<episode4> 先見の明 (後編)
「さあ、先生どうしますか…?」
ドスの効いた声でそう言って凄む男は、どう見ても反社的な組織の一員で、その辺にいる堅気の人間には全く見えなかった。
頬に付けられた生々しい古傷の跡は得体の知れない凄みがあり、いくつもの修羅場を潜ってきたと思わせる彼の生き様をまざまざと物語っている。
その年の頃は30半ばといった感じで、組織でも中間的な立場にいるのは、ここにいる周りの人間の反応を見ても明らかだった。
男は手にした5枚のカードを持ちながら、表情も変えずにどんよりと曇った目で、対面にいる僕の様子をジッと伺っている。
清廉潔白でなければならない教師の僕が、裏カジノなどという如何わしい所に通う様になってしまったのは、3か月前に大学の同級生に誘われて渋々ここを訪れた事が始まりだった。
仕組まれていたとも知らずに最初の勝負で大勝ちし、味をしめた僕は金を賭けたカードゲームにのめり込み、気が付けば多額の借金を抱えていた。
負けた分を取り戻そうと藻掻けば藻搔くほど負債は増える一方で、二進も三進も行かなくなった時に前島というこの男を賭けられた。
窮地に追い詰められていた僕は、この男の口車に乗ってポーカーで大きな勝負をする様になり、負債を増やし続けたまま今に至っている。
「3枚交換で…」
僕がそう言って3枚のカードをテーブルに置くと、前島の協力者と思われるディラーが、山札から手慣れた手付きでカードを配っていく。
イカサマなのは十分承知の筈なのに僕が敢えてこの勝負を挑んだのは、そのカラクリを見破って今までの負債を帳消しにするつもりだったからだ。
しかし今まで何度勝負を挑んでも負債は増えるばかりで、イカサマの痕跡など全く掴む事すら出来はしない。
追い詰められる僕は何とかしようと焦り始め、本来の冷静さまで失い欠けて、周りが見えなくなっていた。
「先生…これで負けたら人生終わっちゃうよ…」
そう言って僕を煽る前島は、自分の手札に余程の自信があるのか、その顔には余裕さえ伺える。
しかし対する僕も今までの不運が嘘だったかの様に、何かの手違いが起こったとしか思えない絶好の手札を揃えていた。
例えイカサマであったとしても、この5のフォーカードという強力な手札で、負けるとは到底思えない。
「こ、この勝負で僕が勝ったら今までの借金を帳消しにして下さい!」
絶望的な状況で最大のチャンスを掴んだ僕は、今までの負け分をこの機に取り戻そうと、ここぞとばかりに大きく声を上げていた。
「ほぉ…自信があるみたいだね…じゃあ、先生にもそれなりのモノを賭けて貰いましょうか?」
「それなりのモノって………な…何を賭ければ…?」
「賭け金を大きくした所で先生からは、もう回収できるか分かんないからねぇ…先生の学校の生徒たちの情報はどうでしょう?」
前島のその言葉とニヤニヤと笑う態度を見て僕は愕然としていた。こいつらが大学の同級生まで使ってここに足を運ばせたのも、ギャンブルに嵌らせて僕を借金漬けにしたのも、最初からこれが狙いだったのだ。
日本でも有数と言われるうちの小学校には、財界のトップの子供や官僚の子供、挙句の果てには政治家や大臣の子供まで通っている。
そんな子供たちの家庭の情報が漏れたら、日本の政治や経済まで脅かすことになり兼ねない。
学校でも門外不出なモノとして、子供たちの個人情報は厳重に管理されている。
そんな情報を流すという事は、僕がこいつらの悪事に加担するという事で、一味として犯罪に手を染めるのと何ら変わりは無い。
しかも僕は曲りなりにもあの子たちの先生で、大人としての見本にならなければならない存在だ。
どんなに自分が落ちぶれたとしても、心の奥底にある僕の良心が、それだけはやってはイケないと訴えかけている。
「そ…それだけは…」
「オイ!オイ!…あんたがココで勝負を降りたって、どのみち金は返せねぇんだ!生徒たちの情報はどんな事をしても頂くぜぇー!」
僕の言葉を遮る前島は恫喝でもするかのように、更に凄みを見せながら生徒たちの情報を貰うと断言する。
「そ…そんなぁ…」
その言葉に追い詰められる僕は、八方塞がりでどうしたら良いのか分からなくなり、絶望する様に頭を抱えてうな垂れていった。
