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<episode7> 大災害

 昼下がりの日差しが射し込める穏やかな教室で、教壇に立つ江洲小原先生は、いつもの毅然とした態度で社会科の授業を行っていた。

 ごくある普通の授業風景の筈なのに、生徒たちは何かに憑りつかれた様に、血眼になって先生の言葉を一語一句ノートに書き写していた。

 異世界から来たと言っておきながら、先生はこの国の歴史や社会情勢にも詳して、まるで全てを見てきたかのように細かい所まで詳しく語っている。


 それが先生の持つ魔法の様な能力と関係してるかは分からないが、豊富な知識と優れた知性はその場しのぎのモノでは無く、日頃の修練から得たものである事は誰の目から見ても明らかだった。

 生徒たちは先生の話す、この国の成り立ちや社会情勢の内容に引き込まれ、教科書には載っていない裏話や逸話にも夢中になっている。

 公国の叡智と称される先生の授業は、優れた知恵と深い知性が不断に盛り込まれ、生徒たちはその恩恵を受けようと無我夢中になっている。


 江洲小原先生がこの学校に来る前から、この子たちを見てきたが、こんなに勉強を真面目に取り組んでいる姿が見れるなんて奇跡としか言いようがない。

 心の中で密かに感動する僕は、ブルブルと武者震いを起こしながら目頭を熱くさせていた。

 そんな時、何処からともなく地響きが起こり、突然学校がユラユラと揺れていく。


 最近頻繁に地震が起きていた事もあって、生徒たちは又かという顔をしてるのに、江洲小原先生の顔付きが見る見る険しくなり、いつもの冷静な表情が一瞬にして凍りついたように固まっていった。

