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砂の星、響く声 外伝  作者: 理祭
妖精の輪舞曲
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本編以前のお話になります。

 新しい年の初めを迎え、街は活気に溢れていた。

 バーミリア大水陸の中央、ヴァルガード。純粋量では商業都市トマスをも上回る水源を持つ、ツヴァイ帝国首都である。


 その外観はまさに要塞であった。この世界において水源、特に“枯れない”水源を持つことはそのまま権力の象徴でもあったから、当然のことと言える。ここは大水陸でも最大水量を誇り、また最も多くの人の血が流れてきた呪わしき場所でもあった。

 不安定な水源の沸き。故に移動可能な生活様式が基本となる世界では、まずもって石造りの街並みという時点で珍しい。如何に堅固な壁をつくろうと、そこに水が沸かなくなってしまえば人は生活できないからだった。


 だからこそ、この土地を手に入れた時の権力者達は皆こぞって石を積んだ。より高く、より硬く。

 しかしどれほど高く石を積み上げようと、あるいはだからこそ、長らくこの地は戦乱の舞台となってきた。「妖精の地」というこの地の異名は、あまりに多くの人の躯がここに埋もれてきたことに対する忌み名でもある。


 幾度も戦火に巻かれてきたこの地だが、ここ十数年程は平穏の中にある。バーミリアで最大の勢力を誇るツヴァイ帝国は、周辺を無数の敵に囲まれ辺境での小競り合いこそ常のことであるが、相手国の首都まで攻め込むことはあっても逆に攻め込まれるような危機に陥ったことは皆無である。建国からすでに幾代も経ち、強大な国ではむしろ外敵よりよほど警戒すべき内乱の類の兆しもなかった。水陸全土を席捲した「魔女狩りの大災」以降、衆民による動乱もない。壮年の域に入った皇帝フーギ・スキラシュタの施政は革新的ではなくとも、外征より内部の潜在的な農商業の発展に尽くそうとした先代の意思を継いで賢明だった。


 もっとも、そのことには皇帝個人というより、先代からの重臣ナイル・クライストフの影響が色濃いと言われている。幼少時から見知り、自身が皇帝位につくとそれまで空位だった宰相に彼を登用した皇帝フーギの信頼は篤かった。

 ナイルの政治的志向は革新的な保守と言われる。国の興りからして外征国の特色が強い自国を、より安定させるための方策を思案していた。ヴァルガードの豊富な水源を利用した周辺の緑農地化はその最たるものだが、他にも様々な例がある。有力貴族の子弟を対象とした『大学』もその一つである。


 それは、将来の国の根幹を成す人材の教育という目的に加え、優秀な学者達の保護という意味もあった。学者には奇矯な性格の者もあり、彼らの多くは生活能力に乏しかった。各地の有力者は自身の名声のために高名な学者を自家に招いたが、ナイルはそれを国家規模で行ったのである。

 さらに、その大学に他国の有力者達の子息まで招こうとしたところが彼の政治的手腕の妙技であろう。水陸最大国家としての示威を他に明らかにしつつ、他国同士の牽制もその両手に弄び、あれよあれよといううちに大学を一種の水陸最大の社交場と化すことに成功したのだった。


 発足から数年。ついに先年から開かれた大学には多くの高名な学者と各国の高級子弟達が集い、文字通り水陸で最上級の学び舎だった。



 雑踏の中、一人の女性が街を翔けるように歩いている。


 実際にはその人物は女性というにはまだ年若く見えた。律動的なテンポを刻む足音に呼応して、長く伸びた金砂の髪が揺れている。長身だが容貌にはまだ少女の面影が強い。彼女は先月、十六を迎えたばかりだった。


 身に包んだ服装は簡素だが、仕立てのよさが窺える。お抱えの服飾屋が注文の際に一々申し出てくる装飾過多なあれこれを徹底的に排したデザインは彼女の好みだったが、彼女を本当によく知るものであれば、だからこその変化に気づくかもしれない。彼女のシルクのブラウスの胸元には、金細工の石止めが密やかに飾られていた。試みに耳飾りもつけてみたのだが、すぐに頭が痛くなってしまい彼女はそれを諦めていた。


 クリスティナ・アルスタ。それが彼女の名だった。バーミリア大水陸で権勢を誇るツヴァイ帝国において、まず名門と呼ばれるに足る貴族の令嬢である。

 アルスタ家は建国から続くが、その名声を得たのも失くすのも常に剣を手にしてのことであった。一方で政治の類には疎く、皇位継承のいざこざに巻き込まれる形で長らく主流派からは遠くに追いやられることとなった。それでも不平一つこぼさずにいる実直さが周囲から見直されてきたのはつい最近である。


 それで起きる面倒もある。最近、彼女の家には訪問客が絶えなかった。

 理由は考えるまでもない。今になって近づいてくるのは友誼を結び、可能であれば甘い蜜を吸おうという下種な輩ばかりだった。もっとも厳密には彼女の家ではなく、彼女を介した先の相手に、ではあるが。

 馬鹿馬鹿しい。端正な顔をわずかに歪め、彼女は口の中で毒づいた。

 そのような浅はかさが、あの方に見通されぬわけがない。家同士の交流の折、何度も会話の経験を持つ彼女は、静かな威厳を身にまとった彼の人物を自分の両親に劣らぬほど尊敬していた。


