第13話 空の棺【インウィディア・旧王都】
ギルド本部に入った瞬間、異様な光景にリメアは面食らう。
「なにこれ……! 人がいっぱい……!」
以前来たときには大きく開けていたはずのホールに、長蛇の列ができていた。
列の先を目でたどると幾度も折り返した先に災害対策ギルドと森林管理ギルドの窓口が見える。
「ったく、朝から並んでるのに……」
「ええっ、あなたの町も? うちの町も水不足よ。水脈の流れが変わったのかしら」
「ほんとなんだ。魔物の生息域が明らかに変わってる! こんなに早く予兆が現れるなんて!」
一向に動かぬ列に、人々は暇を持て余し専ら会話に専念している。
それぞれの声が建物の内側で混ざり合い、わんわんと反響していた。
(すごい人……なにかあったのかな? って、違う違う! わたしはパリオネのことを聞きに来たんだ! えっと、最後にお別れした時、パリオネが連れて行かれてたのは確か……災害対策ギルド!)
ギルドの紋章が刺繍された赤い旗を目印に人混みをかき分け進んで行く。
身を低くかがめて群衆の足の間をすり抜け、災害対策ギルドの窓口の近くへ飛び出した。
列の最前で、髭面の冒険者が受付嬢に悪態をついている。
「おい、この列が目に入らねぇのか!? どう考えても受付の人数足りてねぇだろ! ラビカはどこにいるんだ、姿が見えねぇぞ!」
「申し訳ございません、ラビカはただいま休暇を頂戴しており……」
「この忙しいときに何やってんだ! どれだけ待たせるんだよ!」
「すみません……」
ひたすら頭を下げる受付嬢の唇は、色が変わるほど強く噛み締められている。
(ラビカって、ええっと確か……そうだ、パリオネの友達の……!)
リメアはいてもたってもいられなくなり、カウンターへと駆け寄った。
背伸びして身を乗り出し、受付嬢へ声をかけようと口を開く。
すると突然、ひょいと後ろから脇を持ち上げられた。
「わわっ!?」
「嬢ちゃん、横入りはダメだぜ。見たら分かるだろ? ちゃんと並びな」
ストン、とリメアを下ろした垂れ目の男は、後ろの列を指差す。
「でも……!」
「でももだっても関係ない。順番は順番。そうだろ?」
垂れ目の男はフン、と鼻を鳴らす。
周りの冒険者たちも、そうだそうだ、と囃し立てる者、頷く者。
「うぅ……」
リメアは背伸びしながら列の最後尾を覗いてみるものの、まるで動く気配がない。
「どうしよう、パリオネのこと聞きたかったのに、これじゃ……」
泣きそうになりながらカウンターから離れようとしたその時。
背後から聞き覚えのある声がリメアを呼び止める。
「あれっ、あなたはディアさんじゃないですか? ドラゴン退治の」
振り返ったリメアはぎょっとした。
書類の塔が目と鼻の先にあったからだ。
ひょいとその書類の横から緑帽子を被った女性が顔を出す。
森林管理ギルドの受付嬢だった。
ただ、その体勢はかなり無理をしているのか、立ち止まっている間も両手両膝がプルプルと震えている。
「あっ……だめっ!」
受付嬢の背丈を優に超える紙の塔がバランスを崩し、音もなく傾いていく。
(うわっ、あぶないっ!)
リメアが手を伸ばすのと同時に、周囲から何本も手が伸びてきて書類を支えた。
「おっと」
「あぶねぇ、無理するなよ」
近くにいた冒険者たちの手だった。
左右に歪んだ塔は崩れる寸前で支えられ、はらりと書類が数枚落ちるに留まる。
大惨事はなんとか回避され、リメアはほっと胸を撫で下ろす。
緑の帽子の受付嬢は、縮こまりながら会釈する。
「あ、ありがとうございます……」
「わ、わたしも手伝うよ!」
リメアは落ちていた書類をかき集め、手を差し伸べる。
冒険者のひとりが紙山の一部を塔の上から受け取って、そのままリメアの持つ書類の上に重ねる。
「嬢ちゃん手伝いとは感心だな。どうだ、これぐらいだったら持てるか? 結構重いぞ?」
「大丈夫、全然平気! もっといけるよ!」
「おっ、力持ちだな。そいじゃ、もう一束いくぞ?」
リメアが顎下まで書類を抱えたところで、受付嬢が申し訳無さそうに謝ってくる。
「ごめんなさいね」
「ううん、わたし力には自信あるの。それより――」
パリオネのことを尋ねようと口を開いたリメアだったが、顔を真っ赤にして汗を流す受付嬢を見て言葉を飲み込む。
「おーい、荷物が通るぞ! 道を開けてやれ!」
冒険者たちは互いに声を掛け合い、リメアと受付嬢に道を開けてくれた。
促されるまま、リメアは仕方なく歩き始める。
(この書類、この書類を運び終わったら、パリオネのこと聞くんだ!)
