三
三
「はあ、その方がお望みなさったか」
「売り物になさっているなら買いたいし、そうでなくっても、どうにかして譲ってほしいとおっしゃっていますわ。本気で欲しがっていらっしゃるんだがねえ、いけないんですか」
と懇請する。
親仁は小首をかしげて考えながら、兎のほうに目をやっていたが、
「いや、今も言ったとおり、こりゃ売り物じゃないのじゃよ。品物によっては、まあ、お譲りしますと言わないこともないが、この兎はそう簡単にはいかないものでね」
「そこをどうにかして、ねえ」
「なにも別段、難しいことを言うわけじゃねえて。わしがその人を見て、気に入ったら差しあげましょう。姉さん、これを欲しがってるお方様に、ひと目お目にかかりましょうかい」
「お目に……奥さまに……」
「だれだって構うことはないさ。本人じゃ。これを欲しいと言っている本人じゃ」
「それは、さっきから言ってるように奥さまなんだけども、さあねえ……」
小間使いとしては、主人のことばを伝えに来ただけなので、自分で決めるわけにもいかず、
「まあ、ひとつ聞いてみることにいたしましょう」
「それなら聞いてみしゃっせい」
と雪売りは、それが当然といった様子で澄ましている。
「それじゃあねえ、ご苦労ですが、ともかく一緒にあそこまで来てくださいな。ええ、あの裏口まで」
「お安いことじゃ」
「それでは」
川面には、夕暮れの気配が立ちこめはじめている。早瀬の波は翻って蒼白く、湯の山はさらに緑深まり、涼しい風が吹いてきた。小間使いの単衣の袂は八ツ口のあたりから、行く手に逆らってサッとなびいた。
親仁は、うむ、と唸って荷を担ぎ、か細い脛を弓なりにしなわせるように力を込める。
「気をつけておいでなさいよ。道が狭いから危のうござんす」
「あいあい」
と、小間使いにたらたらとついていけば、裏門に近いそのあたりからは様子が変わって、石垣ではなく白い練り塀で屋敷の守りを固めている。川面からは三間も離れてはおらず、まだ二、三人の子どもが泳いでいて、よじ登ろうと思えば登れる土手なのだが、あまりこの場所には上がろうとしないらしく、塀は古いが落書きの跡も見えない。
塀の中ほどには丁字形に仕切られた通路があり、親仁が導かれたその奥にこの家の裏口がある。先ほど小間使いが出てきたのもここからなのだろう。開閉にずしんとした重みを感じさせる、銅の板を張りつめた、厳めしい堅固な片引きの一枚戸は、左へ半分ほど引かれたままである。
銀杏返しに結った年配の使用人が一人、上半身を覗かせて、西日はあたるが山風が吹き下ろすのを涼しげに受けながら立っていた。
待ちかまえていた、といったふうで、
「お巳代さん、どうなりました」
と声をかけると、お巳代は年上の女の脇を小刻みに駆け抜けながら、
「あのね」
「なんて言ったの?」
「売り物じゃないんですとさ」
「いけないの?」
「それでね……」
と言おうとするところにかぶせて、
「お銭をやると言えばくれるんじゃないの」
「お聞きなさいよ。それがね、お金なんか欲しそうなそぶりもないんですよ。そしてね、どんな方だかお目にかかって、気に入ればそのままくれるんだってさ」
「くれるって、くれるのはいいけど、お目にかかりたいってのは無礼じゃないか。この家をなんだと思ってるんだろう。雪売りなんぞがどうしてそんなことを……」
と、目を丸くして驚いているところへ、親仁はひょっこりとやってきて、
「どうじゃの。相談はできたか」
「ああ、今ね、奥さまに伺おうというところです」
「早くさっせい。いや、日は長い。どうぞゆっくりとやらっせい」
と言うと、大口を開いて、
「ははは、ははは」