第6話 ふたり暮らし【フェニス第3従響星】
アリシアが孤児院から卒院し、1ヶ月が経過した。
「あー……、疲れたー……」
ガチャリ、と玄関の扉が開く。
街灯に照らされたシルエットが壁掛けの鏡に映った。
ジャケットにショートパンツというスタイルは孤児院服を着ていた頃に比べ、背丈は同じでもちょっぴり大人っぽく見える。
この服がアリシアのお気に入りだった。通勤で毎日着るほどに。
バタンと扉が閉まった後で、部屋の明かりが一切ついていないことに気がついた。
街灯の明るさに目が慣れてしまっていたせいで、室内の暗闇がやけに際立つ。
「え……暗……。リメア……?」
しょぼしょぼする目を凝らしつつ、手を伸ばしてライトのスイッチを探した。
硬い感触に指先があたり、そのままボタンを強く押し込んだ。
パンッ!
「アリーシアー! おかーえりー!」
突然の破裂音に目を丸くするアリシア。
色とりどりの紙吹雪越しに満面の笑顔。
肩からカバンのかけ紐がずり落ちた。
「今日は~、お引越しの1ヶ月~、記念日! 記念日っ!」
ぴょんぴょんと跳ね回るリメアを見て、アリシアの顔が一気に綻ぶ。
「私を驚かせようとして、明かり消してたな~! このこの!」
「いひぃ、こめかみはー、こめかみだけはご勘弁を~!」
少女たちはきゃいきゃいと騒ぎながら、リビングへと移動する。
いや、リビング兼キッチン兼リメアの寝床と言ったほうが適切かもしれない。
ソファとテーブル、棚がひとつ。
そして奥にはアリシアの部屋とシャワールームという簡素な作りだったが、2人で生活するには十分だった。
普段は殺風景な、リビングの灰色の壁。
でも今夜は違った。
リメアが1日かけて取り付けた装飾が、所狭しと揺れていたからだ。
いずれも携帯食の包み紙やチラシ、梱包紙で作られてるものばかり。
しかしリメアのたゆまぬ努力により、飾り付けに安っぽさは微塵も感じられない。
それぞれがびっくりするほどカラフルに塗り分けられており、少し騒がしさを感じるほどだった。
「アリシア様が帰って来るマデ、おおよそ1時間47分、リメア様は玄関で待機しておられマシタ」
「あー! またリッキーが余計なことを言ってるー! ちょっとしか待ってないからね? ほんとにちょっとだからね?」
「はいはい、わかったわかった。にしてもすごいねリメア。まるで絵本の世界じゃない」
「うん! アリシアがこの前買ってくれたクレヨン、大活躍したんだよ!」
リメアは赤や緑に汚れた指で、クレヨンの箱を嬉しそうに見せてくる。
12色のクレヨンはきれいなグラデーションで並べられていて、まんべんなく背が縮んでいた。
どうやら黄色がお気に入りらしく、もとのサイズの3分の2ほどの大きさになっている。
「…………ありがとね。疲れが一気に吹き飛んだわ」
「わーい! アリシアに褒められたー!」
アリシアはふぅ、と小さくため息をつきながらリメアを優しく抱きしめる。
ちょうど目線の先に、女の子2人が水遊びをしている絵が飾られていた。
子どもが描いたとは思えないほど、かなり上手に描けている。
「わぁ! すごいわ! これもしかして、私? 隣りにいるのがリメア?」
「うん! そうだよ!」
「この黒い線は何?」
「しばき紐!」
「ビキニよ! ビ・キ・ニ! まったく、どこから出てきたのよ、その名前は」
頭を抱えるアリシアの前で、リッキーがくるくると踊る。
「よくぞ聞いてくださいまシタ! しばき紐とは、リメア様が宇宙船にいたコロ、何度も繰り返し視聴されていた長編アニメーション作品、『宇宙海賊シバキ』のメインウェポンなのデス!」
「……へぇ、ビキニがメインウェポンねぇ……。それ、子供が見ていいものなの?」
