第9話 英雄パリオネ【インウィディア・開拓区】
「はぁっ、はぁっ、ふーっ!」
腰に拳を添え残心する赤髪の女性から、陽炎が立ち上る。
額の汗を拭い、やや疲労の残る表情でパリオネは微笑んだ。
「……どうだったかな?」
「すごくかっこよかった! シュバババって走って、ダダダって殴って、ズバーンって蹴っ飛ばして、ヒーローみたいだった!」
「たはは、照れるなぁ……」
デュオナッソの群れはパリオネによる獅子奮迅の活躍であっという間に制圧された。
直線的で力任せなリメアの戦い方とは雲泥の差で、丁寧な回避や相手の力を活かしたカウンターなどの技工が、リメアの網膜に焼き付いて離れない。
そこには長い年月の研鑽が見て取れた。
「あっ、そういえば、食材は……」
「大丈夫だよ、ちゃんと守ってた!」
デュオナッソが踏み潰してしまう前に、リメアは麻袋を回収ししっかりと抱きしめていた。
「よかった、戦いに夢中になってて……。ありがとう、リメア」
「へへへ!」
頭を撫でられ、リメアはご満悦。
「あれ、どうやってたの? デュオナッソが鼻でギュンってやってきたときにぐるぐるパーンってやってたやつ!」
「ああ、あれか。私の村に伝わる武術で、二連恒星って技だ」
「二連恒星?」
「そうだ。自分に迫る攻撃を1つ目の太陽、つまり腕で外から内に受け流し、その力を殺さないように身体を回転させ、第2の太陽、裏拳を叩き込む。やってみるか?」
「え! いいの!?」
「よし、じゃあ私に正面から正拳突きを放ってみろ」
なし崩し的に始まった武術講義にリメアは目を輝かせた。
腰を落とし、自然体のパリオネに右ストレートを放つ。
パリオネは先程の言葉通り、左手で外側からリメアの腕を掴み、くるりと身体を回転させピタリと止まる。
ちょうどリメアの頬から数センチのところに、パリオネの右肘が寸止めされていた。
遅れてやってきた風圧が、リメアのワンレンボブをふわりと持ち上げる。
「おお……!」
「身体の大きい相手には裏拳が入るが、リメアのように体が小さい相手には肘鉄が限界だな。もちろん体当たりや足払いにも派生可能だ」
パリオネから腕を掴まれた際、リメアはこっそり左手で攻撃を試みた。
だがお見通しだったのかそもそも反撃を想定した型なのか、掴まれた右手を前方にぐいと引かれ、体制が崩れたせいで一切の反撃が封じられていた。
「すごい……!」
「ははっ、じゃあ今度はリメアの番だ。私が突きを放つから、同じようにやってみるといい」
後退りして距離を取ったパリオネは、リメアが構えると頷き、一気に距離を詰めてきた。
放たれたのは、左の突き。
とっさにリメアは左手で突きを受ける。
くるりと身体を回転させようとしたところを、ぺち、とパリオネの右手で頭をはたかれた。
「あ痛て!」
「引っかかったな。左手の攻撃は右手、右手の攻撃は左手で受けるんだ。そうすればほら、ちょうど相手は自分の腕が邪魔で反撃ができない。今みたいに逆で受けてしまうと、反対の手で反撃を許してしまう」
「う~、もう一回!」
「いいぞ。どっちが来るかは、相手の体の向き、筋肉の動きをよく見るんだ」
再び距離を取り、パリオネが攻撃を仕掛けてくる。
今度は右のストレートだった。
「……えいっ!」
今度はうまく受けることができた。
左手でパリオネの右拳を受け流し、パリオネの腕を転がるように身体を回転させ、そのままの勢いで右腕を開く。
パンッと大きな音が森に響いた。
リメアの放った裏拳は、ちょうどパリオネの頬の前で、パリオネの左手で受け止められている。
「まさか、2度目で成功するとは思わなかった。リメア、君には武術の才があるね」
「やった! パリオネに褒められた!」
ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶリメア。
「今のが二連恒星。1つ目の太陽を追うように、2つ目の太陽が登る。インウィディアの天体になぞらえた奥義のひとつだ」
「二連恒星、二連恒星! パリオネ、わたし覚えたよ!」
「ああ、護身術に使うといい。初見だと不可避の一撃だ。……とは言っても、リメアに力で勝てる男なんて、なかなかいないと思うがな」
