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第12話 悲報【インウィディア・旧王都】

 人通りの少ない路地から賑やかな大通りへと進んでいけば、大きく開けた円形の広場に辿り着く。


「うわぁー……人でいっぱい……!」


 旧王都の市場は、それは見事なものだった。

 螺旋のすり鉢状になった広場は、マルギナリスの街1区画分を優に超える。

 噴水をぐるりと何重にも囲うように簡易的な木組みの露天が円形にずらりと並んでいて、買い物客と売り子で溢れている。

 見て回るだけで1日は軽く潰せそうだった。

 リメアは人の流れと共に、緩やかなスロープを下っていく。

 

「魔物の出没情報をまとめた最新地図だよ!」

「木登り貝の飾りナイフはいかが?」

「渓谷の良質な鉄で鍛えたプレートメイル、3割引き!」


 左右からひっきりなしに呼び込み文句が飛んで来る。

 アクセサリーから実用的な道具、軽食から保存食まで、ありとあらゆるものが売られていた。

 どんな品物もリメアの目には珍しく映る。

 

(どうしよう、ちょっとお土産買うだけのつもりだったけど、これだけあったら選べないよ!)


 売り子に捕まってしまうので立ち止まるわけにもいかず、リメアは露店を片っ端から巡り歩いた。人混みの中、腕や足の林の間から宝石やナイフ、洋服やペンなどがのぞいて見える。

