第24話 それぞれの正解【主律星フェニス】
星たちが、再び動き出す。
漆黒の虚空に弧線を描き、ぐるぐる、ぐるぐると回り続ける。
その動きはどんどん早くなっていき、もう止まらない。
「どうして」
フェニスは背を向け座り込んだまま、底冷えするような昏い声を放つ。
「あれからずっと、ずっと、ずぅーーーっと、遅れないように、遅れないように遅れないように遅れないように遅れないように、注意してたのに」
リメアは息を殺して、少女の小さな背中を見つめていた。
彼女の張り詰めるような苦しみを全身で感じながら。
思わず胸元に手を当ててぎゅっと握りしめる。
その時、カチリと見えない歯車が噛み合ったような感覚に襲われた。
ハッと気がつけば、いつの間にか五感が取り戻されている。手足の実体が、ある。
人工太陽の熱さえ今なら肌で感じられた。
同時に凄まじい圧が正面からやってくる。
音もなく、大気が震えていた。
「どうして。もう少しで私は規則で定めたペナルティを終えて、あの人に、会えるはずなのに」
ごうっ、とフェニスを中心に辺り一面をエーテルの風が吹き荒れる。
リメアの髪は暴風に逆立ち、目を開けているのがやっとだった。
だが、リメアは確かな違和感を感じ取る。
ちらと周囲の放熱塔に目をやると、煙は垂直に立ち上っている。
これほどエーテルが荒れ狂っているのに。
(おかしい、これは現実じゃない……!? リッキー! 聞こえる!?)
返事はない。
そもそもリッキーの存在すら感じられない。明らかに異常だった。
ぼんやりしていた意識がはっきりしてくる。
(わたし、精霊と戦ってて……そうだ、アーヴィは? あの鎖やドームは……!?)
ピシリ、と空間にヒビが入る。
眼下で輝いていた主律星が裂け目を中心に大きくズレた。
風圧が更に強まり、リメアの髪を激しくかき乱す。
「フェニス……そうだ、精霊フェニス……!」
今まで見てきた映像と、記憶にある名前がやっと繋がる。
心臓が激しく胸を打つ。
浅い呼吸を繰り返しながら、緊張とともに顔を上げた。
フェニスは風の中でゆらりと立ち上がる。
「どうして」
幾度も繰り返されてきた言葉に、リメアは身構えた。
どんな攻撃がやってくるかわからない。気持ちを強く持ち、正面に意識を集中させる。
白髪の少女がぺたり、ぺたりと足の向きを変えながら、ゆっくりとこちらへ振り返った。
「どうして、私の邪魔をするの? せっかくうまくいってたのに、頑張ってたのに」
俯いたフェニスの表情は白い前髪で隠れて見えない。
リメアは腕で風を避けながら、開いている片目を細める。
すると唐突に、フェニスが勢いよく顔を上げた。
短く揃えられた前髪が風圧で持ち上がる。
はじめて2人の目線が交差する。
ミッドナイトブルーの瞳は光をたたえ、目元はやや赤く腫れていた。
瞬きするたびにこぼれる涙が風に舞い、リメアの頬へと届いた。
「もう、間に合わない。あなたのせいで、ずっと守ってきた日照時間の調整が……間に合わないよぅ……!」
「……っ!」
今にも声を上げて泣き出しそうなフェニスの表情を最後に、世界が割れる。
喉をぎゅっと締め付けるような痛みを残したまま、リメアの視界は暗転し、ぷっつりと途絶えたのだった。
*
「――はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
荒い呼吸をひたすらに繰り返す。
冷や汗が額から鼻梁を伝った。
絹のような白銀の前髪が、リメアの眼前に流れ落ちてくる。
「あぶな、かった……!」
手には巨大な剣。
刃は緑色の12面体を半分近く切り裂いたものの、中央を避け止まっていた。
甚大なダメージを受け光と浮力を失った結晶は人工太陽の地表に落下し、けたたましい音を立てる。
「やったか!?」
鎖の山を駆け下りてくるアーヴィ。
リメアも地上へ降り立ち、声のする方へ目をやる。
彼の顔中にあった火傷の跡はかなり回復していた。
見上げればドームが綺麗な真っ二つに割れており、周囲の気温も下がっている。
「ううん、まだ、倒してない……」
駆けつけてきた少年にリメアは首を横に振った。
アーヴィは驚嘆し目を瞬かせる。
「はぁ!? トドメ刺してねぇのか? なんでだ、今が絶好のチャンスだろ!?」
急き立てられ、リメアはもう一度剣を両手で握りしめる。
先端を結晶体へ向け、構えてみた。
だが、その切っ先はかすかに震えている。
「アーヴィ……」
「どうした」
「わたし……できないよ……っ!」
手から離れた剣が盛大な音を立てて、地面に転がった。
