表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

捨てられた令嬢まとめ

捨てられた令嬢は護衛騎士と駆け落ちをした

作者: 鳴宮ナルト

「抱き締めていいですか? 」


 滴が垂れる前髪の隙間から、リッターの瞳が覗く。見つめられることには慣れているはずだった。それなのに普段の様にその瞳を見つめ返すことができない。


 元貴族であるアイリスが、自身の護衛騎士であったヴォルフ・リッターと駆け落ちをしてから、何度その瞳に映っただろう。

 アイリスは目を伏せて、ここ数日の記憶を辿った。



 ――――――――――――――――――



 アイリス・ブルーベル。


 貴族至上主義が根強く残るハリスツィー王国の公爵家に生まれ、王位継承権を持つ第一王子の婚約者であった令嬢の名前である。


 更なる地位と権力を求めた父親によって厳しく育てられたアイリスは、幼い頃から才女として一目置かれていた。しかし、アイリスの物事に頓着しない気質と、遊ぶことを禁止された幼少期によって、彼女は自分にも他人にも無関心になっていた。


 身に覚えのない罪を理由に王子に婚約破棄された時も、父親に部屋に閉じこめられた時も、自分の事なのに興味が湧かなかった。劇を観賞しているような心地で、取り乱すことも泣き出すこともせず、自分の処遇が決まるのを自室で待っていた。


 そんなアイリスに、護衛騎士であるリッターが言った。


「いっそのこと、俺と駆け落ちでもします?」


 どうせ家から出ていかなければならないのなら、ずっと側にいると言ってくれたリッターと、どこかに行ってしまうのもいいかもしれない。

 これまで感じたことのない胸の高鳴りを感じ、アイリスはリッターと駆け落ちをした。



 ブルーベル家を出たアイリスとリッターは、そのまま国境付近の街までやって来た。王国を出るために関所を通らなければならなかったが、着いたのが深夜であったこともあり、門は固く閉められていた。

