fileⅤ ~警察官僚偽装殺人事件~⑤~
「…麻美さん……恥の上塗りはもうやめませんか?貴女にどう弁解されようと…貴女方親子とあたしの信頼関係はとっくについえているのですから……」
彼女、冬野麻美さんの参入によって、一時騒然とした空気に包まれた浅草東警察署取り調べ室の一室。
いっそ全てをぶちまけて、この冬野親子に最後の鉄槌を下してやろうとも考えたのだが、あたしは静に冬野親子に決別を告げ、あたしを逃がさまいと群がる捜査官達を一掃して、瑞樹さん達三人とともに、東署を出るのだった。
後にこの、浅草東署で起こった騒動はマスコミの知るところとなり、渦中にあった冬野親子は、東署の署長でもあった父親の冬野丈一郎はじめ、参事官の職は失ったもののまんまと副署長の地位を得ていた、母親の冬野明日香。そして、二人の娘、冬野麻美の三人は結果として、警察官の職を失うのだったが、娘の麻美だけは、査問委員会の会合場所から逃走したという。
彼女の逃走から逮捕まで、さして時間はかからないと思っていたのだが、あの一件以来、彼女の消息はようとしてつかめず、時だけが無情にも過ぎていったある日のことだった。
そしてこの頃、都内全域では、連続して警察官ばかりが襲われるという不測の事態が起こっており、その主犯格と目されたのが、あたしと大差ない年齢の二十代半ば過ぎの女であることまでは、警視庁も維新をかけて調べたようなのだが、それから以降は暗礁に乗り上げているようだった。
そんなある日の昼下がり、一人の初老の男性があたしの探偵事務所を訪れていた。
「葛城さん……お久しぶりです」
あたしの探偵事務所を訪れたこの初老の男性。
彼の名は、葛城竜三。警視庁の重鎮で、とてもじゃないが、一般都民のあたしなんかが気軽に声をかけられる人物ではなかったのだが、警視庁の警察官僚としては、いささか変わり者の彼、両親の死後からこんにちに至るまで、時折こうして自身の娘さん二人を護衛にあたしを訪ねてくれていた。
「…けど葛城さん?この非常事態に警察官僚の貴方が都内を出歩いて大丈夫なんですか?」
非常事態なのにもかかわらず、護衛も自身の娘さん二人という軽装であたしの事務所を訪ねくれた彼にあたしは、彼の身の安全を危惧してそう問いかけた。
「…香那子ちゃんは…相変わらず優しい娘さんじゃな……うちの娘二人にも見習わせたいくらいじゃ……」
あたしの小さな心配事など、どこ吹く風といったように笑いとばす彼。
そう、あの頃と何も変わらない。
祖父の愛に飢えていたあたしには、実の祖父のような、そんな不思議な感覚を覚える男性だ。
「……単刀直入に言おう……この数日の間に私が把握しているだけでもすでに十件近くの警察官襲撃事件が都内全域で起きている……その主犯格とおぼしき人物が前任の冬野丈一郎、明日香夫妻の子女冬野麻美ではないかというところまでは我々も捜査を進めたのだが……問題はその跡だ……冬野丈一郎前署長退任後うちの長女が後任を引き継ぐわずか数日の間だけ署長代行を務めた谷崎圭吾という人物がいたのだが彼だけは今までに襲われた警察官達とは違い明らかに強い殺意を込めて殺された……彼がこの事件最初の犠牲者となり…それと交互するようにこの事件の主犯格であり実行犯の被疑者…冬野麻美の消息はまるで神隠しにでもあったかのようにぷつりと途絶えてしまった……この事件のさらに裏を探るには…お恥ずかしながら今の我々には正直皆無…そこで香那子ちゃんに頼むしか方法はないという結論に達してな……お願いに上がった次第だ……」
彼はそう言うと、あたしの入れたお茶を一口飲み、自身の眉間によった皺を緩めにこやかに笑った。