 扇子を手に持つ彼女の手がピタリと止まり、教壇に立つその姿からは、まるで嵐の前の静けさのような不穏な気配が漂い始めていた。


「まさか………こんなに早く起こるなんて…」


 生徒たちは気付いていないが先生がボソッと漏らした、その一言を僕は聞き逃してはいなかった。

 いつもはどんな事があっても、顔色一つ変えない先生の表情が急に青ざめて、ただならぬ事態を予感させている。

 地震の揺れは次第に強さを増し、教室の窓ガラスがカタカタと鳴り始め、天井からは細かな埃がパラパラと落ち始めていった。


 誰もが只事では無いと思った時、揺れが一気に激しさを増して、教室の床が波打つようにうねり始めいった。

 生徒たちの口からは小さな悲鳴が漏れ始め、僕自身も恐怖で身体が硬直するのを感じていた。

 だが先生はまるで時間が止まったかのように静かに立ち尽くし、手にした扇子をスッと閉じると、ゆっくりと教室の中央に進み出していった。


「みなさん、目を閉じてワタクシの指示に従いなさい…絶対に動いてはなりません…」


 その声には抗いがたい威厳が込められていて、震える生徒たちも必死になって、先生の言葉に縋るように瞳を閉じていく。

 僕もまた、目を閉じるべきか迷いながらも、先生の次の行動が気になって、その姿を見守らずにはいられなかった。

 すると先生が扇子を高らかに掲げた瞬間に、教室全体が淡い光に包まれて、あれほど強かった揺れが少しずつ収まり始めていく。


 その光は彼女が以前、伊藤君の頬の痣を癒した時のような神秘的な輝きだったが、今回はその規模がまるで桁違いで学校を大きく飲み込んでいた。


「これは……いったい…!?」


 驚きで言葉を失う僕の目の前で、先生は扇子を優雅に振るいながら、何かを呟くように唇を動かしている。

 その言葉は良く聞き取れなかったが、まるで異世界の呪文の様にしか聞こえてこない。

 地響きは未だに聞こえているのに、この学校だけは何かに守られているかのように、不気味な程の静けさに包まれている。


 生徒たちもホッとして安堵の表情を浮かべているが、窓の外では異様な光景が広がっていて、僕はその惨状に呆然とするしか出来なかった。

 校庭の地面が裂け、そこから砂煙のようなものが立ち上り、揺れ続ける外の建物が次から次へと豆腐の様に崩れていく。

 学校の静寂とは対照的なその光景は、まるでこの世の終わりの様にしか思えなくて、教室の誰もが外の凄惨な光景を愕然と眺めていた。


 しかし先生は教室の中央で何かをブツブツと唱えたままで、包み込む光は少しづつではあるものの広がり続けている。

 ドーム状に広がったその眩い光は、ある程度の広がりを見せると、それ以上伸びなくなり江洲小原先生は力尽きた様にガクッと床に膝を付いていった。


「ワタクシ1人の力では結界は、これ以上広げられません…」


 独り言の様にそう呟く江洲小原先生は、精魂尽きてグッタリとしてる様に見えるものの、まだ瑠璃色の瞳はランランと輝いている。


「セバスチャン!!!」


 先生が珍しくそう言って声を荒げると、白髪交じりの老執事が何処からともなく颯爽と現れて、彼女の前で片膝を付きながら頭を下げていく。


「お呼びでしょうか?…閣下!」


「今すぐ国へ戻り、宮廷に居る魔導士と騎士を出来る限り連れてきなさい!」


 そのやり取りは先生が只者では無い事を匂わせていたが、今の僕にはそんな事を考えている余裕などない。

 思うところはあるものの、僕や生徒たちは学校の外にいる家族や知り合いの事が気掛かりで、居ても立ってもいられず、ただ混乱するばかりだった。


「美濃又…ワタクシは護衛の騎士たちと一緒に、外の人達の救助に行って参ります……お前は生徒たちを連れて体育館に避難し、これから此処に避難してくる人達を受け入れるように、体制を整えておきなさい…!」


 慌てる僕に喝を入れるように、先生はそう言いながら鋭い目つきで僕を見据えている。

 しかし、日常から掛け離れた光景を目の当たりにした僕は、絶望で自分を見失い何も考える事が出来なくなっていた。


「美濃又、シッカリしなさい!お前は教師でしょう?…今までワタクシと一緒に居て何を学んできたのです!!」


 その言葉でハッと我に返ると、僕よりもずっと年下の幼さの残る少女が、こんな状況になりながらも毅然とした態度のまま、途方に暮れる僕を奮い立たせている。

 急に自分が恥ずかしくなる僕は、こんな所で立ち止まっている場合ではないと、怖気付く自分の心を奮い立たせていった。


「マリア先生!僕も一緒に救助に向かいます!」


 僕が意を決してそう言うと、それに同調されるかの様にクラスの生徒たちが、次から次へと声を上げていく。


「先生!僕も行きます!」


「私も行きます…家族が心配です!」


 江洲小原先生はそんな子供たちの声に、一瞬嬉しそうに微笑んだものの、すぐさま何事も無かったかの様な厳しい顔付きをして口を開いていった。


「気持ちは嬉しいですが………アナタ方が来ても足手まといになるだけです…」


 一見、突き放した様にも感じるが、江洲小原先生のその言葉には、僕たちを身を案じる思いがひしひしと伝わっていた。


「私は一国の王となるべくして生まれ、誰よりも強くあらねばならぬと、幼き頃から体術、剣術、そして魔法を極めてきました…」


 そう言って自分の生い立ちを語りながら、僕たちを見回していく瞳は何故だかとても優しく見えて、母親が我が子を見守る様な慈愛に満ちている。


「被災現場に行って瓦礫の中から傷付いた人々を救出するのは、私にとっては容易い事ですが……アナタたちは瓦礫の山を前にして自分が何をできると思いますか?……自分が二次災害に合って救出される立場にならないと、胸を張って言えますか?」


 先生の言葉に僕を含めたクラスの全員が、何も言い返すことが出来ずに口を噤んでいった。


「現場に赴き人を助ける事だけが力になるとは限りません…ここに運ばれてくるケガ人の救護や、避難民のお世話をする事だって立派な事です…」


 そう言って窓の外を見つめる江洲小原先生の瞳には、被災した現場の見るに堪えない悲惨な光景が映し出されている。

 遠くから聞こえるざわめきと、埃っぽい空気が教室の窓を揺らす中、先生はゆっくりと手を握りしめて僕たちを見つめていった。


「アナタ方にはアナタ方にしか出来ない事がある筈です…これまで何度も言ってきましたが、本質を見極めて行動なさい!」


 先生のその言葉は僕を含めたクラスの全員を奮い立たせていった。使命感と言う名の情熱が込み上げて、僕は今までの自分では考えられない程のヤル気に溢れていた。


「分かりました!マリア先生!」


 考えてみれば江洲小原先生に出逢う前の僕は、流されるばかりで、ただ何となく生きてきた。

 教師になったのだって強い志があった訳でもなく、将来が安定してるからと何となく決めて、この学校の面接に受かり教師という肩書を手に入れただけだった。

 そんな僕が真面に生徒と向き合える筈も無く、担任になって苦労を知った時には、思い通りに行かず辞めようとさえ思っていた。


 そんな時に現れたのは江洲小原先生で、停滞していた僕の人生に、新たな希望を見出させてくれた。

 最初は只の痛いだけの人としか思えなかった。学校に派手なパーティードレスを着て来るなんて、勘違いしてるだけとしか思えず、傲慢とも取れるその態度には苛立ちさえ感じていた。