「どういう……了見だ……?」
怪訝な表情を浮かべつつ、アーヴィは剣とリメアを交互に見る。
しかしリメアはアーヴィに顔を向けることなく、先程までと寸分たりとも変わらずまっすぐに前方を見つめ続けた。
簡単なことだった。
跳躍の際5次元空間で赤い糸に激突し、無意識的に避けていた行動。
視界を5次元空間とリンクさせる。たったそれだけのことで、精霊の本体を視認できたのだ。
リメアの視線の先には、意識を失った間に見た夢と同じように、白髪の少女が立っている。
うなだれる少女フェニスに、もはや戦意は見られない。
片腕を抱くその姿が、かつてのアリシアに重なった。
リメアは喉元までせり上がってきた行き場のない感情を、言葉と一緒に吐き捨てる。
「わたしだって……! わたしだってこんなの嫌だよ! この子が、精霊が……もっと悪くて、どうしようもなくて! やっつけて全部それでおしまいならそれがよかったよ! でも……!」
言い淀み唇を噛みしめるリメアの胸ぐらを、横からアーヴィが掴む。
それは今まで見たことないほどの剣幕だった。
目は吊り上がり、瞳は真っ赤に燃えている。
「おい、冗談も大概にしろ。さっきから何を言ってんだ? この子だと? 俺の目には鉱石と鎖がぐちゃぐちゃに絡まった塊しか見えねぇ。化け物なんだよ、こいつらは!」
「違うの! わたし、さっきフェニスのエーテルが流れ込んできて……見えたの。この子になにがあったのか、なんでこうなっちゃったのか!」
「はぁ? んだそれ。じゃあなにか。この精霊には同情するからお咎め無しではいさよならってか? さっきまで殺されかけてたんだぞ!? 主律星は? 従響星の搾取は? 今までやってきたことの落とし前はどうつけるっつってんだよ!」
「それは…………!」
反論できなかった。
アーヴィの言っていることは、正しかった。
正しいはずなのにリメアは頷くことができない。口を結んだまま、返す言葉もなく俯いた。
呆れ顔のアーヴィが畳み掛けてくる。
「だんまりかよ。はっ、どこまで甘いんだ。……そうだ、だったらあのお友達はどうなる。誰のせいでそうなったんだ? たとえどんな事情があったとて、この星を管理してたのはこいつなんだぞ!!」
「わかってるよっ!!」
リメアはワンピースのネックラインを口元まで持ち上げたアーヴィの腕を掴み返し、声を振り絞る。
「わかってるけど、できないよっ!! この子も、ずっと苦しんでた! 誰からも手を差し伸べてもらえなくて、抱きしめてもらえなくて! わたしだって許せないよ、星がこんな風になるまでほったらかしにしたこと! でも、この子を殺すことが本当に正しいの? なんとかする方法は、どこにもないの!?」
「話に、ならねぇな……クソッ!」
リメアの手をはたくように振り払うと、アーヴィはフェニスに向き直る。
右手には青い端子が輝いていた。
「おい、精霊。さっきから聞こえてんだろ? なにだんまり決め込んでんだ。てめぇのことだぞ、なにか言い分はねぇのか、あぁ!? 余計な真似したら殺すからな、口だけ動かせ。てめぇが今考えてることを言ってみろ、哀れでかわいそうな精霊さんよ!!」
怒号を浴びせられたフェニスはビクリと肩をすくめたあと、聞き取れるか聞き取れないかわからないほど小さな声でポツリと呟く。
「私を、殺して」
リメアは全身の毛が逆立つのを感じた。
それは反論でも抵抗でもなく、すべてを諦めた一言だった。
だらり、と下ろした両腕が力なく揺れている。
「端子でジャックしたお陰で、やっと精霊サマのお声が聞こえたと思ったら」
はっ、とアーヴィは鼻で笑った。
「なんだ、聞いてみりゃいい心がけじゃねぇか。散々暴れた挙げ句自分の罪を認めたってか。おい、リメア。聞こえただろ?」
「聞こえた、けど……」
「あのなぁ、向こうから願ってんだぞ。迷う必要なんかねぇんだよ。まあ確かにお人好しには辛い選択かもしれねぇ。だがこの星に住む連中のことを考えてみろ。このままでいいのか? ここで変えなけりゃずっとこのままだぞ? おんなじことが繰り返されるんだぞ?」
「……で、でも!」
リメアは再び白髪の少女を見る。
少女の目は虚ろなままでぼんやり床を眺めていた。まるで生きる気力をすべて失ったみたいに。
詰め寄ろうとしたアーヴィを手で制し、リメアは一歩前へと踏み出した。
「ねぇフェニス、なんで……そんな悲しいこと言うの?」
「いい加減にしろリメア! そいつと喋ったって――」
「アーヴィはちょっと静かにしてて! フェニス、答えて」
フェニスはゆっくりと瞬きをし、色素の薄い唇を開く。
