第5章 トラブル ― 消えた“ありがとう”
テスト運用が始まり、誰もが胸を高鳴らせていたそのとき。
画面から“ありがとう”の文字が消えてしまう。
一番大切にしていたものが、突然見えなくなった――。
[アークシステムズ・オフィス/翌週午後]
モニターに並ぶ数字の列。
凪は集中した表情でキーボードを叩いていた。
環が作った“ぽかぽかUI”を本番環境でテスト中。
柊は隣で静かにコーヒーを飲みながら、二人を見守っている。
「よし、これでデータベースと接続完了……っと。」
「“今日のひとこと”欄も表示されましたね。」
「うん、いい感じだ。
じゃあ一度、購入シミュレーションを流してみよう。」
凪がクリックすると、画面に優しいグラデーションが浮かび上がる。
“あなたの手元に、やさしさを届けます。”
――その下に、吹き出しが現れた。
> “今日も一日、あなたのペンが笑っています。”
「ふふ、かわいい……!」
「文具の気持ちまで代弁してるな。」
その時だった。
次の瞬間、画面が一瞬点滅し、
表示されていたメッセージがふっと消えた。
「あれ……? “ありがとう”の欄、消えちゃいました?」
「えっ……おかしいな。
データベースのログには残ってるのに、UIが空白になってる。」
「サーバー落ち?」
「いや、違います。
メッセージデータだけが抜けてる。
……まるで“気持ち”だけが消えたみたい。」
「……なんか、それ、ちょっと悲しいですね。」
凪は深く息を吐いた。
「“ありがとう”を残したくて作ったのに、
いちばん大切な部分が消えるなんて。」
「焦るな。
システムにとっての“ありがとう”って、文字列じゃない。
気持ちを伝える“構造”そのものだ。
それを見直せばいい。」
「“構造そのもの”……ですか?」
「たとえば、“ありがとう”をデータベースに残すんじゃなく、
画面を開く人が、誰かの“想い”を感じ取れる導線を作る。
形を変えて、同じ心を残す方法を探すんだ。」
「……なるほど。
“ありがとう”って、メッセージじゃなくて“気配”なんですね。」
「そう。
人の温度は、ログには残らない。
でも、“ぬくもりのある設計”なら、ちゃんと届く。」
「……はい。もう一度、考え直してみます。」
凪は画面を見つめ、
消えたメッセージの空白の中に、自分の指先をそっと置いた。
> “ありがとう”は、見えなくても残せる。
その言葉が、静かに心の中で響いた。
凪くんにとって、“ありがとう”はただの言葉じゃない。
だからこそ、失った時の静けさが痛いほど伝わりました。
次回は、再び立ち上がる夜のお話です。