 剛胆でありながら常はそれをひけらかすようなことなく、帝国宰相という位を鑑みれば異常といえるほど社交にも興味を示さない。それでいてその地位に居続けられている現実が、彼の底知れなさを示している。変人ではある。そして、家名に「愚直」と書き加えられていると噂のアルスタ家と同じく、その奇妙さも代々連なるものかもしれなかった。


 この日は新年の無事を祝って皇帝が衆民に酒と休日を賜り、市場はあえてその機を逃すなと大店を構える商人とそれに群がる客が殺到している。賑やかしい一画を抜けてしばらくすると、彼女はさきほどまでとは嘘のように閑散とした場所へと辿り着いた。


 その中ほど、ただヴァルガードの豊富な水源故に作られた小さな無用途の噴水の傍らに、彼女の探す人物は横たわっていた。

 相手の名を呼ぶ時、彼女は彼女だけが気づく一瞬の間を置いてから、囁いた。

「――ニクラス」


 目を閉じていた人物は、その呼びかけにゆったりとした反応を返した。清濁併せ持つことを自ら使命としているようなトマスなどと違い、ヴァルガードはこの水陸でも恐らく最も治安のよい街ではあったが、振舞い酒のせいで人々の気が緩みがちな中、のうのうと眠りこけていて無事にすむ道理はない。恐らくどこかから彼を警護する者がいるとしても、まさか本当に寝入っていたとは思えなかったが。彼女がたっぷり数秒を数えることができるほどののびやかさでまぶたを開けたその人物は、まず彼女の背後に広がる青々とした空を瞳に映し、何事かを思案するように眉をひそめ、それからようやく彼女の姿に焦点をあわせると、

「……ああ。クリスか」

 いくらか気が抜けていたが、彼がきちんと自分の愛称を呼んだことに、彼女は内心で満足した。この男は生きることの様々に自分だけの制約を課しており、他人の名前を縮めて呼ぶという些細なことにもかなりの間、余人には理解しがたい抵抗を示していた。


 感情の動きを完全に肌の表面下で制御しつつ、クリスは片眉をあげる。

「新年最初に会っての言葉がそれか? ニクラス」

 からかいの言葉を受け、眠気を払うように頭を振ったニクラスが応えた。

「昨日、皇宮で会ったばかりじゃないか……」

「それは公的な場での話。プライベートでは、今この瞬間に新年を迎えたばかりよ」

 男は、感情の窺いしれない眼差しを向けると、一旦瞳を閉じ、開いた。

「……おはよう。クリス。新しき年の祝いを、君の輝ける武勲への祈りとともに」


 高すぎず低すぎもしない、耳に心地よい音階で彼が口にしたのは、正しく彼女好みの文言だった。

「おはよう、ニクラス。新しき年の祝いを、貴方の生あることへの感謝を込めて」

 胸を張り、彼女はわずかに唇の端をほころばせた。ニクラスもかぶりを振りながらそれに応える。

「それで、どうしてこんなところで惰眠を貪っていた。いくらなんでも、誰に襲われても文句は言えんぞ」

「……バザーを見学に、きてたんだけど。知らない相手にいきなり葡萄酒を両手に渡されて。しばらく頭を冷やしてた」

 言われて初めて、クリスは彼の口元からかすかに酒の匂いが漂うことに気づいた。

「また馬鹿なことを」


「ああなったらいくら断っても相手は話を聞かないさ。酔っ払いは適当に受け流して機を待つのが正解……クリスは、大学でも飲まないからわからないだろうけど」

「当たり前だ。好んで自ら醜態を晒すような真似、私にはまるで理解できん」

「楽しいんだけどな、酒も」

「そんなものがなくとも、私は充分に人生を楽しんでいる」

 ふくよかな膨らみを誇るように宣言する彼女を、ニクラスは天空輝く炎の星をみるような表情で仰ぎ見て、笑った。

「それでこそ、クリスだ」

「なんだ。物を含んだ言い方じゃないか」

「なんでもない。それより、よかったら市場に戻らないか。見たことのない食べものもたくさんあった。そのために家の食事を抜いてきたんだ」

「相変わらず物好きなことだ」


 呆れるように言いながら、彼女は特に顔をしかめることなく頷いた。一般的な貴族階級の人間がそうであるように、彼女も大学に入るまでは市井の売るものなどなにが入っているかわかったものではないと当然の如く思っていたものだが、そんな思い込みもこの男との出会いによってあっさり打ち破られてしまった。

 変人。正しく、家の血の流れるとおりに。自分がこの男と出会ってから半年ほどがたつが、そのことで自分にはいったいどれほどの変化があったのだろうか。男の存在が彼女に接し、交じって溶けることの想像は人知れず彼女の頬を薄桃に染め上げたが、それに気づいているのかいないのか、どちらにせよ微動だに表情の筋肉を動かさずに、男は言った。

「よし、行こう。……よかった、財布はなんとか失くさずにすんでる」


 ツヴァイ帝国宰相の実子がなにをせせこましいことを。彼女よりわずかに高い位置にある肩に並び、クリスは生じた皮肉めいた感想を胸の中で押し殺した。二人きりの道中を、もう少しばかりこのままの雰囲気で過ごしたかったからこその選択だった。



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