そう息巻き、リメアはずんずん前へと進んだ。
結局ホールを大回りし、書類を抱えて森林管理ギルドの窓口までやってきた。
ドサリ、とカウンターへ書類を置いた時、ふと表になった紙の中身を見てリメアは目を丸くする。
「あれ? もしかして、これ全部……地図?」
息を切らした受付嬢は額の汗を拭いながら頷く。
「ええそうよ、あなたが倒したドラゴンの印をもとに作り直した地図です」
言われて見れば、確かに以前リメアが提出した地域を記した地図と瓜二つだった。しかしどうも以前見たものとは描かれている地形が異なっている。
記憶の地図と照らし合わせ、間違い探しをするリメア。
そしてはっと気がついた。
「前に印をつけたところが、森になってる……!」
パリオネが印をつけてくれた場所、つまりドラゴンを倒した場所は遮るもののない丘陵地帯だったはず。でもこの地図にはその場所に巨大な森が描かれていた。
リメアは不思議に思い首を傾げる。
すると受付嬢が吹き出しながら笑顔を向けてきた。
「ご冗談を。あなたがドラゴンを倒したからに決まってるじゃないですか」
「……え?」
聞き返すと受付嬢は汗をハンカチで拭きながら、きょとんとしている。
「デュオナッソ程度ならまだしも、ドラゴンを討伐した地に森ができるのは、当たり前じゃないですか。でなければ地図を森林管理ギルドが高値で取引したりしませんよ」
「わ、わたしのせい!?」
「せい、というか、おかげですよ。森は貴重な資源です。食料に薬草、それに群がる野生動物に魔物まで、大きな生態系を作り上げます。冒険者たるもの、それらを誰よりも早く把握することで各自お仕事に繋げているんですよ」
受付嬢はニッコリとリメアに笑いかけながら、長蛇の列へ視線を送る。
(ドラゴンが死んだところに、森ができる……?)
リメアは頭の中で受付嬢の言葉を繰り返す。
にわかには信じがたい話だったが、この星ではそれが常識らしい。
「ディアさん、お手伝いいただきありがとうございます! これでやっと、対応が進められます!」
受付嬢の跳ねるような声と同時に、カウンターの奥でベルが鳴った。
「皆様、大変お待たせいたしましたー! 森林管理ギルドより増刷分の地図を頒布いたしまーす! できる限り両替を済ました上でお並びください!」
アナウンスが流れると森林管理ギルド前に並んでいた人々がどっと沸き、各々がコインを握りしめ、いそいそと列を整え始める。
「うおっ、何だこの森! 相当でけぇぞ! ドラゴン討伐の噂はホントだったんだ!」
最初に地図を手にした冒険者が嬉々として地図を頭上に掲げる。
おおっ、と列の冒険者たちが色めきだつ。
その後リメアの目の前で、地図は飛ぶように売れていった。
貨幣の価値を正しく理解していないリメアでも、すごい売り上げだとすぐに分かった。
過去にドラゴン討伐報酬として差し出された見覚えのある大袋が、コインを恐ろしい速度で飲み込んでいき、何度もカウンターの奥へと運ばれていくのだ。
あくせくと袋を取り替えながら、さっきの受付嬢は様子を見守るリメアにホクホク顔でウインクを飛ばしてきた。
どうやらドラゴン討伐により、森林管理ギルドに多大なる貢献をしていたらしい。
列はどんどん捌けていくものの、あとからあとから人の足は絶えず、地図の山はみるみるうちに小さくなっていく。
この分だと列の後ろ半分は増刷が届くまで再度待ちぼうけを食らいそうだな、とリメアは思った。
(は、話しかけるタイミングが……)
忙しなく働くギルドスタッフの手が空くのをぐっとこらえながら待ち続けるも、一向に職員たちが休まる瞬間がない。
かといって他の窓口に知り合いはおらず、災害管理ギルドの列は相変わらずピリピリしている。
どうしよう、とリメアの焦燥感がピークに達したその時だった。
背後から誰かに肩を叩かれる。
