おい、そうじゃないからな!
「うう……アリオス師匠、強すぎますわ」
「そんなことないさ。アンだって確実に強くなってるぞ?」
数分後。
僕の目前では、アンが大の字になっていた。
女の子にあるまじき姿であるが、本当に疲れているだろうからな。さすがにそっとしておいておきたい。
「王都の兵士さんになら勝てるのに……アリオス師匠には絶対に勝てないような気がしてきましたわ」
「はは……そりゃ大げさだ」
実際、アンは着実に強くなっている。
さすがにエムには及ばないまでも、エムに近い戦闘力を身につけつつありそうだ。
先日目覚めたばかりということを踏まえれば、驚異的な成長スピードであることは違いない。
ちなみに他の《実験体N》も、アンと同様、それぞれ戦闘の訓練に入っている。もともと戦いを想定してつくられていたのか、各によって戦闘力の差はあまりない。
だが、各人によって性格はまるで違うようで――
アンのように好戦的で好奇心旺盛な少女は、みるみるうちに実力を伸ばしていた。
もちろんそれは良いことではあるのだが……メリットばかりでもない。
「アン。ちょっといいか」
僕は彼女の近くに座り込むと、あまり説教がましくならないよう、最大限の注意を払って言った。
「アンはたしかに強い。だが、それが原因でちょっとした《驕り》が見えるぞ」
「驕り……ですか……?」
「ああ。身体能力に優れているだけに、それに頼った動き方をしてるんだ。もっと心を落ち着かせて、驕りをなくすこと。そうすればもっと強くなれるさ」
そしてこれは、僕自身の戒めでもある。
かのファルアス・マクバは、いかなる功績を残したとしても、決して傲慢にはならなかった。
むしろ日々謙虚に、すこしずつでも自分の腕を磨き上げていったんだ。
僕も準元帥となって、無駄にチヤホヤされることが増えてきたけれど――
こういうときこそ要注意だ。
いままでのように、ひとつずつでも実力を積み上げていかないと。
「《驕り》ですか……。ううん……」
しかしアンにはあまりピンと来ていない様子。
首をかしげ、難しそうな顔をしている。
まあ、難しいよなぁ。
驕りといっても、かつてのダドリーみたいに、わかりやすい自信過剰ではないし。
「ま、いまはわからなくても仕方ないさ」
僕はふっと笑うと、アンの頭を優しく撫でた。
「自分の心に向き合うってのは、それだけ難しいことだからな。あまり焦らなくても、アンは確実に前に進んでるよ」
「あら……」
アンが掠れた声を発する。
「ちなみにアリオス師匠。もうひとつお聞きしたいのですが」
「ん? なんだ?」
「アリオス師匠が抑えられないほど大好きになってしまったときは、どうすればいいですか?」
「は……?」
おい、またいつものやつだぞ。
「うふふ。それは我慢するしかないやつですね♪」
いつの間にかメアリーが近くまで歩み寄ってきていた。
すごいな。
転移スキルでも使ったのか、ありえないくらいのスピードだったんだが。
メアリーは僕と同じくかがみこむと、さっと腕を掴んできた。
「ささ、アリオス様。汗を流した後はお風呂に入りましょう。久々に背中流して差し上げますからね」
久々に、という部分を妙に強調するメアリー。
それを聞いて、なぜかアンが耳をぴくぴく動かした。
そして僕のもう一方の手を掴み取り、妙に妖艶な声を出してくる。
「あら、どうせなら私に背中流させてくださいな。見慣れた人よりも、新しい人のほうが刺激的かもしれませんわよ」
「あら……」
「あら……」
「「おほほほほほほほほ……!」」
二人がわけわからん会話を繰り広げているなか、僕はメアリーとアンに同時に抱かれ、息ができない状態だった。
「ふ、ふがふが……」
おい、苦しいんだが。
しかも間の悪いことに、このタイミングでこちらに向かってくる人物がいたようだ。
「アリオス準元帥。おはよ……」
第一師団長のロルガだった。
僕たちの様子を見て、ぴくりと硬直している気配がある。
「な、なんとこれは失礼を致しました。お楽しみだったようで」
違う。そうじゃない。
そう叫びたかったが、
「ふがふが……!」
両方向から大きなものを押しつけられ、それすらできないのだった。
★
数分後。
「ふむ。怪しい影、か……」
「ええ。場所は王都からずっと南……港町ポージ付近だそうです」
なんとかロルガの誤解を解いた僕は、そのまま屋上庭園で報告を受けることにした。
重要とはいわないまでも、伝えておきたいことがあるらしい。
その内容は、港町ポージに不審者が現れたこと。
現在、兵士や冒険者らで捜索しているとのことだが、まだ発見には至らず。
念のため、僕にも報告してきたらしい。
「…………」
たぶん、その影が異世界人である可能性は低いだろう。オルガントやファルアスもなにも言ってこないし。
だが、妙に引っかかるな。
この時期に現れた不審者……しかも兵士や冒険者が組んでも見つからないのか。
確認だけでもしておきたいところだ。
港町ポージはそれほど遠い場所じゃないし、ホムンクルスたちの訓練はエムに任せればいいからな。
それらの思考を巡らせ、僕は準元帥としての表情で言った。
「わかった。準備次第に向かう。馬車の準備だけ頼めるか?」
「承知しました。急ぎ、手配致しましょう」
「もし急用ができたらポージのギルド支部に連絡をしてきてほしい。すぐに確認する」
「イエス、マイロード」
ロルガは短くお辞儀をすると、すぐに立ち去っていった。
年上の彼とこんなやり取りをするのはいまだ慣れないが――これも務めだからな。少しずつ慣れていこう。
「アリオス様……行かれるのですね」
背後では、メアリーが切なそうに僕を見つめてきていた。
その瞳が若干潤んでいるのは気のせいだろうか。
「すまない……せっかく来てくれたばかりだけど……」
「いいんです。その覚悟は……とうにできています」
そう言いながら、メアリーは僕の右手をぎゅっと握る。
「どうかお元気で帰ってきてください。とびきりのご馳走を用意して待っていますから……」
「もちろんだ。ありがとな」
「ふふ、きっとですよ? アンと二人で、無事に帰ってきてください」
気づいてたか……
さすがはメアリーといったところだ。
仕方のないことであるが、ホムンクルスはあまり世界を知らない。人ともほとんど関わってきていない。
王国のこと、街のこと、人のこと……
それらを少しずつ覚えてもらうことも《訓練》のひとつ。
だから僕は、この任務にアンを連れていくことを考えていた。
彼女の《驕り》についても、気づいてもらえるいいきっかけになるかもしれないし。
「へ? アリオス師匠、私を連れていってくれるんですか?」
案の定、アンがぱあっと目を輝かせる。
「遊びにいくんじゃないぞ。これも訓練のひとつだ」
「ふふ、わかってますって。私、頑張ります!」
「あまりアリオス様を困らせちゃ駄目よ? アン」
「もちろんです! アリオス師匠、よろしくお願いしますね!」
にかっと笑うアンだった。