そんな時、一定のリズムで『コツ、コツ、コツ…』と、大理石の廊下をヒールで歩く音が高らかに響き渡って来る。
「おや、美濃又…面白い事をしていますのね…」
聞き覚えのある刺々しい物言いに思わず顔を上げてみると、煌びやかなカジノの光景に見劣りしない、見覚えのある人物が扇子を手にしながら優雅に佇んでいる。
キラキラと輝く照明に照らされた黒のドレスを纏ったその姿は、何かの漫画で見た悪役令嬢その物なのに、僕は華麗なその姿に何故だか希望を感じずにはいられなかった。
「江洲小原先生…」
僕はそう言いながら涙目で縋る様に目を向けると、彼女は蔑んだ目で僕を一瞥しながら、手にした扇子でパタパタと自分を扇ぎ始めていった。
「何だぁ~お前は!?どっから入ってきやがったぁ!!!」
勝負を見ていた前島の手下たちが、突然の彼女の登場に驚きを隠し切れずに、思わず声を荒げていく。
「何処からって…入り口に決まってますわ………面白い事を仰るのね」
強面の男たちが取り囲むこの場所で、彼女は少しも動じる気配も無く、落ち着き払って不敵な笑みを浮かべている。
「何を言ってやがる!入り口には見張りが居て簡単に入れる筈は!!?」
1人の男がそう言って入り口に目を向けると、ポカンと口を広げたまま固まって、その顔が見る見る青ざめていく。
何事かと入り口に目を向けると、そこには黒服の体格の良い男たちが気を失って、グッタリした様子で床に這い蹲っていた。
その信じられない光景に、そこに居る誰もが固唾を飲んで、入り口付近を呆然と見つめていた。
「アンタ…いったい何者なんだ?」
すると少し訝しげな顔をする前島が、そう言いながら江洲小原先生を、鋭い視線で睨み付けていった。
「ワタクシの事でしょうか?………そうですわね…美濃又の上司とでも言っておきましょうか…」
太々しくそう言い放つ江洲小原先生は、脅しをかける様に凄む前島になど、怯みもせずに平然と涼しげな顔をしている。
まるでこの場を支配しているのが彼女であるかの様な、王者の風格を漂わせたその姿に、その場にいる誰もが混乱し始めていた。
「そんな格好をしていながらアンタ先生かい?…まぁ、そんな事はどうでも良い…何しに来たのか知らねぇがアンタにゃ用は無いんだ…見逃してやるから大人しく帰りな!」
「そうもいかないのです…不出来な部下を持つと色々と大変でしてね……セバスチャン!」
江洲小原先生がその名前を口にすると、同行していた執事が抱えているアタッシュケースをテーブルの上に置き、留め具を外して中を広げていく。
徐々に開かれていくアタッシュケースの中には、1万円札の束がギッシリと詰まっていて、それを見た誰もがアングリと口を開いたまま固まっていった。
その金額はどう見ても1億は優に超えていて、それを見ている前島の顔付きすら少し青ざめている。
「何だいその金は?…お嬢さんがコイツの借金を肩代わりしようとでも言うのかい?」
「いいえ…そんな馬鹿な事は致しませんわ………この勝負は美濃又の負けで構いません…」
「えっ!…江洲小原先生…!?」
江洲小原先生の言葉に困惑する僕は、思わずそう言って彼女の顔をマジマジと見つめていた。
「ワタクシには見えてましたのよ…このまま勝負を続けてもアナタの負けは確実でしたわ…」
しかし諭すように話す彼女の言葉に、何故だか納得させられる僕は、その優しげな顔を見ることが出来ずに俯いていく。
イカサマを使った彼らの思惑に嵌って、勝負に乗せられていたのは何となく分かっていた。
きっと前島のカードは僕より良い手札を揃えていて、どうやっても勝つ事など出来なかっただろう。
「今度はこのお金を賭けてワタクシと勝負を致しましょう…」
手にした扇子で口元を隠しながら、そう言って前島を見下ろす江洲小原先生は、恐ろしいほどの気迫に溢れていて、その場にいる誰もが怯み出していた。
禍々しさまで感じさせるその姿は、彼女の悪女的な格好と相まって、妖艶な雰囲気まで醸し出している。
「ワタクシに勝てたら今までの負け分も、このお金もすべて差し上げましょう…ですがワタクシが勝ったら何もかも無かった事にして頂きますわ!」