「君かね。英雄パリオネの遺弟とは」
「パリオネの……ゆいてい……?」
腹の奥まで響くような落ち着いた低い声に、リメアは背後を振り返る。
そこに立っていたのは30代後半ほどに見える、精悍な顔つきの男性だった。
僅かにシワの刻まれた赤い瞳。きれいに整えられた白髪が後ろで束ねられている。
目線を下ろせば、男の胸にはギルド紋の金刺繍が眩しく輝いていた。
他の冒険者たちとは明らかに身なりが違う、とリメアは心のなかで呟く。
シワ一つ無い制服の肩章からは臙脂色の片マントが膝まで伸び、半身を覆っている。
ギルド関係の偉い人かな、とリメアは彼の装いから予測する。
口を半開きにしたまま見つめていると、男の唇が静かに動いた。
「随分と若い。君が噂に聞くディア君かね?」
「は……はい」
「では念のため、実力が本物かを、この目で見させてもらおうか……!」
突如、空気の壁を叩きつけられたような感覚に襲われた。
頬に伝わる、ピリピリとした空気の悲鳴。
思わずリメアは身を固くする。
「――っ!?」
「ほう、これでも気圧されぬとは」
言葉と気迫がまるで一致していない。
男から放たれた圧が、絶えず針のように肌を刺す。
まるで剣山の嵐を正面から受けているかのようだった。
リメアはじりじりと後退りしつつ身構える。
こんな大衆のど真ん中で出していい殺気ではなかった。
「あなたは……誰……?」
歯の間から絞り出すようにして、なんとか尋ね返す。
周囲を気にしている余裕など微塵もない。
男はニヤリと口角を歪め、半身になる。
まずい、とリメアは直感した。
(来るっ!!)
にわかに信じがたいことに、男は拳を脇に固める。
明らかな攻撃の意思。
リメアが呼吸を整える隙をつき、数歩の距離を一足飛びに詰めて来る。
風を切り裂きながら眼前に迫りくる男の拳。
あまりにも洗練された動きに、パリオネの姿が重なる。
それが幸いして、リメアの脳髄から指先に電流が走った。
「っ!」
体が無意識に動く。
突き出された拳を受け流し、前に出した足を軸に腰を捻る。
それはかつて、パリオネに教えてもらった戦闘技術。
(――二連恒星っ!)
頭に技名が浮かぶと同時に、裏拳を振り抜く。
リメアのカウンターは、確実に男の頬を捉えた。
――はずだった。
コマ送りのようにゆっくりと流れる時間の中で、拳が当たる直前、男の顔が煙のようにふっ、と揺らいで消える。
刹那、揺らぐ男の口元がほんの微かに、つり上がったように見えた。
「えっ!?」
リメアは己の目を疑った。
攻撃対象を失い、己の拳は空を切る。
(どこに――!?)
慌てて消えた男を目で探したその瞬間。
ハッとリメアは我を取り戻した。
周囲の喧騒が徐々に戻って来る。
浅い息を繰り返しながら、目だけを動かし状況を整理する。
正面の男は、以前立っていた場所から一歩も動いていなかった。
それはリメア自身も同様だ。
談笑を続ける冒険者たちは、こちらに気づいてすらいない。
額にびっしりとかいた冷や汗がつうと頬を伝う。
(今のって……幻覚……!?)
じっとりと湿った手と目の前の男を交互に見る。
一瞬の攻防は幻覚の一言で済ませるには、あまりにもリアルすぎた。
白昼夢でも見ていたのかとリメアは何度も目を瞬かせる。
「……ふっ、噂は本物のようだ」
男が軽く目を伏せた途端、リメアを包んでいた圧がふわりと霧散した。
「はぁっ……!」
ようやく深く息を吸い込むことができ、思わずつんのめる。
周囲を見回してみるものの、騒ぎが起きている様子はない。
背後で地図を渡す受付嬢は、にこやかに貨幣の詰められた大袋を取り替えている。
壁にかかっている旗や鹿頭の飾りも、男から発せられていた圧を受けた様子はなく、微塵の揺れさえ見られなかった。
(わたしの気のせい……じゃないよね……?)