 だがどの商品もロトンダへの贈り物としてピンとくるものがない。

 ひたすら歩き続けて、気がつけば市場の半分を見終わってしまっていた。

 これだけ回れば、すでに別の店で見たような商品も増えてくる。

 人の熱気と目移りし続けて頭がグラグラしかけたその時、正面から人をかき分けるようにカートに花を盛り付けた売り子がやってきた。


「お花、お花はいりませんか? 昼間は青、夜には金色に輝く珍しい薔薇! 残りわずかだよ!」

「わぁ……きれい!」


 リメアが駆け寄ろうとしたところ、目の前にぬっと巨体が割り込んでくる。


「その薔薇、全てもらえないか」


 肘に包帯を巻いたスキンヘッドの大男。

 どこかで見たことのある風貌にリメアはあっ、と声を上げた。

 ギルドでリメアに腕相撲を挑んできた、あのマッシモだった。


「まいど! へへへ、兄さんお目が高いね! 彼女へのプレゼントかい?」

「ばっ、バカヤロウ、大声出すんじゃねぇ! いいか、この事誰かに言うんじゃねぇぞ!」

「ええもちろん、お客様の秘密は守りますよ。誰にだって秘めた恋のひとつやふたつはありますから」


 マッシモは頭のてっぺんまで真っ赤になりながら、踵を返す。


「あっ」


 そこでリメアとちょうど目があった。

 しまった、という表情のマッシモ。

 対しリメアはニシシ、と笑みを浮かべる。


「こ、こんなところを見られちまうなんて……! くそ、ディアだったな、ちょっと来い!」


 リメアはマッシモに手を引かれ、人目のつかぬ露天の裏へと向かった。

 大きな垂れ幕のある露天の影で、マッシモは大きな体をこれでもかと縮め、リメアと同じ目線までしゃがみ込むとヒソヒソと囁く。


「頼む、このことは誰にも言わないでくれ……!」

「えー? どうして?」

「か~っ! 知り合いがいないタイミング見計らったつもりだったのに、人影に隠れてたディアを見落としたのが運の尽きか……!」


 マッシモは苦々しい顔を包帯を巻いた手で覆い隠した。ゆでダコのように、耳まで真っ赤になっている。

 大切そうに腕で抱えた薔薇を見て、リメアは尋ねた。


「そのお花、誰かへのプレゼント?」

「……そうだ。なんだ、俺みたいな男が花なんて、変か?」

「ううん、とってもすてき! 貰った人きっと喜ぶよ! 映画で見たもん、男の人が女の人にお花を贈るの。その女の人、とっても喜んでた!」

「ほ、本当か? パリオネも喜ぶだろうか?」

「えっ」

「あっ」


 マッシモの顔にはしまったと大きく書いてあった。

 一瞬驚いたリメアだったが、目を大きく見開き輝かせる。


「それ、パリオネにプレゼントするの!?」

「うるせぇ! 大声出すな!」

「すごいこと聞いちゃった! 聞いちゃった!」


 はしゃぐリメアの口をマッシモが慌てて塞ぐ。


「頼むから静かにしてくれ! あーもう、どうすればいい! わかった、何かひとつ頼み事を聞く! それで勘弁してくれ!」

「むふ! むふふふふご!」

「ああ、悪い、喋れなかったな」


 マッシモがリメアの口から手を離す。


「わかったよ、約束だね!」

「ああ。そうしてくれると助かる。はぁ、仕方ねぇ。なにか俺にできることはあるか? 力仕事だったら得意だぜ。……腕相撲に負けた身で言うのもなんだがな」

「だったら、ちょうどわたしもプレゼントに悩んでたから、相談に乗ってほしいの!」

「おっ、ディアもプレゼントを探しに来てたのか? ははん、お相手はあのボーイフレンドか?」

「アーヴィのこと言ってるの? 違うよ、ロトンダへのプレゼントなんだけど」


 マッシモは首を傾げる。


「ロトンダって……あれか? もしかして薬屋の」

「そうだよ! 知ってるの!?」

「そりゃ知ってるさ。あいつは薬屋を継ぐ前は、俺達のパーティの一員だったからな」

「えっ、そうなの!?」

「ああそうさ。あいつとは長い付き合いだ。あいつの喜ぶものから苦手なものまで、なんでも知ってるぞ。お安い御用だ」

「ほんと!? わーい!」


 両手を上げて喜ぶリメアに、マッシモは耳打ちする。


「その代わり、な? 頼むぞ?」

「わかってるよ、ちゃんと内緒にする!」


 リメアもヒソヒソと小声で返した。

 マッシモは頷き、無言で拳を突き出す。

 リメアも同じように拳を前に出し、ふたつの拳がコツンとぶつかった。


「契約成立だな」

「うんっ!」


 マッシモは立ち上がり、ウィンクしながら親指を立てる。


「よろしくね、マッシモ!」

「ああ、ついて来な、ディア。全部俺に任せろ」


 旧王都広場の片隅で、秘密の小さな同盟が結ばれた。




「……ここだ」


 マッシモがたどり着いたのは、ネイルショップだった。

 色とりどりのネイルチップが並べられていて、女性客でごった返す店先に筋骨隆々のマッシモは場違い感が甚だしい。

 彼の意外な店選びにリメアは驚く。


「マッシモ、こんなお店よく知ってるね!」

「たりめぇよ。俺のセンスは天下一だぜ?」

「これとかどうかな?」

 

 リメアはキラキラとラメの入ったネイルチップを指さした。

 マッシモは一瞥して首を横に振る。


「ダメだ。あいつが好きなのは……あの辺りだろう」


 指さした先を見て、リメアはまたしても驚かされる。

 それはロトンダのクールなイメージとは程遠い、アヒルや子猫などの絵が描かれた、可愛らしいネイルチップだったからだ。


「か、かわいい……! でも、ほんとにこんなのでいいの?」

「ああ。できれば足用が望ましい」

「どうして? みんな手のネイルを買ってるけど……」

「あいつはこういうちまちました可愛らしいのが好きなんだ。冒険者時代は足技のロトンダって有名でな。ゴツい脛当てにこんなネイルは似合わねぇって、愚痴ってたからよ」

「そうなんだ……。マッシモって意外と見る目あるね!」

「う、うるせぇ! ほら、とっとと買っちまえ!」


 リメアは手を上げて店員を呼び、緑色のカエルの絵がついたネイルチップを指さした。


「これください!」

「かしこまりました。金額は……」


 店員が金額を伝える前に、マッシモが小銭を取り出す。


「ここは俺に持たせてくれ。なに、ロトンダは昔なじみだ。気にすることはねぇ」

「え! ありがとう!」


 マッシモは照れくさそうに鼻を指で擦った。

 