「…………闇が……見えたの……」
「えっ?」
思わず聞き返す。
フェニスは顔を上げ、視線をリメアへと向けた。
「……長い、長い闇。孤独で冷たくて、どこにも行けない。閉じ込められた冷たい箱の中で、何度も同じ映画を見て、解き飽きたパズルを解いて、窓の外を眺めて……硬い床で眠ってた」
「なに、を……」
胸の奥をえぐられる感覚とフェニスの頬を一筋の涙が流れ落ちたのは同時だった。
宵闇色をした瞳に、困惑するリメアの顔がくっきりと映っていた。
フェニスはひとつひとつ、記憶をたどるように言葉を紡ぐ。
「星に降り立って出会った、生まれて初めての友達だった。あったかくて、眩しくて。今までの全部を帳消しにしてもいいと思える時間だった。でもそれも、長くは続かなかった」
「そんなことって……まさか、あなたも……見たの……? わたしの、記憶を……」
あまりの驚きに、うまく呼吸ができない。
過去を覗いたのは、自分だけだと思っていた。
白髪の少女が口にしたのは間違いなくリメアの記憶であり、胸に深く刻まれた傷。
エーテル周波数の同期が、リメアと精霊、双方向に記憶の混線を引き起こしていた。
「……ごめんなさい、リメア。私は……あなたの大切な友達を…………奪ってしまった……。ごめんなさい。本当に、ごめんなさい……」
フェニスの目からぼろぼろと溢れる涙。
繰り返される謝罪に、リメアは言葉を失う。
「知らなかったの。人の寿命は短くて、水に浮かぶ泡のように湧いては消える。私は主律星を管理し発展させることを規則に定めていた。そのために必要な方法を考えてきたつもりだった。知らなかったの。その泡のひとつひとつに、こんなにたくさんの喜びや哀しみがあったなんて。知らなかったの。今までやってきたことが、誰のためにもなっていなかったなんて」
フェニスの悲痛な声は、鉄と煙だけの無機質な空間にさざ波のように消えていく。
他に声を発する者は誰もいなかった。
アーヴィもリメアも、押し黙ったまま声に耳を傾ける。
「私は規則に従えなかった悪い子。悪い子には、罰が必要。でももし、ひとつだけ願いが叶うのなら。後ろに立っている男の人に、殺してほしいの。私がずっとずっと待ち続けた、私を開放してくれると言ってくれた、あの人と同じ香りのする、その人に」
鼻の奥が、ツンと痛くなった。
この子は。この小さな少女は、今までどれだけ孤独で、ひとりぼっちで張り詰め続けていたのだろう、とリメアは胸を痛める。
自ら死を望むほど、誰が彼女を追い詰めたのだろう、と。
白くなるほど拳を握りしめたリメアの肩を、アーヴィが叩いた。
「こいつは俺をご所望だ。リメアどけ、もういい」
少年はリメアの肩をぐいと押しのけ、精霊へと歩を進める。
右手の先にある開霊端子の枝が螺旋状に形を変え、黒くて長い1本の鋭利な針となった。
「待って!!」
リメアは慌てて2人の間に入りこむ。
「邪魔だリメア。向こうが望んでるんだろ。止める必要はないはずだ。もうこれはあいつと俺の問題だ」
「だめ! だめだよアーヴィ! この子は、ずっとずっと苦しんでて、逃げたかっただけなの! アーヴィに助けてほしかっただけなの!」
「だから、楽にしてやるって言ってんだよ」
「そうじゃない! なんでそうなるの!」
「いいか、リメア」
アーヴィは落ち着いた口調で話しながら、リメアをまっすぐに見つめる。
「俺は大罪人、アーヴィング・メルキオルだ。こんなナリだが場数は踏んでる。こんな経験も1度や2度じゃねぇ。見たくないなら見る必要はない。責任も、罪も、業も全部俺が背負う。だから、どいてくれ、リメア」
「いやだ! そんなの、そんなのって……悲しすぎるよ!」
「今理解しろとは言わない。でも、これが最善の選択なんだ、リメア。人間と精霊は相容れない。強大な精霊の力は人間社会を狂わせる。だから俺達は精霊と縁を切らねぇといけないんだ」
「そんなことない! きっともっといい方法がある! ちゃんと話せば、もっといい考えが見つかるはずだよっ!」
「リメア――」
アーヴィは大きくため息をつき、睨みを利かせた。
「じゃあお前はこれから未来永劫、この精霊のお守りをするのか? この星のためにすべてを費やすのか?」
「それは……!」
「理想と現実は違うんだ、リメア。取れる選択肢の中で最善を選ぶのが大人の仕事だ。子供は夢を見てるだけでいい。そして今は、子どもの出番じゃない」
ざり、と踏み出された足に、リメアは立ちはだかる。
(アーヴィの言葉は正しいけど……完璧じゃない……っ!)
