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星渡りの不完全者  作者: 藍色あけび
1章 旅のはじまり、禍福の残響
30/40

第27話 遥か彼方のまた明日【フェニス主律星】

 リメアは静かに振り返る。


「うん」


 アーヴィが去った今、人工太陽の上で音を立てるのはリメアだけだった。

 星々が瞬く空闇へ、放熱塔から静かに蒸気が上っていく。


「5次元空間に入ったら、できる限り加速するの。そうすれば、タキオンの川を感じられるはず。うまく、その流れに乗るのよ」


 フェニスの助言に、リメアはこくんと頷いた。

 しっかり休養したからか、体調は万全。

 余分な貯蓄エーテルは消えてしまったが、髪の長さは踝まである。

 傷んでいた体内のエーテル回路も回復し、いつだって跳べる。

 

「フェニス、あの、お願いがあるんだけど」


 リメアは作りかけで横たわったままのアリシアの体に視線を送る。

 フェニスはゆっくりと首を縦に振った。


「大丈夫よ。アリシアの体は私が保管しておく。何百、何千何万、何億年だって」

「たはは、そんなに長い旅にならないよう頑張るね」

「ご武運を」


 そう言ってフェニスは静かに目を伏せる。

 よろしくね、と最後に告げてリメアは踵を返す。

 そのまま空を見上げて小さな星と星の間に目を凝らした。

 今まで、何度も繰り返してきたように。


 柔らかくて、優しくて、どこかホッとする匂い。

 無限に広がる宇宙へ身を委ねれば、変わらずそこにある、母の香り。


 リメアは目を閉じて、更に深く集中する。


 探すべくは、監獄で嗅いだあの匂い。

 確かあの時感じたのは、果実を煮詰めたような甘ったるい香りだった。

 強烈に感じたのは匂いが濃縮されていたから。

 であれば彼本来の香りは、もっと淡いはず。

 記憶をたどり、同系統の香りを探していく。


「あ……」

 

 思わず声が漏れた。

 柑橘系と林檎が混ざったような、爽やかでちょっぴり甘い匂い。

 隣りにいたら慣れてしまって気付けなかった、アーヴィ本来の香りに辿り着く。


「そうだ、この匂いだ……!」

 

 母を感じる方角から15度ほどずれた先から漂ってくる確かな香りは、アーヴィが無事に目的地へたどり着いたことを意味していた。


 まぶたを開けると同時に、アリシアの声が聞こえる。

 

「気を、つけてね」


 顔を向けると、主律星を背に、アリシアの輪郭が薄く光を帯びていた。


「うん、行ってくる」


 決意と約束を胸に、リメアは微笑みを送る。

 

 長い髪がふわりと持ち上がり、すうっと白銀へと染まっていく。

 パチパチと虹色の火花がリメアを中心に咲き始めた。

 ふわふわと波打つ銀糸は、やがて火花と同じ七色の輝きを纏いだす。

 体内のエーテルが活性化し、熱い血液のように回路を巡っている。


「アリシア」


 エーテルが臨界点に突入する直前で、リメアは彼女の名を呼んだ。


「なあに?」


 首を傾げるように、アリシアの輪郭が形を変える。


「……ありがとう」


 その時、人工太陽が僅かに震え、活動を再開した。

 やや落ちていた照度が回復し、主律星が本来の輝きを取り戻す。

 輪郭が光に包まれたと同時に、ほんの一瞬だけ、アリシアの笑顔が、透けて浮かびあがった。

 それが現実なのか、願望が幻となって現れたのか、リメアにはわからない。

 でもその光景をこれから先、永遠に忘れることはないだろうと思った。

 

「じゃあ……今日はこれで。ずっと先になるけど、また、明日」

「……っ! うんっ、また明日……、また明日! アリシアわたし、絶対に、帰って来るから!!」

「ええ、待ってるわ。ずっと、ずっと、待ってる」


 リメアは宇宙(そら)へと顔を向ける。

 もう、振り返らない。

 振り返ってしまえば、笑顔でお別れができなくなってしまうから。

 リメアは身体を5次元空間へと滑り込ませる。

 体の周囲に膜を張り、足にありったけの力を込めた。

 

「さらばっ!」


 掛け声とともに、力強く地を蹴り飛ばす。

 せっかくこぼれないように我慢していた涙が、重力に負けてぼろぼろとこぼれた。

 それでもリメアは笑顔を崩さない。

 少し長い夜にはなるが、きっといつか、彼女に再び会える明日がやってくるのだから。


「はぁぁぁぁぁっ!」


 エーテルの出力をどんどん上げていく。

 未練や恋しさを振り切るように。


「リメア様、加速限界値に近づいていマス! タキオンの川の探知ヲ!」

「うんっ!」


 体の中から聞こえてくるリッキーの声を聞いて、リメアは周囲へ注意を向ける。

 真っ暗な闇の中に、巨大な光の川を見つけた。

 この速度に達してようやく見えたその存在に、思わず息を呑む。

 天の川のように集まった小さな粒子がゆっくりと流れている。

 だが、リメアが近づいていけば行くほど、その流れが信じられないほどの速度を伴っていることに気がついた。


「あの流れに乗るのね」

「そうですネ。波もうねりも凄そうデス。ワタクシ、船酔いしないか心配デス」

 

