衝動
僕こと赤崎猛、21歳は今日も憂いていた。
理由は簡単、今日も今日とて大学に行かなければならないからだ。特別明るくない事を自覚している僕としては大学なんて必要な知識を学ぶ為だけの所であり、決して集まって騒いでどんちゃんするような所じゃあ無い。無いはずなのに、気づけば僕が少数派
「はぁ……憂鬱だなぁ」
「急に溜め息なんかつかないでよ。こっちまで気が滅入っちゃうわ」
そんな僕の横を一緒に歩いてくれる女の子。名前は黒山リオン、何でか高校の時から何の取り柄も無い僕の事を好いてくれる奇特な子だ。僕とは対照的に明るく、社交的で何より可愛い。僕なんかには勿体ない程の彼女だ
(ちょっと口は悪いけど……)
「今何かいらない事考えたでしょ」
「い、いやいや!? そんな事無いヨ?」
「ふぅ〜ん……?」
そんないつも通りの会話をしつつ、最寄りの駅へと向かい、ちょうどやって来た電車に乗っていつも通り大学へと歩いていく。
何でもないいつも通りの日常、良い事なんて無いけれど悪い事も無い。そんな、なんて事無い日々の内、その一つ
あっという間に時は経ち、夕暮れ
僕とリオンはそれぞれの親が待つ家へと帰る前に、夕食を一緒に食べるべく適当なレストランへと入った。
「いらっしゃっせぇ〜、何名様でしょうかぁ〜?」
「え、えっと、あの……」「二人です」
こうやって、どもる僕のフォローをリオンが素早く入れるのも慣れた感じだ。何せ高校生の時からコレをやっている、リオンの手際の良さや僕のどもり具合にも磨きがかかるってもんだ
「私的にはそろそろ良い意味で慣れて欲しいんだけどね? 店員さんくらいにはちゃんと会話出来るくらいに」
「む、無理だよ……僕、他人と話すの苦手なの知ってるでしょ?」
「……全く、甘ちゃんなんだから」
そう言ってリオンは呆れたように溜め息をつき運ばれてきたコーヒーを口に含んだ。その横に座る僕と言えば彼女の言葉に何も言い返す事が出来ずただ俯いて黙りしているだけ。でも、言い返したりは出来ない。彼女の言っていることは全部その通りなのだから
「ねぇ、リオン」
「んー?」
「何で、僕なんかの事……その、好きなの?」
「ぶふっ!」
リオンがコーヒーを噴いた。店員さんが驚いてテーブルと、彼女の服を拭いてくれる。その間リオンは店員さんに「お構いなく」と言葉をかけながら、何でか僕の方を静かに睨みつけていた。
そうして、やっと店員さんが立ち去った後。ポツリと一言発したのが
「何でだったかしらね」
たったそれだけなのだから、本当ズルい性分だと僕は思う。
結局それから何となく気まずい雰囲気になって、僕とリオンがそれぞれ選んだ料理が運ばれてきて、一緒に「いただきます」と声を合わせて言うまで一言も喋らず、そして食べ終わるまでも何一つ会話をしないままレストランを出た
気のせいか、いつもより料理の味がしなかった。既に日も落ちきって今日という日が終わりを迎えようとしているこの時間になって、ここで普段とは違う事が起きたのに僕は戸惑いつつ、あまり遅くなり過ぎないよう僕とリオンの二人は電車に乗ってそれぞれの家へと向かった。
奇跡的にも空いていた座席に並んで腰掛けても、会話は無かった。こんな重苦しい空気の中、それも電車で、他の人も居る中話しかける勇気なんて持ち合わせていない猛だったが、遂に沈黙に耐え切れず口を開きかけたその瞬間だった。
すぐ横にあるリオンの顔の方を見た僕が目にしたのは、僕同様にこっちを向いて何か喋ろうとしているリオンの姿だった。リオンが、何か言い難い事を言おうとする時に出る自分の耳裏を掻く癖が出ていた
「……さっきさ、何であんな事聞いたの?」
「え、あ……それは……」
僕は、偶然にもかち合った視線を外して自分の手元へと目を落とした。答えにくいとかではなくて、ただただ気恥しい。だって、「なんで自分の事が好きなの?」っていう質問の意図を答えるなんて……恥ずかしさで、顔から火が出そうになる。
けど、どうやらリオンは僕が答えるまで視線を外すつもりは無いらしく、瞬きを忘れてしまったように僕を見つめてくる。目端に映るその黒い瞳の美しさに思わずゴクリと、生唾を飲み込んでしまった。そんな時だ
