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無尽の大地  作者: 山田山
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災禍の火

 自分が何者なのか分からない。


 人間なのか犬なのか猫なのか、化け物なのか分からない。


 男なのか女なのか分からない。


 親の顔すら分からなければ、兄弟も姉妹も、親戚の有無も分からない。


 ただそこにいるだけの、普段意識しない自然現象のように稀薄な存在。


 それが──





▼▲▼▲





 とある世界の、とある山奥の、とある集落。


 その集落は山奥に位置するため、滅多に人が寄り付かない。

 住人同士の交流だけが盛んで、誰もが誰もを知っている。そんな集落だった。


 そんな閉鎖的な集落に生まれた一人の少女。


 名を、夜見(よみ)和泉(いずみ)といった。


 燃えるような赤い髪に透き通った青い瞳の、美少女とでも呼ぶべき容姿をしていた。


 しかし、和泉の両親はどちらも黒い髪に黒い瞳をしていた。

 集落には赤い髪の人間も、青い瞳の人間もいなかったため、不貞の子とも付かず『忌み子』として、親以外の集落の大人達は和泉を大層気味悪がった。子供同士の交流を遮ってまで、忌み子という問題を持ち出すほどに。

 そのため、和泉は孤立していた。


 だが、親の言い付けを破ってでも和泉と関わろうとする子供も一人だけいた。けれど、和泉は孤立している。

 もうその子供はいないからだ。





 ある日、いつものように狭い集落で大人達と他の子供達の目を掻い潜って山へ遊びに出掛けた和泉とその友達。


 何度も通る内に通りやすくなった獣道を通って、自分達しか知らない秘密の遊び場へとやってきた。

 木の上に分厚い木の板を置いただけの簡素な足場や、木と木を縫うように紐を掛け、穴の空いた木の板にその紐を通して作ったブランコなど、努力の痕跡が窺える。


「和泉ちゃんはさ、悲しくないの?」


「え?」


「みんなに嫌われてるの」


「……最初からこうだったから、特に悲しいとかはないかな」


「ふーん、そうなんだ。和泉ちゃんは強いね。私だったら悲しくて寂しくていつも泣いちゃってるなー」


里子(さとこ)ちゃんが泣いてるところなんか想像できないなぁ」


 里子はさらさらの茶髪とくりくりの茶色い瞳をした、いつも笑顔の絶えない元気な少女だった。

 和泉以外にも友達はたくさんいるのに、なぜだかそちらを選ばずこちらを選んでいる。和泉はいつも考えていた。なぜ里子は自分と遊んでくれるのかと。


 そんな疑問を宿したまま談笑をして過ごす。気が付けば日が落ちていて、木々の向こうからは僅かに茜色が覗いていた。


 幼い二人は特に疑問に思わなかった。

 いつも背にしている茜色が、腹の方向にあることに。


 山を下りて見た光景は、燃える集落だった。

 集落の住人から隠れることを忘れ、立ち昇る炎を前に、二人は立ち尽くしていた。


 唐突に炎の中へと走り出す里子。突然の行動に和泉は一歩前に出て手を伸ばすことしかできなかった。

 向かっていった方向には里子の家があったはずだから、恐らくそこへ向かったのだろう。


 和泉は火の手があまり伸びていない場所を進んで里子の家へと向かう。


 そして見たのはどこの家よりも激しく燃えている里子の家。

 ここがこの家事の原因であることは火を見るより──いや、火を見た通りだった。


 遠回りをしてきたため里子を追い越してはいないはず。なのに里子の姿が見えない。


 和泉は恐る恐る里子の家へと足を踏み入れた。熱さは感じるが、これは暑いと言うべき感覚だ。不思議と炎で焼かれたりはしなかった。


 赤い家の中を踏み締めるようにゆっくり見回しながら進む。

 初めて入った他人の家がまさか火の海だなんて想像もしなかった。そもそも他人の家に入れるなんて思ってもいなかった。


 パチパチと弾ける音。ボーボーと燃え盛る音。ガタゴトと軋む音。


 崩れ落ちてくる天井を避けつつ家の中を進んで、そうして発見したのは人の形をした三つの炭だった。

 一番小さい炭は炭になって間もないのか、まだ肌色の部分があった。


