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1話 耐えられないから離縁してくれ

「ケヴィンもう一度、言っていただけます?」

「ユリア。君は結婚して子供が生まれてから変わってしまった。全然僕の事を大事にしてくれなくなった。僕もう耐えられないんだ。離縁してください」





「はっあ?」



 貴族婦女としてマナー違反であることは重々承知だけれど、思わず叫んでしまったことは、誰にも責められないと思います……多分。











 ユリア・ハウケがケヴィン・プラテルと出会ったのは、親友のカトレアに紹介されたのがきっかけだった。

 カトレアの婚約者のジョセフの友人がケヴィンで、他にも何人かの共通の友人達と一緒に集まってお茶会やパーティーをしているうちに、自然とペアになっていった。


 ちょっと頼りないところもあるけれど、いつもニコニコと笑っていて優しくて紳士的。

 ウェーブがかかった茶色の髪がチャーミングな、クリクリした目の、線の細い一つ年下の伯爵令息。

 弟気質で、甘え上手で、皆に可愛がられていた。


 しっかり者で頼られやすいユリアと、甘え上手なケヴィンがいつも一緒にいるのを見て、友人たちは微笑ましく見守っていたものだ。


 家格も伯爵家同士でちょうどよく、結婚の話はあっという間にまとまった。



 ユリアは一人娘だったので、ケヴィンの家に嫁ぐ事になり、生家のハウケ伯爵家は3歳上の従兄のセドリックが継いでくれることになった。

 昔から冷静で頭が良いセドリックは、伯爵家の次期当主として申し分のない教養を身に着けていたし、まだ結婚相手も決まっていなかったので、ちょうど良かった。

 ……もしかしたら両親は将来的に、ユリアとセドリックを結婚させるつもりだったのかもしれない。



 でもユリアは昔から、頭が固くて正論を言ってくるセドリックがそんなに好きではなかった。

 それにケヴィンに上目づかいで甘えられると胸がキュンとして、放っておけなくなって、夢中になってしまった。頼りないケヴィンのことをなんとかしてあげたい、支えてあげたいという考えで頭がいっぱいだった。


 一人娘のユリアに甘い両親は、何か言いたげだったけれど、結局は何も言わずケヴィンとの結婚を認めてくれた。






「……あの男は苦労するぞ」


 唯一セドリックだけはそう言ってきたけれど、いつものお小言だと思って聞き流した。どうせあなただって、伯爵家の当主になれるのだから良かったじゃない? って。






 ――できることならその時の私を、ボコボコに殴りに行って、目を覚まさせてやりたい。









 ******






 いつもは忙しい忙しいと言って寄り付いてこないケヴィンが、今日は珍しくレオとユリアに会いに来てくれた。

 レオとは、ケヴィンとユリアの2人の間に生まれた赤ちゃんのレオハルトのことだ。




 レオの様子でも見に来てくれたのかと思って喜んでいたのに、大切な話があると言われて応接間で話をすることにする。

 話が終わったら、さすがに少しはレオの様子を見てくれるだろう。


 そう期待して、レオを子守りに預けて移動した応接室で、メイドがケヴィンお気に入りのお茶を出してくれて、ドアが閉まった瞬間に言われたのが、先ほどの離縁宣言だった。






「……ケヴィン。私が変わってしまったって、どういうことなの?」

「君は子供のことばかり考えるようになって、僕のことを全然かまってくれないじゃないか! ユリアがサボるから領地の仕事が、今全部僕のところにきているんだよ? 分かってる?」