持って生まれたモノなのか、有無を言わせぬ堂々としたその態度は、その場に居る誰もを威圧して断る事を困難な状況にさせていた。
「へぇ~、生徒の情報だけじゃなく金までくれるって言うのかい?…良いだろう、勝負をしようか…」
しかし前島は場慣れしているのか、それとも勝ちを確信しているのか、余裕な態度を見せながらニヤニヤと笑ってその提案を受けていく。
事の成行きに混乱する僕は、何が起こっているのか判断出来ずに、ポカンと口を開けたまま2人のやり取りを只呆然と見つめていた。
「美濃又、そこをお退きなさい…」
その言葉にハッと我に返り、僕が慌てて席を立つと江洲小原先生は颯爽と席に座り、手にした扇子をパタッと閉じながら高圧的な態度で足を組んでいく。
威厳の漂うその姿は、まるで百戦錬磨の強者の様で、取って付けた様な仮初のものにはとても見えなかった。
前島が目配せするとディラーが場にあるカードを回収し、封を開けたばかりのカードをシャッフルして配り始めていく。
前島に良い手札が来るように何かしているのは確実だが、僕にはそのトリックを見破る事が出来なかった。
江洲小原先生もイカサマをしている事に気付いているのか、ディラーの手の動きを鋭い視線で見つめ続けている。
「あら~ワタクシには見えてますのよ…」
そんな時、江洲小原先生がポツリと言ったその言葉と共に、ディラーの手がピタリと止まり、その顔が見る見る青ざめていった。
それと同時に前島も何故だか分が悪そうな顔をして、江洲小原先生から視線を逸らし始めていく。
何をしたのか僕には皆目見当が付かなかったが、イカサマが行なわれていたのは確実で、江洲小原先生はそれを確実に見極めている。
「まあ良いですわ…このまま続けましょう…」
しかしそれを告発することも無く、勝負を続けようとする江洲小原先生の言葉に、誰もが驚きディラーは警戒しながらもまたカードを配り続けていった。
「お嬢さん…良いのかい?………後で後悔したって知らないぜ…」
「ええ…構いませんわ…」
前島が本当にこのまま勝負を続けても良いのかと念を押しているのに、彼女は悩みもせずに平然とそれを受け入れていった。
自分の不利は確実だというのに、勝負を続けようとする江洲小原先生の思惑は、いったい何なのだろうか。
周りが敵だらけのこの圧倒的に不利な状況で、イカサマを指摘して勝負をチャラにする以外、勝てる見込みがあるとは到底思えない。
不安になる僕は本当に大丈夫なのかと、何度も視線を送り続けているのに、彼女は僕の事など見向きもせずにディラーの動きだけをジッと伺っている。
カードが配り終えられて、それを手に取る彼女は不敵な笑みを浮かべながら、1枚1枚カードを捲って自分の手札を確認していった。
するとさっきの僕と同じ様に、何かの手違いがあったとしか思えない、絶好の役がその手札に舞い込んでいる。
「お嬢さん…この勝負は全てを賭けた一対一のガチンコ勝負だ…降りることは出来ねぇぜ!」
「ええ…宜しいですわよ…」
しかしチャンスとも思えるこの手札は、勝負に希望を持たせる為の奴らの策略で、前島がオープンさせる手札はこれよりも良い役が揃っているのは間違いない。
「せ…先生…」
「大丈夫ですわ…ワタクシには全てが見えていますので…」
江洲小原先生は心配する僕を余所に、落ち着き払ってそう言いながら、自分の手札をゆっくりと並べ直している。
しかし全てが見えるなどと言っているが、彼女が先を見通せる先見の明を持っていて、前島たちがどんな役で上がるか分かった所で、イカサマ相手に勝てる見込みなど有る筈もない。
イカサマをしてると言う事は先生の手役も、当然こいつらの好きなように操られているという可能性があるのだ。
「何枚交換しますか?」
「2枚だ…!」
そう言って2枚のカードを場に伏せる前島は、勝ちを確信してるかの様にニヤニヤと笑いながら、配られたカードをゆっくりと手にしていく。
「お嬢さんは何枚交換しますか?」
そしてディラーがそう訊ねると、氷の様に冷たい微笑を浮かべる江洲小原先生は、持っているカードを全て場に伏せて、高らかに宣言する次の言葉に誰もが言葉を失っていった。
「5枚全部交換しますわ!」
