焦燥感
駐車場に車が止まると、俺は急いで車を降りた。
「なにもそんなに慌てなくてもいいのに」
呆れる京子先生を尻目に、俺は図書館へ駆け出していく。
エレベーターで上の階に上がる。
なんだかすごく気持ちが焦って、1階しか上がらないなら階段で行けば良かったかな、とさえ思うほどだ。
目の前にいつものポスター『当館の駐車場は、図書館利用者の物です、学校の送り迎えには使用しないでください』という文面が目に飛び込んでくる。
学校の送り迎えではないのだが、この忙しい時間帯に、駐車場を占拠しているという事実でさえ俺の気持ちを焦らせた。
チーンと音が鳴り扉が開く。
走りはしないが、早足で館内に入ると、キョロキョロとあたりを見回す。
田中さん、どこだ、どこに居る。
予定より少し遅れてしまった、もう帰っているかもしれない。
俺は焦りの原因が自分の不馴れな状況にあるのではないかと、ふと思った。
考えてみれば「他人と約束をする」という行為自体、俺にとっては久しぶりだった、本当に久しぶりだった。
だからこそ、それをうやむやにしては駄目だ、と考えてしまったのだ。
いや、正直に話すと、嬉しかったのもある。
俺を認識した上で、次の週にまた会おうと言ってくれた、そんな些細なことが。
だからこそ、この本も4回も読み込んだし、レポートにした方がいいんじゃないかってくらい、話す内容を考えてきたんだ。
そう思考を巡らせていると、約束の主を見つけた。
「田中さん」
呼ばれた主は、衝立のあるテーブルからひょっこり顔を出し、眉間にシワを寄せた。
「なに、貴方、交通事故帰り?」
「じつはその通りなんだ」
彼女なりのジョークだったのだろう、だがそれが本当だった場合、結構気まずい。
「あ、えっと、ごめん」
「こっちこそごめん、こんな状況だし、今日は図書館に寄れなくって……」
「寄ってる気がするんだけど」
確かに。メールや電話なら「行けない」と言うところだろうが、直接伝える手段しかない俺としては、来るしかなかった。
「とにかく、折角会う約束していたのにすっぽかすのも気が引けるんだけど、来週にしてくれないか?」
「会ってる気がするし、べ……別にデートじゃないんだから! そんな言い方しなくていいわ」
下を向き、焦って話をする田中さんに違和感を覚えた。人付き合いが無さすぎて、こういう反応にどう対処して良いかわからない……
また俺の「嫌われたくない」って気持ちが浮き上がってくる。
「本当にごめん、来週またここに来るから!」
俺は手を合わせて、頭を下げる。
「……やめてよ」
田中さんは椅子に座って、顔を伏せてしまった。
何が悪かったのだろう『嫌われた』と心のなかで俺が呟く。
その時俺の肩に手が置かれ、振り返った。
司書の佳苗さんがあきれ顔で立っている。
「目立ってるわよぉ貴方」
そう言われて、はじめて回りを見ると、図書館に来ていた多くの人がこちらを見ている。目を合わせようとすると、サッと隠れる。
「頭に包帯巻いて、図書館歩き回ったかと思ったら、急に痴話喧嘩?」
「「痴話喧嘩ではないです!」」
伏せていた田中さんががばっと顔をあげ、俺と同時に叫んだ。
「そうなの? じゃぁなに?」
「先週同じ本を読んでたから、感想言おうと思って、ここで待ち合わせしてたんですよ」
佳苗さんだけじゃなく、回りの人にも聞こえるように少し大きめの声で弁明した。
「じゃぁデートじゃないの?」
「「違います!」」
またもや声が揃う。
この人は絶対面白がってる。
二つの三白眼に上から下から睨まれて、さすがにたじろぐ佳苗さん。
「わかった、わかったから。大きな声出しちゃダメよ」
「はい、とりあえずまた来週来ます」
そう、田中さんと佳苗さんに言うと、俺は歩きだした。
この人の目に晒される状況って得意じゃない。
目的を済ませた以上、早く立ち去ろう。
俺はエレベーターを待たず、階段を二つ飛ばしで降りていった。
「あんな怪我してるのに、大丈夫そうね……」
佳苗さんの呟きが何となく聞こえた気がした。
俺はいそいで車へ戻ると。
「用事は終わりました、すみませんお待たせしました」
と、息をきらしながら言う。
「わかったわ、じゃぁ貴方達の家のほうにいくわ」
少しだけ声のトーンが落ちている気がする。
やはり、タクシー代わりに使ったのが気に障ったのだろうか……思ったより時間もかかってしまったし。
俺は思考のループの中に取り込まれそうになりながら、無言の車内で息を殺していた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
通学に30分ということは、車で言うと5分程度だ。
はじめは息が上がっている事で、無言を貫いたが、それが収まると居心地の悪さを覚えていた。
長い5分を終えて、車を降りると。簡単に礼を言う。
「明日、傷の具合で休みなら、連絡をいれて。まぁ、走ったりするくらいだから大丈夫だとは思うけど……」
「ありがとうございました」
「じゃぁ、橘さんも、また明日ね」
「はい、ご迷惑お掛けしました」
二人が頭を下げると、京子先生はギアを1速に入れると、ゆっくり発進した。
その車が完全に見えなくなったところで。
「萌、すまんな。付き合わせた」
「いや、元々私の不注意が原因なんだし……」
あ、そうか、そう言えば怪我の原因は、萌を庇って怪我をしたんだった。
「気にしないでくれ、あのまま見過ごしても俺の目覚めが悪い」
冗談で言ったのだが、その言葉にこっちを振り向く萌の顔に、笑みは無かった。
「ちょっと、いい?」
そう言って、俺の手を引き俺の家のとなりの、橘家のほうに引っ張っていく。
「なんなんだよ萌」
がたいは大きいが、もやしっ子の俺に比べて、毎日サッカーして走り回る健康優良児の力は強い。
もちろん振り払う事もできるのだが、なんだか引っ張る手に必死さを感じて、振り払うことができなかった。
もちろん、萌に嫌われたくもなかったし。
そうして、俺は橘家の玄関をくぐったのだった。