 不満げなケヴィンからはプンプンという音が聞こえてきそうだ。

 少し頬を膨らませているようだ。

 自分が可哀そうだと、悪いのはユリアだと一切疑っていない様子で、恨めし気に睨んでくる。


 ケヴィンの両親はあまり領地の経営が好きではないらしく、ケヴィンがユリアと結婚すると同時に、引退して伯爵位をケヴィンに譲ってしまった。

 今は優雅に伯爵領のお金を浪費しながら各地を旅行して回っている。


 伯爵領の経営は若夫婦に委ねられたわけだけれど、実情は優秀な部下たちがほとんどやってくれていた。

 そして書類の最後の、責任者が見なければいけないものの確認は全てユリアがやって、ケヴィンのやることと言えばただ機械的に領主のサインをするだけだった。

 今はユリアが仕事を休んでいるので、確認がケヴィンのほうへいっているのだろう。




「でも、お仕事を手伝いたいけれど、レオが少し大きくなるまで、実家の屋敷にお世話になりなよと言ったのはケヴィンじゃない」

「だって、あんなに大きな声で夜中まで泣かれたんじゃ、とてもじゃないけど寝不足で仕事にならないよ!」




 そう。実は今話しているこの応接室はユリアの生家であるハウケ伯爵家の王都の屋敷の一室なのだ。

 なんとユリアとレオは、ケヴィンの要望で、今ハウケ家で生活をしていた。



 伯爵家といってもあまり裕福ではないプラテル伯爵家の王都にある町屋敷は、それほど大きいものではない。

 どれだけケヴィンの寝室から離した部屋に赤ちゃんを連れていっても、泣き声が気になって仕事ができない、頼むからハウケの家へ行ってくれと言ったのはケヴィンだった。

 貴族なので当然専用の子守りが赤ちゃんの世話をするのが普通だが、それにしたって全く触れ合わないどころか、うるさいと言って妻子を追い出すのは社交界でも聞いたことがない。





 ユリアの両親は、生れて2週間もしないうちに、赤ちゃんを連れて帰ってきてしまったユリアを、笑顔で迎え入れてくれた。

 両親からお祝いで贈られた真っ白でフワフワのおくるみに包んだレオを、縋るように抱きしめて馬車から降りたユリアを、疎むどころか待ちきれないとばかりに笑顔で腕を広げ、抱き締めてくれた両親。


 ユリアが結婚して家を出て行くと同時に、ハウケ伯爵家と養子縁組してユリアの生家に住んでいたセドリックもその時出迎えてくれていたけれど、どんな顔をしていたのかは、怖くて見れなかったので知らない。

 今でも彼とは、あまり会わないように屋敷の中で逃げ回っている。


 ――でもセドリックが、意外とレオの様子を見てくれたり、仕事の隙間に相手をしてくれているのは、子守りから報告を受けていた。


 実の父親から愛情をかけてもらえないレオが、両親やセドリックに歓迎されて可愛がられている。それが救いだった。






「それにさ、君のお父さん怖いんだよ。僕がレオの様子を見にいったら、『仕事は頑張ってるかい』とか、『もう少しレオに会いにきたらどうか』って、嫌味を言ってイジメてくるんだ」

「そんな……父はイジメてなんて」

「ほら!! 君はお義父さんの肩を持って、僕の味方をしてくれない!! 前はいつだって僕の味方だったのに!! 僕はこんなに頑張っているのに、まるで全然頑張ってないように言われて、どんなに傷ついたか分かる!?」

「ええっ」




 確かに結婚をしたのなら、夫のほうの味方をするべきだろう。

 だけど父がケヴィンをイジメているとは、ユリアにはどうしても思えなかった。

 ケヴィンは父の言葉を悪いように受け取ってしまったみたいだけど、なんとか誤解を解きたい。

 大好きな父親のことを怖いと言われ、胸が締め付けられるようにズキズキと痛んだ。


 僕は傷ついたと叫ぶケヴィンこそ、目の前のユリアを傷つけていることに、気がつかないのだろうか。




「あと君の従兄セドリックもね。うちの領地の経営のことに口出ししてくるんだ。僕は伯爵家当主だよ? あんなやつ、伯爵家をまだ継ぐかどうかも分からない見習いのくせに、伯爵に向かって無礼なんだよ」



 それも違う。

 あまり裕福ではないケヴィンのプラテル伯爵領を助けるため、必要もないのに、父やセドリックが共同でやってくれている事業がいくつかある。その事業の業務に必要な連絡が届くのが遅いので、父もセドリックも困っている事を、レオが産まれるギリギリまで仕事を手伝っていたユリアは知っていた。




 いつだって正論で不器用に注意してくる従兄を、ユリアだって煙たく思う事もあるけれど。でもセドリックは家の為に、領地の為に、領地の人々の為に一生懸命働いてくれているのに。




「ねえ、誤解よケヴィン。私の家族は私と一緒で、あなたのことが大好きなの。離縁だなんて言わないで」

「もうイヤなんだ! うんざりだ。結婚がこんなに辛い事だなんて思わなかった。頼むから別れてユリア。お願いだよ」



 ああ、結婚前はあんなに可愛く思えたケヴィンの上目づかいのお願いが、全然可愛くない。キュンキュンする代わりにイライラする。

 嫌悪感すらある。

 ――――確かにユリアは変わってしまったのかもしれない。



 でもねケヴィン、あなただって変わらないといけないんじゃない?

