<episode5> 平等(前編)
「笑わせてくれますわね………生き物として生まれたからには個体差は必ずあり、個々に差がある以上、誰もが平等などという事は有りえません…」
キッパリとそう言い切る江洲小原先生は、会議の末席にいるというのに、上席にいる校長よりも威厳に満ちていて、その立場は完全に逆転していた。
江洲小原先生のいつもの強気な姿勢に、職員会議はいつも通り騒めき出し、皆がまたかと言いたげに顔を見合わせて怪訝な表情を浮かべ始めている。
しかし何事にも動じない江洲小原先生は、いつもの様に涼しげな顔をしながら、自分自身を扇子で扇ぎ続けている。
その優雅な立ち振る舞いは中世にいた何処かの貴族令嬢の様で、一介の教師にはまるで見えなかった。
「そもそも平等などと言う言葉は、下々の者たちに希望を持たせる為の方便であって…格差があるからこそ、世の中が動いてるというのはアナタたちも理解されていますよね?」
表情も変えずに淡々と理を語る江洲小原先生の言葉に、反論しようとする者など居る筈もなかった。
見た目は17、8の小娘でしかないというのに、この場で誰よりも権威を振るっているのは江洲小原先生で、有無を言わせぬその迫力は他を遥かに圧倒している。
「しかし我々は教育者です…道理の合わない事だとしても、子供たちに人は平等だと教えていかなければなりません…」
誰もが押し黙る重苦しい空気の中で、唯一教頭だけがそう言って口を挟むが、その顔は少し引き攣っていている。
「確かに…そんな理想を掲げて子供たちに夢を与えることも必要かも知れません………しかし現実も見せていかなければ、それを鵜呑みにした子供たちの人生はいつか歪んでしまいますよ…」
教頭とは対照的に言いたい事をハッキリと言う江洲小原先生は、堂々としていて貫禄すらも感じられる。
そんな江洲小原先生の言葉には覆す事の出来ない重みがあり、実際に以前学校に突入して子供たちに危害を加えようとした男は、そんな風に人生を歪ませてしまった人間なのかも知れない。
誰もが何も言えずに俯いていく中で、江洲小原先生の背後から急に日差しが差し込めて、その姿は女神が降臨したかのようにキラキラと輝いていく。
「教師としてそんな理念を貫くというのも、一つの教育の在り方なのかも知れません………しかしワタクシは世の中の厳しさを知ったうえで、それに立ち向かっていける立派な大人になって貰いたいです…」
先生のその言葉と共に何処からともなくパラパラと拍手が起こり、いつしかそれは会議室全体に喝采を巻き起こしていった。
彼女の日頃の差別的な発言が問題視されていた、この会議は完全に流れが変わり共感する者が次から次へと、スタンディングオベーションまで行って感動を露わにしている。
槍玉に挙げようとしていた先生たちですら、我を忘れて涙目になりながら、江洲小原先生に拍手を送り続けている。
異様とも思えるそんな光景の中で、江洲小原先生は何も言わずにスッと立ち上がり、軽快な足取りで会議室を後にしていった。
彼女は本当にいったい何者なのだろうか?以前から薄々気にはなっていたが、持って生まれたかのようなカリスマ性は他を遥かに圧倒していて、誰もがその言動に魅入られていく。
それは取って付けた様な仮初めのものではなく、努力で積み上げた長年のモノだというのは、今まで側で彼女を見てきた僕が一番分かっている。
しかし幼い頃からそういう教育を施されてきた裕福な家の人間だとしても、同じことが出来るとは到底思えない。
先生の後を追って会議室を後にする僕は、勇気を振り絞って今までの積もり積もった疑問を、彼女に投げかけていった。
「先生は…いったい何者なのですか?」
「何故、今更そんな事を聴くのかしら?」
長く続く廊下をスタスタと歩く江洲小原先生は、僕のそんな質問にも動じずに、トレードマークの扇子で自分を涼しげに扇ぎ続けている。
その姿は今まで本当の事を知るのが怖くて聴けなかった、僕の心情を見透かしているかの様に余裕タップリで、そんな先生の態度に僕の方がたじろいでいた。