「ええ、もちロン! 宇宙海賊シバキは、シバキ紐を常に10枚以上装着しており、戦闘時の使用配分が勝利の鍵を握る、骨太スペースファンタジー巨編なのデス!」
リッキーの説明は次第に熱を帯び、やたら早口になる。
「なんでリッキーが一番熱くなってるのよ。ほら、もうリメアなんて別のことしてるわよ」
「んハッ! ワタクシとしたことガガガッ!」
ひたすらガタガタ震えるという、最近発明した故障機械ジョークをかます球体。
リメアはそんな相棒もお構いなしに、壁の絵に加筆を続けていた。
「んー? なにか描き忘れたの?」
黒い頭の上から覗き込むと、黒と白の色のクレヨンでなにやら丸をグリグリ描いている。
絵の中で笑う少女たちのちょうど頭の高さに浮かんでいるねずみ色の物体。
アリシアは、ははんリッキーだなと納得した。
だが同時に頭の中にある記憶がその情景を否定する。
「ふふっ、リメアってば、忘れちゃったの? あの沢遊びの日、リッキーはいなかったでしょ?」
「ガガガッ……ガッ……」
トラウマの流れ弾が、リッキーに着弾したようだった。
そういえば、沢遊びに参加できなくて不満を漏らしてたとリメアに聞いた気がする。
そんなことはどうでもいいと、アリシアはリッキーから視線を外した。
絵の前でふふん、とリメアは自慢げに胸を張って見せる。
「これはね、前行った沢じゃないんだ。いつか、アリシアと一緒に行く、バカンスの絵なの!」
「……そういえば、そんな約束、してたわね……」
アリシアは目を細め、完成した絵をじっと眺める。
決して多くの色が使われた絵ではない。
湖は水色。
草は黄緑。
空は青色。
太陽は赤。
それでもアリシアには、その1つ1つが、目の前で呼吸をしているように感じられた。
揺れる木の葉、草原を撫でる涼風、輝く湖面、流れる雲――。
楽しそうに響き渡る笑い声が聞こえたところで、はっと我に返った。
「気に入ってくれた?」
「……えぇ、とても」
素敵な絵ね、と黒髪を撫でるとリメアが嬉しそうにすり寄ってくる。
ちらつく蛍光灯、ひび割れたコンクリートの天井。
ソファはゴミ捨て場、棚やテーブルは廃墟から引っ張ってきた。
多少色褪せてたり、傷が目立っていてもまだまだ使える。
決して豊かとは言い難い生活。
でも他では得られない、穏やかな時間がそこにはあった。
誰かに狙われているわけでも、脅威が迫っているわけでもない。
それでも、ここだけは守り抜く。
アリシアは、深いクマが刻まれた目をつぶり、心に誓った。
翌々日。
「これより! 本日の作戦会議を、開始します!」
「はい! アリシア隊長!」
「イエス、マム!」
ババッと、ベッドの上にチラシが広げられた。
「ビタミン配合携帯食(黄)12個入5,980C、雨水蒸留水2リットル300C、魚粉混合ペースト100g82,300C、葉茎混合小麦粉300g5,300C……。さて、リメア分隊長、どこから攻めますか?」
「ふんふん、この黄色いのと、お水、お魚がいいでしょう!」
「しかしリメア分隊長、お魚エリアは大変危険です。攻撃を受ければ、ペットのリッキーがやられてしまうでしょう」
「それは困りますね、アリシア隊長。ではあまりおいしいとは言えませんが、この灰色の粉をやっつけてしまいましょう」
「懸命な判断です、さすがリメア分隊長」
「なんでワタクシだけ、戦力カウントされていないのデショウ……」
仕事の翌日を丸一日寝て過ごし、翌日に買い出しに行く。
それがルーティーンだった。
買い出しとは言っても、食材のほとんどはアリシア用だ。
リメアがほとんど食事を接種しないことはすでに判明していた。
子ども一人が立てるか立てないかのベランダに出て、夜風に当たりながらエーテルを吸収する。それがリメアにとっての主食だった。
