五
五
アーチ型で銅張りのこの裏口の戸はなかば開いたままで、母屋のほうに行く路は草むらのように見えるが段があるらしく、木立のなかを二人の女が後先になって上っていく。彼女らの浴衣姿は上へ上へと、しだいに小さくなっていった。
その姿を最後まで見とどけることもなく、手間がかかりそうだと思ったのか、雪売りは左右の笊に天秤棒を乗せて、その上にどっかりと、また腰を下ろした。
「ああ、やれやれ」
と漏らした親仁の独り言には、なんらかの重大な秘密が隠されているようでもあり、これほど無意味なことばはないといったようでもある。
親仁はなにも考えてはいない様子で、人を待つというそぶりもなく、戸を背後にして、目の前の、夕陽に彩られた川の流れと、いまだに残って泳ぐ子供たちと、布を洗う女たちをじっと眺めていた。周囲には石垣の松の梢を吹き抜ける風、向こうの岸には柳のそよぎ。
そうして目に見える暑さの色も、次第に薄れながら日は傾く。
あたりは静かで、ざぶざぶと流れをかき乱す音だけが聞こえて、大きな手のひらを膝頭に置いた親仁の姿は、どこか仙人を彷彿とさせた。
兎は笊のなかに愛らしくうずくまって、動かず、鳴かず、食べ物もむさぼらず、あたかも雪でこしらえたもののようである。
「おお、ここに」
という声とともに、木立のなかに艶めかしい気配がして、木戸からこぼれだした袖の留木がぱっと薫ると、袂や褄の端をちらちらとさせながら、練り塀の側にサッと寄って、すこしばかり顔を覗かせた人がいた。その傍らに引き添って、戸口の正面から親仁と向き合ったのは、さきほどの巳代であった。
「お爺さん、よく待っていてくれましたね」
と、意外にも、年かさの女中があそこまで言ったことに反して、あまりにも物腰が軽やかである。
「や、お前さまでござりますか」
と、親仁は中腰になって、背のすらりとした婦人の立ち姿を横からしげしげと仰ぎ見ている。
「あのね、さっき言ったように申し上げたら、急いで出ておいでになったんですよ。お前さん、この奥さまです」
と、令室をかばうようにしていた身体をよけると、親仁のほうに歩み寄って、だれにするともなしに、ちょっと頭を下げた。
「はい、これは、あなたさまが奥さまでござりますか。はいはい」
と、親仁は腰をかがめて揉み手をしながら、身体をひねってそちらに向き直った。それまで腰かけていた天秤棒が、片端に縄をからませたまま、笊の端をずるりと滑り落ちた。
「とんだお願いをしてすみませんね」
と、気高いその人は、かえって無造作に、品のある身を卑下するような心配りをして、鬼神の力も萎えさせる艶やかな顔に微笑を含んで言った。親仁の礼を受けると、薄衣を纏っただけの飾り気のない肩を斜めに傾けたが、その横顔に後れ毛がはらはらと落ちる。
令室は、身体をくの字形にしたままで、木戸口からじっと笊のなかを見つめていた。黒目がちの、睫毛の濃い、涼しくぱっちりとした左右の瞳には、笹の葉の緑の影を宿した真っ白な兎がそのままの姿で、一つずつ映っているのだろう。
「まあ、綺麗な。可愛らしい」
「お爺さん、どこで捕まえて来たんですか」
と巳代は、ここまで来る途中で令室と交えたらしい話を、ここで問いかけた。
そんな二人の姿を交互に見ながら、
「こりゃ、はい、わしが捕まえたのではござりませぬ。取って十九になりましたわしの娘が飼っていたものでござります」
親仁の側に令室は歩み寄ると、
「娘さんが、そうなの?」