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星渡りの不完全者  作者: 藍色あけび
1章 旅のはじまり、禍福の残響
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第7話 境界値【フェニス第3従響星】

「……」

 

 夕暮れ空を、雲が流れていく。

 ベランダから空を眺めて過ごす日が増えた。

 

 アリシアは、最近帰らない日が増え、帰ってきてもすぐに寝てしまうか、部屋にこもることが多くなった。


「アリシア、今日はかえってくるかな」


 積み上げた段ボールに腰掛け、錆びた手すりに顎を置く。

 1人でボーっとすることには慣れていた。

 地上ではいろんな景色が移り変わるので、宇宙船の中よりも飽きない。


「……」


 オレンジ色の空が、薄紫に染まり、やがて群青に覆われていく。


「……そろそろ、明かりつけなきゃ」


 薄暗くなった部屋を抜け、玄関の照明をつける。

 2、3度瞬いた後、玄関は暖かい光に包まれた。


「よし」


 部屋に戻り、お片付けをする。

 お片づけとは言っても、洗い終わったアリシアのお皿をしまい、ベッドを整える程度。

 棚の上のクレヨンの蓋には、薄っすらと埃が溜まっていた。

 

 乾いた雑巾で軽く棚を拭く。

 クレヨンの中身は、もうほとんどなくなってしまった。

 はじめに黄色、次いで肌色や青がなくなり、赤もなくなった。

 残った色もわずかとなり、描けるものを思いついたら描く日々が続いていた。

 

 ガチャリ、と玄関から音がする。


「あ゛ー…………、疲゛れたーーー…………」


 振り返ると、壁に張り付くようにもたれかかったアリシアがいた。


「アリシア! お仕事お疲れさま!」

「うんうん、ありがとね」


「アリシア……、お鼻……」


 リメアが指差すと、アリシアは鼻下に手をやる。


「あー……」


 血を見つめながら放心しているアリシアに、リメアはタオルを差し出す。


「ほら、これで拭いて!」

「…………ありがと」


 ズピ、と鼻をすすりながらアリシアは、そのまま壁偽を預けたまま床にずりおちた。


「アリシア、大丈夫? 最近、お仕事大変そう……」

「……」


 アリシアは聞こえているのか聞こえていないのか、口を半開きにして、天井のライトを見上げている。


「アリシア……?」


 もう一度名前を呼ぶと、ようやく気がついたのか、緩慢な動きでこちらに顔を向ける。

 焦点があっているか定かではない瞳に、リメアの顔が写った。

 すると、少しずつ目に活力が戻っていき、口角が僅かに上る。


「……ううん、ごめんね、だいじょう、ぶっ!」


 首を振り、膝を支えに立ち上がる。

 ふぅ、とため息を付いてまぶたを開ければ、いつものアリシアがそこにいた。


「アリシア……」

「なーに? そんなしょぼくれた顔しちゃって。大丈夫よ。心配しないで。ちょっと連勤で疲れただけよ」


 荷物を床に置き、ジャケットを壁にかけると、アリシアはリメアの横を抜けていく。

 と、部屋に入ったところでピタリ、と立ち止まった。


「どうかしたの?」

「…………」


 くるり、とアリシアは向き直り、なにか考え込んでいる。

 その様子を、リメアは不安げに見つめた。


 チラ、と上目遣いの紫苑の瞳が、リメアを捉える。

 いたずらっぽい笑みを浮かべ、数歩前に進むと、リメアの手を取った。


「……?」

 

 首を傾げるリメアに、そっと、耳打ちする。


「明日、ハンバーガー、食べに行こっか」

「っ! わぁっ! ありがとう、アリシア! この前のお願い、覚えててくれたの!」


「もちろんよ。たとえ何ヶ月たとうが、何年たとうが忘れないわ」

「さすがアリシア! 大好き!」


 ぼふっ、とリメアはアリシアに抱きつく。


「こ、こらっ! さっきの血、どこかついてたら移っちゃうでしょ!」

「えへへ~」


「もう、離れなさいってば~」

「やだ~」


 抱き合った2人は、ふらふらとよろめき、リメアのベッド代わりのソファへと横たわった。

 アリシアのお腹の上で、リメアは横髪をいじりながら、楽しげに話す。


「あのね、あのね、色々とお話したいことあるの。今日流れてた雲がね、アリシアにとってもそっくりだったの。笑ったときの! あとね、あとね。そうだ、明日食べに行くハンバーガーはね、この星でとっても有名なんだって! 絶対食べたほうがいいって、えぇと、リッキーが言ってたの。わたし、楽しみで何回か調べちゃったんだけど、なんかね、小麦? パン? がすごく良くてね、お肉が凄くジューシー? で、 きっとアリシアも――」