 こんなときにジョークを飛ばしてくるリッキーに、溜息がこぼれる。


「はいはい、舌を噛まないよう気をつけてね!」

「えっと、ワタクシ、ホログラムなので舌はありませ――ウワワワッ!」


 沢に飛び込む要領で、タキオンの川へ飛び込んだ。

 膜を貫通し、無数の粒子が体にぶつかってくる。


「痛たたたたたっ!」


 まるで銃弾の嵐のようだった。このままでは体が持たない。


「っ! なんとか、このタキオンにエーテルを寄、せてっ!」


 リメアの体が淡く光り、エーテル組織が徐々に変化していく。

 体の約半分を擬似タキオンに変えた事により、リメアは更に加速する。

 かつて感じたことのないほどの速度に目を回しながら、身体をくねらせ、なんとか舵を取る。

 流れを読み、無数に枝分かれする川を必死に下っていった。

 目指すはただひとつ。

 アーヴィの香りが強くなる方へ。

 

 そしてとうとう、リメアは光の速さを越えた。


 タキオン粒子に変換された体の輪郭が、激しく揺らいでいる。

 少しでも集中を切らせば自分の形すら保てない世界の裏側で、波をかき分け少女は加速する。

 あまりの速度に無数の星々からたなびく光の尾が途切れず、まるで光柱の中を飛んでいるかのごとく錯覚する。

 

「警告! 速度が光速の150%を超過! これ以上加速すれバ千切れた数珠のように、宇宙に体が散らばっちゃいマス!」


 と機械じみた声がこだました。

 そんなヘマはしないから黙ってて、と小さな唇が言葉をなぞる。

 どこまで加速していいかは、言葉より感覚で理解できた。

 

 どれだけ進んでも、変わり映えしない景色が続いている。リメアの速度も異常だが、宇宙は彼女の特異性を容易に塗りつぶすほど巨大だ。

 速度感覚は、すでに麻痺していた。ずっと車で走っていると、自分が遅くなるようなあの感覚。

 たしかフラッシュラグ効果って名前がつけられてたっけ、なんてぼんやり考えながら少女は静かに瞼を閉じる。

 

 

 宇宙を飛んでいると、かつて宇宙船に一人ぼっちで過ごした昏い記憶が呼び起こされる。

 気が遠くなるような時間を共にした、孤独で冷たい闇の牢獄だった。

 だがリメアは首を横に振る。

 あのころの私はもういないと、自分に言い聞かせた。

 先ほど飛び立った星々で過ごした鮮烈でまばゆい日々がリメアを変えた。

 それらは今まで生きてきた時間と比べればほんの瞬き程度の短いものだったが、彼女の心を照らすには十分すぎるほどの輝きを放っていた。


 同時にこれからの旅への不安と期待、そして果たすべき約束がごちゃまぜになって、胸を熱く滾らせる。

 心臓が、うるさいくらいに高鳴っていた。

 焦燥感が募る。


「ねぇ、まだかな」


 とそわそわしながら尋ねると、


「リッキーはリメア様の指示通りお口にチャックをしておりマスので」

 

 とそっけない返事。

 一丁前に拗ねてるフリするなんてと、微笑みかけたその時。

 

 手探りで追いかけていたあの、爽やかな甘い香りが一段と強くなり、体を包み込んだ。

 辿っていた標識の間隔が遠すぎて迷子になったかと思った矢先、やっと現れた次の標識に覚えるような安堵感。

 一気に体の緊張が解け、ほっと胸を撫で下ろす。

 

 よかったこっちであってた、と喉元まで上がってきた台詞を、ギリギリのところで飲み込んだ。

 アーヴィの小憎たらしいドヤ顔が、脳裏に浮かんだからだった。

 

「なんか、モヤモヤするな」

 

 こうして飛んでいるのはアーヴィあってのことだったが、彼の性格や今までの言動を考えると、全面的に感謝はしたくなかった。

 ただ、今現在、彼の香りに包まれてホッとしたのは事実で。


「うーん……」

 

 釈然としない気持ちに首を傾げていると、リッキーの金切り声がガンガンと鳴り響いた。

 

「リメア様! ブレーキ! ブレーキヲ!!」

 

 ハッと我に返ると、少女は身体中のエーテルを一気に活性化させる。

 

「現在光速の108――107――106%! もっと出力あげてくだサイ! 衝突しマスよ!!」


 いまやってる、と返す代わりに歯を食いしばった。

 タキオン化を解除し、川から離脱する。

 途端、激しいエーテルの風が正面から吹き荒れて、体の制御を失いかける。


「このっ!」

 