「美濃又…アナタも本当は気付いているのでしょう?…ワタクシがこの世界の人間では無いという事を…」
薄っすらと微笑みながら言った江洲小原先生のその言葉に僕は愕然としていた。
冗談か本気かも分からない態度ではあるが、自ら口にした彼女の言葉には背筋に寒気を感じる程の怖さがあり、今までの疑問が僕の頭の中で紐付いていく。
疑念を抱きながらも『そんな馬鹿な事がある筈は無い』と否定し続けていたのは、その真実の裏側にはもっと大きな秘密が隠されていて、それを受け止める事に恐怖を感じていたからだ。
自ら疑問を投げかけたとはいえ、急に怖気づく僕はその言葉を口にした事を、今更ながらに後悔していた。
「や…やっぱり…異世界転生とか異世界転移というやつですか?」
「フフフ…面白い事を言うのね………そんな馬鹿な事あるはず無いじゃありませんか?」
そう言って冗談を言ったかのようにケラケラと笑う、江洲小原先生の様子に僕は少しだけホッとしていた。
しかし無邪気に笑っていた彼女の顔からスッと笑顔が消え、またその口が開き始めた時に僕は深い後悔を味わう事となる。
「ワタクシはある目的の為に、この世界にやって来ました………今は詳しい事を言えませんが、この世界の全ての人間がいずれその理由を知る事となるでしょう…」
真顔でそう語る江洲小原先生は、得体の知れない禍々しさが溢れ出し、恐れ戦く僕はゆっくりと後退りを始めていた。
夕暮時の廊下には真っ赤な日差しが射し込めて、それに照らされている彼女の姿は、より一層不気味な感じに包まれている。
彼女の言葉に様々な疑問を抱きながらも、嫌な予感がしてそれ以上の話はすべきでは無いと、本能が危険信号を出して訴えかけている。
「マリア先生、大変でーーーす!!!」
そんな時クラスの生徒の1人が僕たちの会話を遮る様に叫びながら、血相を変えてこちらに向かって駆け寄って来た。
「廊下を走ってはイケません…それに下校時間はとっくに過ぎてる筈ですよね…」
男の子の慌てっぷりは尋常では無いというのに、表情一つ変えない江洲小原先生は、息を切らす彼を冷静な態度で嗜めていく。
いつもの事とは言え余りにも冷たく感じる江洲小原先生の対応に、僕は何故だか少しホッとしながらも、彼が可哀想で少し引き気味にその様子を眺めていた。
「伊藤君と宅間君が…喧嘩を始めて止められません!」
男の子はそんな冷たい対応を受けながらも、必死になってそう伝えながら、涙目になって先生に助けを求めている。
すると話を聞いた江洲小原先生の顔が能面の様に感情を失くし、内から滲み出てくる鬼神の様な迫力に、その場の空気は瞬く間に凍り付いていった。
「教室ですか…?」
「は…はい…」
低い声でそう尋ねる江洲小原先生の殺気立つ様子に、その場にいる僕たちはたじろいで、身体中を小刻みにブルブルと震わせていた。
教室に向かって足早で歩く後姿には、滅多に見る事の出来ない怒りまで溢れ出ていて、更に僕たちを震え上がらせている。
彼女がこんなに怒っている理由は何故だか分からないが、喧嘩を始めた2人が無事で済むとは到底思えない。
最悪の事態を考える僕は、身を張ってでも先生を止めようと決死の覚悟を固めていた。
しかしいったい2人の間に何が起こったというのだろうか。伊藤君は問題の多い生徒だが、暴力的な側面など決してない。
寧ろ学校での成績も常にトップの頭脳明晰で、その優位な立場を利用して自分は直接手を下さずに、他人を動かすような狡賢いタイプの人間だ。
一方、宅間君はこの学校には珍しく、裕福な家庭で育ってきた上流階級の子供では無い。
町工場に勤める両親が少しでも良い環境で教育を受けて欲しいと、貧しいながらもこの小学校に入学させた一般的な庶民の子供だ。
そんな相対する2人が争いごとを始めたのは、いったいどんな理由があっての事だろうか。
教室のドアを開けると馬乗りになった宅間君が、今まさに伊藤君を殴ろうとしている最中だった。
~to be continued~