<episode22> 帝国の希望
次の日、僕は伊藤君と佐藤さんを連れ、帝国領へと向かった。
帝国への旅が始まった瞬間、胸の奥で不安がざわめいた。『リカルド・マルチネスを説得する』とは言ったものの、僕の思いが彼に伝わり帝国を変えることが出来るのか。すべては僕らのこれからにかかっていた。
「この魔石で結界が解かれるのね…」
そう言って佐藤さんが魔石を石柱に嵌め込むと、迷宮の入り口の淡い光が消え、中から冷たい風が吹き抜けてきた。
「まずはクラゴールの村を目指そう…」
僕がそう言って顔を見つめると、2人は黙って頷きながらも、険しい顔つきで僕を見据えた。
その精悍な顔付きには、2人が少し成長したような頼もしさまで伺える。僕らは、江洲小原先生の信頼を背負って、迷宮の冷たい風の中に足を踏み出した。
迷宮の通路には、以前とは違って魔物の気配はなく、足音だけが虚しく響き渡っていた。
佐藤さんが「なんか、めっちゃ不気味なんだけど…」と呟き、伊藤君が「静かすぎるのが逆にヤバいよ」と声を上げる。余りの静けさに気味の悪さを感じながらも、僕はクラゴールの村へ向かって迷宮を進んだ。
迷宮の通路の奥には、石壁をくり抜いた跡があり、そこから更に掘り進んだような通路が続いている。
見慣れた道に足を踏み入れると、どこか聞き覚えのある笑い声が、村の方から響き渡った。
「へぇ~そんな技術があるのか!?」
懐かしく感じるその声は、僕らに未来を託したクラゴールの声だった。遠くに火の明かりが見え、笑い声が次第に大きくなる。
聴き慣れた声にホッとする僕らは、思わず村に向かって駆け出していた。
しかし、クラゴールの村に辿り着いた瞬間、僕たちの足がピタリと止まった。村の広場でクラゴールと向き合い静かな声で、何かを話している赤いドレスの女性は、紛れもなく江洲小原先生だった。
クラゴールが「ハハッ、相変わらず手厳しいな、閣下!」と笑う声が響く。僕と佐藤さん、伊藤君は顔を見合わせ、息を呑んだ。
「先生…なんでここに!?」佐藤さんが声を上げ、先生を取り囲む村人たちがざわめく。
先生がゆっくり振り返り、鋭い視線で僕たちを見据えた。その視線は、まるで心を見透かされているようで、ゾクッとするほどの冷たいものが背筋を走った。
「あなたたちだけで行かせるはずが無いでしょう…」
先生の声は低く、皇帝の威厳に満ちていた。だが、口元に浮かぶ薄い笑みは、教室で僕たちを見守る担任そのものだった。
国政会議の終了間際に意味ありげに笑っていたのは、最初から自分も動こうと思っていたからだ。
先生が来てくれたことを心強くも思うが、僕たちはまだ足手まといなのだろうかと、少し侘しい気持ちにもなっていた。
しかし、先生が口にした次の言葉は、そんな僕たちの気持ちを瞬く間に吹き飛ばした。
「私は、あなたたちが頼りないからと、ここに来たのではありません…あなたたちがこの世界にいる間に、より多くの事を学んで欲しい…その為に、私を思う存分利用しなさい!」
その力強い声は高らかに響き渡り、村中の空気が一瞬にして震えた。クラゴールが「ハハッ、閣下は相変わらず凄えな!」と豪快に笑い、村人たちが感嘆の声を上げる。
佐藤さんが目をキラキラさせ、「先生、めっちゃカッコいい!私、いっぱい学びまくるよ!」と拳を握り、伊藤君が「…利用しろって、先生の頭脳を借りろってことか?やるしかないな…」と小さく頷いた。
先生の言葉は、まるで僕らの背中を力強く押すようだった。足手まといなんかじゃない。先生は、僕たちが成長する姿を信じてくれているんだ。
胸の熱さに、思わず目を潤ませながら、僕は決意を新たにした。
「先生、絶対に期待に応えます!」
僕がそう言って決意を口にすると、先生はまた薄い笑みを浮かべた。そして、クラゴールに再び目を向けて、堂々とした貫禄で口を開いた。
