいたのはアンヘリタ・スキラシュタ皇女だった。皇位継承権の上位に名を列ねる、正真正銘の直系皇族の一人である。歳は十七で、確かに大学に加わっていておかしくはない。事前にそのことについて耳にしてもいたが、彼が驚いたのは別のことだった。

「愛い表情をするではないか。王宮ではつまらなそうな澄まし顔しか見たことがなかった」

 端正な美貌で目線だけで微笑を見せる。生まれついて特別な階級にある者だけが出来る、嫌味なく上から見下ろす典雅な表情だった。

「……まさかこのような後ろにおられるとは思いませんでした」

「このような機会だからこそよ。後々では、そなたと言葉をかわすことも容易くあるまい」

 かけられた言葉の意味をニクラスは正確に把握した。

 集められた子女達で、大雑把にわけて中央には男子が集い、女子はその周囲を囲むようにして立っている。男性優位の在り方を端的に示した光景ではあったが、堂々と中央に身を置く女性も皆無ではなかった。

 皇族の身分で、しかも大学を主催するツヴァイ帝国皇女ともあればむしろ中央にこそ囲まれるべきだろう。それをせずに二人の供を連れて後方にいることの、それが目的だという。その行為の真意について思索する少しの感情の動きも洩らさないよう、慎重にニクラスは頭を下げた。

「もったいないお言葉です」


 眉が寄り、歳相応らしい稚気が覗いた。

「これから机を並べようという学友に対して、そのような言葉遣いが必要か?」

 答えに詰まるニクラスを見てくすりと皇女は微笑んだ。

「なにも呼び捨てにせよと言うのではない。らしくせよ、と言っておる。退屈な籠鳥が少しは気分を味わえそうなのだ。その程度、気を遣ってくれても罰はあたるまい」

「……努力します」

「うむ。せよ」

 機嫌よく微笑み、すぐに皇女は口元の名残を消した。彼らに向かって周囲から幾つかの視線が向けられている。ツヴァイの皇族と宰相の息子が二人して後ろに並べば当然の注目だが、わかってはいてもうっとうしさはある。それはニクラスが幼い頃から感じ続けてきたものではあったが、皇族の重圧はまた全く別種なものだろう。相手に対して抱きかけた穿った見方を改め、ニクラスもまたそ知らぬ表情で壇上へと視線を戻した。

 その一部始終を見ていた彼の父親は、まるで意を向けた様子も見せずに言葉を続けている。好嫌いりまじった眼差しを向ける子息子女の中には、明らかな敵意の気配を漂わせた者もいる。

 誰も彼もが大変なことだ。早くも不穏な気配を漂わせる場の全てを他人事のように、ニクラスはせめてあくびだけはすまいと程度の低い覚悟を固めた。



 幾人かの名の知られた教師が挨拶に立ち、その後は学生と教師を交えた会食へと続いた。さっそくとばかりに社交と歓談に花を咲かせる一団をしばらく遠くの意識で眺めたあと、ニクラスは早々にその場から退席し、講堂の横に設けられた中庭へと向かった。

 心地よい天気に、空には砂の翳りもなく透き通って高い。良い気候だった。

 芝の敷き詰められた木蔭に寝転がり、ニクラスはくすねてきた食事皿へと手を伸ばした。

 会場から姿を消した彼の行方はすぐに人の目につくことになった。そのことを知った彼の父親は小さく頭を振り、大勢に取り囲まれた中でその話を聞いた皇女はさもおかしそうに笑った。


 大学初日にして、ニクラス・クライストフは大層な変人であるという噂が学内に流れることになったのは、そうした経緯からのものだった。



 大学では多くの講座が開かれるが、多くは座学を中心として男女ともに同じ卓につく。全ての講座を全ての生徒が受けるわけではなく、自らの志向と嗜好にあった教室を自由に選ぶことができた。剣術、軍術といった講座を選ぶ女子が少ないのと、裁縫、手芸を選ぶ男子が少ないのはそれぞれ同じ理由である。

 講座の内容は担当する教師によって異なるが、座学では事前に学生達へ知識の予習を前提とした討論形式が主流である。歴史上の事柄を題材として教師が始めに問答し、それらについて学生達のあいだで是非の討論がなされる。講座の終わりに教師が意見をまとめ、次回への課題を告げる。集合教育という利点を生かした授業であり、それが人気でもあった。

 一方、教師から学生へ向けて一方的に知識を教示するといった形式は敬遠された。集合教育の短所とも言える。学生達が、「より優劣の差がわかりやすい」形式を好んだということもあった。まさに大学は社交政治の場であるからだった。

 武芸の誉れや論述の巧みさは名を成し、国内だけでなく国外へも自己の存在を主張する機会となる。将来の栄達を望む者は活気ある講座で論客に立ち、その盛り上がりがさらなる受講生を呼び込む道理だった。


 用意されたどの教室にも入りきらないほど学生が集まる講座があるなら、その逆も当然ありえる。今、ニクラスが座っているのもそうした講座の一つだった。

 大学には各国上級子弟に加え、その護衛も務める子飼いの者も多く在籍することになる為、総勢でその数は五百を超える。二百の学生が収容できる大教室にあってなお収まりきらない盛況振りを誇る政治学講座が行われる同刻、ニクラスのいる教室――と呼ぶのも怪しいその場にいたのはたった一人だった。いつもはもう二人、三人いることもある。

 教室というのに首を捻るのは、まず部屋の在り方に問題があった。部屋の大きさ自体に問題はないのだが、小部屋は工房近くにあって、そのまま区別なく続いているとしか思えないほどに煩雑としている。何より、そこの主に講座を開くつもりがないことが致命的である。白髪の老人はたった一人の学生へ向けて顔すらあげず、黙々と目の前の作業に集中していた。

