おい、追いかけられるんだが
「ん……」
視界に光が差し、僕はうっすらと目を開ける。鳥の穏やかなさえずりが、窓の外から聞こえてくる。
朝、か。
結局、僕とレイはそれぞれの部屋で眠ることにした。ここはラスタール村じゃないからな。軽率な行動はできない。あと、またオルガントがやってこないとも限らないし。
「ふぁぁぁあああ……」
上半身を起こし、大きく伸びをする。全身に血流が巡り、しばし心地よさを味わったあと、僕はベッドを出た。
――今日はなにするか……
特にこれといって用事があるわけでもない。レイは王太女の件で国王と込み入った話があるそうなので、邪魔しにいくのも悪いしな。
ちなみに、カヤたちは明日の祝賀会が終わり次第、それぞれの日常に戻るそうだ。
カヤはラスタール村へ。
ユウヤは王都の冒険者ギルドへ。
ダドリーはリオンを探す旅へ。
エムはこれといって行く宛もないので、僕と一緒に異世界人の探索にあたってくれるとのこと。僕がそう提案したわけではなく、「お兄ちゃんと一緒にいたい!」ということだった。そこまで言われてはどうにもならない。
みんな、昨日の今日で疲れてるだろうからな。
今日は僕ひとりで過ごそう。
そう思い立った僕はシャワーを軽く済ませ、身だしなみを整えた後、客室を後にする。
……たしか、近くに美味しいパン屋が近くにあったはずだ。そこに行ってみるか。
と思っていたのだが。
「な、なんだ……?」
妙に視線が痛い。
廊下ですれ違う兵士たちが、僕を見て妙に緊張しているのだ。理由はわからないが。
そしてついに、近くにいた兵士に声をかけられた。
「ア、アリオス様! ご、ごごごごごご機嫌うるわしゅう……!」
「は、はあ……」
おい、なんで緊張してるんだ。
「きょ、今日はどういったご用件で……?」
「いや、用件というほどじゃないんですけど。ちょっとパン屋に……」
「パン屋でございますね! 少々お待ちください! 至急買ってこさせます!!」
「は!? いやいや、ちょっと待ってください!」
なんだこの扱いは。
意味がわからんぞ。
「アリオス様にそんなことをさせるわけには参りませぬ! なにせ、小国を一瞬で吹き飛ばすほどの……」
「あ」
なるほど。
少しだけ見えてきたぞ。
僕が準元帥に就任することについては、正式には明日の発表となっている。
だが――ここはアルセウス王国の中心地。
僕の今後について、早くも話が広まっているんだろう。思えば、僕が《外れスキル所持者》だったときも、話が広まるのが異様に早かったしな。
つまり、僕は兵士たちの最高責任者にあたるわけで。
そんな僕は、小国を一瞬で滅ぼすほどの強敵――ヴァニタスゾローガを倒してしまったわけで。
だから恐れられているんだ。
こいつを怒らせるなかれ――と。
「だ、大丈夫ですから。パンくらい自分で……」
「いえっ、もうすでに持ってこさせましたので!」
「えっ」
おい、早すぎるんだが。
ビュン! と。
神速のごとく飛んできた兵士が、紙袋を僕に差し出してきた。
「アリオス様! あなたのお好みはすでにお聞きしています! 卵サンドがお好きとのこと!!」
これが大正解だから驚きだ。
僕は剣聖の息子としてすこし有名だったからな。たぶん、その頃の情報か……
困ったな。
僕がお金を払ったわけじゃないんだし、こんなの受け取れないぞ。
「い、いえ大丈夫ですって。ていうかあなた、汗だくじゃないですか」
「自分のことはいいんです! アリオス様にご満足していただければ、それだけで……!」
やばいな。
色々と常軌を逸している。
ここまでされてしまっては、受け取らないほうが申し訳ない。というか、断れば断るだけ面倒くさいことになりそうだ。
「わかりました。ではありがたく……」
「はっ! ぜひ……」
おい、手がめちゃくちゃ震えてるんだが。
これは……いろんな意味で苦労しそうだな。別にいいんだけど。
「アリオス様に栄光あれ!」
「栄光あれ!」
「いや……もういいですって」
深いため息をつき、再び歩み始める僕。
やがて王城を出て、王都アルセウスへ。
色彩さまざまな建物に、ちょうどよく配置された植物たち。
当然ながら、ラスタール村とは人口が段違いである。
ゆえに――突き刺さる視線の数々は、ある意味で王城以上だった。
男性からは畏怖の感情。
女性からは尊敬と甘い視線。
こんなものを常時向けられるなんて、溜まったものではない。
「ねえ、あのお方が……」
「アリオス・マクバ郷。以前とは風格が段違いですわ」
「素敵……。私、狙っちゃおうかしら」
「はあ? あんたなんかがアリオス様に振り向いてもらえるわけないでしょ……!」
こういう会話が、ちょくちょく耳に入ってくるのである。
困った。
非常に困った。
これなら《外れスキル所持者》だったときのほうがまだマシ……いやいや、さすがにそれは言い過ぎか。
「あらぁ。アリオス様ではありませんか!」
「え……」
ふいに呼びかけられ、僕は立ち止まる。
振り返ると、そこには見覚えのない少女の姿。だいたい僕と同い年で、かなりの美人だとわかるが――いったい誰だ……?