「クラゴール…お前との会談は帝国の件が片付いてからにします…日時は追って知らせる!…会談の日を楽しみにしていますよ…」
「はっ!仰せのままに!」
先生の高らかな声にクラゴールを含めた村のドワーフたちは、全員その場に片膝を付き、畏まっていった。
敵国の迷宮に住むドワーフたちが先生に敬意を表す。その光景は圧巻で、僕たちはその様子をただ呆然と眺めていた。
敵国からも崇められる先生は、民衆にどれほどの期待を寄せられているのだろうか。
いつまでも跪くクラゴールたちに背を向け、先生はコツコツと足音を立てながら、迷宮の出口に向かって歩き出していった。
「頑張れよ~!」
クラゴールたちがそう言って僕たちに向かって手を振っている。希望を抱くその眼差しに、僕は改めて決意を抱き、先生の後を追った。
先生の背中を追って迷宮を出てから、森を抜けて数時間歩いた先で、煙の匂いが鼻をついた。
そこから更に歩くと小さな村に辿り着いた。煙が立ち込める中、村人たちが壊れた家屋を片付けている。
佐藤さんが「なんか、雰囲気重いね…」と呟き、伊藤君が「魔物の襲撃っぽいな」と目を細めた。僕も嫌な予感を抱きながら、村の広場に目をやった。
そこに、銀色の鎧をまとった美しい女性がいた。透き通るような色白の肌に、長い金髪を風になびかせ、子供にパンを渡している。
村人が「イレーネ様、ありがとう…」と頭を下げる中、彼女は柔らかく微笑んだ。
「気にする必要は無い…私がしてあげられるのは、この程度の事だけだ…」
きりっとした顔で言い切るその姿は、どこか江洲小原先生に雰囲気が似ていた。彼女こそ帝国の最高戦力と謳われる5人のうちの1人、近衛兵騎士団長、イレーネ・フォン・エスターライヒだった。
「あれは…帝国の近衛兵騎士団長、イレーネ・フォン・エスターライヒ!?」
僕が声を上げると、佐藤さんが「え、マジ!?」と身構え、伊藤君が「落ち着け、様子がおかしい」と制した。その時、イレーネがこちらに気づき、鋭い青い瞳で僕たちを見据える。
「お前たち…無事だったのか?」
そう言って僕たちに目を向ける彼女の声は、落ち着き払っていた。涼しい顔をして、剣に手をかけたまま、ゆっくり近づいてくる。
しかし、僕たちを見据える彼女の目には、殺気など全く感じられない。
「安心しろ…私はノビルネたちの調査に来ただけだ…お前たちに危害を加えるつもりは無い…」
穏やかにそう話す彼女には、僕たちを拘束するつもりなど全く無いようだった。寧ろ帝国から逃げた後のことを、心配でもしているかのような、温かい眼差しで僕らを見つめていた。
僕は帝国の石牢での彼女の姿を思い出した。僕らを庇い、温かい言葉をかけてくれた彼女の本質は悪い人間では無いのだ。
その後、彼女は江洲小原先生にチラッと目を向けて、静かに口を開いた。
「それに…この場に、マリア・エスコバルが居る以上、私にはどうにも出来ないしな…」
その言葉を聞いた江洲小原先生は、何も言わずに遠くを見つめたまま、フッと笑みを浮かべた。
相対する2人が顔を合わせているのに、衝突する気配もない。その穏やかな雰囲気に、僕はホッとすると共に自分の使命を思い出した。
偶然とはいえ、こんな所で彼女に出会えたのは、チャンスでしかない。
「イレーネさんは、この村で何をしているのですか?」
僕が思い切って問い掛けると、彼女は物思いにふけるような顔で静かに答えた。
「ノビルネたちが起こした不祥事の後始末さ…奴らはここの村を拠点にして、お前たちを探していた…」
その声には、微かな苛立ちが滲んでいた。村人の疲れた目が、壊れた家屋の間で揺れる。焦げた木の匂いと木の軋む音が、襲撃の生々しさを物語っていた。
「だったら…この村の有り様は魔物の襲撃じゃない?」
僕が声を上げると、イレーネが小さく頷いた。