「……リメア様」


 リッキーのヒソヒソ声に、リメアはハッとする。

 そろり、そろりと体を起こす。

 アリシアはすやすやと寝息をたてていた。


「……おやすみ、アリシア」


 耳元で小さく囁くと、リメアは抜き足差し足で玄関の照明を消し、再びアリシアの寝るソファまで戻って来る。


「わたしも寝るね、おやすみ、リッキー」

「ええ、おやすみなさいマセ、リメア様」


 リメアはソファの下の床に寝転ぶと、丸くなって寝転んだ。

 一度寝返りをうち、アリシアの方を向くと、こちらもすやすやと静かな眠りについたのだった。



 翌朝。


 

「リメアー! 早く起きて、顔洗っておいで!」


「むにゃ……アリシア……? そっちの土は冷たいよ……?」

「ほら、寝ぼけてないで!」


 手を引っ張られ、無理矢理立たされたリメアだったが、アリシアを見て、一気に顔を輝かせる。


「どうしたのそれ! とってもかわいい!!」

「そ、そうかな、似合ってる?」


「すっごい似合ってる! 大人のお姉さんみたい!」

「失礼しちゃうわね。もう大人ですー!」


 ニカッと笑ったアリシアが、くるっと回ってみせた。

 白いキャミソールにグレーのカーディガン、黒のスカートがヒザ下でふわりと揺れる。

 どれもシンプルな作りだったが、おろしたてで汚れひとつない。


「わたしも、行く準備するー!」

「先に顔洗ってくるんだよ!」


 首根っこ掴まれたリメアはキッチンで顔をゆすぐ。

 クレヨンの横に飾っていたポシェットを肩に掛け、アリシアと頷きあった。


 並んで玄関についたところで、あ、とアリシアが立ち止まる。

 黒のポーチをゴソゴソとあさり、中から髪留めを取り出して、リメアの前髪をまとめた。


「……ほら、こっちのほうがいいでしょ?」

「え! 見る見る!」


 リメアは玄関の鏡の前に立つ。

 前髪は斜めに寄せられ、おでこが少し出ていた。

 以前の伸ばしっぱなしの髪型より、ややパリッとしている。


「お、おおお! わたしも、大人の女に……!」

「あなたはまだ子供。はい、じゃあ行くよ!」


 片手で玄関を開けたアリシアに手招きされて、リメアは慌てて追いかけた。



「こっ、これは!」

 

 目を見開いたリメアの前には、1台の車が止まっていた。


「アリシア! アパートの入口に、無断駐車が!」

「私が呼んだタクシーよ! ほら、早く乗って」


 アリシアが右手の甲をドアノブにかざすと、甲の内側がピカッと青く光り、ドアが自動で開く。

 やや粒の粗い機械音声と、和やかな音楽が流れてくる。

 

《初めてのご乗車、ありがとうございます。クーポンコード986ご使用のアリシア様ですね》


「よ、余計なこと大声で言わなくていいのよ」

「……?」

 

 首を傾げるリメアの後ろで、なにやらリッキーが興奮している。

 

「ほほう、この星のAIはデリカシーというものが極めて欠けているようデスね! つまり、ワタクシのほうが上」

「いいからっ! さっさと乗って!」


 リッキーとリメアを押し込むように車内に入ったアリシアは、ふう、と額の汗を拭う。


《目的地は、メインストリート106、Aの23でお間違いありませんか》

「は、はい、お、おねがいします」

《それでは、ごゆるりと移動時間をおくつろぎください》


 車はふわりと浮かび上がると、音も立てずに発進した。

 

 一行を乗せたタクシーは、ごちゃごちゃした商店街を抜け、大通りに出ると幹線道路に合流する。

 車は速度を上げ、車内からははしゃぐ声が湧き上がった。


 トンネルを抜けると、ビルの立ち並ぶ中央エリアが見えてくる。

 カメレオンのようにビッタリと壁に張り付いたリメアを、アリシアが笑った。


《大変長らくお待たせいたしました。目的地に到着しました。料金は後払い、アリシア様のICチップにご請求となります。ご乗車ありがとうございました》


 自動音声の流れるタクシーを背に、2人は高層ビルを見上げる。


「うわー……」

「すごい……」

 