その宣言は勝負を捨てて自棄っぱちになっているとしか到底思えなかった。
場に伏せたカードにはハートとクラブの7のペアと、スペードとダイヤそれにクラブで出来た5のスリーカードが揃っていて、つまりせっかく手中に収めたフルハウスの役を棒に捨てるという事だ。
「おい、おい…結局、運任せかよ…興が削がれるぜ…」
前島が笑いながら、そう言って呆れるのも無理はない。江洲小原先生にフルハウスの役が回ってきたという事は、前島はそれ以上の役が来るのは確実で、フォーカード以上の役が揃わなければこちらの負けは確定してしまうのだ。
無暗に全部のカードを交換した所で、都合よくそんなハイレベルな役が来るとは到底思えない。
絶望する僕は何もかも諦めてガックリとうな垂れているのに、江洲小原先生の瞳は未だにランランと輝いていた。
「美濃又…ワタクシは全てが見えると言いましたよね…それを今から証明して見せましょう…」
そう言いながら配られた5枚のカードを手にする先生は、重なり合ったカードをゆっくりとスライドさせて、自分の手札を確認していく。
スペードのクイーンが先頭になったその手札は、スライドさせるとスペードのエースが現れて、次にスペードの10が姿を見せていく。
そして更にスライドさせるとスペードのジャックが現れて、呆然とする僕は何が起こっているんだろうと自分の目を疑っていった。
5枚のカードを全部交換して、そんな奇跡が起こる確率など殆ど無いし、イカサマが行なわれているのだから、尚更こんな都合の良い事が起こる筈など無い。
しかし最後に姿を現したのはスペードのキングで、僕だけに公開されている手札には、間違いなくロイヤルストレートフラッシュが揃っていた。
呆然とその手札を見つめていると、ディラーが「それではカードをオープン」と声を賭け、前島は自信満々で自分の手札を場に広げていった。
「ストレートフラッシュだ!………悪いがその金も生徒たちの情報も全部頂くぜ…」
そう言って嫌らしく笑う前島の前で、江洲小原先生はゆっくりと自分の手札を場に広げていく。
それと同時に前島から笑顔がスッと消え、その顔が見る見る青ざめていった。
「ロイヤルストレートフラッシュですわ………全てを頂くのはワタクシの様ですわね…」
江洲小原先生がそう言うと、血相を変える前島は自分の事を棚に上げて「イカサマだ!」と喚き散らし、場にあるカードに当たり散らしていく。
自分の思い通りにならなかったからと、暴力的な行動を起こすその姿は、まるで癇癪を起した子供の様で、江洲小原先生は冷めた目でその様子をジッと見つめている。
「アンタにこんな役が来る筈が無い!これはカードを掏り替えたイカサマだ!この勝負は無効だ!!!」
「面白い事を仰いますのね………ワタクシにはアナタがストレートフラッシュで挑んでくる事は見えてましたのよ…それ以上の手札を揃えるのは当然ではありませんか…」
どうにかしてこの勝負を無かった事にしようとする前島を前に、江洲小原先生はそう言いながら手にした扇子をパッと開き口元を覆い隠していく。
余りにも無様に見える前島の言い掛かりに、その顔は見る見る険しくなって、能面の様に表情さえも無くしている。
鬼気迫るその表情に周りに居る者たちは、固唾を飲んでいるというのに、諦めの悪い前島は必死になってゴネ続けていく。
「何が見えてただ!どうやったら俺のカードが分かるんだよ!」
「そこのディラーが袖口にカードを忍び込ませたのは見えていたのですよ…そのカードが交換の時にアナタに渡った所も…」
「!!!…」
江洲小原先生の言葉に前島は苦虫を噛みつぶした顔をして急に押し黙っていった。
痛い所を突かれたのか江洲小原先生を睨み付けていた鋭い視線は、分が悪そうな表情と共に辺りを彷徨い始めている。
しかし悔しげなその顔には諦めきれない彼の心情が溢れていて、プルプルと震える唇が開くと吹っ切れた顔をして、また僕たちを睨み始めていく。
「おい、お前ら!こいつらを表に出すんじゃねぇ!どんな事をしても生徒たちの情報は頂くんだ!」
「ヘイ!!!」
前島の怒号と共に強面の男たちが一斉に声を上げ、僕たちの周りをゾロゾロと取り囲んでいった。