あとは嗜好品代わりに、ときどきアリシアの携帯食の一部を分ければすむ程度。
経済的なことこの上ない。
「コホン、確かに、リメア分隊長の食事量は家計においてわずかである。しかーし! 働かざるもの食うべからずの反対、食わぬもの働く必要なしとはならない! なぜなら、家賃もシャワーも、タダではないからであーる!」
「あーる!」
リッキーとリメアは声を重ねる。
「よって、今回の作戦に同行し、荷物運びのお手伝いを任命する!」
「はい、隊長!」
「隊長、隊長! ワタクシは何をすレバ!?」
「あー……えっと。ペットは……うん、まあ、好きにしててよし!」
「ワタクシだけ、雑じゃありまセン……?」
かくして一行は人気のない繁華街のはずれにある雑居ビルを出ると、近所のスーパーへと向かった。
まばらについた照明の下を、ガタついたカートを押して2人で歩く。
平積みされた食材を載せレジへと進む。
そのわずかな間に、2人の頬は試食品で膨らんでいた。
「やはり、ここのビュッフェはいいですね隊長。わたし、これだけで一ヶ月は持ちます!」
「ええ、うすーーーくスライスされた切り分け方にすら、美学を感じるわ」
出てきたレシートに眉をひそめつつ、アリシアたちは戦利品を掲げて凱旋する。
帰路の途中、路肩の服屋で珍しく子供服が売り出されていた。
「わぁ! かわいい!」
リメアが駆け寄りマネキンを眺める。
どうやら斜めがけにされているデニム生地のポシェットが気になるようだった。
「………………欲しいの?」
遅れて追いついたアリシアが、1拍置いて尋ねる。
「か、買ってあげようか?」
すこし、声が上ずっていた。
リメアは振り返り、アリシアのやや緊張した顔を見る。
孤児院の庭にいた時と変わらぬ、無邪気な両目が見開かれていた。
見つめ合ったまま、数秒が過ぎただろうか。
「……そうだ!」
リメアは顔を一気に輝かせ、アリシアに荷物を預けた。
そのままマネキンに近づくと、ポシェットを脱がせ始めたではないか。
「ちょ、ちょっと、リメア? まだ買ってないんだから、あまり乱暴に扱っちゃ」
「大丈夫だよ! ちょっと見させてね~」
ぺろり、と唇を舐めつつ、リメアはポシェットを隅から隅まで観察する。
紐の目の粗さ、金具の光沢、手触り、裏地。
そのすべてを目に焼き付けるように、真剣な表情で。
「ようし、覚えたよ~! アリシア、来て来て!」
呆然としていたアリシアを引っ張り、リメアは裏路地に身を隠す。
「いくよー……」
しゃがんだリメアの両手の間で、パチパチと虹色の光が弾けだした。
肩から流れ落ちる黒髪が、ゆらゆらと風に揺れながら白銀色に輝き出す。
アリシアは慌てて周囲を見渡し、通行人がいないことを確認する。
大通りからの視線を遮るように、リメアの隣で膝を折った。
音もなく散る柔らかな光の中、少しづつ結晶が形成され始める。
結晶が大きくなればなるほど、銀髪の毛先から光が立ち上り、髪自体は短くなっていく。
複雑に色を変える結晶は伸ばされ、編まれ、縫い糸を通された後、気がつけば先程のポシェットと瓜二つの姿へと変わっていた。
髪の毛は先端から2センチほど短くなってしまっていたが、全体の長さに比べれば誤差のようなもの。
「すっごい……」
アリシアはそう言うだけで精一杯だった。
見たことも聞いたこともない魔法のような出来事が、目の前で繰り広げられたのだ。
リメアはポシェットを肩に掛けて、くるりと1回転する。
「どう? 似合ってる?」
ひらり、と揺れる白いワンピースに、薄青のポシェットはよく映えた。
「ええ、とっても似合ってるわ。控えめに言ってめちゃくちゃかわいい」
「えへへ、やったぁ!」
リメアはててて、と駆け寄ってくると、アリシアの両手を握る。