「ああ、奴らの仕業だ…目的のためなら、村を焼き、罪のない者を犠牲にしても厭わない…今の帝国はそんな人間ばかりだ…」
彼女の青い瞳に、己に対する怒りと無力さが一瞬だけ見えた。その表情には、今の帝国のやり方に不満を持ってる様子が表れていた。
「イレーネさん…貴女はこの国を変えようとは思わないのですか?」
江洲小原先生が静かに見守る中、僕が意を決してそう言うと、彼女はフッと笑みを浮かべた。
「この国を変える?…黙っていても滅んでしまう、この国をか?…民は貧困に喘ぎ、税収すらも取れなくなる一方で、腹を満たしてるのは一部の貴族だけ…帝国に残された生き残る道は、他国への侵略しかない…」
唇を震わせる彼女の顔には、悔しさが滲み出ていた。
「衰退するこの国が、戦を仕掛けたところで、勝てると幻想を抱くのは、現実を知らない貴族たちだけだ!」
彼女が剣の柄を握りしめ、先生に向かって叫ぶ。
「マリア・エスコバル!お前だって、それは分かっているだろう!」
その声に、村の空気が一瞬にして張り詰める。焦げた木の匂いが漂い、子供がそっとパンを握りしめる中、村人たちが息を呑んでいる。
そんな中で江洲小原先生は深い溜め息をつき、閉じていた目をゆっくり開いた。そして鋭い視線でイレーネを見据え、扇子をサッと開いて口元を隠す。
「確かに…手を下さなくても、このままでは帝国は滅んでしまいますね…」
その声は静かだが、広場を震わせるほどの迫力があった。
「だからといって、お前は何もしないのですか?…ここに居る子供たちの目を見なさい…今この村の者たちにとって、お前は唯一の希望でしょう、イレーネ・フォン・エスターライヒ!」
先生の言葉にイレーネは時が止まったように唖然とし、その青い瞳が揺れた。そして、周りに集まる子供たちの顔をゆっくりと見回し、ハッとした顔を見せた。
彼女を見つめる子供たちの目は、曇りなど一つも無く、キラキラと輝いている。
希望など何一つ無いこの状況で、彼女に向けられる眼差しは、未来に向けての希望に溢れていた。
「希望…私はいつの間にか希望になっていたのか…」
声を震わせ、剣の柄を握る彼女の手が一瞬緩む。子供たちが心配そうに彼女を見つめ、村人のざわめきが荒れた村の中で小さく響く。
「この子たちの思いを無下にして、お前は滅びゆくこの国を、ただ見てるつもりですか?」
イレーネが子供の頭をそっと撫で、静かに息を吐いた。
「だったら、私はどうしたら良いと思う…」
彼女は子供の1人を見つめながらそう呟くと、不意にカッと目を見開いて、江洲小原先生に目を向けた。
「マリア・エスコバル!お前ならどうする!」
それは悲痛な叫びだった。自分なりに帝国を変えようと頑張ってきたのに、そうはならなかったという彼女の悔しさが滲み出ていた。
しかし、先生は冷たい目で彼女を見下ろしながら、手にした扇子でパタパタと自分を涼しげに扇いでいた。
「お前が本気でこの国を変えようという気があるなら、まだ出来る事などたくさんあるのでは?今、この国で民衆を味方に出来るのは、お前だけなのですよ…」
風の吹きすさぶ、荒れ果てた村の中で、先生の静かな声が響き渡る。
緊迫した2人のやり取りに、僕らの入り込む余地など微塵も無かった。張り詰めた空気の中で、僕たちは動くことも出来ずに、汗を流しながら2人の様子を見守っていた。
「帝国がこんなになってしまったのは、国というものの成り立ちを理解していなかった、お前たち貴族の責任です…国を支えている民を蔑ろにし、自分たちの思うままにしようとすれば、国が衰えていく事など当たり前…なぜなら、国を豊かにしていくのは、その大勢の民だからです…」
先生がそう言うと正義感の強い佐藤さんが、追撃するように口を開いた。
「そうだよ…この国の偉い人は皆が平等と言いながら、自分たちは神様とでも思っているようにしか見えない…みんな同じ人間なんだよ…」
