地下......階
今日の仕事は奇跡的に早く終わった。
30年来のお得意様から「すぐ来てくれ」との電話。
機械がピクリとも動かなくなった。納期が近いのに困ってるとのこと。
社長に言われて駆けつけてみれば、何のことはない、安全装置がかかっていただけ。
お得意様も社長が出張で不在で、残ったパートさんだけでは分からなかったのだ。
あっさりと問題は解決し、パートさんからは感謝の言葉。うちの社長もお得意様の役に立てたと上機嫌で、今日はもう直帰でいいと言われた。やった。
◇◇◇
お得意様の最寄り駅はかなり大きな駅だった。
正面口は遠いよなあ……などと思っていると、何と小さい入り口がある。
うん。今日はいろいろとツイている。小さな入り口から駅構内に入ると、外の熱気から一気に解放された。
小さな入り口だけに通路しかない。売店とか全くない。まあ、そうだろうなと思って歩いて行くと、エレベーターが一基見つかった。
珍しい。だけど、これも今日のツキの一種なんだろう。乗りたいのは地下鉄だ。早くホームに行ける。
◇◇◇
エレベーターはすぐに来た。乗り込むと、行先表示ボタンを見る。乗りたい路線は地下3階らしい。だけど……
面白いものを見つけてしまった。地階へ行きのボタンは3階までだが、その30cmくらい下にもう一つボタンがある。
多分、管理室なのだ。普通のエレベーターには付いていないボタン。関係者以外立入禁止のところだ。
だが、僕はエンジニアだ。こういうものを見ると血が騒ぎだす。いてもたってもいられず、その階のボタンを押した。
関係者以外立入禁止だから、入っているところを見つかれば、当然、注意はされるだろう。まあ、その時は謝ればいい。逆にボイラーとかあるんじゃないかと思って、エンジニアの血が騒ぎとか言えば、もっとよく見せてくれるかもしれない。
エレベーターはかなり長い時間下がり続けていた。東京の地下鉄は既に地下何十メートルを走っている。だから、長いのだろう。いや、それにしても長いと思った次の瞬間……
チンッ
エレベーターは目的階に着いた。
◇◇◇
思ったとおりだった。目的階は配管が縦横に駆け巡っている。思わず駆け寄り、検分を始める。すると……
「◎▲#様……でしょうか?」
◇◇◇
不意に後ろから声がした。
「うっ、はっ、はい」
僕は不意を突かれたのと、呼びかけられた名前がよく聞き取れなかったため、思わず返事をしてしまった。
「そうでしたか。現地を見たいなら、ご一報いただければよろしかったのに……」
振り返ると、黒の執事服を身にまとったチョビ髭の男がこちらを見ていた。
随分と背が小さい。140cmくらいしかないのではないか?
呆然として男を見る僕に、男は淡々と丁寧に、それでいて鋭い声をかけてきた。
「ご案内申し上げます。こちらへどうぞ……」
その場に立ちすくむ僕に、男は更に鋭い声をかけた。
「どうぞ、こちらに……」
その声には有無を言わせぬ強い調子があり、とても断れるとは思えなかった。その時、僕は初めて恐怖した。
◇◇◇
男が最初に案内したのは大広間の食堂だった。見事なシャンデリアが装飾されていて、何故地下にこのような施設があるのか疑問だ。だが、僕はもうそれどころではなかった。頭の中を危険信号が駆け巡る。一刻も早くこの場を立ち去りたいという気持ちでいっぱいになった。
男はそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、相変わらず冷たく淡々とした、それでいて強い調子で続けていた。
「ここが毎日の夕食の会場になります。朝食はもっと落ち着いた感じの会場になりますね。その方が飽きが来ませんから……」
「……」
僕は恐怖のあまり、何も言えずにいる。
その様子を見た男は不気味ににやりと笑った。
「どうしました? 何か心配ごとでも? ふふ、そうですか、食材の在庫がご心配なのですね……」
「……」
「ご心配には及びませんよ。野菜は施設内に工場があって、新鮮なものが供給できる。そして、肉は……」
「!」
「独自の供給システムがありますから……」
僕の背筋に冷や汗が流れた。
◇◇◇
「さあ、次にまいりましょう」
男の口調は相変わらず有無を言わせない圧力がある。
男が次に僕を案内したのは劇場だった。
「ふふふ。国内外を問わず、何万本ものソフトがあって、ここで上映できるのですよ。おや?」
「?」
「ふふふ。そのご懸念は分かりますとも。何万本あろうとも、飽きる時は飽きるじゃないかとおっしゃりたいのですよね。分かりますとも……」
男は更に口角を上げ、不気味に笑った。
「そういうお客様のために特別なソフトを用意してあるのですよ。ええ。一般庶民が見るような特撮を使ったまがい物なんかじゃない。本物を用意させていただいております。ふふふ」
僕の恐怖は限界に達しようとしていた。
◇◇◇
「おや、まだ、ご満足いただけない。ふふ。あなた様はこの『ハイソサイエテイ核シェルタークラブ』の中でも相当の上位階層ということですな。ふふ。では、特別に……」
男は右手のひらの中のリモコンスイッチのボタンを押した。
ゴゴゴという音と共にスクリーンが上に上がり、その陰から姿を現したのは……
ギロチン、親指詰め機…… 僕でも知っているような処刑器具、拷問器具の数々……
「ふふふ。いざ核戦争が始まれば、『ハイソサイエテイ核シェルタークラブ』の会員でもないにもかかわらず、闖入する不埒者はたくさん出る。娯楽の材料も、新鮮な食肉の材料もことかくことはないのです……」
◇◇◇
今度という今度は限界だった。
僕は悲鳴を上げて、男のもとから逃げ出した。
「ふふ。思ったよりもちませんでしたね。ふふふ。大事な本当のお客様のための大切な『素材』だ。撮影班。しっかりと撮っておいてくださいよ……」
◇◇◇
エレベーターまでもう少しというところまで、必死で逃げた僕だが、右足首に激痛を覚え、転倒した。
右足首を見ると、鎌の刃のようなものがざっくりと刺さり、アキレス腱が切れ、大量に出血している。
「うわあああ」
思わず大きな悲鳴が上がる。
そして、向こう側から男はゆっくりと歩み寄る。
「ふふふ。いい悲鳴だ。お客様に楽しんでいただけそうですね」
僕は左足だけで立ち上がり、エレベーターに向かおうとする。
しかし、今度は左足首に激痛が走る。男の投げた刃が今度はそこに命中したのだ。たまらず転倒する。
それでも、僕は逃げなければならない。
這って逃げようとする僕に、今度は男は左手首を切り裂く。
「ふふふ。はははは。なんて素晴らしいショーだ。これなら辛口の上位階層のお客様にも喜んでいただける」
そして、男の投げた刃は最後は僕の右手首を捉え……