 朝になったらすぐ関所を通るつもりだったが、ブルーベル家はアイリスが逃げたことに気づいたのだろう。次の日には関所にブルーベル家直属の騎士が集まっていた。

 関所では顔を確認される。そうすればブルーベル家の騎士たちに見つかって連れ戻されてしまう。


 二人は騎士たちが引き上げるまで、人通りの少ない路地にひっそりと建つ宿屋に身を寄せることにした。


 一週間経つと、関所のブルーベル家の騎士の数は少し減って十人程度になっていた。


 騎士の数を確認したリッターは「頃合いだな」と呟いた。


 その日の晩。リッターはアイリスが寝たのを確認すると、金色の刺繍が施されたブルーベル家の騎士の制服に身を包んだ。

 腰に剣をさげて位置を調整する。

 音を立てずに扉に近づく。


「どこへいくの? 」


 ドアノブに伸ばしていたリッターの手が止まる。


「寝ていたんじゃないんですか? 」


 リッターが振り替えると、アイリスがベッドから身を起こしていた。


「そろそろ動くと思って寝ないでいたの」

「バレないように気をつけてはいたんですが…。いつから気づいてました? 」

「最初からよ」


 アイリスの返答にリッターは苦笑したが、すぐに「まあ、いっか」と切り替える。


「気づいているなら話は早いです。俺があいつらをどうにかしてくるんで、アンタは」

「だめ」


 アイリスの冷たい声がリッターの言葉を遮った。

 意外な反応だったのだろう。リッターは目をしばたたかせた。


「あなたが騎士を引き付けている内に、私に関所を出ろって言うんでしょう? そんな危険なことはさせないわ」

「アンタが止めても俺はやります。これが一番成功率が高い 」

「それでもだめ」


 アイリスはベッドを降りてリッターの前まで来る。彼女の表情は氷のように冷たい。

 しかしリッターは気にせずに続ける。


「大丈夫ですよ。わざわざ死にに行くつもりはないんで」

「けど」


 言葉を繋げようとするアイリスの唇に、リッターは人差し指を寄せる。


「俺はアンタと生きる。それは今までもこれからも変わらない。必ずアンタの元に帰ってくる。だから俺を信じてください」


 リッターはそう言うと柔らかく微笑んだ。アイリスは言葉に詰まり、目を伏せた。


「その言い方ずるい………」


 リッターはすみませんと謝りつつも、どこか嬉しそうに笑った。



 ――――――――――――――――



 次の日。二人は日が昇るのと同時に宿を後にした。

 リッターが騎士を引き付けるために使う馬車に乗り込む。


 しばらく馬車で進むと、関所が見えてきた。


「あと少しで関所に着きます。馬車が止まったら降りてください」


 リッターの言葉にアイリスは頷き、その時を待った。


 数分後、馬の鳴き声と共に馬車が停止した。

 アイリスは見ている人がいないか確認して、息を殺して降りる。扉を閉めると、リッターは馬車を進めて、関所の方に長く伸びる馬車や荷台の列の後ろに付く。


 アイリスは細い脇道を通って関所に近づく。

 脇道を抜けると、すぐ目の前に関所が見えた。アイリスは物陰に隠れて息を潜める。

 心臓が速く脈打つ。


 数十分後、リッターの乗る馬車が関所に入って行った。

 関所の兵士に通行手形を求められ、リッターは懐から紙を取り出す。兵士は紙を受け取り、数秒確認してから印を押した。兵士は顔を確認するため、フードを脱ぐように指示をした。リッターは抵抗せずにフードをとった。

 その時、兵士の横にいたブルーベル家の騎士がリッターに気付いた。騎士は反射的に剣を抜くが、リッターはそれよりも速く懐から球を取り出し、地面に叩きつける。耳をつんざく轟音と共に、辺りに白い煙が立ち込める。

 近くにいた人の咳や悲鳴で一帯が騒然とする。

 その隙にリッターは手綱を馬の尻に当て、煙から抜け出す。

 それに気付いた騎士が「待て!」と咳き込みながら叫び、他の騎士に追いかけるように指示を飛ばす。

 何事だと様子を見にきた人々が、関所の周囲に集まり始める。

 その間にアイリスは隣国のガルディア帝国に向かう手続きを済ませた行商の荷台に潜り込んだ。


 ブルーベル家の騎士たちは煙が収まるとすぐに馬を用意して、リッターの馬車めがけて関所の門を駆け抜けた。


 騎士たちが見えなくなると、アイリスが乗り込んだ行商の馬車が動き出した。


 アイリスは騎士には見つからなかった。あとはガルディア帝国で落ちあうだけ。しかし、彼女の心は落ち着かない。


 リッターを信じていないわけではない。リッターはアイリスとの約束を決して破らない。必ず帰ってくると分かっているのに、心がざわついてしまう。

 ガルディア帝国に付くまで、アイリスは祈るように両手を握りしめていた。



 ――――――――――――――――



 関所を出てからどれ程経っただろうか。荷台から外の様子を窺うと日が傾き始めていた。

 リッターとはガルディア帝国の西に位置するベルリルという街で落ち合うことになっている。


 ここはどこだろうか。辺りを見渡すと、レンガ造りの家が整然と建ち並んでいる。その中に宿屋と書かれた看板を掲げる建物があった。アイリスは荷台から飛び降りてその建物に向かう。


 そこは老婆が切り盛りする民宿であった。

 アイリスは老婆に泊めて貰えるか尋ねたところ、快く中に通してくれた。一泊分のお金を渡し、部屋の鍵を受け取る。


 部屋はベットを横に三つ並べられるくらいの広さであった。貴族の広い屋敷に慣れているアイリスにはとても狭く感じられるが、妙に温かみのある部屋であった。ベッドは綺麗に整えられ、掃除も行き届いている。

 正面には木の窓がはめ込まれている。そっと窓を開けると、先程荷台から降りた通りが見える。

 通りに面しているのなら、リッターにしか分からない目印を窓に付けてここにいることをこと伝えることができる。リッターが近くにいた場合、目印に気づいてベルリルの街に行く前に合流できるかもしれない。


 アイリスは髪に編み込んでいたリボンをほどいて窓にはさんだ。そのリボンはリッターが誕生日の日にプレゼントしてくれたものだ。どこにでもあるような単色なため、アイリスのものだと分かるのはリッターくらいだろう。