「えっと……」
戸惑う僕に、少女はえっへんと胸をはる。
「忘れておいでですか? 三年ほど前、一度だけここですれ違ったではありませんか!!」
「は……?」
「あのときから感じたのです! あああ! これは運命であると!!」
いや。
いやいやいや。
こんな無理やりな話があるか。
「ちょ、馬鹿! あんたなんかがアリオス様にちょっかいかけない!」
さらに別の少女が闖入。
「私の友人がごめんなさい。あ、ちなみに私の名前はラ――」
「ちょっと! アリオス様を狙ってるのはあんたじゃない! そうはさせないわ!」
「うるさいっ! いまいいところなんだから静かにっ!」
そのままギャーギャー騒ぎだす始末。
うん。
これはもう、逃げたほうがいいだろう。
「あっ! アリオス様!」
「いかないで! まだ自己紹介も済んでいないのに――!」
おい、追いかけられているんだが……!
参った。
こんなことになるなんて、聞いてないぞ……!
「そうだ。困ったときの《チートコード操作》……!」
―――――――
使用可能なチートコード一覧
●戦闘用
・攻撃力アップ(小)(中)
・火属性魔法の全使用
・水属性魔法の全使用
・無属性魔法の全使用
・対象の体力の可視化
・対象の攻撃力書き換え(小)(中)
・吸収
・無敵時間(極小)
・古代兵器召喚(一)
・対象の経験値蓄積の倍加
●非戦闘用
・性転換の術
――――――
駄目だ。
戦闘用の能力は危険度が高すぎて使えない。相手は魔物じゃないしな。
と。
「ん……?」
――性転換の術。
いままで使い道の思い浮かばなかったそれが、思わぬ助け船に見えた。
これを使えば、もしかすればこの場を切り抜けられるか……!?
スキル《チートコード操作》発動……!
使用する能力は、性転換の術。
その瞬間――僕の全身を不思議な輝きが包み込んだ。
ぞわぞわぞわっと。
身体の形が変えられるような……なんともいえない感覚が全身を走る。
そして数秒後、輝きが消え去った頃には、僕の全身はすさまじい変容を遂げていた。
短かった黒髪は、腰まで届くほどの長髪へ。
全体的に細かった身体は、やや丸みを帯び始め。
胸部においては、思わぬ膨らみが二つも存在していた。
やはり、思った通りだった。
この能力は、僕の性別を切り替える恐るべき大技……。もう一度この能力を使用すれば、また男性に戻れるのだと思われる。
「あれ? おかしいな、ここに行ったはずなのに……」
やや遅れて、さっきの少女たちがここまで到達した。
大丈夫か。
バレないよな……!
「ねえあなた。ここにアリオス様通らなかったかしら?」
幸いなことに、少女は僕の正体に気づかなかったようだ。きょろきょろ周囲を見渡しながら訊ねてくる。
「えっと……アリオス様なら、あっちに行かれたかと……」
「あっちね! ありがとう!」
そしてそのまま、僕が適当に指さした方向へ走り去っていった。




