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明日が休日のため、今夜のシフトは長かった。客も疎らになってきた二十三時である。スキップ気味の軽快な足取りでいよいよ雪月先輩までやってきた。夜はこれからだと言わんばかりの疲れ知らずな態度であった。
こういう時だけ都合よく注文を伺いに行こうとする神崎先輩を押しのけて、私は注文を取りに行った。
「やっぱりシフトに入っていたか」と雪月先輩は微笑んだ。
「神崎先輩も一緒にいますよ」
「うん、だから遊びに来たの」
そう言うと雪月先輩は天真爛漫なスマイルを浮かべた。彼女にはこういったずるい美徳があるのだ。というのは、お姉さんムーブをし始めたと思ったら、突然このようなあどけなさを示したりするのである。
私は彼女に呼応してその日一番のスマイルを見せた。
「ご注文は如何なさいますか」
「そうだなぁ、七つの夢が詰まった虹色シロップ掛けのかき氷をください」
固まった。まさか彼女まで奴らに染まってしまったのか。その可愛らしいワンピースも怪奇幻想部の制服と化してしまったのか。
「お客様、そんな料理はメニュー表にはありませんが」
「じゃあ、炎天下でも七時間は溶けないアイスクリームをください」
私はため息をついた。この人までふざけ始めたら、いよいよ我がキャンパスライフもお終いである。尚もからかい顔を浮かべ続ける先輩に向かって、私は泣く泣くこう言った。
「出ていってください」
すると、窓際で私を監視する業務についていた店長がぐんぐんとこっちに詰め寄ってきた。
「おい、水口くん! お姉さんになんて言い草だ。お姉さんが溶けないアイスクリームを所望しているんだから、つべこべ言わず、黙ってオーダーを通せばいいじゃないか。プロの料理人を舐めるなよ! 俺がなんだって作ってやるから」
どれだけ若い女性、それも美女に甘いのだろう。
「じゃあ、アイスクリームを作ってくれるんですね」
雪月先輩は目を輝かせた。
「ええ、勿論ですとも」
「それなら折角ですし、水口くんと志保ちゃんも加えてパーッと宴でもやりましょうよ」
もうなんでもありだ。流石の店長も許すわけないと思ったのだが、
「良い提案ですね!」とネクタイを緩め出して、まさかの了承である。
「店長さんもお酒を飲んじゃいましょう。私は白ワインの方をいただきます」
「何です、何を話しているんです」
神崎先輩が自分の名前が出たのを聞きつけ、役者は全員揃った。
そういうわけでアイスクリームは何処へやら。深夜のファミレスパーティは幕を開けたのである。我々は四人家族よろしく、困惑する店員達に対してありったけの酒と料理とを注文した。
「えー、人生という長い長い旅路で、偶然にも今宵、席を共にすることになった私たちですが、この儚き一夜の出会いに祝杯をあげ、大いに楽しもうではありませんか。それでは乾杯!」
雪月先輩の乾杯の音頭で場は大いに盛り上がった。私は雪月先輩が生み出してくれる心地よい流れに乗って店長と上手く和解をした。そしてうら若き乙女二人のために、負けること必至の店長との大食い対決や特技である厨二病的な詩の朗読などを披露した。
「俺が大学生の時はだな、このコワモテ顔がどうにもコンプレックスで、可愛い兎ちゃんのTシャツを着たり、全身の毛を剃ったりして何とかバランスを保とうとしたものだった。その結果は却って職質を受けてしまうような惨澹たる有様であったがな」
酔っ払った店長の次から次へと出てくる自虐は面白く、普段の店長を知っている私と神崎先輩は特に笑った。笑っているうちに私も場の酔いに当てられてしまったのだろうか。私はまるで酒に酔ったみたいに陽気になっていた。頭がぽわぽわとして変なのである。
「志保ちゃん、水口くんが飲んでいるのはジュースなんだよね?」
「えっ? 知らないれすよ。雪月先輩のうわきのも!」
その陽気さは、雪月先輩がこれまた呂律の回らなくなった神崎先輩に思わず尋ねてしまうほどであった。
「雪月先輩、いいから今日は飲みましょう。今日は無礼講です。ほら、お皿に顔を突っ込んでしまった店長の頭をなでなでしてやりましょう」と私は平生には決して有り得ない勇気ある言葉を口にし、大胆にも店長の頭を撫でつけた。店長は私の腕を取り上げると、妙に据わった眼でこう言った。
「水口、それは頭皮に良くないだろう。ところで雪月さん、普段は何をやられているんですか。好きな異性はどのようなタイプなのでしょう」
店長も茹蛸のように赤くなって、やはり何処かおかしくなっていた。
どれくらい時間が経ったのだろう。目を覚ますと雪月先輩の姿が見当たらなかった。酔い潰れ、食い倒れた我々を尻目に雪月先輩は皆の飲食分三万円をきっちりと支払い、帰ってしまったみたいである。朝日が差し込み始めた店内には従業員達の書き置きと我々三人の存在だけがあった。
雪月先輩と他の来客との違いは礼節足りた三万円だけであったが、その三万円が意識を戻した我々と、特に店長を朗らかにさせたのは言うまでもない。であるからして、我々三人があっさりと彼女に懐柔させられたのもまた当然の帰結であると言わざるを得ない。我々三人は不運にもその夜の記憶を残しており、必然、以前よりも仲は深まった。
雪月先輩は時たまふらっと店に立ち寄っては、ちびちびと白ワインを舐めている。