2人は顔を見合わせてクスクスと笑う。
「せっかくシャワーを浴びたのに、汗と汚れでドロドロになってしまった。あっち側の澄んだ水で体を洗って、馬車に戻ろう。皆待ってるはずだ」
「うん!」
リメアはパリオネに続いて、対岸まで移動した。
シャワーとは異なり、生ぬるい池の水で汚れを落とす。
ちょうどその時、前かがみになったパリオネの、胸元の大きな傷跡に目が留まった。
よく見れば、胸元以外にも小さな傷が体中についている。
じっと見つめるリメアに気がついたパリオネが、苦笑いを浮かべた。
「あはは……。そんなに見られると恥ずかしいな。……昔はそんなに強くなかったんだ。私はただの……ただの農家に生まれた小娘だった」
「パリオネも農園を持ってたの?」
「も?」
「あ! えーっと、うん、アーヴィも農園持ってたから」
「ああ、そういうことか。彼のご実家も農家だったんだな」
多少の誤解があったが、リメアはお口にチャックをして訂正しなかった。
詳しく話しすぎるとアーヴィがまた嘘をつかないといけなくなるからだ。
パリオネは自分の両手を見つめて、過去に思いを馳せているようだった。
「裕福な家庭とは真逆でな。母は私を生んだときに亡くなり、父が男手ひとつで私を育ててくれた。開拓と冒険に明け暮れた日々を捨てて、農家に転職したんだ」
「そうなんだ! お父さんとは仲が良かったの?」
パリオネは静かに首を横に振る。
「いや。父は過去に囚われていた。私に武術を叩き込み、酒に溺れた。農園は荒れ果て、生活も危うくなった」
「えぇ……」
「農園も私がなんとか耕し直して、ようやく軌道に乗ったんだ」
「……お父さんは、どうなったの?」
「はは……。酒場に入り浸り、村中からダメな父親だって罵られていたよ」
「……」
返す言葉がなかった。
リメアは水浴びすることすら忘れ、膝丈の池に立ち尽くす。
「だから、私がしっかりしなきゃと思ったんだ。私がしっかりしていれば、父はまた冒険に出られる。そうすれば私が小さい頃の、英雄の話を聞かせてくれたあの優しい父が戻ってきてくれると、信じていたんだ」
パリオネは悲しさと寂しさが入り混じった表情で揺れる水面を見つめていた。
少し離れていたリメアにまで、パリオネの感情が伝わってくる。
父親がその後どうなったのか、リメアはとうとう聞くことができなかった。
長い沈黙の後で、リメアはずっと心に引っかかっていた言葉を口に出す。
「パリオネは、その頃からずっと無理してるの?」
パリオネは目を見開き、弾かれたように顔を上げる。
彼女の瞳がリメアを見つめたまま、数秒の時が流れた。
「リメア、君は純粋でとても素直だ。……だからだろうか。君の言葉は時に恐ろしいほど、鋭い」
「えっ、あっ!」
リメアは慌てて口を覆う。
その仕草を見てパリオネは困った顔で笑った。
「気にすることはない。きっと、リメアの言う通りなんだ。いつからかな。虚勢を張る癖が抜けなくなったのは」
パリオネが俯けば、首筋に張り付いた赤髪からいくつもの雫が滴った。
静まり返った水面に波紋が広がり、英雄の虚像がゆらゆらと揺れる。
「だが、もう今は大丈夫だ。ラビカやリメアがいるからな。私がちゃんとやれていると、言葉にしてくれる友人がふたりもいる。それだけで十分だ」
「ラビカって、前に話してた受付の子のこと?」
「ああそうだ。私の大切な友だちだ」
顔を上げたパリオネに、もう悲壮感は漂っていなかった。
白い歯を見せて笑うパリオネに、リメアの胸の奥がチクリと傷んだ。
だがうまく言葉で表すこともできず、ただ一緒に笑うことしかできなかった。
「さて、長話はおしまいだ。馬車に戻らなくては。リメアの騎士様も首を長くして待っているだろう」
「……うん!」
ザブザブと池の水をかき分け岸に上がる。
麻袋をパリオネが肩に担ぎ、2人はもと来た道を歩き始めた。
馬車に戻る頃にはすっかり日が傾き、西の空が真っ赤に染まっていた。
「ど、どうしたの、ふたりとも」
リメアが目を丸くする。
馬車を境に、御者とアーヴィは反対の方向を向いて座り込んでいたからだ。
「おかえりなさいませ、英雄様方」
にこやかな笑顔を向ける御者とは対象的に、アーヴィはぶすっとふてくされている。
