(1)
その日、俺は寝坊した。
遅くまで続けていたゲームのせいなのだが、理由はともかく非常に困った事態だった。
俺は今月、既に一度遅刻しているのだ。
ウチの学校は遅刻に対して大変厳しい。月内の初犯であれば反省文を提出するだけで済むのだが、二回目となると奉仕活動という名の罰当番をまるまる一週間も請け負わなければならない。始業の一時間前に登校して毎日清掃活動に勤しむのだ。全くもって前世代的な指導法をとる中途半端な進学校である。
もちろん俺はそんなものに殉ずるほどヒマではない。だから僅かな可能性に賭けて、朝食も食べずに家を飛び出した。
玄関を出た瞬間から全力ダッシュである。華麗なフットワークに合わせて小気味よく鳴るバッシュの音が、朝の喧騒に吸収される。
祈るような気持ちで走る俺。
すると「幸いに」というか「奇跡的に」というか、一つの信号にも邪魔されることなく駅に到着。しかし時計を見ると電車が出る時間を僅かに過ぎていた。
(間に合わなかったか……)
失意の思いでホームに目をやると、どういうわけかまだ電車が停まっている。俺は状況が掴めぬままに改札を抜けて客車に滑り込んだ。するとその瞬間にドアが閉まり、車体がゆっくりと動き出したではないか。
どうやら俺は遅刻を免れたらしい。
何という幸運!
我が国の鉄道運行は時刻表を遵守することには定評があるというが、偶然にも俺的に逼迫した今日という日にたまたまダイヤが乱れたというわけだ。
こんなものは幸運以外の何物でもない。
(日頃の行いって奴だな)
でもどうせ幸運と巡り会うなら、もっと有益な局面……例えば宝くじが当たるとかそういうのがいいかなぁ、などと買ったこともない宝くじに想いを馳せたりしたものの、過ぎたるは及ばざる何とやらで俺のような小市民に過分な幸福は災いの元になると相場は決まっている。精々、今日のラッキーを噛み締めて幸福感に浸るくらいが俺には丁度いいのさ。
貧乏性と笑いたければ笑え。
人間の幸福というものはそんなささやかなラッキーの積み重ねによって成り立つのだよ……と、したり顔で一人嘯く五月晴れの朝だった。
側から見ればただのアホである。
ともあれ遅刻を免れることが出来た安堵感の中、ユルユルと車窓の景色を眺めつつ、そんな戯れを考える俺。
するとスマホに一通のメールが届いた。
『覚えてる? 中学で一緒だった三日月だよ』
されど、このメール。
ラッキーと受け取るかは微妙な所ではあった。