 子どもが生まれたのだから、子どもの事を考えるのは当然じゃないかしら。




 喉まで出かかった言葉をゴックンと飲み込む。

 飲み込んだなにかのせいで、胃がズシリと重くなった。




 もういっそのこと本当に別れてしまおうかという考えが頭をよぎる。でも生れたばかりの可愛いレオのことを考えて、堪えた。





 可愛いレオ。

 そうだ、あんなに可愛いのだから、レオに会って、抱っこして、触れ合えば。その体温を感じて、最近笑うようになった世界一可愛い顔を見れば、きっと考えが変わるはず。




「あ、ねえケヴィン。レオに会っていかない? 今別の部屋で遊んでいるのだけど、最近とっても表情が豊かになって……」


「ねえ。今そんな気分になれると思う?」


 最後まで聞きたくないとばかりに、顔を歪ませたケヴィンが言葉を遮る。

 ぶつ切りにされた言葉と一緒に心のどこかまで一緒に切り取られてしまったかのようだ。


 ――言葉ってこんなに、人を傷つけられるのね。


 ユリアは思った。



「じゃあそういうことだから。離縁の手続きとか、できる限り早くしてね」



 手続き早くしてねって、そんなことすらユリアに丸投げする気なのか。

 黙ってしまったユリアを気づかう様子もなく、ケヴィンは言いたいことを言ってスッキリしたような表情で、お気に入りのお茶を一口飲んで、そうして部屋から出ていった。







 ******







「ユリア。レオがお前に会いたがっていたぞ」


 ケヴィンが帰ってから誰もいない応接室で、長い時間呆然としていたユリアに、誰かがそう声を掛けた。


 外から入る日の光で明るかったはずの部屋が、いつのまにか薄暗くなっている。一体どれぐらいの時間呆然としていたのだろう。


 自分がどこにいるのかすら忘れていたけれど、顔を上げてゆるりと周りを見渡すと、徐々に見慣れたカーテンとか、黒い皮張りのソファーなどが目に入ってくる。



「セドリック……」



 そして気が付けば従兄のセドリックが、レオを抱いて部屋の入口に立っていた。

 セドリックに抱かれたレオは、安心しきったようにニコニコと笑っている。


 レオは普段、ユリアが実家に帰ってから急遽雇われた子守りがよく面倒を見てくれているけれど、父や母や……セドリックも。ヒマを見つけては一緒に遊んだり、構ってくれていたので、皆になついている。

 通いの子守りはきっともう、時間になって帰ったのだろう。



「あうー」

 レオがセドリックの髪の毛を掴んで笑っている。


「きゃっきゃっ」

 美しく手入れされサイドに垂らされているブラウンの髪を、セドリックは好きにいじらせていた。

 時折、レオの涎を自然な仕草で拭いてあげている。

 ……慣れているのだ。






 もうだいぶ前だけれど、ケヴィンがレオの様子を見に来たときは、よだれがつきそうだと言ってすぐに触れるのを止めてしまった。

 せっかくの洋服が汚れてしまうから、レオを僕にあまり近づけないように気を付けてねと言われたあの時。

 レオとお揃いのダークブロンドの、クルクルした巻き毛のあの人が、レオを近づけないでよね・・・・って言った時のことを思い出す。






 ――セドリックが優しい仕草でレオの口元を拭っている様子を見て、ユリアの目から涙が溢れ出てくる。


 ケヴィンに。この子の父親に、レオをこんなふうに抱っこしてもらいたかった……。




「離縁、するのか?」

「…………しない」



 離縁なんてしたらレオが可哀そうすぎる。だって二度と父親に、抱っこされることがなくなるなんて。


「きっと今はまだ、ケヴィンはレオに慣れていないのよ。レオがもう少し大きくなって、あまり泣かなくなれば。……触れあって、一緒に生活をしていって、そうしたら段々と家族になっていけると思うの」

「そうか」




 きっといつものようにお小言を言ってくるだろうと思ったセドリックは、予想外に優しくて、ユリアの近くまで歩み寄ってレオを近づけてきた。



 ぷくぷくして気持ちの良いほっぺたに自分の頬を寄せる。

 千切られた心が血を流すように痛んでいても、レオのほっぺたに頬を付けるといつでも、ほんわりと幸せな気持ちになれた。






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