一
【登場人物・動物】(○は主要人物)
○雪売りの親仁
○お雪 大家のお屋敷の令室
○巳代 令室の小間使い
年かさの女中
旦那さま
お雪 雪売りの親仁の、亡くなった養女
白兎 二人の「お雪」と同じ、雪という名前
【原文】
https://web.archive.org/web/20211119223726/http://web-box.jp/schutz/pdf/josen.pdf
『女仙前記』『きぬぎぬ川』ともに『鏡花全集 巻七』(岩波書店)を底本としました。
両篇は『新編 泉鏡花集 第1巻 金沢一』『鏡花小説・戯曲選. 第5巻 怪異篇一』(ともに岩波書店)、『鏡花幻想譚2 海異記の巻』(河出書房新社、電子書籍あり)、『化鳥・きぬぎぬ川 泉鏡花小説集』 (21C文庫)などにも収録されています。
一
「雪じゃ、雪じゃ、本場の雪じゃ」
という物売りの声がする。
声をあげているのは、ぼろを継ぎあわせた古着の単衣を身にまとってこそいるものの、尋常ならぬ印象を与える一人の親仁である。
はるか上流の空には、赤い前垂れをつけた茶屋の女が頂のお休憩み所で旅人をもてなすのだという湯の山が、まるで緑に朱の襞模様を刻んだ横雲のように浮かんで見えている。後朝川の岸に沿って、川に架かった朝六ツ橋のたもとに生えた、榎の梢のすこし下まで沈んだ真っ赤な夕日に向かって、静かな足どりで砂埃もたてず、昼間でも影の差している澄んだ流れに沿いながら、親仁は草履ばきでそろそろと歩いて行く。
かなり以前、この一帯は遊廓であった。後朝、朝六などという名称は、おそらくつらい勤めに明け暮れた女郎たちが名づけたものであろう。柱に朱の漆を使い、欄干も赤く塗った、あちらこちらの痛んだ瓦葺きの二階屋が一軒、かつての名残を留めているが、空き地の隅に生い茂った草になかば蔽われて、ほとんど立ち腐れといったありさまである。
そこを通り過ぎると目路の先に見えるのは、路傍に生えた、形のよい一本松である。廓が盛んであったころは、簾を巻きあげ、窓の櫺子ごしに眺めれば、梢に月がかかり、枝には雪を乗せて、さぞかし風情を誇ったことだろう。根もとから一丈ほど上で、幹がいきなり二つに分かれて、右は遠くの山を縦に切り、左は川の流れを斜めに断つ。二股の枝の間から、行く手に朝六ツ橋が見えるというあたりから、道はだらだらとつま先上がりになる。
「雪や、雪や、本場じゃ本場じゃ」
松の木にさしかかると思えるあたりまで坂道を上ると、川端に立っているだけで足もとを浸しそうに見えていた川は、すこしばかり眼下に遠ざかって、道は狭くなる。道の片側に石垣が構えられて、手が触れそうなほどに迫っているからだ。
「本場の雪じゃ、ああ、雪や、雪や」
と呼びながら、石垣を伝い歩いて行く。この垣は長く続き、高くそびえて、大石小石ががっしりと網目状に組まれている。坂下の松と同じころに造られた古いもので、苔がむして、草が茂り、不意に目の前に伸びた先に花をつけているものもある。こちらの岸が高くなるにつれて、向こうの岸はだんだん低くなっていくから、日の光はめいっぱいに照りつけて、斜めから差す光線を浴びた石垣は赤く照り輝き、心地よい風に吹かれて、露草の咲きそうな影もみあたらない。あたかもこの城壁の内に住む人の栄華を表すかのようである。
ここは市内随一の豪家の裏手で、川と石垣の間を抜けるこの小路も、いうまでもなくこの家の者が朝六ツ橋を渡るための仮の近道として造られたものである。人通りがあるわけでもなし、雪売りの行商人よ、商売をするのに、なぜ好き好んでこんなところを通るのか。
「雪や、雪や」
と呼び立てる声が弱るほど、この老人はさもくたびれた様子で、だらだら坂を上りきったところで肩をよじって、土手の草の上に荷を下ろした。熊笹の葉に雪を包んで、筵で巻いて、縄で縛ったものを天秤棒の片方の荷にして、もう片方に重りをつけて担いでいるのはこの土地の風俗で、あらためていうまでもなく氷屋である。
来た道を振り返ると、湯の山はその頂を一本松の梢に並べている。そこから流れてくるさらさらとした流れは、このあたりで急に川幅を広げ、そこでは町の子どもたちが七、八人、浮いたり沈んだりしながら絡みあい、上になり下になって、泳ぎたわむれていた。不意に夕立が襲ってきたならば、湯の山からの水流を一気に集めて、なにも遮るものがない勢いで濁流を漲らせるのだから、この時刻に泳いでいるのは、どの子も泳ぎ自慢の手練ればかりである。