 なんとか気合いで立て直し、更にエーテルを噴射する。

 長髪がみるみるうちに短くなっていく。

 エーテル組織化した体の感覚が、少しずつ戻ってきた。

 水底から一気に浮上するように、五感が研ぎ澄まされていく。


「間に合いまセン! アワワ、通り過ぎてしまいマス! オーバーラン、オーバーラン!!」

 

 リメアはありったけのエーテルをかき集め、放射すると同時に元の空間に身体を戻す。


 刹那、空間がぐるりと反転した。

 決壊し、押し寄せる鮮やかな色彩の暴力。

 鳴り響く雷鳴にも似た轟音と、ビリビリと全身引き裂くような激しい揺れ。

 大気との摩擦で、膜が焼ける。

 

 リメアはとっさに肩をすぼめ、ぎゅっと目をつぶった。


 だが次の瞬間、打って変わってふわりと温かく柔らかいものに抱き寄せられる。

 感覚の落差に驚き思わず、ひゃぁっ、と情けない声を上げた。

 

 恐る恐る長いまつ毛を持ち上げてみる。

 そしてリメアはやっと、木々の生い茂る森の中で、大地に寝転ぶ少年の腕に包まれていることを理解したのだった。

 

「……」

「……」


 なんとも形容しがたい、気まずい空気が漂う。

 ガァガァと遠くで鳥の鳴き声が聞こえて、少年が先に口を開いた。

 

「おかえり。長旅ご苦労、お姫様」

「た……ただい、ま」

 

 ぎこちなく返す少女の頬がわずかに赤く染まる。

 少年はキザな笑顔を浮かべ、フッと満足そうに目を細め天を仰いだかと思うと――カッと目を見開き、口元から鮮やかな血を滴らせながら、舌を素早く動かした。


「早くそこからどいてくれ、今すぐにだ! 身体中の骨が粉砕骨折してんだぞ、こちとらまともに息すらできねぇ! はやく、どけ!!」

「あ、ごめん」


 リメアが立ち上がって周囲を見てみれば、まるで隕石の直撃を受けたような、凄惨な現場だった。

 樹木はなぎ倒され、低草や茂みはチリチリと火の粉を飛ばし、リメアたちを中心に黒土が露出している。

 

「おい、勢いには限度ってもんがあるだろ? こちとら90年近く到着を待ってたってのに、この、仕打ち……かよ……」


 少年は大きく咳き込むと、噴血しながら意識を失った。

 大の字に広がった手足がビクンビクンと痙攣している。周囲には焦げ臭い匂いが充満していた。


 申し訳無さを感じつつ、リメアは青空を見上げる。

 ざっと250万光年の大跳躍。

 

 身体中に漲っていたエーテルも、到着時の減衰にほぼ使い果たした。

 常人にとっては果てしない距離でも、これからの旅においてはたった一歩、前に足を踏み出したに過ぎない。


 流した涙も笑い声も、遥か彼方。

 眼前には、純然たる未知。

 リメアは下ろした手をきゅっと握りしめ、胸いっぱいに息を吸い込んだ。


「大気、よし。気温、よし」


 限界近くまで縮んだ黒髪は、ショートボブによく似たワンレングスボブ。

 エーテルのさざなみを受け、凪の中、毛先が音もなく波打ちはじめる。

 反応が始まった毛先から色が移ろい、キラキラと星が瞬くように明滅する。


 「うん、エーテル濃度は少し低めだけど、十分、十分!」


 

 山間から夜明けの太陽が異なる方角より2つ顔を出し、リメアの横顔を白光で照らした。

 どこまでも続く蒼穹に、リメアはか細い腕を精一杯伸ばす。

 

「――待っててね」

 

 その独り言は、白む星たちのその先へと、消えていく。

 

 頬を撫でる朝の涼やかな風が、彼女の決意を3つの月が連なる空へと運んでいく。

 星の海をまたぐリメアの果てしなく長い旅と冒険の日々は、この瞬間から、始まったのだった。






 ここまで読んでいただき、誠にありがとうございました。

 

 このお話で、1章は終わりです。

 リメアが旅に出るためのエピソード0のような内容でしたが、いかがだったでしょうか。


 果てしない宇宙をこれから旅するにあたって、どうしても強い心が必要となります。ひとりで乗り越えられない孤独も、親友との約束があれば、きっと乗り越えられる。


 たったひとつの繋がりでも、人は強くなれるのだと信じてこの物語を書きました。

 これからもどうか、「星渡りの不完全者」をよろしくお願いいたします!!


 ※次回2章スタートより、週一更新へと移行します。筆が遅く大変恐縮ですが楽しんでいただけますと幸いです。



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 感じたことやあなたの思いでも構いません。

 いつでもお待ちしています!

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