敵意を剥き出しにしたその迫力に、僕はオロオロとするばかりなのに、江洲小原先生は席に着いたまま、ふんぞり返って足を組み扇子を口に当てている。
こんな時でも動じない落ち着き払ったその様子に、逆に男たちが少しずつ怯み出していた。
まるでこの世を支配してる王の様なその風格は、まだ幼さの残る17、8の女の子が見せるものとは到底思えなかった。
「分かりましたわ………エスコバル公爵家を敵に回そうと言うのですね?」
そう言って颯爽と立ち上がる江洲小原先生は、既に臨戦態勢で一分の隙も無く、鋭い目つきで男たちを牽制していく。
「な…何だって………………エスコバル公爵家だとぉーーーー!!!?」
そんな時、カウンターの隅で静かに飲んでいた年配の男が、急に声を上げながら青ざめた顔をして身体をブルブルと震わせていく。
その男はパッと江洲小原先生の顔を見ると血相を変えながら、こちらに向かって一目散に駆け寄ってくる。
冷や汗をダラダラと流し、愛想笑いを無理矢理浮かべているその姿は、今まで影を潜めて大物ぶっていた様子など何処にも無くなっていた。
「申し訳ございません!エスコバル公爵家の方とは露知らずに!!!」
そう言って江洲小原先生の前に物凄い勢いで跪き、土下座する男の姿に周りの者たちは唖然としながら言葉を失くしている。
「おや?…ワタクシの事を御存じで?」
しかしそれが当たり前の様に男を見下す先生は、涼しげな顔をしながら自分自身を扇子で扇ぎ、戸惑うことも無く優雅に佇んでいる。
夜のお店で見かけるかの様な、その妖しげな光景に誰もが困惑し、何が起こっているのかと皆が顔を見合わせている。
「お噂は兼ね兼ね伺っております…失礼な事をして大変申し訳ありませんでした!!!」
それは誰が見ても可笑しいとしか思えない異様な光景だった。金も力も持っていそうな身なりの良い年配の男性が、中二病を患っているかの様な格好をした、年端も行かない少女に必死になって謝罪しているのだ。
この男が怯えているエスコバル公爵家というのは、いったい社会にどれ程の影響力を及ぼして、どれだけの脅威を与えているというのだろうか。
その名前を初めて聞く僕や、前島を含むこのカジノの連中は他人事の様な気がして、まるでピンときていない。
「そうですか……それで、この件はどう収拾させるおつもりなのかしら?」
「この勝負、貴女様の勝ちという事で構いません…貴女様の仰る通り、何もかも無かった事に致しますので、お許し頂けないでしょうか?」
「分かりましたわ…では、美濃又の借金も無しという事で宜しいですわね?」
「は、はい!」
事態を収束させようと必死になっている男の姿に、今まで息巻いていた男たちは面を食らった様に静かになっていった。
「お…おやじ!……そんな見っとも無い事をするのは止めてくれ…」
そんな姿を見た前島が、土下座を止めさせようと男の側に駆け寄っていく。
「お前は黙ってろ!!!エスコバル公爵家を敵に回したら、この国が終わってしまうんだぞ…」
しかし男はそう言って側に寄って来る前島を払い除け、再び頭を床に擦り付けていく。
尋常ではないその凄まじい怯えように、この場にいる誰もが目の前に居る、この変な格好をした少女がただ者ではないと認識させられずを得なかった。
最早この場に居るのは、痛い格好をしてるだけの17、8の小娘ではない。
ドリルの様なツインの巻き髪をユラユラと揺らし、威風堂々としながら扇子で自分を扇いでいるその姿には、何処かから光が射し込んで神々しさまで感じさせている。
「お話はお済でしょうか?…ではワタクシたちは帰らせて頂きますが…宜しいかしら?」
表情の無い顔でそう言って、辺りを見回す江洲小原先生を引き留める者など、最早この場には誰もいない。
騒然とするこの場から颯爽と立ち去る先生の後を追いかけて、僕は晴れて自由の身となり無事にここから抜け出すことが出来るのだ。
「美濃又…子供たちの情報を賭けようとしなかった事だけは褒めて差し上げます…」
去り際のカジノの廊下で静かに言った先生の一言が僕の胸に響いていた。
それ以上は何も言わずに正面を向いたままの彼女の姿が、僕には途轍もなく大きく見えていた。
~to be continued~