14話 私の友人は私が決めるの。評判なんてどうでもいい
「あ。そういえば、アニータが今帰ってきているんだった」
聞けば隣国の公爵家に嫁いだと言う、我が国の伯爵家出身のかたが、お子様を連れて実家に滞在されているらしい。
5、6年前はいつも一緒に遊んでいたほど仲の良いご友人だとのことだ。
「5、6年前って、ユリア様とご結婚中で、レオ様が生まればかりの頃なんじゃ……?」
アメリヤがそう言うと、ケヴィンは気まずげに目線をそらした。
最近は頑張っているけれど、そういえばやっぱりこの人クズだったわと、アメリヤは思った。
絆されてはいけない。気合を入れ直さなくては。
「アニータ様? はご実家の伯爵家に滞在されているのですか」
「うん」
5、6年前に隣国に嫁がれたなら、今のケヴィン様の落ちぶれた評判も、知らないかもしれないなんて。ちょっとだけ期待してしまうアメリア。
*****
「私がこんな格好する必要って、ありますか?」
「当然だよ。公爵夫人に借金の申し込みに行くんだよ? 身だしなみは大切に決まっている」
隣国の公爵に嫁がれたアニータ様に会うと決まり、仕事の資料の準備をしようと張り切っていたアメリヤに、ケヴィンは他にもっと重要な準備があるといって、素敵なドレスを着るように言ってきた。
使用人さん達が、アメリヤがドレスを着るのや、髪型、お化粧などを手伝ってくれる。
とても質が良いながら、シンプルで趣味の良いドレス。ユリア様が置いていったものらしい。
やさしく真面目な人柄が伝わってくるようなドレスだ。
屋敷に置いたままのドレスを取りに来ることすらなく、好きに処分してくれと言ったというのだから、いかにケヴィンともう関わりたくなかったのか(以下略)。
プラテル前伯爵夫人の服も何着かあったが、サイズが違うし、あまりにも派手すぎて、アメリヤには着こなせそうになかった。
「うん、素敵だよアメリヤ。とっても綺麗だ」
顔の造りだけは良いケヴィンに、じっと見つめられながら褒められて、アメリヤの顔に血が上る。
「あのやっぱり、こんな格好しなくても」
「貴族は見た目が大事なところもあるんだよ。薄汚れた服を着ている人と、清潔で質の良い服を着ている人、どっちにお金を貸したくなると思う?」
ケヴィンに。
あの8歳児と同等のケヴィンに、諭されてしまう。
それはそうだ。薄汚れた服でお金を借りに来る人は、とても借金を返せるような人とは思われないだろう。
だけど清潔なセンスの良い服を着た人が、ちゃんとした資料を持ってきて説明してきたら、それはビジネスの話、出資金のお願いとなる。
見た目は大事。商人と交渉する機会もあるアメリヤも、それは知っていた。
今までアメリヤが着ていた服は、清潔だけれど明らかに庶民用のものだった。
生れながらの生粋の貴族のユリア様がお召しになっていたと言うドレスは、これまでアメリヤが経験したことがないほど、とんでもなく肌触りが良くて、フワフワとお姫様になったような気分がした。
*****
ドレスとお化粧には戸惑ったアメリヤだったが、お茶のマナーだけは言われずとも真剣に習得しようと頑張った。
貴族と商談しようというのに、お茶のマナーが分からないなど論外だからだ。
「うん。いいね、とてもいい。アメリヤは覚えが本当に早い」
お茶のマナーを教えてくれたのは、なんとケヴィン本人だった。
マナーを教えられるような使用人は、今のプラテル伯爵家には残っていないのだそうだ。
「そう。カップを戻す時、音をたてないようにね。……すごいじゃないか。ほとんど教える前からできている」
「商人と商談する時なんかに、必死になって調べたんです。あとはそれこそ商談の時に相手の人の真似をしたり。……貴族がお忍びでくるようなカフェを外から、観察したこともあります」
アメリヤがそう言うと、ケヴィンは驚いたように軽く目を見開くと、眩しい物をみるかのように目を細めて、微笑みを浮かべた。
「すごいなぁ。だから援助金もなしに、何十人もの子供たちが暮らす孤児院をやってこれたんだね。自分で何をするべきか考えて、調べて、動いて。……アメリヤは本当にすごい」
キラキラした目で見つめられて、なんだか気恥ずかしい。
*****
アニータ様にお手紙を書くと、なんと『いつでも会いに来てください。懐かしいわ』という返事が返ってきた。
