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 伯爵夫人であるレーナ・アルファードはテラスで紅茶を飲みながらうっとりとこれほど幸せでいいのかと考えていた。

 

 レーナは今年二十歳になり、婿を取った。アルフォンスというレーナより歳は二つ上のまた別の伯爵家の三男坊であった。

 アルフォンスの男ぶりは有名であり、貴族の娘は元より平民の娘なども頬赤くして彼の噂話をするほどであった。彼もまた自らの器量の良さをよく分かっていたので多くの令嬢たちと浮名を流した。

 

 しかしそんなアルフォンスもついに年貢の納め時というものがきたらしくレーナとの恋の末についに結ばれることとなった。結ばれるときアルフォンスは「もう君以外の女に心を動かされることはないと誓うよ」と宣言した。レーナはそれを聞いて「どうだか」と口ではからかうように言ったが心から嬉しかった。

 

 レーナはアルファード家の一人娘だったので婿を取る必要があったがアルフォンスも家など継げない三男坊であったのでその点も都合が良かった。話はとんとん拍子にすすんでいったがただ一つ障害があった。レーナの父であるマグリット・アルファードである。

 

 レーナの母はまだレーナが幼いときに流行り病で亡くなり、レーナは父とメイドたちに囲まれ成長していった。

 亡き妻の忘れ形見ということとマグリットが四十歳という年を取ってからできた子供であるので可愛くって仕方なく、それこそ目に入れても痛くないといったふうであった。それ故に初めはアルフォンスという男に対して良い感情を持って居なかったようだが実際にアルフォンスと会ってみると意気投合したようで何度かの面談の後に結婚を許した。

 

 もし、マグリットが反対していたら父には殊の外柔順なレーナはアルフォンスとの結婚を諦めていただろう。

 しかし今ではしょっちゅう共に遠乗りや狩りに行くほどでどうかするとレーナが嫉妬するほど二人は仲が良かった。

 息子がいないマグリットと三男坊故に父の愛を多くは受けれなかったアルフォンスがそれぞれの心の隙間を埋めるように接近するのは無理からぬことなのだろうとレーナはため息をついた。まるで本物の父と息子のように見えた。

 

「それにしたって世間からみれば贅沢な悩みと言っていいわ」

 「その通りです。奥様」と紅茶を注ぎながらメイドのソーヤが言った。

 一週間ほど前にマグリットは隠居した。つまり正式にアルフォンスはアルファード伯爵となったわけである。レーナもお嬢様ではなく奥様と呼ばれるようになった。

 

「ソーヤに奥様だなんて呼ばれるとくすぐったいわね」


 レーナとソーヤは年が近く、ソーヤの方が六つほど上の二十六歳である。彼女は十二の頃にはアルファード家にメイド見習いとして仕えていたからもう十四年もここで過ごしレーナとは姉妹同様に育った。

 

 しかしソーヤはそのあたりもきちんと弁え、決してレーナに馴れ馴れしく接しなかった。二人っきりのときなどはむしろレーナがソーヤに妹が姉にするような甘え方をみせるのだが頑としてソーヤは態度を崩さなかった。

 それもまた贅沢な悩みと言っていいのかしらねと内心笑いながらレーナは思う。

 

 レーナにとってすべてが順調であり毎日が幸せであった。辛いことなどや悲しいことなどちっともありはしなかった。

 遠くから馬が二頭こちらに駆けてくるのが見えた。

 「父上とアルフォンスだわ!」とテラスの欄干に身を乗り出し手を振る。

 「危のうございます」とソーヤが体を支えてくれるのが嬉しくってわざとソーヤの方に体重をかけて彼女の柔らかい肢体の感触と暖かな体温を感じる。

 こんな日々が毎日続けばいいのにとそう思った。


 しかし、そんなときマグリットが血を吐いて倒れた。

 家中は騒然となり、レーナは取り乱しアルフォンスに落ち着けと叱責されたほどであった。

 

 アルフォンスは多少の動揺を見せたがすぐにテキパキと指事を出し、家中を落ち着かせ国一番の名医を呼び寄せた。さすがわたくしが選んだ夫だわとレーナは惚れ直す思いであった。

 幸いマグリットは命をとりとめることができたがしばらくは絶対安静でベッドから動くのも禁止された。  

 

