(22)
「それにいつ治るか分からない病気を抱えたままってのも辛いしさ」
「どうしてだよ?」
綾の言うことが事実ならば肉体は眠っているんだし、痛覚も無い筈だ。それにいつかは治る見込みがあるのだから悲観する必要だって無いに違いない。
「問題はまさにそこだよ。いつか治るっていうのは、いつ治るか分からないってことと同義なんだよ。この意味分かる? つまり私が治る頃には登間利君、お爺ちゃんになってるかもしれないんだよ。そんな悲惨な話ってないでしょ」
なるほど。
確かにその可能性はある。
綾からしてみると俺に限らず自分の知る人間はみんな自分を差し置いて歳を重ねていくことになる。彼女はその様子をリアルタイムで見せつけられてしまうわけだ。確かにそれは気分の良いものではないだろう。
「これは私のわがままでもあるんだよ」
「わがまま?」
「さっきも言ったでしょ。コンピュータの私が削除されたら、せっかく仲良くなった登間利君との記憶がなくなってしまうんだよ。それは悲しいもんね。これでも随分と悩んだんだ。コンピュータの私がオリジナルの私を差し置いてこんなことを判断してもいいのかなぁって。でも自分では自分の境目が分からないんだよね。結局、どっちも自分ってことだしさ。だからまあ機会は伺っていたんだ」
機会? 何の?
「もちろん登間利君に全てを打ち明ける機会だよ。一切合切を全部告白してから跡形もなくすっぱり消えちゃおうってさ。ピンポンダッシュの代替案ってところかな。だからこれで念願が叶ったというわけだね。でも、これだけは信じて欲しいんだ……」
「信じる? 何をさ?」
「この二ヶ月、私すごく楽しかった」
「?」
「二度と会えない筈の登間利君と一杯話すことが出来たもん。生きてて良かったと思ったよ」
どうしてそんな結論めいたことを言えるのだろうと俺は思った。
そんな(生きてて良かった)なんて、十代が吐く台詞じゃないだろ。
「だったら、これからも同じように生きればいいじゃないか。電話は出来るんだし」
「ははは、いやだなぁもう。これじゃ堂々巡りだよ。私は今の私には耐えられないってことなんだからさ。話は済んだから私もう行くね」
「行くって? どこへ?」
狼狽える俺を他所に彼女が言った。
「じゃ、バイバイっ!」
態とがましくも明るい口調だった。
そして言った途端に照明が切れた。
低く唸っていたモーター音も消えている。
部屋が闇と静寂に包まれる。
「おい?」
電話口に声をかけるが反応はない。
「おいっ!」
部屋中に響く声で呼びかけたが返事はない。
一体、何がどうなった?
俺は激しく焦った。
(まさか本当に消えるつもりなのか?)
闇と静寂の中には命の片影さえも感じることができない。
モーター音は恐らく、容器の液体の循環を担う機能が発していたものだ。こいつを止めたということは本当に生命維持の機能をシャットダウンしやがったのか?
そう理解した俺はありったけの声で叫んだ。不法侵入を咎められることなど考える余裕はなかった。
とにかく誰かを呼んでこいつを何とかしてもらわなければ!
そう思って叫び続けていると真っ先にやってきた警備員に俺は取り押さえられた。少し遅れて白衣の集団がやって来る。こいつらが綾を何とかしてくれるのか?
しかし俺は強制的に部屋から退去させられてしまった。そのまま警備員の詰所といった風情の部屋に軟禁される。
屈強そうな警備員が俺を見張っていた。
俺が何を聞いても彼は答えてはくれない。
一時間ほど待たされてから白衣の男がやってきた。
そして俺は呆気なく解放されたのだった。
解放される前、男は一方的に俺に向かってこういうようなことを言った。
一般人があの部屋に入るのは厳禁である。今回は迷った末に誤って入室してしまったようなので咎めないが、患者に重篤な事態を招きかねない。故に今後の病院への立ち入りを一切禁じる。
言うだけ言って俺の声には一切耳を傾けてはくれなかった。結局、二人に抱えられるように通用門まで運ばれた俺はそこから放り出されてお終いだった。
連中の言い分がおかしいことは明白だ。
俺は迷った末に誤ってあの部屋へ入ったわけではない。そもそも電子ロックで施錠された部屋に素人がおいそれと入れる筈が無いではないか。
要するに彼らは研究とやらの存在を公には認められないのだろう。だから一般論へ比喩することで俺への戒めとしたのだ。
しかし、そんなことはどうでもいいことだった。
俺は綾がどうなったのかを切実に知りたいと思ったのだ。
しかし結局の所、綾があの後どうなったのか、何も判らなかった。
拙いながらも自分なりに色々とアプローチしてみたのだが徒労に終わった。
全てを世間に公表するという暴力的なアプローチも考えなくはなかったが、綾の母親のことを思うと実行に移せる筈も無い。
何も出来ないまま、ただ時間だけが過ぎた。




