六
六
令室は、さらに優しく問いかけた。
「そして家はどこなんですか。どこからこうやって行商に出て来るんですか」
「はい、わしが里は……」
親仁は屈んだまま背後を向くと、芥子の花のギザギザのような頂をはっきりと見せている湯の山のほうを指さして、
「この川の上流のずっと先にある、湯涌谷という山家でござりまして」
「おや、湯涌谷から売りに来たの」
と、巳代は驚いたように言う。
「遠いところかい?」
「三里近くは離れていますよ。ねえ、雪屋さん」
「三里ほどでござります。いいえ、毎日売りに出ますわけではござりませぬ。それも町まで来ます間に、川岸にですね、貴方さま、村が七つばかりもござりますので。ぼちぼちとあちらこちらで売れますが、今日はちょっとやりたいことがござりまして、商いはついでということで、町のほうまで出て参りました。ええ、実はこの兎を我が子のように可愛がって育てました娘の命日でござりまして」
と、語りながら憂い顔になる。
「まあ、お前、その娘さんが亡くなったの」
「はい。もう一周忌は過ぎてはおりますが」
「それじゃあ大切な記念なんですね」
と巳代が、今さらのようにまた覗きこんで、兎を見つめながら頷いた。
令室もまた同じように、寂しげに頷いて、
「それじゃあ無理はないのだよ、ねえ、巳代」
「はっ」
と、巳代は膝のあたりまで手を下げた。
「どんなに私が望んだって娘さんの記念だとさ。それに通りがかりの、知り合いでもない人をつかまえて、無遠慮に持っているものをそのままこっちへ貰い受けようとするなんて、なんともわがままなことだったよ。ほんとうに身勝手だった。お爺さん、堪忍しておくれ。これまで人にものをねだるようなことをした覚えはないのに、どういうわけかその兎は、盗みたいほど欲しかった。ほかのことなら無理にでも言うことを聞いて欲しいんだけれど、そういう因縁があるのなら思い切ります。お爺さん、たいそうお手間を取らせたお礼をしましょう」
と言ったが、それでももの足りなそうに、かつ極まりが悪そうに、
「それでも諦められないような気がしてならない。巳代、私はどうしたんだろう」
ことばには令室の優しさがあふれている。その声を聞くのをうれしげに、またそこまでの主人の思いが届かないのを悲しそうに、巳代は頭を垂れて無言であった。
親仁は慌ただしげに、せわしない口調で、
「あなたさま、いえ、どうしてどうしてあなたさまに、これを差しあげなくてよいものでござりますかい。お聞きになられましたことに答えて、田舎のうちの事情をお話申しただけで、だからお断り申すというわけではけっしてござりませぬじゃ。わしの言ったことからお察しなさって、それでご遠慮なさいましては、お前さま、あんまり思いやりが深すぎるでござりますよ。
さぞや御大家とお見受けしますが、ひと昔前でしたら、こんなご身分のお方さまじゃ、湯涌谷の百姓なぞは、直に口を利いただけでもその場で無礼打ちになりますところです。それを思えばこんな兎一匹、なにが惜しいものでございますか。
じゃがまた、お望みなされますお方さまが、あなたのようなご婦人でござりませぬなら、どうあってもですね、お前さま。
このわしの目が黒いうちは、けっして人手に渡すことはござりませぬ」
力のこもった親仁の言い分を聞いて、無理に望んだわがままが通ったかと、罪を作ったように思って心中穏やかではない令室よりも、小間使いのほうがさも嬉しそうにしている。