病院
「はい、問題ありませんね」
つっけんどんに看護婦が俺にそう伝えてくる。
あの後、救急車を呼ばれて、病院に連れていかれた。
頭が切れていたので、処置をしてもらった後に、レントゲンだとかCTだとか取られた挙げ句、わりと軽い感じで「もう大丈夫ですよ」と言われた。
車に跳ねられるなんて一生に一回、あれば良い方だ……いや、ないに越した事はないんだが。
病院関係者にとっては、毎日運ばれてくる患者の一人、この程度の怪我だったら「問題ない」と軽く流せる程度なのだろう。
「くるみ、大丈夫だった?」
待合室で待っていた萌は俺の姿を見つけて立ち上がった。
「ああ、問題ないってさ」
「そっかぁよかったぁ」
折角立ったのに、力が抜けたように椅子にぺたんと座ってしまった。緊張が解けたのだろう。俺もとなりに座った。
「学校、休んだんだろ?」
「何言ってるの、当たり前でしょ」
「皆勤賞だったじゃないか」
萌は健康優良児で、風邪もひかない。
学校を休む事なんてまずなかった。
「そんなの、くるみと比べらんないよ……」
「いや、悪かったなと思ってさ」
「ううん、私の不注意だもん」
確かに萌は、考え事をしながら歩いたりと、同時に二つの事をできるようには作られていないのか、注意力散漫になることが多い。
「今回は頑丈な俺で良かったけど、萌が跳ねられてたらって思うとゾッとするよ」
「心配してるのはこっちなんですけど」
萌はふくれっ面で訴えかける。
「本当に大丈夫だって、少し頭を縫ったけど、傷は髪に隠れて見えなくなるってさ」
「良かった、私傷を見る度に悲しい気持ちになっちゃいそうだった」
確かに、目の回りが少し腫れている気がする。死んでないんだから泣かなくても良いのに。
「さぁ、学校に報告に行こうか」
俺は萌が持っていてくれた学校鞄を掴むと、立ち上がって萌を促した。
「うん、ほんと大丈夫そうで良かった……でもこんな時間だよ?」
俺は待合室の時計を見た。
もう17時を回っている。
「ありゃ、検査に結構時間掛かってたんだな」
「取り敢えず学校に戻ろうか、先生まだ残ってるかもしれないし」
その時ふと、こんなことが昔あったような感覚に陥った。
車に跳ねられるなんて一度目だし、病院で学校を休むこともなかったのに、だ。
「デジャビュか……」
「えっ何か言った?」
「学校には行かなくても良さそうだよ」
俺の《記憶》ではーー
この後、すぐにロビーの自動ドアが開いて、担任の京子先生が入ってくる。
学校が終わったので病院に駆けつけてくれるのだ。
もちろん萌は何の事だかわからないでいる。
「どう言うことなの?」
俺はその問いには答えずに、荷物をもって入ってくるであろう、担任の先生を迎えに行った。
自動ドアを対面にしたとき、向こう側から京子先生が急ぎ足で入ってきていた。
「蘇我君!」
「先生、ご心配お掛けしました」
俺は深く頭を下げた。
「その感じだと大丈夫そうね、安心した」
「骨折も、脳へのダメージも無いそうです。いくつかのアザと、頭を数針縫っただけです」
「ご両親には連絡したの?」
「私の父はアレですので……」
「やだ、ごめんなさい!」
別に腫れ物に触るように接して欲しい訳じゃないんだが。
「おばさんには私から連絡しておきました」
萌がえっへんと胸を張る。
俺は携帯持ってないし、お前のせいで事故ったんだがな、と思ったが。この切り替えが萌の長所だ、ここは素直に感謝しておこう。
「しかし、母さん来てないじゃないか」
普通は仕事を休んで来るもんだろう。
「私が、怪我は大したこと無いし、私がついてるからって言ったら、お願いねって言われたの」
前言撤回だ、長所でもあるが短所でもある。
心配しないように気を使っての発言では有るかもしれないが、そこはマニュアルに則ってだなぁ……
「後に残る怪我でなくって本当に良かったわ」
そう言うと、先生はガーゼが緩まないようにネットで包んだ頭を撫でてくれた。
人に頭を撫でられるのは久しぶりだ。
なんだか心が洗われて、萌へのちょっとした義憤も吹っ飛んでいく。
「さ、先生の車で送ってあげるから、二人とも行こっか」
そう言って、先生が病院の外に出たので、俺たちもその背中を追って外に出た。
まだ明るいが、大通りはそろそろ帰宅ラッシュが始まっているのだろう、忙しなく車が行き来していた。
「ねぇ、くるみ」
「名前で呼ぶな、どうした?」
「なんで先生が来るって分かったの?」
覚えていたか。
「さぁ、何となくそう思ったんだよ」
「何となくって……」
「頭を打って、新しい能力に目覚めたのかもな」
「またまたぁ~」
それも面白いとは思うが、頭を打った拍子に目覚めるなんて、原因としては有り体で陳腐だ。
だからこそ、あるかもしれないとも思える。
「さぁ、乗って家まで送るわ」
「あ、そう言えば、今日は図書館に用事があったんだった、先生、図書館で良いですよ」
「もぉ、先生はタクシーじゃないんだから、行きたいところに連れていくんじゃないんだからね?」
40代にしては若者に寄り添っている、というか屈託がなくて生徒に愛される先生だ。お子さんも高校生だというから、気持ちも良く分かるのだろうか?
「すみません、図書館で待ち合わせもしてたんですが、連絡手段がなくて……」
「番号分かるなら私の電話使っても良いけど?」
「いや、俺が携帯持ってないからそもそも聞いてないんだ」
「今日は事故まで起こしてるんだし、家でゆっくりした方が良いんじゃないかしら?」
先生はバックミラー越しにこちらを覗いてくる。
「では、少しだけ寄ってください、事情を話して、今度にしてもらうので」
「うん、分かったわ、それで手を打ちましょうか」
そう言うと、エンジンをかけて車を走らせ始めた。
正しい事を正しく。父の格言のような生き方が染み付いている俺は、約束を違える事が好きじゃない。
無断キャンセルではなくせめて事情だけでも伝えておきたい。
先生には手間をかけるが、なかなか折りきれない、俺の信念みたいなものだ。