声を失くした子守唄
祖母の遺品整理を手伝っていた時、偶然何枚かの紙が束ねられた紙束を見つけた。紙束は下のほうから上に行くにつれヤケがひどくなっている。好奇心からか、その紙束を一枚めくってみた。紙には上から下まで、左から右に、びっしりと隙間なく文字で埋め尽くされていた。タイトルとおもわしき部分を読むと初めにこう書かれていた。
「これは私のお話」
私は生まれつき喋ることができなかった。そのことを幼い頃に私は母に聞いた。聞いたと言っても、なれない手つきで、紙に書いただけだった。
「(なんで私はみんなと話せないの)」すると母は驚いたような顔をこちらに向け一瞬戸惑った表情を見せた。口はなにか言いたげだった。が、唇を噛み締め、鉛筆を手に取り、こう書いた。
「(神様が意地悪したの)」
幼いながらに私は、何か裏があると感じた。耳は聞こえるのに、なぜ紙に書くのか。だが、泣きそうな母を見てその気持ちは、母を慰めなければという気持ちに押し込まれた。私は母を慰めるような仕草をし、同時に泣きじゃくる母をじっと見た。なぜ紙に書いたのか、当時はまったくわからなかったし、気にもしていなかった。だが、十五にもなれば理解した。
「 は兄を のだ」
「…中さん!山中さん!!」
「!!ごめんなさい。どうしました?」
「はぁ。もうお昼ですよ?縁側にお弁当ありますから食べてください。」
僕はいつの間にか祖母の手記を読むのに没頭してしまっていた。時間はいつの間にか昼時になっている。言われたとおりに弁当を取りに向かうと、祖母の兄が庭をじっと見つめながら縁側に座っていた。
「どうしました?」
そう声をかけ、積み重ねて置いてある弁当を一つ手に取り、隣に座った。大叔父は、とても元歌手だとは思えないほどいつも静かな人だ。テレビにも頻繁に出ていたらしいがどうしてもその映像を見せてくれない。
「あぁ。…大輝か。」
祖母の葬式の後で大叔父は明らかに弱っており、いつもの静かさに磨きがかかり話しかけるなオーラが滲み出ている。実際に僕の彼女はお弁当を手に入れたあと、そそくさとその場を去っていった。僕は彼女と軽く視線を交わし、「大丈夫だよ」と伝えた。
「おばあちゃんの件、残念でしたね。まだ66だって言うのに。」
「六十六?六十八だ。間違えるなよ。」
鋭い目つきが僕に突き刺さる。はっきり言って、大叔父は感情表現が下手だ。いつも怒っているような表情をしているので、これも怒っているのか、平常運転なのか、区別がつかない。少しの沈黙の後、大叔父が弁当を手に取り、プラスチックの蓋を開け、食べ始める。
「あいつの死因は事故じゃない。自殺したんだ。」
「え?」
僕はいきなりのことで理解が追いつかない。検察の方から、祖母は事故死だと聞いた。それに祖母が自殺をするなんてありえない。祖母は強い精神力を持ち、声を発せないことを逆に武器にするような人だからだ。そんな人が自殺するとは到底考えられない。
「なんでそう思うんですか?」
僕はあえて、「そんなわけない」と言わなかった。人は脆いもので、外側は大丈夫に見えても、内側がボロボロ、という事が多くあるからだ。僕はそのような人をいままでたくさん見てきた。その中で、そのような人達に共通する事を僕は見つけた。それは確かに祖母にもあったが、祖母には強い精神力があった。他の人にはないことだ。
大叔父が神妙な面持ちで続ける。
「大輝、あの手記読んだか?読んだならわかるはずだ、あいつの真意が。」
そう言い残した後、大叔父は立ち上がりどこかへ歩き去ってしまった。
「(あの手記とはさっきまで読んでいたあれのことか?)」
そう考えると一つのことを思い出した。一箇所だけ、シミのようなもので、読めないところがある。僕は弁当を急いで食べ、その日は祖母の遺品整理に勤しんだ。その甲斐あってか、当日中に遺品整理が完了した。僕は、祖母が書いたであろう手記を懐に隠し、帰宅した。僕はその日、続きを読まずに床へ入った。
翌日、目を覚ますと体に倦怠感を覚えた。体を起こし、体温計の元へと向かう。足取りが重い。こんなことは初めてだ。そんなことを考えながらリビングのドアを引く。
「あ。おはよう大輝!」
声の方向を見ると、エプロン姿の彼女がいた。いつもなら苦と思わない彼女の元気な声が今日は苦に感じる。
「おはよう…」
体温計を脇に挟みながら、小さな声で返事をする。彼女の不思議そうな視線がいまだけは痛い。
「どうしたの?なんかいつもと雰囲気ちがうね。イメチェン?」