昔の友人がいきなり借金の申し込みに来ては驚くだろうと、ケヴィンとアメリヤで相談して、ほんの少しお金に困っていることを匂わせた手紙を出したのだが、それに気が付いているのかいないのか。
ただただ昔の友人からの手紙を喜ぶ内容のお返事だった。
――本当に、仲の良いお友達だったのね。でもやっぱり、アニータ様はこの国での、今のケヴィン様の評判をご存じないのだわ。
希望の日時を伝えて了承をもらい、アニータ様のご実家のお屋敷、メイラス伯爵様のお屋敷を訪ねる。
夫人が隣国のターニャ国の出身らしく、カーテンやクッションなどの色遣いがはっきりとした黄色や黒で、優しい色使いの多い我がウィステリア王国とは、なんとなく違う。
アニータ様のいる部屋まで案内してくれた人は、執事さんだろうか。優雅で完璧で、一見礼儀正しいけれど、それだけだ。
失礼にならない程度のふるまいをしながら、ケヴィンやアメリヤに笑顔一つ向けることなく、本当に最低限の案内をしただけだった。
――この人は、ケヴィン様の事を歓迎していないのだわ。
「アニータ様。ケヴィン・プラテル伯爵をお連れいたしました」
「ケヴィン!!」
通された部屋で出迎えてくれたのは、ウィステリア王国では珍しい黒髪の、少しだけ濃い肌の色をした、エキゾチックな雰囲気の美女だった。
髪や肌の色は、ターニャ国出身のお母様譲りなのだろう。
ドレスの色も濃い色で、目鼻立ちもはっきりしている。
ケヴィンを出迎えたその笑顔は、内側からにじみでるような、太陽のようなエネルギーにあふれていた。
アメリヤは一目で、アニータに好感を覚えた。
「やあアニータ! 久しぶりだね。元気そうで嬉しいよ」
「ケヴィンこそ。相変わらずチャーミングね!」
チャーミングと言われたケヴィンは、気まずそうに、顔だけで笑って応えてみせた。
「アニータ様。隣国までは伝わっていないかもしれませんが、ケヴィン様には今悪いご評判もございます。付き合うお相手は考えられたほうがいいかと」
ここまで案内してくれた執事さん? が、アニータ様に耳打ちをする。
その声は小さいけれど、ハッキリとアメリヤの耳にも届いた。
きっとケヴィンにも聞こえたのだろう。
ケヴィンが少し顔を伏せた気がする。その横顔は、いつもより赤かった。
伯爵家の執事が、内緒話を客に聞かれるような失敗をするのだろうか?
いや。聞こえるように、言っているっていうことだ。
外国に暮らしていて、ケヴィンの今の評判を知らないアニータ様に、忠告をする。だけど忠告だけなら、手紙がきたときにしておけばいい。
――これは私たちへの、今後アニータ様に近づくなよという、牽制だ。
「オリバー。私の友人を悪く言わないで」
しかし耳打ちされたアニータ様は、意外にもその力強い目と声で、執事さんを射抜いた。
こちらへ聞こえるような、内容を隠す気のない大きな声で。
「私の友人に、聞こえるように嫌味を言わないで。失礼よ、今すぐ部屋から出て行ってちょうだい」
「ア、アニータ様。ですがプラテル伯爵領は……」
「いいから出て行って。私の友人は私が決めるの。評判なんてどうでもいいのよ」
アニータ様の鋭い目線に耐えかねたのか、オリバーと呼ばれた執事さんは、「失礼いたしました」と、アニータ様にだけ向けて頭を下げると、部屋から退出していった。
「ごめんなさいね、この屋敷の使用人への教育が行き届かなくって。まったく、お母様は呑気でおおらかすぎるのよ。さあ、座ってちょうだい。積もる話があるもの」
アニータ様は、ケヴィンに会えたことを、本当に心から喜んでくれているようだった。
「ああ、失礼するよ」
「ありがとうございます。失礼いたします」
アニータに断りをいれて、用意されたソファーに腰をおろす。
このソファーはあまり、ウィステリア王国では見かけない意匠のデザインだ。
「ありがとう、アニータ。でも僕は、思い出話や積もる話だけをしにきたんじゃないんだ。……あの執事さんは、正しいよ」
ケヴィンのその声は、いつもよりも固いけれど、震えることなくはっきりと聞こえた。
誠実な声だった。
「お金を貸して欲しいんだ」
なにもそんな、いきなり本題を言わなくても、とアメリヤは思った。