 それが先ほどまで一緒に笑い合っていた里子だと理解するのに、それほど時間は掛からなかった。


 髪はない。眉毛もない。睫毛もない。眼球もない。服は焼け落ちている。それが皮膚なのか筋肉なのかは分からないが、とにかく焼け爛れている。


 炎のあまりの熱さに、和泉の涙は流れることもせずに蒸発する。髪も眉毛も睫毛も眼球も筋肉も皮膚も焼けない癖に、一丁前に涙は焼けるようだった。あと、服も焼けて煤けてボロボロになっていた。


 里子だったものを抱き抱えて和泉は燃える家を出る。外に出ると同時に風が吹いて、一気に涼しくなったように感じられた。


 そんな和泉を出迎えるように、里子の家の周りには集落の老若男女が勢揃いしていた。


「誰か出てきたぞ」


「ありゃあ、夜見さんちの……」


「防火服も着ないでどうして焼け死んでないんだ?」


「おい、あいつが抱えてんのって……里子ちゃんじゃねぇか?」


 本人達は声を潜めているつもりのようだが、そんなざわめきが聞こえてくる。


「さ、里子ちゃん!!」


「…………」


三鶴(みつる)君、大丈夫……?」


「あちゃー……三鶴の奴、里子のこと好きだったからな……相当キてるぜ……」


 和泉の元に……ではなく里子だったものの元へ駆け寄る少女。口を開けて涎を垂らしながら目を丸くする三鶴と呼ばれた少年。そんな少年を心配する少女と、頭を掻く少年。


「あ、ああ、ふ、ふぁああぁあああぁあああああぁあお!!」


 涎を撒き散らしながら和泉へ……ではなく里子だったものへと駆け寄る三鶴と呼ばれた少年は、先にそこにいた少女を突き飛ばし、ひったくるように和泉から里子だったものを奪い取った。


「さ、さささ、里子おおおおおお!」


 獣のような雄叫びを上げて少年は叫ぶ。涙も鼻水も涎も垂らして撒き散らして。それがびちゃびちゃと、里子の焼死体を汚す。


 和泉としては、唯一無二の友人の亡骸を、自分を迫害していた人間に汚されるのは不愉快でしかなかった。そう、感じていた。


 今まで理不尽を強いてくる者に不快感を感じることはなかった。理不尽を強いてくるからといって嫌う気もなかった。

 だけど、心のどこかでは嫌悪していた、蔑視してしまっていたのだと、この時初めて気が付いた。


 里子の亡骸を取り返すため、和泉が顔を歪めて三鶴へと歩み寄ろうとすると、どこからか石が飛んだ。

 頭に当たった。

 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。


 じんじんと鋭く痛む箇所に触れて、その手の平を見た。

 そこには自分の髪が液体にでもなってしまったのかと錯覚するほどに、赤い血液が付着していた。


「三鶴君に近寄るんじゃねぇ!」


 今までは見せつけるような陰口や、無視、物を隠す、物に針を仕込むなどの陰湿な迫害方法しか味わってこなかった。

 だから、投石という明確な害意を持って攻撃されたのは初めてだった。


「この、放火魔が!」


 身に覚えのない罪を着せられた。

 和泉は勘違いを払拭しようと口を開いたが、見計らっていたかのようにその口へ土が投げ付けられた。いくらか目や鼻の中に入ってしまった。


 目を拭って土を吐き出している間にも、投げ付けられる石の数は増えて、それに伴って痛む部位も増えていく。


「この、悪魔め! さっさと出ていけ!」


「里子ちゃんを返せ! 美里(みさと)さんを返せ! 悟郎(ごろう)さんを返せ!」


「お前みたいな魔女は焼け死ねばよかったんだ!」


「やっぱり忌み子は山奥にでも捨てておくべきだったんだ!」


 亡くなった者を返せだ、悪魔だ、魔女だ、忌み子だのと、怒号が飛び交う。

 誰も彼もが紛れもない害意を持って、本心からの憎悪を向けて、和泉を攻撃する。


 きっと、この中には和泉が火災の原因ではないと分かっていた者もいる、和泉が里子とこっそり出掛けていたことを知っている者もいる。

 だが、原因不明の火災からくる不安を覆い隠すために、和泉へ責任を擦り付ける。ただの火の不始末ならそれで良かったが、誰かの叫びのように『放火魔』や『悪魔』や『魔女』などの、なにか『よくないモノ』の仕業であるかも知れないと言う不安が、そうさせる。