「違うよ、体調悪いんだ。」
彼女は理解したような表情を一瞬見せ、その後いつもの顔に戻った。ピピピと体温計が音が鳴らす。脇から取り出すと、小さな画面には37.2℃と映されていた。
「(超微熱だな…)」
大学はどうしようかなどと考えていると、彼女が料理を机に置く。彼女が作る料理はいつも量が多いが、今日はいつにもまして多いように見える。
「超微熱だね。大学行く?休む?」
「いや、行くよ。診断書貰うのめんどくさいし。」
不安そうな彼女をよそ目に、料理をかきこみ、大学へ行く準備をした。今日の講義を休むと単位を落としかねない。それに、体調不良で休むと病院の診断書を要求されるからだ。僕は彼女の助けを借りながら準備を終わらせた。
「(いつもより時間かかったけど、タクシー使えば大丈夫だろう。)」
不思議と、僕の体調は、タクシーに揺られている間に回復していき、大学に着いた時にはもういつも通りに戻っていた。ラッキーだなと思い、その日の講義をすべて受けて帰宅した。彼女はサークルの飲み会に誘われて飲みに行ったので、家には僕と飼い猫だけだ。ふと昨日のことを思い出した。
「(そういえばおばあちゃんの手記持ち帰ったんだった。)」
なぜこんなことを忘れていたのか。僕は机の上に置いてある手記を手に取り、紙を再びめくった。
だが、十五にもなれば理解した。
「 は兄を のだ」
これは母親としてあるまじき行為。家族の中、しかも腹を痛めて産んだ子に優劣をつけるなんて。私は母に問いただそうとした。だが、もう遅かったらしい。母は自分の部屋で首を吊っていた。 普通の親子なら必死に親を助けようとするだろう。私は助けなかった。あえて助けなかったのではない。足が動かなかったのだ。その時、私の心の中では一つの気持ちが湧き出てきた。
母の死は事件として処理された。母の喉がえぐり取られていたからだ。そんな母の死は私と兄に大きな影響を与えた。特に生活面では深刻だったことを覚えている。私には父がいない。正確には私がまだ生まれたばかりの頃に離婚したらしい。収入源がなくなったことで電気が止まり、水道も止まった。兄は高校を中退し、バイトに勤しみ、私は一五で体を売ることを覚えた。兄にはこのことを話していないが気づいていただろう。その甲斐あってか、生活費は払えるようになった。かといって収入は生活費で全て消え、娯楽なんて物は一切なかった。周りはスマートフォンやゲーム機などを持っていた中、私の娯楽は空を眺めるぐらいだ。そんな生活を続けて四年がたった春の日に、私と兄の生活はガラリと変わった。兄が、歌手としてデビューしたのだ。兄は昔から歌が上手かった。私が暇そうにしていると、兄は私の好きな歌をたくさん歌ってくれた。綺麗で中性的な歌声を持つ兄は、その歌声を武器に、積極的に表舞台へ立ち、成功への道を歩き続けていった。私は、そんな兄を、ベッドの上で眺めることしかできなかった。数カ月後、私が妊娠してしまった。それは当然のことだった。稼ぐことしか頭の中になく、自分の事に気を使う時間なんてなかった。それぐらい切迫していたのだ。中絶なんて言葉、当時は全く知らなく、知っていたとしても費用が足らなく、結局は産む選択しかなかった。
なぜ同じ血を持つ者がこうも違う人生を生きなければならないのか。
「元はと言えばその声は私のものなのに。」
僕はいつの間にかリビングのソファに横になっていた。朝と同じ倦怠感が、僕の体を巡っている。時計を見ると、針は2時を指していた。窓に目をやると、外は真っ暗になっていたのでおそらく深夜の2時だろう。あれから、何時間経過したのか、僕は思い出そうとしても思い出せない。記憶がごっそり消えている。
「大丈夫?大輝?」
少し顔の赤い彼女が顔を覗かせながらそう言った。
「大丈夫じゃないかも…体温計取って…」
フラフラ歩きながら、彼女は体温計を持ってきた。僕は体温計を受け取り脇に挟む。すると彼女が口を開く。
「大輝何があったの?」
「いや…正直覚えてないんだ…」
彼女が理解不能のような表情を浮かべ、沈黙が続く。
沈黙の中、体温計が鳴る。小さな画面には38.3℃と映し出されていた。
「あらら…やばいね。明日病院行かないと。」
彼女がそう言うと、僕は眠りに落ちた。
翌日、僕は近所の病院へ向かった。病院へ着くとすぐに別室へ案内され、数十分後に医師が見えた。
「山中さん。今日はどうしました?」
僕は医師からの問いに簡単に答える。