 「さっさと隠居してよかったわ」と笑いながらマグリットは言ったものだがその顔は幽鬼のようになっており誰も笑うことはできなかった。

 寝たきりとなったマグリットを献身的に世話したのはソーヤであった。食事の手伝いは元より、体を拭き、筋肉が固まらないようにマッサージし、下の世話まですべてソーヤ一人でやった。

 

 マグリットはソーヤ以外の者に世話をされるのを嫌い、ソーヤ自身も自分以外の者がマグリットの世話をするのをはっきりとは言わないが嫌がった。

 娘であるレーナが見舞いに訪れてもマグリットは自分のことは気にするなアルフォンスに付いていろと言いさっさと追い返されてしまう。

 

 そんなときにもソーヤはベッドの傍らに侍っており、なんだか申し訳無いような顔をしている。レーナはまるで父をソーヤに取られたかのような錯覚をし不快になるがすぐさまその考えを改めた。

 

 「父上のお世話は大変なんだからソーヤをそんな風に思っちゃダメ」

 

 そう口にするも実はレーナはソーヤと父が実は並々ならぬ関係なのではと疑っている。

 ソーヤはもう二十六歳になる。とっくに結婚していてもいいのに決まった人が居るとか想っている人がいるとかそういう話は聞いたことない。

 

 父が縁談を世話してやってもいいはずなのにそんな動きはどうもない。それがレーナには引っかかる。父の性格的にあれほど尽くしてくれているソーヤに報いるために縁談の一つや二つ持ってきてもいいはずなのにそこだけは父はソーヤに冷淡だ。

 そしてべったりと張り付いてソーヤも離れようとせず、父も離そうとしないのを見て、これはなにかあるとレーナは思った。

 

 それならそうなってくれた方がレーナは嬉しい、母を亡くして一人だった父が幸せになり、ソーヤとも家族になれるなら万々歳である。

 

 それをレーナはアルフォンスに話したことがある。

 「バカバカしい、ありえない」とアルフォンスは一刀両断したがそれはまだアルフォンスがこの家に着て時間がまださほど経ってないからそう思うのだ。とレーナは思った。


 マグリットが倒れて数ヶ月が経ち、レーナの献身的な看護のおかげかマグリットはみるみると回復し屋敷内を歩いて回るほどになった。

 

 良かったと思っていると次はアルフォンスが二週間ほど視察に出ることとなった。

 なかなか家族が一緒にゆったり過ごす時間がないことがレーナは不満だったが仕事なら仕方ないとそれを抑えた。

 

 視察にあたり、世話役を一人連れて行くこととなりアルフォンスはソーヤを連れて行ってしまった。

 レーナは父が不機嫌になりはしないかと内心恐れたが表面上にはなんの感情も見せなかったので安心した。やはりあれはわたくしの勘違いかな? と思ったりもした。

 

 アルフォンスとソーヤが家から離れてしまったのでレーナは退屈であった。

 なのでよくマグリットの部屋に遊び行くことになり、大抵マグリットはベッドで上で本を読み「また来たのか」なんて言うが追い返されてしまうこともなく二人で親子水入らずの時間を過ごす。マグリットも退屈していたのだろう。

 

 ベッドに腰かけ甘えるようにレーナがマグリットに体を寄せると「お前はいつまでたってもこどもっぽい」とため息をつくように言う。

 「あら、わたくしだってもう奥様と呼ばれるようになったんですのよ」

 「だったら孫の顔を見せておくれ、わしにはそれだけが心残りだ」

 そう言われるとレーナも弱い、もじもじとし顔を赤くし黙り込む。

 

 「レーナ、よくお聞き、人間はね思うようにならないことばかりだ。どんなに大切なものでも無くしてしまうときは無くしてしまうし。どんなに大切なものでも思いがけず傷つけてしまうこともある。わかるね?」

 よくわからなかったが「はい」とレーナが頷く。

 「大事なのは人に大事なものを無くされたり傷つけられたときだ。そのときどうするか、そのときの姿こそ人間の本当の姿だとわしは思う。わしは、できるならそういうときにはその人を許してやりたい」

 「わしはレーナがそういう人間になってくれたら嬉しいよ」

 マグリットは話し終わるとレーナの肩を抱いた。レーナはマグリットが話したことは難しくてよくわからなかったが父に肩を抱かれたことが嬉しくてニコニコと頬が緩む。


 アルフォンスとソーヤが視察から帰ってきた。

 帰ってくるとなんだか屋敷が妙な雰囲気になった。アルフォンスもソーヤもなんだかよそよそしい、ソーヤは明らかにレーナを避けている。

 