すると今まで黙っていた伊藤君も、我慢しきれずに声を上げる。
「みんなが同じにしないとイケないみたいな強制って、本当に平等と言えるの?無理に平等にしようとするから、自分たちが支配者にならなければいけなかったんだよね?支配者と服従者の二極に分かれただけで、それはもう平等とは言えないよ…」
張り詰めた空気の中で、僕は2人の言葉に圧倒されずにはいられなかった。いつの間にか佐藤さんと伊藤君は、僕が思っているよりも遥かに成長していた。
胸の奥で何かが熱くなり、息を呑みながらも、僕も何かを言わなければと口を開いた。
「国の上に立つ者は、民に支えられているからこそ、国を動かす力を手にしている事を自覚しなきゃいけないんです…そして、その力を持つからには民を守るという責任が必ず伴う!」
僕らの言葉を聞いて先生は、穏やかな笑みを浮かべていた。それは、まるで成長した我が子を見守るような温かさがあった。
佐藤さんが小さく拳を握り、伊藤君が息を呑んで見つめる中、先生は扇子をパタッと閉じると、厳しい顔でイレーネに目を向ける。
「今の帝国には、それを覚悟して民衆を導いていく王は居ません…リカルド・マルチネスは、欲にまみれた貴族たちに操られ、もはや傀儡に過ぎない…イレーネ・フォン・エスターライヒ、私たちに協力しなさい!もう一度、彼を帝国の皇帝として立たせるのです!」
江洲小原先生の言葉に、イレーネは言葉を失い、大きく目を見開いていた。その青い瞳が一瞬、子供たちの希望に満ちた顔を映し、剣の柄を握る手がわずかに震えた。一瞬目を伏せ、唇を噛むようにして、彼女は静かに呟いた。
「お前たちは、その為に帝国に戻ってきたのか…?」
イレーネのその言葉に、僕と佐藤さんと伊藤君は力強く頷いた。「そうです、イレーネさん!リカルドを…帝国を救うために!」と、佐藤さんが熱く声を上げた。
先生はそんな僕たちを見て、満足げに微笑んだ。
「…そうなれば、私も嬉しい…リカルドとは幼い頃から、この国を繁栄させようと夢を語ってきた仲だ…しかし、可能なのか?奴はもう、貴族たちの策略と圧力に屈し、民のための改革を潰され、そんな夢を捨てて、彼らの言いなりになっている…」
僕には、それがリカルドを良く知る幼馴染だからこその言葉に聞こえた。彼の身を案じてはいるものの、志を失った事に失望し、まるでその夢を取り戻すのは不可能だと諦めかけたように。
イレーネの瞳が一瞬曇り、僕の胸にはリカルドを救う決意が改めて燃え上がった。
「今までが、どうであろうと関係ありません!失敗したって何度でも挑戦すれば良いじゃないですか!イレーネさんやリカルドには、この国を良くする責任があるんだ!」
その声は、荒廃した村の広場に響き渡り、いつもと違う僕の態度に、佐藤さんはポカーンとしながらも目をキラキラさせ、伊藤君は小さく頷いて驚いていた。
村人の視線が集中し、何となく少し恥ずかしさまで感じていた。しかしそんな時、僕をジッと見つめる先生は、静かに頷くと、助け舟を出すように口を開いた。
「イレーネ・フォン・エスターライヒ、リカルド・マルチネスと私たちを会わせなさい…お前ならば、それが可能でしょ?」
イレーネは一瞬唇を噛み、子供たちの顔を再び見つめた。その顔に、決意と共に小さな笑みが浮かび、今までとは違い、吹っ切れたような清々しさが表れていた。
「分かった…お前たちをリカルドに会わせよう!私について来い!」
佐藤さんが「よっしゃ!」と拳を突き上げ、伊藤君が静かに頷く中、そう言って僕たちに背を向ける彼女の華奢な背中は、なぜかとても大きく見えて、頼もしくさえ思えた。
村人たちが瞳を輝かせてその背中を見守る中、一人の子供が小さく手を振った。彼女は白馬に跨り、ゆっくりと馬を走らせていった。
~to be continued~