バクバクと心臓が鳴り続けていた。
1合打ち合った感覚がまだ手に残っている。
大きく戸惑いながら、リメアは口を開く。
「……今の、なに……?」
男は軽く肩を竦めると、まるで何事もなかったかのように言葉を返してきた。
「ただの気迫だ。武がある領域に達すると指先の動きだけで次の手が互いに《《視える》》。拳を交えずとも、強者同士の力量は推し量れるのだよ」
男は静かに自らの頬を撫で、消えた時と同じ微笑を浮かべた。
そこは確かに、リメアの裏拳が直撃したはずの場所だった。
「突然の非礼を詫びよう。私の名はユグルタ。だがここでは“ギルドマスター”という役職の方がわかりやすいだろう」
「ギルド、マスター……!」
リメアは男の言葉をただただなぞる。
この国、この星でギルドマスターという称号がどんな意味を持つのかをリメアは知らない。
ただ戦闘技術においてリメアの遥か上を行く存在であることだけは体で理解した。
警戒を完全には解けぬ最中、視界の端でギルド本部の扉が開き光が差し込む。
そちらへ顔を向けると、飛び込んできた茶髪赤眼の少年と目があった。
「あっ、アーヴィ!」
「リメ……いやディア! 探したぞ!」
アーヴィは駆け寄って来るやいなやリメアの前へと割って入り、ギルドマスターからかばうように身構える。
「誰だこいつは! さっきのは何だ!? とんでもねぇ気配を街中で振りまきやがって……!」
ピクリ、と男の眉が動く。
「ほう、君は……!」
ユグルタと名乗った男はアーヴィに目線を向けると、浮かべかけていた微笑を取り下げ、すぐさま表情を曇らせる。
「はっ、どこかで会ったみてぇな顔しやがって。俺の顔になんか付いてんのか、あぁ!? あいにく俺はあんたの顔を拝むのは初めてだがな……!」
先程までとは打って変わって、冷たく張り詰めた空気が周囲に流れた。
「えっ、えっ……?」
状況を飲み込めないまま、リメアはユグルタとアーヴィを交互に見る。
時間にして、わずか数秒。
「……ぷはっ、はぁっ、はぁっ!」
アーヴィは水に沈められた頭を水面に出したかの如く、突然肩で息をしはじめる。
「アーヴィ!?」
顔を覗き込むと、その額には玉のような脂汗が浮かんでいた。
「なっ、何したの! アーヴィに!」
リメアは男を睨みつける。
「先程ディア君へ向けた気迫を彼にもぶつけたまでだよ。ふっ、アーヴィ君と言ったかね、面白い子だ。肝が座っている。……よかろう、そこの少年もディアと一緒に私について来るがいい」
「……どうして?」
リメアが尋ね返すと、ユグルタは涼しい顔の下で赤眼を鈍く光らせた。
「パリオネについて、知りたいのだろう……?」
「……!」
ユグルタはその言葉を残して片マントを翻し、リメアたちに背を向ける。
リメアは隣で息を整えるアーヴィの肩を揺すった。
「だ、大丈夫?」
「あぁ。あいつ……とんでもねぇ強さだ。俺が今まであった人間の中でも……5本の指に入る……達人だ。にしても……こっちが走ってきて息を切らしてるの……分かった上で殺気の塊……ぶつけてきやがって……! 酸欠でぶっ倒れるとこだったぞ……!」
「あれ、もしかしてアーヴィも、あの人の幻みたいなのと戦ったの?」
「あぁ。……はっ、戦うもなにも、100通りの方法で虚像にボコられただけだぞ、俺はな」
ふぅ、と呼吸を落ち着かせたアーヴィとともに静かに歩き出した男の背中を見る。
揺れる片マントには、18のギルド旗紋が描かれていた。
「くそ、何者だ、あいつ」
「ギルドマスターだって言ってた。名前は確か、ユグルタ」
アーヴィは目を見開き、リメアの耳元で囁く。
「おい……! それは本当か!? でかしたぞリメア、奴は間違いなく精霊につながる鍵。大物だぞ……!」
「……」
ははっと乾いた声で笑うアーヴィ。
一方リメアの頭は別のことでいっぱいだった。
(あの人パリオネのこと、知ってるって言ってた……!)