「ロトンダ、気に入ってくれるかな」

「間違いなく喜ぶはずだ」


 マッシモはリメアが店員から小包を受け取る様子を見て、満足気に深く頷く。


「さて、と。これで俺もお役目御免だな。じゃあなディア、俺は失礼させてもらうぜ。モタモタしてると花が萎れちまう」

「うん、ありがとうマッシモ! 告白うまくいくといいね!」


 そう投げかけると、マッシモはわずかに戸惑い目を泳がせる。

 そしてちょっぴり寂しそうに笑った。


「そうだな……」

「……?」


 不思議に思ったリメアだったが、じゃあな、と足早に立ち去るマッシモへ聞き返すこともできず、そのまま巨体が雑踏に消えていくのを店先から見守った。


「わたしも、ロトンダにリベンジしなきゃ!」


 そう自分に言い聞かせると、リメアは鼻息荒く広場を後にする。

 大通りを抜け、来た道を戻るとあの草がぼうぼうに生えた庭の前へとたどり着いた。

 アーヴィはまだ戻ってきていないらしい。

 くんくんと匂いを嗅いでみると、アーヴィはまだ少し離れた場所にいるようだった。


「今度はわたしひとりで……!」


 リメアは勇気を振り絞り、半開きの門をくぐり抜ける。

 荒れ放題の庭を抜け、玄関の前に立った。

 ドアノッカーを叩いてみるも、返事はない。

 扉を引いてみると、相変わらず施錠はされていなかった。


「ロトンダお願い、話を聞いてほしいの!」


 薄暗い廊下に声が反響する。

 やはり、返事はない。


「ロトンダ!」


 もう一度叫ぶと、廊下の照明が奥から順番に灯る。


「うるさいな、玄関で大声出さないで。誰だか知らないけど近所迷惑よ!」


 廊下の向こうからロトンダの声が聞こえた。


「入っていいってこと、だよね?」


 リメアはそろそろと中に入り、廊下を進む。

 ロトンダに脅された場所を通り過ぎ、角を曲がった先にあったのは、薬屋の店舗だった。

 チェック柄の床に暗赤褐色のマホガニーで統一されたカウンターや壁棚。

 瓶詰めの薬品が整然と並べられていて、天井にはシャンデリアがぶら下がっている。

 カウンターの奥で背を向け、乳鉢で何やら作業をしていたロトンダが背中越しに話す。


「お求めは? 大体のものは揃ってるけど」


 リメアはやや緊張しながら、口を開く。


「惑星適応障害に効く、お薬を」

「……どこかで聞いたことのある声だと思ったら、またあんたか」


 ロトンダは振り返りもせず、ため息をつく。


「遊びに付き合ってる暇はないんだ。忙しくてね」

「遊びじゃないよ! 本当に困ってるの」

「あのね、薬って簡単に言っても、その病気に普通の薬は効かない。あんたが思っているよりもずっと金のかかる話なんだ。こちとら安請け合いはしない主義でね」


 ムッとしたリメアはつかつかとカウンターに近づくと、ポシェットに手を突っ込み金貨を鷲掴みする。

 そのままわざと音を立てるようにカウンターへ金貨を広げた。


「お金なら、ちゃんとあるもん!」

「……」


 ロトンダは初めて横顔をこちらへ向けると、金貨の山を一瞥する。

 そのまま数秒手の動きを止めたものの、再びリメアに背を向け作業に戻ってしまう。


「あんた、ボンボンのお嬢様? 相場すら知らない子供が持っていていい額を越えてるよ」

「お金だけじゃないよ!」


 リメアは反対の手に持っていた小包をカウンターに置いた。


「これ、ロトンダへのお土産! お願いするときに必要だと思って!」

「はっ、なんだいそれ。誰の入れ知恵だい」


 ロトンダはようやく手を止め、腕を組みリメアに向き直る。

 すかさずリメアは腰を落とし、できる限り低い声とともに手を前に差し出した。


「お、お控えなすって……!」

「なんじゃそりゃ。意味分かってんの?」