 それを気にする様子もなく、ニクラスは男の手元に注目している。

 目の前の行為を理解しているわけではない。男がなにをしているのか、彼には検討もつかなかった。だからこそ面白くもある。筋張って無骨な老人の手と、そこに握られた槌。刃。鑢。それらがもう一方の手にある材木をどのように変化させていくのか。またその使用意図は何か。説明がない以上、頭の中で勝手に想像を働かせるしかなかった。


 黙々と作業に没頭する男と、それを眺めるだけの空気が流れる中、教室の扉を引いて誰かが姿を現した。講座の人間が遅れて来たかと顔をあげたニクラスの予想は外れた。

 どこかで見た覚えがあるが、ここでははじめて見かける。相手は女性だった。繊細なつくりの面立ちに意志の強い眼差し。ああ、とニクラスは脳裏の中で名前を思い出した。

 目礼に目礼が返る。そのまま彼女はまっすぐに彼の元へとやってきて、隣に腰を下ろした。


 ニクラスは好奇心を覚えた。この講座はおよそ女性の興味をひくようなものではない。確かにこの時間、他に女性が率先して受けたがる講座はなかったかもしれない。しかし、そう言った場合には、ほとんどの者は女子同士で茶会を設けるか、そうでなければ政治学講座で熱くなる男どもの様子を冷やかしにいくのが大半の過ごし方のはずだった。

 不思議に思って横顔を眺めるニクラスへちらりと視線をよこし、その令嬢は言った。そっけない口調だった。

「クリスティナ・アルスタと申します」

「ニクラス・クライストフです」

 短い挨拶を交わし、それ以上会話が続かないことを確認してからニクラスは視線を戻した。老人は新たな受講生の存在などまるで関せずとばかり、手にした板のようなものを薄く削り落としている。


「何を作られているのでしょうか」

 発せられた素朴な疑問に、ニクラスも率直に答えた。

「わかりません」

「わからない……?」

 不思議そうに瞬きする。老人がうるさげに咳をついたのを見たニクラスは立ち上がった。

「外に出ましょうか」

 令嬢が首を振った。

「いえ。失礼しました。失言をお許しください」

 老人に向かって頭を下げ、姿勢を正して真っ直ぐな視線を男の手元へと向ける。

 椅子に座りなおしながら、先ほどより少し強い興味を含めてニクラスは整った横顔を見た。講師として招かれているとはいえ、老人のような職工という立場は社会的に決して強くない。そうした人間に向けて素直に頭を下げる態度は貴族には珍しかった。令嬢が視線を向けられているのに気づいたことを察して、さりげなく視線を外す。


 それから半刻ほど老人の作業は続いた。ニクラスも令嬢も喋らず、やがて作業に納得のいったらしい男が息をつき、手に持った薄板を置いた。赤子か割れ物を扱うような慎重な動作だった。

「お昼ですか?」

 問いかけに黙ったまま頷く。それから隣の彼女へ目を向けて、

「嵌め板だ」

 短く告げたそれが自分への回答だと気づき、令嬢は再び頭を下げた。

「ありがとうございます」一拍の後に続ける。「次までに勉強してきます」

 おかしなものを見るような視線で老人が令嬢を見た。鼻息を吹き、そのまま教室から去っていく。

「……変わった方ですね」

「まあ、教師というより職人気質の方ですから」

 おそらくあの老人も同じ感想を抱いたことだろう、という言葉は胸の中に秘めて、ニクラスは立ち上がった。

 そうしてあらためて正対すれば、令嬢は背が高かった。姿勢のよさもあるのだろうが、それだけではない。視線のせいだろうかと彼は思いついた。身に包んでいるのは軽装で、ドレスというにはややさっぱりとしすぎている。どちらかといえば男性が着そうな活発的な衣装だった。

「ずいぶん動きやすそうな格好ですね」

「はい。剣を振っておりますので」

 ああ、とニクラスは納得する。剣術の講座を受ける女性は多くはないが、決してないでもない。武家の名門と呼ばれるアルスタの人間がそうしない理由がなかった。


「前にお会いしたことがありますね。ご挨拶が遅れ、申し訳ありません」

 ニクラスが言うと、意外そうに彼女は瞳を瞬かせた。

「覚えておいでとは思いませんでした」

「父と一緒に参内した折に、確か。お話させていただくのははじめてだと思いますが」

「はい。その節は父ともどもお世話になりました。ぜひ直接お礼をと思っておりました」

 頭を下げられ、ニクラスは首を振った。

「父がやったことです。それに、当然のことだと私も思います」

 彼が言ったのは謙遜ではなかった。

 古くから名のあるアルスタ家だが、社交政治の場にあっては決して恵まれた立場にいなかった。戦場の勇士が謀略の得手であることは稀だが、アルスタはその模範的な一族と言えた。

「いえ、私どもが受けた御恩には変わりません」

 堅苦しい物言いに、ニクラスは気づかれないよう苦笑をもらした。アルスタ家の人間には代々、愚直の二文字が魂に刻み込まれているというが、どうやら本当のことらしい。話題を変えた。

「これからどちらへ?」

「いえ。特には」


 沈黙する。押すでも引くでもなく、真っ直ぐにこちらを見る女性の意図を読めず、さしあたって場を流す言葉を探した。

「これから昼食にしようかと」

「はい」

「午後すぐには、あまり出たいと思える講座もないので。職人という人種は皆、食休みが長いのですよ」

「なるほど」

 ニクラスは笑った。ここまで明け透けな態度にでられては対処の仕様がない。降参の台詞を口に出す。

「よろしければ、ご一緒に如何ですか」

「お付き合い致します」

 にこりともせず、ただ実直そのものの態度で見目麗しい令嬢は答えた。



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