「昨日から熱と体の倦怠感がすごくて…」
「インフルエンザかもしれませんね。検査しましょう。」
僕はテンプレのように話す医師に少し安堵した。昨日はとても、現実だと思えなかったからだ。医師が細い綿棒を鼻にいれ、検査結果を待つ。その間に僕は、冷静に昨晩のことを思い返した。
「(昨日は確か帰宅後に祖母の手記を読もうとして…)」
そこから先が思い出せない。その時スマホが、ブー、と震えた。スマホを取り出し、通知を見ると、ペットカメラからの通知だった。自宅には、飼い猫が悪さをしないよう、ペットカメラを設置してある。案の定、飼い猫がペットカメラを落とそうとしていたので、遠隔で音声を送る。そのとき、ペットカメラに録画機能があることを思い出した。
「(何か録画されているかも…)」
そう思い、保存先のフォルダを開くと「1.13」という名前の動画が保存されていた。恐る恐る、動画を開く。その瞬間、医師が戻ってきた。サッと、背もたれのない椅子に座り、検査結果を見せる。
「インフルエンザ陽性ですね。山中さん学生ですか?」
「…!はい、学生です。」
「では1週間は自宅にいてください。解熱して2日後から学校行っていいですから。」
一気に現実に引き戻されたような感覚に陥った。
「…診断書もらえますか?」
その後は診断書と薬をもらい、自宅に帰った。
帰宅後、僕は自室に入り、再びペットカメラアプリを開く。動画フォルダを開くと「1.13」の文字が確かにある。僕の体はいきなり寒気に包まれた。だが、そんなことに気づかないぐらい、心はその動画に惹かれていた。震える指先で、動画を再生すると、そこには、月明かりに照らされたリビングが映っていた。そして、リビングの中央座っている、「僕」がいた。「僕」は何か喋っていた。最初は、ボソボソと喋っているだけだったが、終わりが近づくに連れ、何かを朗読しているとわかるぐらいに、声は聞き取れるようになってきた。そして最後にはっきりとこう言った。
「母は兄を選んだ」
僕は静かに動画を閉じた。その瞬間、僕の心は、ふっと軽くなった。同時に玄関のドアが開く。彼女が帰ってきたのだ。彼女は僕の顔を見るなりこう言った。
「顔色めっちゃ悪いね。そんなに重いやつだった?」
1週間後、僕は大叔父の家を訪ねた。大叔父はすごく疲弊している様子だったが、僕はお構い無しに家へと入っていった。大叔父は、僕を見ると何も言わずに、奥へと進み僕と対峙した。
「おばあちゃんの件、詳しく聞かせてください。」
「…あの手記の続き、読んだんだな。」
「はい、しっかり読みました。ですが、大叔父さんの口から真実を聞きたく、参りました。」
大叔父は少し黙り、意を決したように語りだした。
大輝の祖母、俺の妹、鳴美は生まれてすぐに声帯を失った。正確には俺に奪われた、が正しい。鳴美と俺は二卵性の双子だった。俺は産まれた時、鳴美よりも体が小さく、保育器にいれられていたらしい。そのとき、病院で火事が起きた。保育器が置かれている部屋にも火の手がまわり、大勢の赤ん坊が死んだ。その中で、俺は生き残った。だが、神様はただでは生かしてくれなかった。熱風を吸い込んで喉に大やけどを負った。
「二度と喋れない」
医師からはそう言われた。
今の俺の声は、成美の声だ。鳴美はこの事を知りながら俺と生活をしていた。母親の死について、殺人事件としての捜査は打ち切られ、最終的には自殺として処理された。喉の傷については誰も触れなかった。鳴美も、俺も。鳴美は、俺が歌手として成功した後も体でお金を稼ぎ続けた。やがて、鳴美は妊娠してしまった。誰の子か分からない子を産むことになり、鳴美の精神は崩壊寸前だった。そんな鳴美を慰めようと、俺は仕事の合間を縫い、雨の降る中、鳴美に会いに自宅へ向かった。だが、そこには、鳴美の姿はなかった。あったのは鳴美が産んだであろう赤ん坊だけ。俺は必死に鳴美を探した。俺は、鳴美が死ぬまで、鳴美の側にいなければならない。だが、鳴美は見つからなかった。結局俺は、最期まで鳴美に会えなかった。
「なぜ大叔父は歌手をやめたんですか?」
最後に僕は単純な疑問を投げかけた。すると大叔父は、意外だ、というような表情をし、少しの沈黙の後、続けた。
「俺は辞めたんじゃない、始めてもない。鳴美が選んだんだ。」
僕はその本当の意味を…前の自分なら理解できただろうか。いずれにせよ、この件は片付いたと思っていい。そうでなければ、前へと進めない気がした。僕は自分にそう言い聞かせた。