「わかっておりませぬ……」

「あっはっはっは、あんた、面白いじゃない!」


 ロトンダは目尻に浮かべた笑い涙を拭いながら、小包に手を伸ばす。

 思ったより軽かったからか、小首を傾げながら中を見て、固まった。


「どう、かな……?」


 ゴクリとリメアは固唾を飲む。


「か……」

「か?」

「かわいい……っ!!」


 ロトンダの涼やかな目がこれでもかと開かれる。


「あんた、センスありすぎ! え、ちょっとなにこのカエルちゃん、ヤバいでしょ。全部表情違うじゃない!」

「えへへ、気に入ってくれた?」


 笑いかけるリメアに気が付き、ロトンダはコホン、と咳払いをした。


「ま、まあ、あんたの気持ちは受け取っておくわ。遊びで言ってるわけじゃないってことはね」

「じゃあ……!」

「でも、まだダメ。聞いたことない? あたいは気難しい薬屋で通してるの。お金と……ちょっとかわいいプレゼント貰っただけじゃ、取りかかれないわ」

「えー、どうしたらいいの?」


 リメアは不満とともに口を尖らせた。

 ロトンダはふん、と鼻を鳴らし不敵な笑みを浮かべ、引き出しから古めかしい本を取り出した。

 

「これを、取ってきてもらう」


 埃っぽい匂いのする、黄ばんだ本のページには貝と丸いボールのようなものが描かれていた。


「これって、なに?」

「これは蓄光アコヤっていう樹に張り付く貝よ。レインウッドの中腹あたりに生息していて、夜になるとぼんやり光るのが特徴」

「メインウッド?」

「レインウッドよ、レインウッド。ほら、雨を降らせる樹」

「レインウッド……! こっちの丸いのは?」

「これは真珠。取ってきてほしいのはこれ。蓄光アコヤの腹の中で作られる特別な真珠よ」

「わかった! すぐ取ってくる!」

「……あんた、蓄光真珠探しを舐めちゃいけないよ。この真珠を持ってる貝は100あるうちの1匹にも満たない。そもそもレインウッドにくっついている貝自体の数も少ないからね。1本につき多くても2、3匹ぐらいしか見つからない」

「なるほど……」

「せいぜい頑張って木登りすることね。怪我しないように気をつけな」


 ロトンダは本を閉じ、肘をついていたカウンターから身体を起こす。


「見つけてきたら、ちゃんとお薬作ってね!」

「ああ、そうね。約束よ。この金は前受金として受け取っておくから」


 ロトンダはカウンターの金貨を集めると、微笑を浮かべながらもとの作業へと戻った。

 リメアは目に焼き付けた貝の特徴を思い出しながら踵を返す。


「頑張ってね~」


 廊下に出る直前、背後からロトンダの飄々とした声が聞こえた。

 リメアはずんずんと大股で廊下を歩き、外へと向かう。

 窓の向こうで、雨を降らせる大樹が何本も建物の間から生えているのが見えた。


「あのレインウッドに貝がくっついてるんだね……!」


 目標が定まれば、足取りも早くなる。

 脳裏にかつて救うことができなかった少女の顔がチラついた。


「もう、アリシアみたいになるのは嫌だから……!」


 カリネの申し訳無さそうな顔が、記憶の少女に重なる。

 庭を通り過ぎ、門扉に辿り着くとアーヴィがそこで待っていた。


「アーヴィ!」

「お、その顔を見るに、うまく行ったみてぇだな」

「うん、お薬もらう約束できたよ!」


 ブイサインをアーヴィに突きつける。


「そうか、首尾が良さそうでなによりだ。こっちはロトンダについて調べるつもりが、別のでけぇ情報に当たってな」

「……?」

「精霊絡みだ」

「精霊……!」


 リメアは目を見開くがロトンダとの約束を思い出し、「え~っと……」と呟きながら目を泳がせる。

 それを見たアーヴィはため息混じりに後ろ頭をポリポリとかいた。

 