 ある日レーナが庭を散歩していると木陰でアルフォンスとソーヤが話しているのが見えた。思わず隠れて耳をすましてみるが距離があるのでどうもよく聞えない、ソーヤが「マグリット様が……」と言うのがなんとか唯一聞き取れた。

 ソーヤの目から大きな涙が一粒落ちるとソーヤは走り去っていった。レーナはびっくりして言葉も出なかった、ソーヤが泣いているところなんて見たことがない。

 「誰だ」とアルフォンスがこちらを見ていた。

 「わたくしです。いかがされたんですか? ソーヤは泣いていたようですが?」

 

 こそこそ隠れていた後ろめたさを打ち消すように咎めるような口調が出た。

 「父上に叱られたようだ」

 なんの表情も変えずアルフォンスは言った。

 父上がソーヤを叱った? 信じられなかったがアルフォンスは嘘を言ってるようではなかった。

 「泣いていたようですが?」とまた同じことを聞く、ソーヤが涙が流すなどよっぽどのことだろう。

 「女はすぐ泣く」とアルフォンスは言い捨て、さっさと屋敷へと帰っていった。


 妙な日々は続いていった。

 まずソーヤの体調が崩れた。ソーヤには相変わらず避けられ気味だがその日は一緒に過ごすことができた。すると傍に侍っていたソーヤが急に口を抑え「申し訳ありません」と退室する。どうしたことかびっくりしていると代わりのものが現れてソーヤは体調不良ですと伝えてきた。その目には軽蔑の色があった。

 その日からソーヤは四日ほど寝込んでレーナがお見舞いに行くと「申し訳ありません」「申し訳ありません」と繰り返して涙を流した。

 どうしたのとレーナが聞いても一向に答えずただ涙を流して謝るばかり、これはとんでもないことが起きていると直感した。

 

 レーナはマグリットに相談したが「そうか」とマグリットは言ったっきりでなんともしてくれない。レーナは夫と父の頼りなさに怒りと失望を覚えた。

 

 そんなある日レーナはアルフォンスに勧められマグリットの療養も兼ねて湯治に行った。勧めた本人であるアルフォンスは政務が立て込んでいるらしくて同行できず、ソーヤも体調不良のため同行できなかった。

 

 湯治から帰った日お土産を片手にソーヤの部屋を訪ねたら部屋は空っぽになっていた。ベッドすらもなくなっていた。愕然としていると他のメイドからソーヤは故郷に帰ったと聞いた。その表情は嘲りに歪んでいた。

 

 すぐにアルフォンスの政務室へ駆け込むとアルフォンスはなんということもないといった感じでソーヤから故郷に帰りたいという申し出があり許可を出したとさらりと言った。

 「ソーヤの故郷はどこですの?」 掴みかからん勢いでレーナが聞いても知らないとアルフォンスは言ってにべもない。

 怒り心頭に発しながらレーナはアルフォンスの部屋を飛び出し、マグリットの部屋に駆け込んだ。

 入るやいなやソーヤの故郷を尋ねてもマグリットはうんうん唸って、知らないなと言った。隠してると思った。知らないはずがないではないか。

 悔しくて悔しくて涙が出そうになるがそれを見られるのが嫌でレーナは自室へと籠もった。

 

 泣き疲れてレーナはいつの間にか寝てしまっていた。目を覚ますと外は真っ暗である。部屋に居ても気が沈むばかりで屋敷の中をうろうろと歩き回った。

 「奥様もお可哀想に」と声が聞こえた。その声にはなにか喜々とした感情が込められていた。

 「本当、しかし旦那様も罪な人」

 「ソーヤさんを孕ませるなんて」

 「奥様とは姉妹同然だというのに」

 「せめて奥様の方にもお子をつくって差し上げたらよろしいのに」

 そこで部屋の中からひそめているが笑い声が弾ける。


 頭が真っ白になった。

 アルフォンスがソーヤを孕ませた? えっなに? そんなことありえない……。

 しかしどんどん頭の中にその疑惑の材料が思い浮かぶ。視察に二人で行ったこと、木陰で話していた二人、ソーヤの体調不良、そして失踪。

 気が付くとドアを開けていた。部屋の中には真っ青になったおしゃべりメイドたち。

 「お話を聞かせてくださる?」

 にっこりと笑ってレーナはそう言った。

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