 アイリスはリッターが近くに来ていることを祈ってベッドに入った。



 ――――――――――――――――



 何かを叩く音がした。

 物音に気付いたアイリスは目を覚ました。横になってからどれくらい経っただろうか。

 体を起こすと、また何かが叩かれた。音は扉からしている。


「……さん…俺です。リッターです」


 その声を聞いて、アイリスはベッドから飛び降て勢いよく扉を開けた。そこには今朝関所で別れたリッターが立っていた。


「やっぱりアンタのリボンだったか」


 リッターは前髪を払いながら言った。

 そう言うリッターの体はひどく濡れていて、髪や服が肌に張り付いている。所々泥や血も付着している。ボロボロになった服は、騎士との戦いの大変さを物語っていた。


 血に気がついたアイリスはリッターに駆け寄り、他に怪我をしていないか触って確認した。


「あの、今汚いので、離れた方が…」

「気にしないわ。怪我の状態を確認する方が先」

「俺が大丈夫じゃない……」


 汚れても気にしないアイリスを前に、リッターは右手で顔を覆う。


「我慢できなくなりますよ」


 そう言いながらリッターはアイリスの髪を一束掬って唇を寄せた。我慢の意味に気づいたアイリスは思わずといった感じでリッターから離れた。

 リッターが愉快そうに笑う。


 アイリスは誤魔化すように咳払いをしてから、改めてリッターを見た。


「こんなになるまで戦ってくれたのね。ありがとうリッター」

「いや、この傷は崖から落ちたときのやつですね」


 あっきらかんと答えるリッターの言葉をアイリスはなぞった。


「崖から落ちた? 」

「はい。険しい崖道を馬車で走って、あいつらの目の前で滑落してきました。アンタに見える人形も外から見えるように馬車の中に仕込んでたから、多分二人とも死んだことになっているかと」


 そこまで聞いて、アイリスは全てを悟った。リッターはアイリスがこれ以上追われなくて済むように芝居を打ったのだと。


 アイリスはつららのように鋭い視線でリッターを見上げた。あまりの鋭さにリッターはたじろぐ。


「勝手に死んだことにしたことは謝ります」

「私が謝ってほしいのはそこじゃない」

「……だって、言ったら絶対止めるじゃないですか」


 リッター自身もやり過ぎたとは思っているようだ。「すみません」と素直に謝る。


「けど、こうでもしないとこれからも追われ続けるじゃないですか。あんなやつらに邪魔されたくない」


 リッターはアイリスの手を優しく握る。


「子供の頃からずっとアンタのことが好きだった」


 突然の告白に、さすがのアイリスも動揺する。


「孤児だった俺を拾って住むところを与えてくれた。忙しい中時間を縫って俺の様子を見に訓練場まで来てくれた。

 俺みたいな子供を増やさないためにって、自分の服や装飾品を売って孤児院に寄付したり、時間がある時には孤児院で勉強を教えたりもしていた。

 周りはアンタを心が無い機械みたいだって言うけど、俺はそうは思わない。誰もが見て見ぬふりをしてきた俺に手を差し伸べてくれたのはアンタだ。アンタの優しさに、俺は救われたんだ 」


 リッターの言葉に、アイリスは瞳を揺らした。

 ずっと機械のようだと言われ続け、気味悪がられた。アイリス自身、特に気にしていなかったし、リッターもそのように感じているものとばかり思っていた。

 けれど、リッターはそんな風には見ていなかった。アイリスの知らないアイリスを見つけてくれた。

 アイリスは胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。

 今まで感じたことの無い感覚は何なのか。アイリスが言葉を探していると、リッターは「あの」と続けた。


「抱き締めてもいいですか? 」


 滴の垂れる前髪の隙間から、リッターの青い瞳が覗く。

 これまでリッターに見つめられることは何度もあった。見つめられても何とも思わなかったのに、妙に落ち着かない気持ちになる。

 アイリスは少し視線を彷徨わせてから、こくりと頷いた。

 瞬間、リッターはアイリスを強く抱き締めた。


「やっと、抱き締められた」


 リッターの喜びを噛み締めるような声が、アイリスの鼓膜を揺らす。

 リッターの体温が服越しに伝わってくる。


「家を出るときに私を抱き抱えたはずだけれど」


 気恥ずかしさをごまかすようにアイリスは呟いた。


「あれは移動のためなんでノーカンです」


 リッターの言葉に、アイリスは思わず笑う。


 アイリスの中に、誰かに抱き締められた記憶はない。勉強ばかりの生活で、家族の温かみも知らない。

 誰かに想われることが、心を温かくするなんて知らなかった。



「ねえ、リッター」

「…はい」

「おかえりなさい」


 アイリス瞳が優しく揺れる。

 リッターは口元をほころばせた。


「ただいま」



 アイリスとリッターは春の陽射しのように柔らかく微笑みあった。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

捕捉すると、リッターが夜中にこっそり外に出ようとしたのは、馬車を用意するためでした。お金はアイリスとリッターの身に付けていた服や装飾品などを売って手に入れてました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
リッターと駆け落ちすることにしたアイリス。これまで他人には無関心でしたが、リッターとふれ合ううちに、誰かを心配したり、信じたり、明るく笑ったりする様々な感情を徐々に知っていく様子がとても心に残りました…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