「仕方ねぇな……。だったらこうしよう。俺は精霊を追えるところまで追う。リメアはその間好きなように動け」

「え! いいの!?」

「ああ。情報にあたったとはいえ、しばらくこっちは地味な聞き込みや潜入調査が中心だ。戦闘が必要な状況になったら、協力してもらう」

「うん、うん! わかった!」

「情報交換は中央広場近くの赤い旗が立ってる酒場でどうだ? 期日は……そうだな。明日の夜にするか?」

「オッケー! 場所は覚えたよ。でも、タイミングは夜の次の朝がいいな。わたしが探す貝って、夜にしか探せないみたいなの」

「なるほど? 昼間はなにするんだ?」

「昼間は貝がついてる木がこの近くでどこに生えてるかを見て回る!」

「そうか。じゃあ、次に会うのは明後日の朝だな」

「うん、明後日の朝!」


 リメアはアーヴィとハイタッチをする。

 この時は互いに、それぞれの計画がうまくいくと強く信じて疑わなかった。



 しかし、迎えた明後日の朝。

 客がまばらになった朝の酒場に、ぐったりしたふたりの顔が揃う。


「ようリメア」

「あ、アーヴィ、おはよう」

「おはよう、探し物は?」

「ぜんぜん……」

「はぁ、こっちもだ」


 薄汚れた壁に寄りかかり、リメアはため息をこぼす。


「貝、見つけるのすっごく大変なの。街に生えてた木を見て回ったけど、貝なんて1匹もいなくって。夜に街の外に出て、森を歩いてようやく10匹ぐらい」

「こっちもだ。有力な情報源にたどり着いたと思ったら、ガセだった。別の情報源もあたってみたが、その先はぱったりだ」


 しばらくの間、リメアとアーヴィは無言で見つめ合う。


「……諦めるのか?」

「……ううん。諦めない」

「だよな。よし、腹ごしらえして再始動だ」


 アーヴィは壁を離れ、バーのカウンターへ向かう。


「サンドイッチとソーダを。リメアは?」

「果物があるといいな!」

「じゃ、このフルーツ盛り合わせで」


 ふたりはカウンターで遅めの朝ご飯を食べ、再出発を果たす。

 そんな日々が、2ヶ月ほど続いた。


「アーヴィ、なにか食べる?」

「いつもの。リメアは?」

「わたしも、いつもので」


 ウエイターは頷くと既にリメアたちが来ることを予測していたのか、カウンターに座るふたりの前にサンドイッチとソーダ、フルーツの盛り合わせを静かに置いた。

 会話もなく食事を始めたふたり。

 アーヴィは手帳を取り出し、リメアは地図を広げた。

 ちらりと覗くとアーヴィの手帳にはびっしりと文字が書かれている。

 リメアが手元へと目を落とせば、地図には丸とバツが無数に描かれていた。

 そして同じタイミングでため息をつき、顔を見合わせる。


「思ったより……」

「あぁ、難航してるな……」


 アーヴィは飲みかけのソーダに手を伸ばす。

 リメアも少々飽きてきた薄青色の果実にかぶりつく。

 前かがみになると、随分伸びた髪の毛が地図の上に肩から流れた。

 その時、背後で飲んでいた酔っ払いが声を上げる。


「おい、今朝の朝刊見てみろよ」

「おっ、新英雄のセレモニー開催か!?」


 弾かれたように席を立つアーヴィ。

 びっくりしたリメアをよそに、話をしていた酔客に駆け寄ると新聞を取り上げ、食い入るように目を落とす。


「あ、アーヴィ!? どうしたの、急に!」


 フルーツを片手に、リメアも駆けつける。

 紙面から顔を上げた少年の顔は、やや青ざめていた。

 新聞を取られたことに酔客がやっと気が付き、酒臭い息を振りまきながらアーヴィをつま先から頭のてっぺんまでじろりと睨む。


「なんだぁ? おめぇ」

「あ、あぁ、すまねぇ……」


 アーヴィにしては珍しく素直に謝り、握りしめていた新聞を酔っ払いに返した。

 悪態を背中に浴びながらリメアもとへと戻ってきたアーヴィの眉間には、シワが寄ったままだった。

 どうしたの、と声をかけようとしたリメアの肩に手が置かれる。

 嫌な予感が、リメアの胸をざわつかせた。

 

