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第五話 お淑やかな妻

 闇夜を静謐せいひつが支配していた。

 ──ここは? 俺はどのくらい意識を失っていただろうか?

 ドラセナが意識を取り戻した時、まるで今までの出来事が嘘だったかの如く、放牧地は静まり返っていた。

 ズキンと心臓の鼓動に合わせて、脳に痛みが走る。思わず顔をしかめる。

 ──頭が重い。

「融合の儀が、これほどまでに体を消耗させるものとは……」

 ドラセナは独りごちる。

 押し潰されんばかりの流星の衝撃だったのだ。むしろ、今生きているのが不思議なくらいだった。フラフラしながらもドラセナは何とか立ち上がった。

 ぐるりと辺りを見渡す。トゥレネの姿はない。そして、はたと気付く。先ほどまで魔法陣があった場所には今、巨大な穴があった。月夜が照らされ、不気味さが際立っていた。──直径百メートルはあるのではないか? 

 改めて衝撃の大きさを思い知る。その時だった。

「えっ?」

 視線が足元で止まる。

 その時まで自分がケンタウロスに転生しようとしてきたことすら忘れていた。

 しかし今、ドラセナの眼下にあったのは人の裸足だ。

「嘘……だろ?」

 ゴクリと唾を飲む。何故か渋みを感じた。

 ──まさか転生に失敗した?

 胸の中のさざなみが荒波へと変わる。

 ──俺だけが生き残ったということか? トゥレネは何処に?

「神・ディファロスよ、応答してくれ」

 呼びかけてみる。が、反応はない。

 代わりに訪れたのは、強烈な目眩だった。

「うっ……」

 思わず片膝をつく。視線の先には生い茂る草があった。

 ──うまそうだな。

 なぜそんなことを思ったのか分からなかった。

 しかし、腹が鳴り、よだれすら出てきた。目眩なのか、頭が重く、フラフラしている。融合の儀の反動で、感覚が麻痺していた。

 ──とりあえず、一旦屋敷に戻ろう。

 まずはディファロスに尋ねないことには、何も始まらない。

 ドラセナは歩を進める。頭がやはり重い。色濃い落胆そのままに足取りも重い。

 放牧地とローレンス城をつなぐ秘密の地下通路を抜け、城内の自らの屋敷にドラセナがたどり着いたのは、それから二十分後のことだった。

 ──融合にどうして失敗した?

 そればかりを自問し続ける帰路だった。

 だから、気づいていなかったのだ。自らに両碗がないことにも……。


 サルビアンナは、王家の血を引くおおしとやかな良妻であった。一歩引いて、ドラセナの後をついてくるような、人を立てられる妻。ドラセナの一番の理解者でもあった。

 ──こんな時こそ、サルビアンナの存在は救いだ。

 ドラセナにとってサルビアンナは、ふとした瞬間の止まり木だった。とりわけ、融合に失敗した今日はなおさらだった。だが……。

「きゃー!」

 玄関で出迎えたサルビアンナは、ドラセナを見るなり、叫び声を上げた。尻餅をついて、その場に倒れ込む始末である。

「おいおい、サルビアンナ。一体、どうした?」

 困惑するドラセナの返しにも全く応じる気配がない。

 それどころか、子鹿のように四肢を痙攣させ、顎もガクガクと震え、ドラセナを見上げている。

「ま、まも……」

 やがて、反転すると、地を這うように逃げる。そう、逃げるという表現がピッタリだった。恐怖に顔を歪めて、四つん這いのまま廊下を進み、屋敷の彼方へと消えていった。

「おい、サルビアンナ!」

 妻の背中に再度投げかけるが、彼女が止まることはない。呆気に取られて、廊下の中間で立ち尽くす。

 その時だった。バンと、けたたましい音とともに、廊下奥のドアが開いた。

「魔物め、死ね!」

 その甲高い声に、キンとした痛みがドラセナの鼓膜を貫く。うっと思わず目を瞑る。脳もズキンと痛んだ。

 ──何だか、聴覚が洗練されすぎている?

 やっとの思いで目を開ける。眼前の光景に愕然とする。般若のような面の見知らぬ女が、仁王立ちしていたからだ。

 ──いや違う……俺は知っている。

 仔細に目を凝らし眺めると、それはサルビアンナだった。

 視線はサルビアンナの右手に向かう。

 ギラリとした光沢を帯びる細長い何か。ドラセナはハッとする。危機察知した足は、既に後退りしていた。

 ──包丁だ。

 そう気づいたと同時だった。

「死ねぇ!」

 槍投げ兵よろしく。眼前のサルビアンナが弓のように体をしならせ、全身のバネの力を使って、包丁を投げつけてきた。

 ヒュンと、矢のような閃光で一直線。包丁はドラセナの間近まで近づいてきた。

 ──やばい。死ぬ……。

 慌てて、体の重心を後方に傾けて避ける。今度はドラセナが尻餅をつく番だった。

 ──なんとか交わした。

 が、後方の壁に鈍い音を立てて包丁が刺さったのが分かった。ドラセナはゆっくりと首を回す。後方を振り返る。

 ──いや、刺さった場所は壁ではない。

 刺さっていたのは壁にかけられていたドラセナの肖像画だった。そこに突き刺さった包丁が、あまりの衝撃で、ブワンブワンと鈍い音とともに、小刻みに左右に揺れていた。

「魔物! 死ね!」

 なおもサルビアンナは、攻撃の手を緩めない。廊下脇の掃除用具入れにあったモップを取り出すと、それを尻餅をついたドラセナに向かって、まっすぐ投げてきた。

「魔物め!」

 般若のような形相で、襲い掛かって来るサルビアンナこそ、今のドラセナには魔物に見えた。

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