 徐々に目線を下ろしていくと、最後に、綺羅びやかに電飾されたハンバーガーショップの看板が目に入った。

 入口には豪勢なレッドカーペットが敷いてある。


「ま、まあ、ちょっと予約の確認をしてくるわね」

「う、うん……」


 右の手と右足を同時に出しながら歩くアリシアを見送り、リメアは周囲を観察する。

 白を基調とした無機質な建物が多く、商店街とは別世界のようだった。


 通りをまばらに歩く人は大人や子供が入り混じる。

 パッと見では誰がこの星の基準の大人で、誰がまだ子供なのかわからない。


 キョロキョロと見回していると、背後から大きな声が聞こえた。




「どうしてっ!? 私ちゃんと予約したわよっ!?」




 アリシアの声だった。

 振り返ると、ハンバーガーショップの入口前で、店員と揉めている。


「リメア様!」

「うん、行こう!」


 リッキーは目につかぬよう駆け出したリメアの中に隠れる。

 看板の下でアリシアが店員に詰め寄り、腕を相手の鼻先へと伸ばしていた。

 

「このチップを確認してみて! きっと何かの間違いだから!」

「し、しかし……」


 アリシアの目は血走り、息も荒い。

 言い淀む店員はどうしたものかと困っている様子。

 すると背後の自動ドアが開き、別の黒服の男が現れ、店員に助け舟を出した。


「大変申し訳ございません、ご予約は確認できたのですが、当店ドレスコードがございまして」

「ドレスコード?」

「ええ、お客様のようなカジュアルな服装ですと、当店のドレスコードに抵触するため、誠に残念ですが入店をお断りしておりまして」

「なによ、それ! お金はあるの! ちゃんとお金はあるのよ!!」


 アリシアが牙を剥くと、黒服は端末でICチップを読み取る。


 初めて見るアリシアの剣幕が、少し怖く感じた。

 ただ、ハンバーガーのために怒ってくれている彼女を責めることはできない。

 リメアはただひたすら隣で静観する。


 店員は情報を確認し終えると頷き、アリシアに大きく頭を下げた。


「大変申し訳ございませんでしたお客様。誠に恐縮ですが、間を取りまして、テイクアウトはいかがでしょうか。代金をお支払いいただけるのでしたら、入店はできかねますが、ハンバーガーをこちらでお渡しすることは可能です。そちらで、なんとか」


「………………じゃあ、それで、お願いします……」


 黒服と店員は軽く会釈をし、店内に戻っていく。

 ピカピカに磨かれた自動ドアの前には、アリシアとリメアが取り残された。


「……なんか、中は入れないんだって。ごめんなさい、知らなかったの」

「いいよ、ぜんぜん。私、気にしてないよ!」


 俯いていたアリシアだったが、思い直したのか、ぱっと顔を上げる。


「でも、ちゃんと食べれるって! 楽しみだね!」


 それを聞いて、リメアもほっと安心する。


「うん! 楽しみ!」


 程なくして、袋を持った店員が現れた。


「お待たせしました。こちらがご注文の――」

「いいから、お支払いするわ」

「かしこまりました。では」


 アリシアが端末に手をかざすと、効果音が流れる。


「ハンバーガーショップ、フェニシアルをご利用いただき、ありがとうございました」


 店員は深くお辞儀をすると、くるりと向きを変えて戻っていく。

 アリシアは袋を片手に、自分の手をじっと眺めていた。


「アリシア?」

「…………え、ええ。行きましょ。このあたりはなんだか空気が悪いわ。そうね……あそこの橋の下ならどうかしら」


「うん、アリシアについてく!」


 アリシアはそそくさと歩き、リメアはぴょんぴょんそれに従って歩く。

 橋の下は人気がなく、川が目の前を流れていた。


 川辺のブロックに腰を下ろし、一休みする。

 見れば、アリシアの顔色が優れない。

 呼吸も荒く、額にはびっしりと汗をかいていた。


 朝に比べてくまが大きくなり、目の焦点も安定していない。

 少し歩いたわりには、随分ばてているようだった。


「ふぅ、なんだかひどく疲れたわ」

「無理しないで、アリシア」


 アリシアは首を振る。


「大丈夫よ。ほら、せっかく楽しみにしてたんだから、ほら」


 紙袋から出てきたのは、1つのハンバーガーだけ。


「あれ? アリシアの分は?」

「私はいいの。最近お腹空かなくて。それよりほら、楽しみだったんでしょ?」


 笑顔とともに差し出された包み紙を、リメアは受け取る。


「ありがとう、アリシア!」

 

