七
七
「けれどもですよ、あなたさま」
親仁は河岸のほうに身体を向けて改まり、
「お居間の飾り物になさっている瑪瑙の玉や枝珊瑚樹などとは違いまして、命のあるものでござります。はじめのうちは一も二もなく可愛うございましても、なんと言いますか、事情によっては我が子でも邪魔に思うことがないとは言い切れませんので、そのへんを心して、大事にしてやってくださりまし。
それにまた、この兎は、ただ耳が長いだけではござりませぬ。人のいうことも聞き分けるといいます。娘が息を引き取りますまで、友だちのようにして、あれやこれやと、まったく人と話すようにしておりました。
ああ、だれに見しょとて紅鉄漿つきょうぞと、娘は叶わぬ相手に恋い焦がれて亡くなりました。だれをどう慕っていたのかはわかりませんけれども、この兎には胸のうちをみんなうち明けてあると申しておりました。ですから、お手元に飼っておかっしゃることになれば、長い月日のうちに夢枕に立って、あなた様、面白いか、嬉しいか、それとも辛いか、悲しいか、どんな夢をご覧になるともわかりません。それでもお嫌ではござりませぬか」
親仁はそんなふうに、なにか意味ありげなことを言ったのであるが、令室は今はただ、もう目に入れても痛くないほど可愛いものをくれると言われたのが嬉しいので、謎のようなそのことばはよく聞かなかった。けれども以前この兎を可愛がった飼い主が恋をしていたというのが深く胸に響いたので、
「可愛そうに。まあ、娘さんというのは、なに、まだお嫁入りはされていなかったの?」
「そのことでござります。もうかれこれ六十の坂を越しました親仁の娘なら、いい歳の婦のように思われましょうが、事情がござりましてわしの娘にしたのです。世間体を考えただけのことでござりますから、わしが娘と申しても、歳は……」
と言いかけて、艶やかな令室のその面影に目を据えると、
「あなた様より一つ、二つ若いのでござりましたが、お生まれもなにも詳しくは存じませぬ。またそんな山家の者が色恋などといえば、さぞかし訝しくおぼし召しましょうがの。いや、町の人は一度も来たことはなしに、兎や狸、山女でも棲んでいるように言いまするが、美しい冷たい水も流れます。湯も湧きまする。高山の下でござりますから、いつも白い雲が行ったり来たり、あっちにもこっちにも雪が消えずに残っていますし、只今の時期は藤の花が、それはそれは見事に咲いておりまする。
笠を召されなくても、もともとのままで、お色も黒くはなりませず、手足の肌理も荒れることなく、やっ、そのお美しかったこと。ご無礼とは存じますが、あなた様にそっくり生き写し」
小間使いは主人の心中を察してか、耳のあたりをはっと赤く染めたが、令室は自分にたとえられたこととはいえ、その娘のあまりにもの美しさを想像して、我知らずぞっとした。
「あなた様より少し痩せていらっしゃったように思います。ご気性も似ていらっしゃったようでした。爺や、とその方に呼ばれますると、わしはハッと言うて、その尊さに自然と頭が下がりました。あなた様がおっしゃりますその声のお優しさ、勿体ないことにこうやって、しみじみとお顔も拝まれまする。そんなあなた様でござりますから、わしの判断でこの兎を差し上げまするで、どうぞお労りくださいますよう。
結構なお城のようなお屋敷にお住まいでも、このような町なかですから、夏は暑うござります。なるたけ涼しいところでお育て下さりまし。ここでの暮らしに馴れてくれればいいのでござりますけれども、只今までおりましたのはその雪のある、藤の咲いた……」
と親仁が言ったちょうどそのとき、キリキリキリと大空へ釣瓶の綱を巻きあげるような蜩の声がした。
「おお、あれが鳴きますと、湯涌谷はもう寒うござります」