「遅かったな。待ちくたびれたぜ」
「ごめん、森でデュオナッソの群れに襲われちゃって」
「またあいつらか……!」
ギリ、と奥歯を軋ませる音がリメアの耳にまで届いた。
畑荒らしの常習犯、という彼の言葉がリメアの脳裏に蘇る。
よほど過去に痛い目を見たらしい。
アーヴィの紅の瞳は憎しみに燃えていた。
「地図は、要りますかな?」
話しかけてきた御者が、複数枚の地図を差し出してきた。
「地図?」
リメアが首を傾げていると、パリオネがその地図を受取る。
「今回は私が魔獣を全て討伐したから、私が書かせてもらうよ」
「そういうことでしたか」
パリオネは地面にあぐらをかき、御者から受け取ったペンで森の中に3つバツ印と鼻のマークを付ける。
記入が終わった地図を覗き込リメアに気がつくと、パリオネはぽんと手を叩く。
「そうだリメア、忘れていた。ドラゴン討伐の記入は済んでいたか?」
「ううん」
首を横に振ると、パリオネは別の地図にさらさらと印と翼のマークを書き込みリメアに差し出した。
「旧王都に着いたら、ギルドにちゃんと提出するんだぞ。子供には余るほどの報酬が出る。安心してくれていい。私が立ち会うからな」
「……?」
よく意味がわからなかったが、とりあえず受取るリメア。
馬車においていたポシェットを引っ張り出し、折りたたんでしまい込んだ。
「もう時間も遅い。今日はこのままここで野営をしよう。森の食材を使ったきのこ鍋だ」
パリオネの掛け声に皆頷いた。
長旅の経験で、野営の準備はテキパキと進んだ。
あっという間に火が起こされ、夕食の準備が整う。
「……よし!」
指を立てお玉で味見をしたパリオネが大きく首を縦に振る。
それが合図となり、各自が差し出した椀にはきのこスープがなみなみと注がれた。
「いただきます!」
リメアが椀を覗き込むと、大ぶりなきのこが沈んだスープの表面に、幾千もの星々が浮かんでいた。
いつの間にかすっかりと日が沈んでいて、見上げると雲ひとつない満点の星空が広がっている。
「こりゃうめぇな。おいリメア。いらねぇならその椀寄越せよ。俺がありがたくいただくぜ」
「アーヴィのくいしんぼ! ちょっと空見てただけなのに!」
「おうおう、食べるよりもおしゃべりが優先か?」
「ふん! お鍋のきのこ、わたしが取ってきたんだよ?」
「ああ、ありがとよ。でもきのこたちは俺の胃袋に入りたいって騒いでるぜ? その椀の中のきのこもだ」
「て、適当なこと言ってる!」
「まあまあ、ふたりとも。おかわりはまだたくさんあるのに、なんでそこで取り合いをしてるんだ。アーヴィ君、おかわりが欲しいなら椀を」
「おう、ぜひよろしく頼むぜ。パリオネさんよ、あんた、料理うめぇな」
「はは、こんな荒っぽい料理で恥ずかしいが、お口にあったのなら嬉しいよ」
「いいや、俺の目は誤魔化せねぇぞ。ベリーウッズマッシュルームのエグみを、グリーンカシスで相殺している。香草代わりのオレンジハーブは彩りに貢献しているし、パープルペッパーが全体の味を統一している」
「……君は食通か何かかな?」
揺れる炎と和やかな会話が場の空気を穏やかに暖める。
リメアもスープをスプーンですくい上げ、すぅと飲んでみた。
森の豊かな香りの後に、ぴりりとした後味が癖になる。
きのこは肉厚でよく出汁が効いていた。
結局2杯もおかわりをし、お腹をパンパンに膨らませたまま大満足の夕食は幕を閉じた。
後片付けを終え、馬車の中に戻ったリメアはブランケットに身を包む。
ちょうど向かいでパリオネが防具を外し、同じ格好に落ち着いた。
外からはパチパチと焚き火の音が聞こえてくる。
御者はすでに寝息を立てており、アーヴィは外で見張り番だ。
リメアは徐々に重くなる瞼を感じつつ、口を開く。
「パリオネ」
「なんだ、リメア」
闇の中から、パリオネの穏やかで芯のある声が返ってきた。
ぼんやりとした頭で、リメアは言葉を探す。
「辛かったら、いつでも、話してね」
「……ああ。ありがとう」
「友達、だから……」
やっとのことでそう告げたリメアは、そのまま眠りに落ちる。
虫の声も聞こえない、静かな夜だった。
旧王都にたどり着いたのは、それからちょうど2度の夜を越えた翌朝だった。