 手の中で、何かがモゾ、と動いた気がした。


「……?」


 不思議に思いつつも、包みを開けていく。

 ハンバーガーショップのロゴが入った、薄い紙の中から出てきたのは――。


「キャッ!」


 中を舞う、ハンバーガー。

 

 見開かれるアリシアの目。


 包みは軽い音を立てて、地面に、転がった。


 パンの間で、なにかがうごめいている。


 ソースにまみれた、生きたミミズの群れだった。


 人の食べ物とは、思えない。


 ただただ理解が追いつかず、ハンバーガーから目が離せない。


「…………リメア……?」


 凍りつくような声が、聞こえた。

 涙目になったリメアが見たのは――。

 

 虚ろな目をこれでもかと開き、石のように固まったアリシアだった。


「あ、違うの! アリシア、ごめんなさ……でも、これ、気持ち……わる――」

 

 言い終わる前に、アリシアが膝をついた。


 「えっ」


 少女は栗色の髪を振り乱すように、散らばったハンバーガーへと這っていく。


「アリ、シア……?」


 名前を呼んでも、こちらに見向きもせず、怯えたような表情で――。


 突然、狂ったように地べたに散らばったハンバーガーを食べ始めたのだった。


 川のせせらぎに咀嚼音が混ざる。


「えっ? えっ……?」


 目を逸らすことが、できなかった。

 そこにいたアリシアは、リメアの知っているどのアリシアでもなかった。


 明らかに、常軌を逸している。

 

 少女は脇目も振らず、床に落ちたハンバーガーをうごめくミミズごと、1人で食べ尽くしたのだった。


「アリシア……?」


 そっと背中に手をやると、触れた瞬間、びくっと体全体が震えた。

 ガバっと振り返った目はリメアを捉えるも、その瞳はガクガクと震え、こちらを見ているとは思えない。


「っ! ――えと、母さ、ごめんなさい! 床に、床に落ちたから、食べていいと思って、あれ? リメア……? 私、ちがう、そうじゃなくて、私、わた――うぷっ」


 急にえずいたアリシアは、川辺に駆け寄り、頭を突っ込むようにして嘔吐した。

 びちゃびちゃと、跳ねる水音が橋下に反響する。


「…………っ」


 何が起きているのか、わからなかった。


 リメアは目の前の光景が受け入れられず、ただ震えて、小さく首を横に振ることしかできない。


「は、ははは、あは、リ、リメアが正しかったよ! 食べてみたけど、ぜんぜん味しないし、食感気持ち悪いし、ハンバーガーって、ハン、バーガーって、――ハンバーガーが、なによッ!!」


 激しい感情とともに、アリシアが叫ぶ。

 ボロボロと涙をこぼす少女の手から包み紙が離れ、風にさらわれる。


 と、その時、荒い呼吸に雑音が交じった。


「げほっ、げほっ、かはっ!!」


 乾いた咳のあと、アリシアは自分の手を見て目を見張った。

 そのまま困惑した目で、リメアを見る。

 口元には、べったりと血がついていた。


「あ……」


 白目をむき、脱力した膝から順に崩れ落ちるアリシア。

 ドサッと、体を横たえる音。

 