 だが、その派手なドレスの下に隠された彼女の本質は、見た目とは違って人として気高く、気品にも満ち溢れている。


 彼女はただの教師ではなく、生徒たちに人としての考え方を改めさせ、教師としての僕の誇りを取り戻させてくれる大きな存在だった。

 崩壊寸前だったクラスを見事に立て直し、借金地獄に陥った僕を助けてくれた勇敢な姿は、僕の心の中で決して消えない記憶として刻まれている。

 そして今、彼女の言葉に突き動かされ、僕は初めて自分の意志を持ち、この状況を何とかしようと立ち上がったのだ。


「生徒たちと一緒に、ここに避難してくる人たちを迎い入れる準備に取り掛かります!」


 意気揚々とそう言いながら先生を見つめると、彼女は不意に笑顔を見せながら「頼みましたよ…」と言って教室を後にしていった。

 堂々としたその後姿には、圧倒的な存在感と安心感が漂っていて「この人に任せておけば大丈夫」という信頼が自然と湧き上がってくる。

 教室に残された生徒たちは、最初こそ戸惑っていたものの、僕の言葉に呼応するように意欲的に動き始めていた。


「先生、机を端に寄せてスペース作りましょう!」


「毛布とか水とか、どこにありますか?」


 次々と上がる声に、僕は慌てながらも指示を出し始め、生徒たちもそれに応えて更に意欲的になっていく。

 僕が担任だった頃は騒がしくて纏まりのないクラスだったのに、今は一人一人が別人の様に輝き出し、まるで一つのチームの様に纏まっている。

 江洲小原先生の今までの言動は、こんな危機的な状況でも生徒たち一人一人の心に根付いていて、その教えは確実に生きていた。


 体育館への移動を始めると、すでに何人かの避難者が学校にたどり着き「女神さまが…女神さまが助けてくれたんじゃ…」と口を揃えて涙を流していた。

 それが江洲小原先生の事だと確信する僕たちは、そんな彼女の事を誇らしげに思い、更に意欲的に活動を行っていった。

「こっちへどうぞ!」「水をお持ちします!」と、生徒たちは自分から進んで声をかけ、困っている人たちに手を差し伸べていた。


 その姿を見て、僕は驚きと感動を隠ずに呆然と立ち尽くしていた。こんな場面でも、彼らは自分にできることを見つけ、行動に移している。

「アナタ方にはアナタ方にしかできない事がある筈です…」先生の言葉が頭の中で何度も反響するがまさにその通りだった。

 瓦礫の中で救助活動をする先生のような力は僕たちには無いかもしれない。でも、ここで避難者を支え、安心を与えることは、今の僕たちにしかできない役割だ。


 避難してくる人や、江洲小原先生の騎士に付き添われてくる老人や子供たちには、大きなケガを負った人は見当たらない。

 深い傷を負った者をあの神秘的な力で癒しているのだろう。

 生徒たちと共に体育館で避難者の受け入れを進める中、遠くから聞こえる地響きが次第に小さくなり、外の混乱が少しずつ収まりを見せていく。


「マリア先生のおかげだ…」と誰かが呟き、僕もまた彼女の力に改めて、驚嘆せずにはいられなかった。

 ふと窓の外に目をやると、事態の収まりを告げるかのようにパラパラと雨が降り始め、埃っぽい空気を濡らしながら静寂を連れてきていた。

 その時、静かに降り注ぐ雨の中、フード付きのマントを羽織った江洲小原先生が、びしょ濡れのまま学校へと戻ってきた。


 騎士たちに支えられながらゆっくりと歩くその姿は、俯き加減で、どこか疲れ果てた影を帯びている。

 生徒たちや避難者からは「おかえりなさい」「女神さま!」と歓声が上がるものの、彼女はそれに応えることも無く、何処か悲しげなその様子に誰もが口を噤んでいった。

 トボトボと歩くその姿には、いつもの毅然とした態度などは消失し、その瞳は深い悲しみに沈んだ様に濡れている。


「この子は救えませんでした…失った命は、私の魔法でも、もう取り戻せないのです…」


 そう呟きながら、高価なドレスを汚すことも厭わず抱きしめる腕の中には、血だらけの子犬が小さな体を預けていた。

 雨が彼女の頬を伝う涙と混ざり、震える手で子犬を包み込む姿には、いつものような誇り高い威厳も、高圧的な態度さえ見られない。

 亡くなった子犬を抱きしめながら、感情を剥き出しにしていつまでも泣き続けている。


 その姿は17歳の少女にしか見えなくて、僕は雨が止むまでの長い時間、彼女が震える肩をずっと見つめていた。

 やがて、長いため息をついた彼女を、思わず慰めるようにそっと肩に手を置いた。

 震えていたその肩が、少しだけ力を取り戻すのを感じた瞬間、雨は静かに止み、空に薄い光が差し始めていた。




                  ~to be continued~



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