『かつら〜、かつら〜。嵐山行きの方はお乗り換え下っさいぃ』
車掌のアナウンスが聞こえてくる。見れば既に自分たちの降りる駅がすぐそこに迫っていた。
「お、降りる準備しなきゃ」
「………………そう、ね。」
逃げるように席を立った僕の後を、リオンはしつこく問いただす事は無く
まるで初めから何も無かったかのように、えらくあっさりとした歩調で電車から降りた
(にしても、あんなリオン始めてみたな……)
なんか、そう。ちょっと怖く感じた。
いやまぁ普段からちょくちょく機嫌は悪くなる人ではあるが、それとはまた少し違う……何だろう、「圧力」と言うのが一番しっくりとくるような、そんなのをさっきのリオンの眼から感じた
ような気がする。
それから本当に何事も無く駅から出た僕たちは、都会と比べると一段と灯りの少ない帰り道を静かに歩いた。
こうやって僕が一人勝手に沈んでしまうのは、情けないけどいつもの事ではある。けど、そんな僕にいつも少しキツめの励ましをくれるリオンの様子がどうにもおかしい。まるで今の僕みたいに俯いて歩いている
(きっと、僕があんな変な事聞いたせいだよね……だったら、元気づけてあげなくちゃ……!)
僕は拳を握り締め、可能な限り勇気を振り絞った。電車ではハッキリと言えなかったけど、せめて理由だけでも言えばリオンの表情に元の明るさが灯るかもしれない。だから、僕はもう一度口を開いた―――
「えっ」
僕が目にしたものは瞬く間にリオンの体を掴んだ。それは、あまりにも一瞬の事だった
「―――、―――ッゥ!!!」
吠えた。それは表しようのない声、リオンを易々と片手で掴み上げ「それ」はまるで獣のように吠えた
「それ」はおよそ人間とは思えない巨大で、尚且つ暴虐的なまでのシルエット
僕は、ただ呆然と見ている事しか出来なかった。声を上げるでも、リオンを助けるべく手を伸ばす訳でもない。怖がっていない訳では無い、証拠に足が生まれたての子鹿のように震えている。喉の潤いは一瞬にして乾ききってこのまま体から水分が無くなるんじゃと思う程に冷や汗が噴き出す。
(た、助けを、助けを呼ばなくちゃ)
とにかく、こんな化け物を僕が相手出来るはずもない。例えば……そう、警察! 警察なら何とか出来るかもしれない。そう思った僕は開きっぱなしの口を一度閉じて、閉じて……閉じて。
「やーっと見つけたと思えば、ンな雑魚だったとはなぁ。俺はガッカリだぜ?糞ガキ」
聞いた事の無い声が耳に届く。言語は同じなのだが、こう。何というか変に聞こえる、そんな声が。
つい見上げると、怪物が口から涎を垂らしてコチラを見つめていた。目と鼻がくっつくんじゃないかと言うほどの至近距離で。
怪物の荒い鼻息が顔にかかる。見が竦む、もう発声器官も何処か遠くへ飛んでいってしまった。僕に出来るのはただその場に立ち尽くす。それだけ
「―――んぐっ、猛! 逃げて!」
そんな僕の飛びかけの意識を呼び戻してくれたのはやっぱりリオンの声だった。けど、足はやっぱり動かない
少しだけ視線を怪物からズラして見れば、大きな手で体を鷲掴みにされたリオンが苦痛に表情を歪めながら、それでも僕に「逃げろ」と訴えかけてくる。
「猛! 早く、早く逃げて!」
「あぁもう、うるせぇなぁ……わかったわかった。そんなに言うならサッサと終わらせてやる」
怪物が空いた手で握り拳を作り、振り上げる。その時街灯がほんのり照らしたおかげで怪物のその顔を見る事が出来た。例えるなら、ソレは「闘牛」。僕が真っ先に思ったのは漫画とかによく出てくる「ミノタウロス」という半人の生き物
そんな恐ろしい怪物の形相を見ても、僕の足は依然動かなかった。震えっぱなしの、だけど絶対に退けないと心のどこかで思ってしまったこの足は、もう動かない。けど、怖いのに違いは無いから代わりに目を瞑った。
猛烈な風と、鋭い音が怪物の拳が自分に迫ってきている事を伝えてくれた。
きっと、もうすぐ僕は死ぬ。
もうすぐ―――死ぬ。
(あっ、リオンにちゃんと言えてないや。何であんな事聞いたか……リオンが僕の事を何時か嫌いになるんじゃないかって、心配になった、って……言っても怒られてたかな?)