リメアが見つめる先、歩を進めるユグルタの気配は恐ろしいほど巧妙に消されていた。
端から見ても明らかに目立つ格好なのに、誰ひとり気に留める者はいない。
男はするりするりと木の葉を躱すように雑踏を抜けていく。
「行くぞ」
コクリとアーヴィに頷き、リメアは男の後を追った。
円形のギルド本部の壁伝いに歩いていくと、人気の少ない地下階段の前へ辿り着く。
ユグルタは振り返ることなく階段を降りていった。
石造りの床を革靴で歩いているにも関わらず、耳を澄ませても足音はまるで聞こえない。
「……手練れの暗殺者か幽霊だなありゃ」
悪態をつきながらアーヴィが続く。
リメアもゴクリとつばを飲み込んで、薄暗い地下へと足を踏み入れた。
「けっこう暗いね」
アーヴィの服の裾を掴みながら、リメアは呟いた。
空間が狭いからか、声は存外大きく響く。
「いろいろと立て込んでいてな。採光部の清掃が疎かになっている」
リメアの声が聞こえたのか、ユグルタは階段を降りながらため息をつき、天井を見上げる。
そこにはガラス状の光る枝が所々に生えていた。
「……光ファイバーか。大層エコなことで」
殺気を当てられたことをまだ根に持っているらしく、アーヴィはケッと台詞を吐き捨てる。
(確かに言われてみれば、この星では電気や機械はあんまり見かけない……。最小限って感じ)
リメアは歩きながらこの星、インウィディアのアーカイブ情報を思い出す。
確か自然主義コロニー船団の人たちがこの星の移住者に選ばれたんだっけ、とおぼろげな記憶をたどる。
ギルド本部にもその思想が徹底されているのかな、などと考えていると、階段の続く先から誰かのすすり泣く声が聞こえてきた。
「ここだ」
ユグルタが立ち止まった踊り場には、衛兵がひとりと木製の扉。
衛兵は敬礼の姿勢を崩さない。
「ご苦労」
ユグルタがねぎらいの言葉をかけると、衛兵は旗のついた儀礼用の槍の柄でコツン、と床を叩く。
すると閉じていた扉が内側へと開かれた。
すすり泣く声が一際大きくなった。奥で誰かが泣いている。
「中へ」
短い言葉に促され、リメアたちは扉をくぐった。
地下室は階段に比べて、幾分か明るかった。
天井いっぱいに張り巡らされたガラスの枝が、部屋全体を照らしている。
正面の祭壇に向かって長椅子が左右にずらりと並んでおり、床には紺の絨毯が敷かれていた。
「礼拝堂か……?」
アーヴィは周囲を見回しながら腕を組む。
その時、リメアの視線は絨毯の先へ釘付けになった。
赤い制服に身を包んだ女性が、祭壇の下で横長の箱に寄りかかり泣いている。
駆け寄ろうと前に進めた足が、状況を理解しはじめ鈍くなる。
同時にリメアは冷たい手で心臓を掴まれたような感覚に襲われた。
「棺だ」
アーヴィが隣にやってきてボソリと呟く。
リメアは恐る恐る、毛の長い絨毯を踏みしめながら祭壇へ近づいた。
棺の蓋は開け放たれており、内張りの白絹が覗いている。
添えられた色とりどりの花が目に飛び込んできた。
考えたくはなかった。
認めたくもなかった。
それでも、状況がすべてを物語っている。
(あの棺は……まさか……)
背を向けてこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
振り返れば、ユグルタとアーヴィが沈痛な面持ちでこちらを見ている。
リメアは目をぎゅっとつぶり、自分に言い聞かせた。
(目を背けちゃ、だめなんだ……。ちゃんと、見届けないといけないんだ……)
一歩、一歩がとても遠く感じられる。
それでも、意を決してリメアは棺を覗き込む。
息を殺し、胸を強く押さえながら。
しかし――。
「えっ……?」
リメアの目が捉えたのは、燃えるような赤髪とかつて見た英雄の横顔……ではない。
