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「雪月先輩って髪の長さがいつも変わりませんね。何かこだわっているんですか?」
この素朴な質問は失礼に当たるか。淑女の皆さんよ、教えてくれ。私は何気なく尋ねたこの質問のせいで、もしかしたら彼女に嫌われてしまったのかもしれないのだ。
良くも悪くもテストやレポートの片がつき、嬉々として部室に向かう途中、私は偶然にも黒髪の彼女を見かけた。彼女とは勿論雪月先輩である。その際、炎天下で自分の黒髪が燃えるように熱かったのを意識していたのもあり、私は何とはなしにこう聞いた。
「黒髪って、日光を吸収しやすいから困りますよねぇ。先輩はいつも日傘を差してますけど」
「そうだね。良かったら日傘に入れてあげようか」
「いえ、大丈夫です」
私は仰々しく遠慮した。
「そういえば、雪月先輩って髪の長さがいつも変わりませんね。何かこだわっているんですか?」
沈黙。私の質問に彼女は答えなかった。それどころか、一種の警戒を浮かべて私の全身を眺めると、笑っていない眼のままで恐る恐る口を開けた。
「かもしれないね。ところで何でそう思ったの?」
首を日傘ごと傾げ、潤んだ目で私の回答をじっと待っている。
「いや、ただ何となくだったんですけど、すみません。なにか気に障るようなことを言っちゃいまいしたかね?」
女性への阿り方としてはマイナス百点を叩き出し、私は崖から真っ逆さまに落ちていった。
「そうなんだ。いや、大丈夫。ごめんね、変なこと言っちゃって」
雪月先輩は温和な態度を演じたが、その露骨な糊塗は、却って違和感と不審感とを私に植えつけることになった。
「私、図書館の方に用があるから行くね。お疲れ様」
明らかな嘘を言い残して彼女は去って行ってしまったのである。
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「水口も中々書けるじゃないか」
部室につくと今月発刊の怪奇新聞の出来にご満悦な原口部長の姿があった。それもその筈、ついに私の書いた記事が、怪奇幻想新聞の一ページ目に連なることになったのだ。肝心の内容は、なぜ妖怪の姿形は年を経ても変わらないのかである。
「次はもう少し大きな記事を書かせてやっても良いぞ」
しかし、その日の私は原口部長の珍しい褒め言葉など意に介さず、あくまで雪月先輩に嫌われてしまったかどうかばかりを気にしていた。行雲流水をモットーに生きてきて早や二十年弱、いったい何たる醜態か!
というわけで、その日は矢田に貸していたお金が戻ってきても、高木副部長から書いた記事を激賞されても、神崎先輩に「案外あんたも考えてるのね」と見直されても、あまり皆の期待に沿う反応は出来なかった。勿体ない上、申しわけないことだ。はっきり言って大袈裟なのかもしれぬ。いや、大袈裟に違いない。が、分かったところで私の心はずっと空っぽ、寂しく凪いだままであった。最終的には「あんた馬鹿みたいな顔をしているわよ」とあの神崎先輩にも心配されてしまう程だった。
ところで不運は続くのが人生というもの。帰路でも私はぬるいコーヒーを想起させるような嫌な不味さを味わった。
のっけからおかしかったのだ。気分転換に裏門の方から帰ろうと思ったら、狭い道でも絶対に互いの手を離さない運命共同体的カップルもとい面の皮が厚い一対のオスメスに遭遇した。これは何とかして対抗せにゃならんと思ったが、彼氏彼女の決してちぎれない意志の強さに敢無く敗北した私は、彼らを無理やり避けた結果、雨水が溜まった側溝に運悪く落っこちてしまった。靴と靴下とズボンがまとめて死亡した瞬間である。そうしてあたふたしながら、やっとの思いで正規の道に舞い戻ると、今度は速度制限なしで走る二人並びの自転車である。これをスレスレ必死の思いで避けて、やや開けた路上へ出ると、最後は水溜まりを最速で駆け抜けて行ったトラックによるドブ水バシャンである。私は頭からドブ水を浴び、高校生の時からの盟友であったリュックサック君まで死なせてしまった。
ああ、天よ。何卒我にご慈悲をください。
全てを失った私は、矢でも鉄砲でもなんでも来いの気持ちで、思いきり大地を踏み鳴らしながら家に帰ったのだが、これも私を、かのアルバイトに乗り気にさせたのだろう。
私は半ばやけくそ気味に夜飯を食らうと、
「薦めてくれた本、良かったですよ」という微妙な空気の中で送るにはありえない、稀代の悪手たるメッセージを雪月先輩に送り、返信がないことに涙していた。
本当はふて寝したい木曜日の夜中であったが、私は夏休み中のアルバイトを早いこと探さねばならなかった。というのも、夏休み中に岡田店長のイタリア外遊に合わせてレストランの改装工事を行うことが決定されてしまっていたのである。私は、矢田が観ろとうるさく勧めてくる香港映画を垂れ流しながら、パソコンを動かしてだらだらとバイト先を探していたのであるが、その時、ふと目に止まったものがあった。
「未経験者歓迎! 避暑地の館の家政婦さん」
住み込みだが破格的に割の良いバイトであり、求人内容は大体以下の通りである。
雇用期間は八月一日から三十一日までの一ヶ月間。報酬は百五十万円。出来高で増える場合あり。業務内容は雇用主の指示する簡単な雑用。例を挙げると、部屋の掃除や買い出し、書庫の整理など。住み込みで衣食住は保障され、自由時間も充分あり。
これだけでも随分と破格でヘンテコな求人なのだが、最も不思議なのは最後に記載された最重要事項であった。
「雇用主のことは雪女として扱うこと」
普通ならこんな怪しげな求人、絶対に近づかない筈なのだが、その日の私はどうも悪い意味で吹っ切れていた。私は自分でも訳の分からぬうちに申し込みの手続きを行っていた。欲望に好奇心が加わった形で、恐らくは若年層による危険なアルバイトはこういった安直さから発生するのだろう。それでも私の頭の冷静な部分は一応機能していたようで、悪用されかねない個人情報は嘘と誤魔化しで塗り固めておいた。名前は水口聡ではなく涼井雲雀、住所は違う県の架空の空き地といった具合である。
翌日、メールが来た。オンライン面接を行いたいらしく、ウェブ会議のURLを渡された。姿形は晒さなくとも構わないらしいので、私はまぁよいかと承諾した。昨夜あった捨て鉢の勢いはもうすっかりと失われていたのであるが、何か面白そうなので昨日の私の指針に従うことにした。いや、この際だ。正直に告白しよう。
私は昔から妖怪に限らず、魔法や精霊、空島や天空城などファンタジーに属するものには尽くのめり込み、そのどれか一つでもこの世にあれば良いのになぁ! と常々神様に願っていたものであった。小中高と進むにつれ、周りの人間は超常的なものから離れていき、現実を直視して歩んでいく中でも、私は一人、現実の超越を信仰していた。
一言でもって表せば、私はロマンスを愛していたのである。だから、私がこの求人に吸い込まれて行ったのは殆ど必然であったと言えるだろう。勿論、これは後からの分析に過ぎず、その時の無様極まりない格好つけの私は、やれやれという主人公ぶった腹の立つ態度で事に臨もうとしていたのであるが。
予定を合わせた結果、土曜日の夜に面接は決まった。