キッと睨み返す目に力が宿る。
その瞳に迷いは、もう残されていなかった。
「それなら、子どものわたしからも言いたいことがあるよ! フェニスを殺したら、この星はどうなるの? 人工太陽は? 空気は? 整備されていた環境はどうなるの!? 答えてよ、アーヴィ!」
「それは――」
初めて、アーヴィの口が止まった瞬間だった。
表情はまるで変わらなかったが、急所を突いた感覚がリメアの胸中に広がる。
「……この事件が宇宙に広まれば、きっと俺の仲間たちが救援に来る。環境だってすぐに変わるわけじゃない。安心しろ、しばらくの猶予はあるはずだ」
「きっととか、はずとか、そんなのいらない! 本当はわかってるんでしょ! 大変なことになるって! 確かに星の状況は最悪だけど、人が住めないほどじゃない。それは全部、この子がずっとひとりで頑張ってきたからなんだよ!」
「急に精霊の肩をもつようになったな、リメア。お仲間がそんなに大事か? ……ああそうさ、リメアの言う通り、大惨事になるだろうよ。だが犠牲が出ることは織り込み済みだ! 戦争なんだよこれは! 責任は全部俺が引き受けるって言ったろ。今までだって、ずっとそうして来た! それが人間を、社会を、正しく導く唯一の方法なんだよ!! 楯突くんだったらそのちっちゃな頭の中に、解決策のひとつでもあんのかよ……なぁ!」
リメアは歯を食いしばり、両手を広げたまま頭をフル回転させる。
(リッキー! リッキー、教えて! どうしたらいいの!?)
頭の中で、機械じみた声が反響する。
「リメア様、お話をずっと聞いておりましたガ、彼の意見には説得力がありマス。対し、リメア様にハ反論材料が乏しい。確かにアリシア様は大切なご友人でシタ。しかし彼女が失われた今、リメア様がこの星に執着する理由がありまセン」
(でも……っ!)
「お心苦しいのはお察ししマス。デスが、データベースを検索しても、対策は限られていマス。残念デスが……」
(どうして? なんでそうなるの? わたしが変なの? 意地っ張りすぎるの? ねえ、どうして……? わからないよっ…………アリシア……。そうだ、アリシアっ……!)
心の内側で叫び声を上げ、リメアは勢いよく顔を上げる。
大事なことを、今やっと思い出した。
そのままの勢いで振り返り、フェニスに向かって声を荒げる。
「フェニス! わたしの記憶、見たんでしょ!? 見たならわかるはず! 従響星で奪ったエーテルとアリシアを返して! アリシアの魂を、今すぐ返してっ!」
おもむろに顔を上げたフェニスは、腕を持ち上げ、リメアの背後を指差した。
「エーテルはすでに同期済み。返却は不要。ちなみにリメアがアリシアって言っているのは、従響星の湖畔に埋めた遺体のこと? それとも……ずっとリメアの後ろにくっついてる、エーテルに引っかかったまま浮かんだその魂の残骸のこと?」
「えっ……」
思わず体が固まった。
ずっと……後ろに?
精霊の言葉を頭の中で反芻しながら、リメアは恐る恐る、振り返る。
そこには瞬きすれば見失ってしまうほど小さなエーテル粒子が、1粒だけ、小さく揺られていた。
「アリ……シア……?」
呼びかけに反応するかのごとく、粒子は明滅する。
リメアは目をゴシゴシとこすり、空間に意識を集中させた。
粒子だけだと思われたその周りには、うっすらと人間の輪郭が見て取れる。
口元を見ると、霧のように細かいエーテル粒子が、小刻みに振動しているのがわかった。
リメアは慌てて聴覚を調整する。
今の視覚は、5次元空間と同調している。ならば、耳も同じようにすれば、エーテルから伝わる声も、聞こえるかもしれない。
藁にも縋る思いだった。
すると耳の奥に、懐かしい響きが、やっと届いた。
「――もう、リメアったら、子供なんだから」
たしなめるような優しい口調。
それは今なによりもリメアが求めていた、アリシアの声だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
お待たせいたしました。
彼女が、帰ってきました。
普段はしませんがここだけどうしても次回予告をやりたかったので、やらせてください。
次回、第25話 『アリシア』 【主律星フェニス】
レビューやいいね、感想いつも励みになっています!
感じたことやあなたの思いでも構いません。
いつでもお待ちしています!