そこにあったのは、棺桶の底に小さくまとめられた、年季の入った防具一式のみ。
小手や膝当てには見覚えがあり、パリオネの所持品に間違いはない。
だが、肝心のパリオネの姿がない。
「どういう……こと……?」
ガタリ、と物音が聞こえリメアは右側の長椅子へと顔を向ける。
薄暗くて見えづらかったが、そこには大柄な人影が座っていた。
徐ろに席から立ったその人影は、緩慢な動作でこちらへ向かって歩いてくる。
照明の光に顔が照らされると同時に、その手元に握られた花束が目に入った。
青いバラの、花束だった。
思わず息を呑む。
顔を上げれば、目を真っ赤に腫らしたマッシモがそこにいた。
「すまん、道を開けてくれ」
鼻をすすりながらそう告げると、身を引いたリメアの前でマッシモは棺に花を添える。
青いバラは闇の中でその輪郭をキラキラと金色に輝かせていた。
片膝を着いたまま動かない広い背中が、やけに小さく見えた。
隣ですすり泣いていた女性が立ち上がり、脇目も振らず部屋を出ていく。
顔は手で覆われていたが、リメアはすぐに誰だか分かった。
パリオネと親しくしていた、災害管理ギルド職員のラビカだった。
背後で扉の閉まる音が聞こえると、部屋の中にはマッシモとリメア達だけが取り残される。
マッシモはゆらりと立ち上がり、踵を返しこちらへと歩いてくる。
その瞳は先ほどとは打って変わって、憤怒に燃え盛っていた。
思わず長椅子へと避けたリメアの前でマッシモは立ち止まる。
その両目は、ユグルタをまっすぐ睨みつけていた。
「ギルドマスター。やっと顔を出したかと思えば、献花も持たずに現れるとはな」
「……既にギルドからは規定量の花を手向けている。葬儀も手配済みだ」
マッシモの額に青筋が走り、みるみるうちに顔が真っ赤になった。
握りしめられた大きな拳がミシミシと音を立てる。
「ギルドとしての話なんざしちゃいねぇ。個人的な献花はどうしたって聞いているんだ。パリオネは……パリオネは……っ!」
歯を食いしばり、ブルブルと顎を震わせるマッシモの頬に、一筋の涙がサッと流れ落ちた。
「あんたのことが、好きだったんだぞ……! ギルドマスター……っ!」
吠えるような声が、地下室にこだまする。
「くそっ!」
マッシモはその太い腕で涙を拭いながら、部屋を後にする。
ユグルタとすれ違いざまに肩がぶつかりそうになったが、白髪の男は軽く身を引くのみでそれを躱した。
マッシモは背中から舌打ちを響かせ、木の扉を押し開く。
勢いよく閉まる扉にリメアは身を縮める。が、マッシモは最後の最後で思いとどまったのか、結局扉はゆっくりと音もなく閉じられた。
ユグルタはふぅ、と深いため息をつき、リメアの方へ顔を向ける。
「ディア君たちは、祈りを捧げないのか?」
「それって、パリオネにってこと?」
「そうだ」
その淡々とした物言いを受け、思わず怒りが込み上げる。
リメアは棺桶を指差し、半ば願望を交えながら、口調を荒げた。
「だって……だって棺桶は空っぽだよ! 確かに中にあったのはパリオネのものだったけど、それだけじゃ信じられない! やっぱり、まだパリオネはどこかで生きて――」
「死んだよ」
ピシャリ、とユグルタはリメアの言葉を遮った。
「英雄パリオネは、死んだのだ」
ユグルタは瞳を揺らすことなく、言葉を重ねる。
声は低く確信に満ちており、一切の反論を許さぬものだった。
「そんな……」
リメアは頬を叩かれたかのように後退り、改めて棺へ目をやる。
空の棺はそこに眠るはずの主人を待ち続けるかのように、開け放たれたまま佇んでいた。
添えられていた青いバラは、長いこと握りしめられていたからか、ちょっぴり萎れている。花びらに浮かび上がった金箔はまるで、深い悲しみを湛えるかのようにひっそりと輝いていた。