 受け止めなきゃ、と頭で考えても、足は一歩も動かない。動かせない。


「あ? なんだ、行き倒れか」


 叫び声を聞きつけてやってきたのか、通行人の男性がつかつかとアリシアに歩み寄る。


「はぁ、救急車呼び出しっと。で、君はこの子の知り合い?」


 リメアは両手を胸に力いっぱい押し当てながら、なんとか頷いて見せる。


「あぁ、じゃあもういいね。ごめんね、仕事の途中なんだ、あとはよろしく、ごめんね」


 男性は耳に手を当て、何やら1人でしゃべりだす。

 そのままスタスタと、何事もなかったかのようにその場を去ってしまった。


 色んな音が、光が、歪んでいた。

 世界から自分が切り離されたかのように、ただ目の前で事象だけが早送りされたかのように過ぎていく。


 救急車がやってきて、アリシアが運ばれて。

 足の裏の感覚がないまま手を引かれ、車に乗り。


 ようやくパニックが収まり、思考を回せるようになったのは、救急車に乗ってしばらく経ってからだった。


「お嬢ちゃん、大丈夫かい。もう、病院につくからね。びっくりしたよね」


 白衣の男が、リメアに話しかけていた。

 その事実をやっと認識し、ゆっくりと頷く。


「あ、あの、アリシアは……」


 大丈夫なの、と訪ねようとしたその時。


 自分の名前に反応し、アリシア目をカッと見開く。

 先程までの重体が嘘のように跳ね起き、腕に刺さった点滴を引きちぎる。


「ア、アリシ――」

「ここはどこっ!?」


 目をぎょろぎょろと動かし、周囲を警戒する。

 リメアはなだめようと、経緯を説明しようとした。


「あのね、アリシア、いま救急車の中で、病院に向かっていて――」

「戻れッ!!」


 救急車が怒号の後、しん、と静まり返った。

 アリシアは叫んだあとはっとし、周囲を見渡す。

 全員が、アリシアを見ていた。

 

「…………戻ってください。お願いします」


「そ、そうはいかないよ、戻るったって、あの橋にかい?」


「……これが、私のICタグです。住所はここです。病院じゃなくていいです。お願いします。せめて、お家まで送ってもらえたら十分です」


 白衣の男はしばらく沈黙した後、操作パネルを壁面から外して、アリシアのチップを読み込んだ。

 救急車は病院の手前でUターンし、郊外へ向けて進みだした。


 来た道と同じ道を救急車は走っていく。

 アリシアは目を開けたまま、横になった。

 容態は一応、安定しているように見える。

 

 朝と夕方で、世界がまるでひっくり返ってしまった。

 あれほどまでに目新しくリメアの興味をひいた都会の建物たちも、今や黒く変色し、この車を追い立てているようだ。

 

 誰も口を開くことなく、救急車はやがて商店街の自宅へと到着した。


「本当にいいんだね」

「……はい」


 アリシアは無感情な声で短く返す。

 すると、白衣の男は申し訳無さそうに、小さな紙を手渡した。


「じゃあ、お大事に」


 赤色灯を光らせて夜の街へと消えていく車をリメアが見送った後、振り返れば、アリシアがアパートの壁に拳の側面を打ち付けていた。


「ちくしょう、運んだだけなのに、ゼロ何個並べりゃ気が済むのよ、ちくしょう……」

「アリシア……」


 もはや、掛ける言葉も見つからなかった。

 アリシアが体調を崩してからというもの、リメアは無力だった。

 なにひとつ、できなかった。


 俯くリメアに気づいたのか、アリシアが優しく名前を呼ぶ。


「リメア」

「……っ」


「心配かけてごめんね、怖かったよね。私のせいで、とんだ日になっちゃったね」

「そんなことっ、ないっ……!」

「ううん、あるわ。はぁ、なんでこんなにうまくいかないのかしら」


 アリシアは自嘲気味に笑うと、視線を落とす。

 出かけるときは真っ白だったよそ行きの服も、血と吐瀉物で汚れきっていた。


「………………帰りましょ」

「……うん」


 リメアはアリシアの先回りをし、玄関の扉を開けて待つ。

 ありがと、と弱々しく微笑むアリシア。


 着替えを手伝い、水を用意した。

 アリシアはコップを一息に飲み干す。


「もう本当に大丈夫よ、リメア。シャワーも自分で浴びれるし、そのあとは早めに寝るから」

「……わかった。なにかあったら……すぐ言ってね」


 こくり、と頷き、アリシアはシャワールームへと消えていく。

 いつもよりも早く上がったアリシアは、軽くおやすみの挨拶を済ませると、言った通り、すぐに自室へと戻ってしまった。


 カーテンのない窓から、星あかりが差し込み、部屋は薄いブルーに包まれる。


 リメアは1人、膝を抱いて縮こまった。

 朝が来るまで、ずっと、今日の出来事を何度も、何度も思い返した。

 

 

 明日になれば。

 きっと、明日になれば。


 アリシアも元気になって。

 今日のことは何かの間違いで。


 きっと、きっと。

 繰り返されてきた日々が、戻ってきてくれる。

 そう、自分に言い聞かせ続けながら。


 ここまで読んでいただきありがとうございます。

 ショッキングな内容で、びっくりさせてしまい申し訳ありません。


 子供の頃、自分の身の回りの常識と友達の常識が違うとわかった瞬間って、言葉にできない衝撃がありますよね……。


 レビューや応援、応援コメントいつも励みになっています! 


 感想だけでなく、感じたことやあなたの思いでも構いません。

 いつでもお待ちしています!

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