 要するに、和泉は不安定な精神を安定させるための良薬として扱われているわけだ。


「……ぅぅっ……ひっぐ……ぁぅ……いたい……やっ、やめ……ひっく……やめて……っ……やめてよ……いたっ……ぁっ……いたい……いたいよぉ……っ」


 嫌われ、怨まれ、憎まれ、罵倒され、踏み躙られ、蔑ろにされ、否定され、害意を持って攻撃され──

陰湿な嫌がらせ、虐め、迫害などならば、昔からのことで慣れていたから我慢すれば耐えられた。

 そう、心は摩耗して研ぎ澄まされており強靭だったが、幼い肉体は年相応の脆弱さを誇っている。

 そのため、肉体の痛みを耐える手段も方法も知らない和泉には泣くしかなかった。


 泣けば泣くほどに、泣いたそばから涙が蒸発する。

 和泉の慟哭は誰にも伝わらず、投石はやまず、罵声の投石もやまず、状況は何一つ変わらない。


「いたい……やめてよ……やめて……おねがい……私なにもしてない……本当になにもしてないの……おねがい、おねがいやめて……はぁ……はぁ、はぁっ……なに……あ、熱い……体が、熱い……熱い、熱い、熱い、熱いよぉっ……!」


 普通ならば血が流れれば血流が悪くなって体温は低くなっていくはずなのに、なぜだかどんどん体温が上昇していくのが感じられた。痛みを熱として捉えてしまっているわけではなく、本当に焼けてしまっているかのように熱い。


 和泉が熱さを訴えようが何も変わらない。



 脳味噌が焼き切れて蒸発してしまいそう。


 血液が沸騰して血管が破裂してしまいそう。


 骨が燃えて灰になってしまいそう。


 皮膚と筋肉と脂肪が焼けて燃え尽きてしまいそう。


 あまりの熱さに、あらゆる臓器が溶けてなくなりそう。


 もう、心臓が爆発してしまいそうだった。




 気付けば和泉は走っていた。

 向かい風を受けると多少は涼しくなると気付いて、一心不乱に走った。ぐちゃぐちゃに掻き乱された感情を放置して、とにかく山中を駆け抜けた。


 何度も木にぶつかった。何度も転倒した。何度も滑落した。何度も何度も何度も何度も何度も何度も──立ち上がった。


 掻き乱された感情は放置などできていなかった。

 なにせ、何もかもを振り切るように死にもの狂いで駆けていたのだから。

 忌まわしかった過去も、忌まわしい現在も、忌まわしそうな未来も。

 全てをかなぐり捨てて、全てを擲って、何もかもを焼却するように駆け、一縷の望みを手繰り寄せようと懸命に駆けた。




 火照る体で大の字に広がって見上げる満天の星空。夜風が心地好かった。

 そんな夜空を採点するなら零点。こんな状況でなければ満点をあげていた。


 和泉の目にとまったのは塵芥のように無数にある星々ではなく、太陽とは対極にある月。白く、或いは黄金に輝く幸薄そうな月。


 特に何も思わなかった。目にとまったはずなのに思考は何も言わない。だが別に無関心なわけじゃない。ただ、無心なだけだ。


 暴風のように吹き乱れ噴火のように爆発した感情。心は吹雪のような冷たさと津波のような包容力を求めていたのだ。

 もう誰も縋る相手がいないのだから、刹那的でもいいから、せめての安らぎが欲しかっただけだ。


 全てを失ってしまったのだと実感することができる時間。

 一切合切の些事を考えなくてもいい時間。

 何もかもを忘れられる、自分だけの空虚な時間が欲しかった。

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