「ど、どうしたの、アーヴィ……?」


 アーヴィは沈痛な面持ちで、おもむろに口を開く。


「リメア、落ち着いて聞いてくれ。――パリオネが、亡くなった」

「……………………え?」


 手に持っていた果実が鈍い音を立て、床に転がった。

 状況が飲み込めず、リメアは少年の顔を目を見開きながら覗き込む。

 自分の耳が、信じられなかった。

 アーヴィは唇を噛み締めながら、言いづらそうに話し始める。


「俺がこの話を聞いたのは、半月ほど前のことだ。情報やから、たまたま聞いたんだ。遠い村から人づてに届いた、噂話だった。新聞を見るまで、俺も半信半疑で……リメアに伝えるべきか、ずっと迷っていたんだ」

「嘘……。嘘だよ、そんなの……」


 首を横に振りながら、あとずさりするリメア。

 どん、と背中に衝撃を覚え、振り返る。


「おい、気をつけろ!」


 そこにはビールジョッキを片手に持つ男が、こちらを見下ろし睨みつけていた。

 リメアは謝ることも忘れて、男に尋ねる。


「ねぇ、パリオネのこと知ってるよね……!? 亡くなったって本当なの!? 嘘だよね!? 嘘って言って!!」

「な、何だ急に」

「答えて!!」

「あ、ああ……パリ……? 前の英雄の名前か?」

「前の……英雄って……」


 あまりにもあっけらかんとした男の言葉に、立ち眩みさえ覚える。

 怪訝な顔をした男は、首を傾げながら酒を煽る。


「なんだこのガキ共は。何をそんなに熱くなってんだ。ただの代替わりだろ、珍しくもねぇ」

「どういう、こと……?」


 男は品のない大きなゲップをした後、リメアの表情を見て薄ら笑いを浮かべる。


「ははっ、分かったぞ。お前、前英雄のファンだったんだな。ご愁傷さまなこって。まあ始まりあれば終わりあるってもんだ。わかるぞ、俺も昔同じ気持ちを味わったもんさ……確か名前はマリアだったっけな。すげー美人だったんだぜ? もう8世代は前の英雄さ」

「世代って何……? どうして……どうして、あなたは……」


 リメアの髪がふわりと浮き立つ。

 力いっぱい握った拳が、震える。


「パリオネの名前すら、覚えてくれてないの……!」

「よせリメア! こっちに来い!」

「離してアーヴィ! わたしはこの人と話をしてるの!」

「バカ! 落ち着け!」

「落ち着いてなんか、いられないよ!!」


 金切り声に似た叫びが、ざわついた酒場に響き渡った。

 しんと静まり返る中、迷惑そうないくつもの目がリメアに注がれた。


「――っ!」


 気がつけば言葉にならない声を漏らしながら、転がるように酒場の扉を開け、外に飛び出していた。  

 眩しい太陽の光が、網膜を焼く。

 突然飛び出してきた少女に驚いた通行人が、なにか喋っている。

 リメアはそれを無視して、走り出した。

 2つの太陽の光で真っ白に塗りつぶされた街を、脇目も振らず駆け抜ける。背後からアーヴィの声が聞こえた気がした。

 リメアは振り返らない。

 頭にのぼった血が無理矢理に体を動かしていた。

 大通りを歩く人が、街並みが、風のような速さで後方へと流れていった。

 パリオネの顔が目に浮かんでは消え、浮かんでは消えていく。

 笑い、困り、落ち込み、また笑う。

 そのどれもが強い生気を伴っていて、死という言葉に直結しない。


(信じない。信じられない……!)


 やがてリメアの足がピタリと止まった。荒い呼吸を繰り返しながら、顔を上げる。

 そこには色とりどりの旗が、以前見たときと同じように、風に踊っていた。


「あんなに強いパリオネが死んじゃったなんて、わたし、信じない……っ!」


 だから確かめるんだ――。

 そう心に誓い、歩を進める。

 リメアは肩で息をしながら手を伸ばし、ゆっくりとギルド本部の大扉を押し開いた。

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