そんな事を考えていたら、何でだか笑えてきた。もうすぐ死ぬって言うのに
「せいぜい楽に死ねやぁ、赤の使徒ぉっ!!」
怪物の声が響く、走馬灯はもう充分見た。後は何時でも………あれ?こない
(あ、僕もう死んだのか……一瞬過ぎて痛みも何もなかったな)
薄らと目を開ける。視界に広がるのは平和そうな天国か、はたまたこの世の何処とも比べれない地獄か……あったのは顔に蹴りを入れられて歪む怪物の顔だった。
間もなく、バランスを崩した怪物がズゥンと鈍い音を立てて地面に崩れる。
「ふん、雑魚も連れずに散歩とは随分と余裕だなマキシア教さんよぉ?」
「あいででで……ったく、そういうお前らも不意打ちたぁ随分と狡い真似するじゃねぇか何とかレンジャーさんよぉ」
ヨロヨロと怪物が立ち上がる。倒れた拍子に緩んだ手から脱げ出したリオンはそのまま、コチラへと駆け寄ってそのまま僕の手を取って駆け出した。
最後にチラリと視界に映って見えたのは緑、青、白、黄色のタイツ?のような物を来た四人の姿だった。
結局、それが何か確かめる事も無く僕はリオンに引っ張られるままそこから走って逃げた。
▶▶▶
「はぁ、はぁ……はぁぁぁぁぁぁあ」
「はぁ……はぁ、リオン。大丈夫?」
息切れとも溜め息とも取れない程大きな息を吐いたリオンの眼がこっちを向く
「……なんで逃げなかったの」
「あ、えっと……動かなかったんだ。足が、その、怖くて……あと、リオンが」
「私が?」
気のせいかリオンの語尾が一段と鋭くなっているように聞こえた。
でも、ついさっきまで非日常的な恐怖を、それを死を覚悟する程のを体験した後だとそれが逆に安心感を与えてくれる。
そのおかげか、幾らか息を整えてから続きを言うだけの余裕が僕にはあった
「リオンが、危なかったから……なんて」
えへへ、と照れを誤魔化すように笑ってみせたが、リオンは依然視線を僕から外さない。まるで蛇に睨まれたカエルのように僕の体が動かなくなる。
怒られる、本能でそう察知した僕はごめんなさい、といつも通りの謝罪の言葉を述べようと口を開く
―――その時だった。今日で何度目かと数える間も無く邪魔が入る。
ソレはさっきのミノタウロスみたいな怪物と比べると随分小さく、それで居て片手にゴツゴツとした凶器を持っている……例えるならホラゲーの敵のような。そんなのが10や20では効かないくらいの数がウジャウジャと道角から現れ、僕らの姿を見つけた途端凶器を振り上げて襲いかかってきた
「何なんだよもう!」
―――お困りのようだねぇ。
そしてまた新しい声が聞こえてくる。頭ん中は既にゴチャついていて、マトモに思考する余裕すらない。そう言えばさっきリオンに僕はなんて言った?
―――助けてあげようか?
確か、リオンが危なかったから……とかだよね。あれ、そう言えばリオンは何処に行ったんだろう、姿が見えないけど
―――この星に昔生きた愚者はこう言ったらしい。沈黙はそれ即ち肯定である、と
さっきから声がベラベラ何か喋っているけど、何一つ頭に入ってこない。聞こえてるようで何も聞こえない。
そうしている間にも僕を殺そうと沢山の敵が迫ってくる。
(今度こそ、終わる……!)
僕の中である種の覚悟が決まり、生唾を盛大に飲み込んだその瞬間。
その時だけ、声がすんなりと頭に入ってきた
『―――じゃ、今日から君はバクレンジャーのレッド……バクレッドだ。よろしくね』
それでも、全く意味は分からなかったけど。
続く