「ありがと、アリシア」
突然のお礼に、思わず困惑する。
「えっ、私は何も」
「アリシアはね、このポシェットを、買ってくれ――じゃなくて、買おうとしてくれたよ!」
「え、ええ」
確かに、買ってあげようかと提案はした。
ただ、それを自分で作ったのは、リメアだ。
何もしていない。何もできていない。
「さ、さっきのは、えっと、買おうとしてくれた、アリシアの気持ちに対しての、お礼なの!」
「…………」
「だから、その、そう! 買ってくれたのと、ほとんど一緒、なの!」
「………………ぷっ、あははははっ」
薄暗い路地裏を、笑い声が明るく照らした。
この子が言っていることは、ちょっと変だ。
でも息が詰まるほど、優しくて温かい。
そのぬくもりが、なによりも心地よかった。
その時だった。
リッキーが突然頭上で赤ランプを光らせる。
「リメア様、アリシア様、気をつけてくだサイ、誰かに見られたカモ!」
突然慌てだしたリッキーにに、アリシアは首を傾げ周囲を見渡す。
あやしい人影はどこにも見当たらない。
「気にしすぎよ、リッキー。路地裏で女の子が2人、ポシェットを見てはしゃいでるだけよ。悪いことなんてしてないわ」
「リッキーのビビりー」
「ムムム……」
ムスッとしたまま周囲を見渡すリッキー。
念の為一緒に確認してみても、やはり人影は見当たらなかった。
「ほら、大丈夫でしょ?」
「…………そう、デスね……」
アリシアはふっと笑い、リメアに向き直る。
「…………帰ろっか」
「うんっ!」
2人は道路脇に置いていた買い物袋を、それぞれ持ち上げる。
先に歩き出したリメアの背中を後ろからアリシアが追った。
「……っ、そうだリメア! 代わりに、こんどなにか、本当に買ってあげる! なにか、欲しいものはある?」
路地裏から大通りに出ようとしたリメアは、うーん、と立ち止まる。
しばらく考えた後、あっ、と声を上げ日輪のような笑顔と一緒に振り返った。
「じゃあね、1つだけ、気になるものがあるの」
「なになに、教えて?」
「前知識回路接続した時に、言ってたんだよね、ええっと、なんだっけ……デュポ小麦? を使った……なんか、長旅を覚悟してもいい、すごく美味しそうなやつ……」
「……?」
リメアはこめかみに人差し指を立てて、必死に思い出そうとしている。
アリシアが微笑みながら見つめていると、そうだ、と声をあげ、屈託のない笑顔で言い放った。
「この星の、ハンバーガーっていうの、食べてみたい!」
商店街に強い風が吹き、リメアの黒髪が乱れる。
白いワンピースがバタバタと音を立ててはためいた。
「―――――わかったわ」
腹の底から響くような、低い声が出た。
リメアを追い越して路地裏から出たアリシアの横顔が、ショーウィンドウに映りこむ。
笑みを浮かべた口元とは対象的に、紫苑の瞳には強い決意の光が宿っていた。
「ありがとう、アリシア!」
「ふふ、任せて」
颯爽と風を切って大通りを歩き出したアリシア。
小さな足音が後ろからついてくる。
ちょこまかと横に並んできたリメアに、さりげなく尋ねてみた。
「……ちなみにさっきのやつって、私の服とかも作れたり……する?」
「ご、ごめん、これ、わたしから離れ過ぎたら、消えちゃうんだ……」
アリシアは勤務中に突然下着姿になる自分を想像する。
「それは……まずいわね」
「うん……ごめん」
アリシアは首を横に振った。
「こちらこそ、ちょっと聞いてみただけだから。ちょっとね」
2人は肩を並べて、仲良く歩いていく。
「ワタクシにもお仕事ヲ! 任務をくだサイ! オヨヨヨヨ……」
銀色の球体がその後ろから、エーテルの光を涙のように流しながら、ふらふらと追いかけていった。




