ひょい、これぇあいっはいはんは?
朝。
王城の屋上庭園にて。
「はっ……はっ……!」
柔らかな日差しのもと、僕は剣の素振りを行っていた。
ちゅん。ちゅん。
鳥のさえずりが聞こえる。
都会とは思えないほどの、静かで清々しい朝だった。
「ふぅ……」
祝賀会から一週間ほどが経った。
カヤとアルトロは村に戻り、ユウヤも冒険者としての生活に戻っていった。ダドリーもまた、リオンを捜して旅に出たようだ。
仲間たちとの一時的な別れ。
僕は僕で、できることをこなしていかなくちゃな……
「アリオス様。おはようございます」
そんななか、僕についてくることを決心した人物もいた。
「メアリー……」
「ふふ、今日も精が出ますね」
メアリー・ローバルト。
かつてマクバ家に仕えていた僕の専属メイド(?)は、また「アリオス様のお世話がしたいです!」と飛んできてくれた。
だから王城に住んでくれることになったわけだが、さりとて他の召使いと一緒に仕事をするわけではない。
あくまで彼女は、僕の身の回りの世話をするためにやってきてくれたようだ。
……とはいえ、僕もずっと王城にいるわけではないからな。
手が空いているときは、メアリーも他の召使いを手伝うつもりだという。
「どうぞ。丹精こめて作りましたからね♪」
言いながら、メアリーはサンドイッチの載ったトレイを差し出してきた。
「ごくり……」
正直、めっちゃ旨そうだった。
特製のドレッシングと絡んだ瑞々しい野菜、薄い肉と卵のジューシーな香り……
「いつもすまないな。……本当にいいのか?」
「もちろん。アリオス様のために作ったんですから、当たり前じゃないですか」
メアリーは毎朝のようにご飯を用意してくれる。しかも空腹になったタイミングをしっかり狙ってくるわけだ。
「アリオス様? ……なにしてるんです?」
「いや。感謝のポーズ」
僕は大仰に両手を合わせてから、礼を言ってサンドイッチをかじる。
途端。
あっさり塩味の効いた肉と卵の絶妙なコントラストが口内に、広がり、僕は目を見開いた。
「う、うまい……!」
「ふふ。気に入っていただけて何よりです」
ラスタール村でもそうだったが、メアリーは僕の好みに応じて食事を作ってくれている。それでいて栄養バランスもしっかり整っているのだから、本当に僕にはもったいないメイドだ。
そんな調子で、僕はあっという間にサンドイッチを平らげてしまった。差し出された水をあおり、ぷはっと息を吐く。
「ふう……生きててよかった……」
「あら。そんな大げさな」
メアリーは微笑むなり、僕の口についていたらしいドレッシングを拭き取る。
「アリオス様……その。お気をつけてくださいね。私にはよくわかりませんけど、得体の知れない敵と戦ってるのだとか」
「ありがとう。今のところ大丈夫そうだ」
この一週間、異世界人が現れたという報告はない。
とはいえ、異世界人はこちらの常識を覆すほどの強さを持っているわけで。だからメアリーも心配してくれているんだろう。
「大丈夫さ。なにがあってもみんなを守り抜いてみせる」
「……本当ですか? 約束ですよ?」
「ああ。やくそ――むぎゅ」
語尾がヘンテコになってしまったのは、メアリーに優しく頬をつねられたからだ。
「アリオス様が無事でいてくれれば、レイミラ様とそういう関係になっていたことも水に流します」
「へ? そういう関係って……なんだ?」
「はぁ。なんでもありません」
メアリーはため息をつくと、今度は両手で左右の頬をつねってきた。
「ひょい、これぇあいっはいはんは?(おい、これはいったいなんだ?)」
「はあ……アリオス様はいつまでもアリオス様ですね。そこがまあ良いところでもありますけど」
メアリーは優しく微笑むと、そっと両手を離した。
いったいなんだったのか……
聞きたいところだけど、いまはそれを話している余裕はなさそうだな。
なぜならば。
「……てや!」
僕の脇に突如現れた少女が、腹部を狙って殴打をかましてきたからだ。
さすがは《隠密》スキルの持ち主。
その気配の消し方は天晴れだが、僕とて淵源流の使用者。この気配はずっと前から察知している。
だから今回も、この殴打を受け止めるのは容易だった。
「ななな! なんと、三度ならず四度までも……このわたくしの拳を受け止めるなんて!」
「気配がダダ漏れだ。もっと磨きあげないと、異世界人には勝てないぞ」
「くうっ……!」
少女は悔しそうに表情を歪めると、さっと僕から距離を取った。
「アン! またそんなに危ない遊び方をして……駄目でしょう!」
そんな少女に向けて、メアリーが腰に手を当てて頬を膨らませる。さながらお母さんだ。
「ふふん。遊びではありませんわ。これはれっきとした訓練なのですから」
「いいえ。アリオス様にとっては遊びのようなものでしょうから、遊びです!」
「うくっ。い、言ってくれますわね……」
がっくりと肩を落とす少女。
その名をアンという。
アウト・アヴニールで眠っていた《実験体N》のうちの一人だが、そのなかでも突出した実力を持つ。
なにより特徴的なのが、《隠密》スキルだな。
これにより、自身の気配を悟られぬままに動きまわることができる。異世界人との戦いにおいて、この上ない活躍をしてくれることだろう。
(ちなみに通常のスキル開花は18歳だが、実験体は元よりスキルを授けられているらしい)
とはいえ。
いくらアンが強くとも、彼女まだ目覚めたばかり。隠密スキルを存分に使いこなす境地にはまだ至っていない。
だから《訓練》と称して、僕の背後を狙おうとしているわけだ。
「いいんですの。アリオス師匠が強すぎるだけ。まだまだ勝てるとは思っていませんわ」
アンがくるりと振り向くと、銀髪が軽やかに空中に舞う。
同じ《実験体N》といえど、みな多種多様な外見をしているからな。見た目はエムよりやや年上で、どこか気高い気品を感じさせる。
こんな少女が隠密というスキルを持っているなんて――まったく信じられないほどに。
そんな可憐な少女は艶やかに舌をぺろりと出すと。
どこからか、見るもおぞましい大鎌を出現させた。漆黒と真紅に彩られた、どう見ても女の子には似つかわしくない武器である。
「ふふ。アリオス師匠。訓練の続きを……お願いできますか?」
「はぁ……まったくおまえは……」
またも騒がしい少女の仲間入り――といったところか。
まあ、同時に頼もしくもあるんだけど。
「メアリー。サンドイッチ、本当にうまかった。たぶんここらは危なくなるから……向こうまで離れててくれないか?」
「はい。暴れすぎて王城を壊さないでくださいね?」
「は、はは。善処する」
つい昨日も訓練中に色々とぶっ壊してしまったからな。
だってしょうがない。
気合いだけで床が割れるとか……普通思わないよな?
「アン。訓練とはいえ、昨日よりは控えめでいくぞ」
「はい。よろしくお願い致します」
そう妖艶に笑うアンには、やはり大鎌は不釣り合いだった。