「こんなにも美味い茶久しぶりだ……」
この時、この場所にいた誰が予測しただろうか。
このたったの一言が彼の遺言になろうとは。
あたしの事務所を訪れて数日後たったと思う。彼、葛城竜三さんが警視庁でのその日の公務を終えての帰り道、妻の佳子さんと娘さん二人の家族三人で暮らす警視庁近くの自宅に後残りわずかのところで暴漢に襲われ、生死を彷徨う重症を負ったのは。この不測の事態にあたしは、次に狙われるのは奥様の佳子さんかもしくは二人の娘さんの恵梨香さんか美奈子さんのどちらかと睨んだあたしは、速やかに瑞樹さんとリーファンにツナギをとり、瑞樹さん達三人にはは、浅草東署周辺を、リーファン達には葛城さんの自宅周辺をそれぞれ見張るように頼み、何か向こうに少しでも動きがあれば、動くのはその時だと考え、あたしは一足先に浅草東署におもむき、竜三さんの娘さん二人と合流。
これ以上の犠牲者は何としてでも、絶対阻止をむねにあたし達はいつでも伐って出れる準備を整え、後に合流した瑞樹さん達と彼の自宅周辺を見張るリーファン達からの連絡を待っていた。
「……香那子さん…就任間もなく何かと至らないあたし達姉妹にこの手厚い享受……感謝の念にたえません……ひいては…あたくしどもの両親が生前から懇意にさせていただいていた…本羽晃三…あゆみ夫妻のご息女……香那子さんをこれ以上危険な目に合わせる訳には参りません……跡の事はあたし達姉妹に任せて…父の娘として至らなかったあたし達の分も今警察病院で生死を彷徨う父の傍にいてやっていただけませんか?貴女の信頼するお仲間は誰一人として傷つけないし死なせはしない事…合わせて約束した上で…頼みます……」
集まった署員の士気も高まり、リーファン達から連絡があればすぐにでも動けるように、準備を進めるあたしに、竜三さんの長女で新たにこの浅草東署の署長に着任した葛城恵梨香さんがそう言ってあたしに深く頭を下げてくれた。
「それは違うと思いますよ恵梨香さん……お父様に万が一の事があれば…お父様はきっと他人のあたしよりご自身の娘さんに傍にいてもらう方が何倍も嬉しいはずです……あたしの両親は絵に描いたような真面目な警察官であたしなんか生まれてこの方両親からまともな愛情を受けた覚えがありませんでした…けど…いくら毛嫌いしていても…自分を生み育ててくれた両親なんだとあたしがその意味を理解できた時にはすでに遅く……あたしが面と向かって初めて親子の会話を交わせたのは……警視庁の霊安室で何一つ物言わなくなった両親でした……けど…恵梨香さんや美奈子さんのご両親は違う!お父様も今!警察病院のベッドの上で必死に生きようとしていらっしゃるじゃありませんか?ここはどちらがどうというのではなくあたし達全員の力を合わせて!病院のお父様に良い報告ができるように頑張ってみませんか?」
あたしみたいな小娘が口を出す事でも、はっきり言って場違いな事を言っているのは自分でもよくわかっていた。
けれどこの時のあたしには、黙っていることなどできず、自分よりははるかに年長者になる、恵梨香さん美奈子さん姉妹に知らずのうち、気がつけば涙を流して訴えていた。
「……確かに…香那子ちゃんの言うとおりかもね……今…もしも仮にあたしか姉さんのどちらか一方が病床の父の傍にいたとしたら間違いなく父さんは怒ると思うわ……姉さん…ここは一つ香那子ちゃんの言うようにあたし達全員力を合わせて頑張ってみない?」
あたしの涙の訴えに、考え込む姉の恵梨香さんとは対象的に、あたしと大差ない年齢の美奈子さんは、あたしの考えをすんなりと了承してくれた。